写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

沖縄の最近のブログ記事

 

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8月4日、早朝に自宅を出発、バスの大幅遅れなどあったが、飛行機の遅れもあり何とか沖縄の名護市辺野古崎に夕方辿り着いた。

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今回のプロジェクトを手伝ってもらっている出口ユカさんと展示作品や書籍など資料を持って那覇空港で合流、明日10時からの展示作業に間に合うように沖縄北部の名護に入ったのである。1年ぶりの辺野古の変貌ぶりには驚いた。海の埋め立てによって潮の流れが変わったのだろう、美しい白砂の浜辺は、草ぼうぼうの荒れ地のようになっていた。

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8月5日、10時から展示構成作業が始まった。沖縄写真協会、名護市文化協会、画家をはじめ、地元のみなさんが多数駆けつけてくれた。 心からの感謝をします。

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作業風景など沖縄テレビが撮影に来ていた。オープンの午後1時前には、きれいに展示作業は終了した。

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帰った人も5~6人いたが、残っていた人だけで、展示作業終了の記念写真を撮った。

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やんばるに来て初めて地物ばかりの新鮮な刺身をいただいた。

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名物の地物海鮮の太巻き寿司。

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地物の魚の煮つけ、安価で美味だった。

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僕の歓迎を兼ねた懇親会を開いてくれた。左から30数年来の友人宮城さん、40年来の写真仲間の宮里さん、名護のフォトフェスティバル以来の友人東江さん、前沖縄写真協会会長・写真家の東さん。日本ハムファイターズの名護市応援団長も務めている宮城さんのお店で。

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名護市立中央図書館の写真展会場への入口。

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初日から入場者は多かった。

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真剣に見つめる・・・

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『決定版 広島原爆写真展』40冊、『決定版 長崎原爆写真展』37冊、テキサス大学出版局発行の写真集3冊、「反核・写真運動」のポスター(写真・サイン:Wユージン・スミス デザイン:粟津潔)1983年制作も5部売れた。片隅に置かせてもらっていた僕の著書も少しは売れた。東京展と同じ以上に販売できたことは、沖縄の人々の関心の高さがうかがえる。

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那覇市民ギャラリーと比較すると会場が狭く、壁面の一部がコンクリートのために展示できなかったので写真の点数を30点ほど減らして展示した。

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小学生、中学生、高校生の来場者も多かった。夏休みの課題で来たという中学生たちもいた。

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会場の2カ所に生花を手向けてくれた81歳の女性がいた。母が広島で暮らしていたが、自分の出産のために実家のある沖縄に。父は南方へ出征したが長崎でなくなっていた。そして、いま自分は沖縄に暮らしているという運命を考えると・・・。 涙ながらに語ってくれた。

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2冊の感想ノートには、多くの人たちが熱い思いを綴っていた・・・。それに比べると会場である図書館の館長はじめ、職員の誰一人も見に来なかったのは残念だった。8月6日、9日をはさんで広島・長崎の原爆写真展をしているのに、まったく興味がないらしい。市民からの問い合わせの電話にもまともに応えていないのにも驚いた。

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ギャラリートークに母が長崎で被爆したという人が飛び入りで参加した。女学生の時の母から聞いた被爆体験を生々しく語ってくれた。

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8月9日。80年前に長崎に米国によって原爆が投下された日、ギャラリートークが行われた。70人を超える市民が集まってくれた。

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写真を撮った人たちの思いをやその背後にあるものを語る・・・

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NHKが8月8日の朝のニュースに放映してくれた。インタビューや作品も丁寧に取材していた。

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最終日の10日午後5時に会場が閉まったあと搬出作業をした。南城市から「風」同人の出口くんも手伝いに来てくれた。みなさん、お疲れさまでした。

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作業終了後、時間がある人たちで、夕食を兼ねたささやかな「お疲れ様さま会」をやった。1週間、本当にありがとうございました。

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宮城リーミさんが届けてくれた花。ありがとうございました。

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宮城さんのお店「ウ”ィーナス」の手打ち蕎麦定食を食べに行った。彼女がお店で北海道の蕎麦粉から打ち、出汁も作る本格的なもの。沖縄のやんばる地方で食べられる味ではない。僕も色々とアドバイスをしている。

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ざるそば一枚にに小鉢が4品付いて1500円と手頃な値段だ。

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女将の宮城さん、名護市商工会の役員も長くしている。初日の飾り付けの日、名護名物のぜんざいを差し入れてくれた。ありがとうね~!♡☆

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以前によく泊まっていた名護のホテル。久々に泊まったら宿泊代は2倍以上になっていた。自由に飲めた珈琲のサービスはなくなっていた。毎日の朝食、1品、コロッケかシュウマイかミニハンバークなど変わるのみで、後はすべて同じメニューだ。昔の修学旅行の時の朝食のようで妙な感動を覚えて写真に撮った。

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8月11日の朝、那覇に戻る日の名護湾。僕は今回延べ17日間、沖縄に滞在していたが、基本的には会場と宿の往復だった。昼飯は一度も食べに行けなかった。靑い海も一度も見なかった。那覇にバスで帰る前の少しの時間、初めて青い名護湾を見たのだ。

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17日間も沖縄にいたのだから記念にそれらしい写真を宮里さんに1枚撮ってもらった。

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浜辺に続く道に夏の日差しをたっぷりと吸った葉が広がっていたのでパチリ~!☆

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帰京する前日の11日、那覇に行くと必ず顔を出す、「節子鮮魚店」。母の後を継いだ2代目が一人でやっている。食事をする家族連れや地元の常連客しか来ないのでいい。観光客や外人の客が多くいる店は騒がしくて嫌いだ。呑みたい酒を自分で持って来て呑む。お代は最後にまとめて。この夜は、貝の刺し身の盛り合わせにご飯を肴に独り沖縄の最後の夜を楽しんだ・・・。

 

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那覇市民ギャラリーがある県庁前のパレットくもじ(正面)。7月29日~8月3日の6日間で800人を超える人びとが見に来てくれた。

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7月28日午後1時から展示構成作業が始まった。沖縄県内から手伝いに来てくれた写真家の皆さんのおかげで5時前にはおおよそ終えることが出来た。ありがとうございました。 合掌

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作業が終わった後、残った人たちでささやかなお疲れさま会をした。沖縄写真協会、日本写真家協会、日本写真家ユニオンの人たちをはじめ、沖縄の写真家たち16人ほどが協力してくれた。「反核・写真運動」としては、事務局長の僕と運営委員の新藤健一さん、事務局員の眞月美雨さんが東京から参加した。

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沖縄近海で獲れたマグロの刺し身。

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7月30日、午後3時からギャラリートークが行われた。約60人の人々が参加。メディアも琉球朝日放送、沖縄テレビ、沖縄タイムス、琉球新報、赤旗などが取材に来た。

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7月30日午後3時からのギャラリートークには、多くの人が参加した。

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ギャラリートークで写真を撮った人たちの心情について解説をする僕。

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40年来の友人であるメイクアップアーティストでありファションコーディネーターでもある荒井祐子さんが駆けつけてくれた。3年ぶりに写真家でヘアデザイナーの眞月美雨さんと3人で夕食へ行った。

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真喜志公設市場へ行って見たが、台風の影響もあり、地物の魚はほとんどなかったので、カニを注文した。いるのはインバンドの外国人ばかり。いつも行く食堂も案の定。長年通い続けてきたが、もういいかと思った。

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「反核・写真運動」のメンバー。左から運営委員の新藤健一さん、僕、事務局担当の眞月美雨さん。

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QVC 琉球朝日放送の取材を受ける。

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OTV 沖縄テレビの取材を受ける。

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写真家・東松照明さんの奥様・泰子さんが来てくれた。久しぶりの再会に話は弾んだ。東松さんは、この「反核・写真運動」の創設時の細江英公、丹野章さんら5人の発起人の一人。泰子さんは知らなかったと言う。新聞で知って来た。写真展のあいさつ文にもその旨はきちんと記してある。

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泰子さんと久しぶりに会った眞月美雨さんともパチリ~!☆

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一番早く放映してくれたのが、琉球朝日放送。沖縄テレビは3回取材に来て名護展の初日の長めのニュースを流してくれた。NHKは最後の放映だった。

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沖縄タイムス7月28日付の紙面。7月31日付にもギャラリートークの記事も載せてくれた。

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7月29日付の琉球新報の紙面。その後2度取材に来て写真を数点使い、大きな記事を書くと言ってはいたが・・・。

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沖縄には本土から移住した若い家族が多い。その奥様方。右端は今回協力してくれた南城市の出口ユカさん。

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沖縄に延べで17日滞在していたが、日本蕎麦を食べたのが4回、逆に沖縄そばは1回だけだった。沖縄そば屋だと思い入ったら日本蕎麦、それも立ち食い蕎麦屋だったと言うこともあった。最近沖縄に増えているらしい。写真の蕎麦屋は、うな重やカツ丼などもあった。しかし、島酒(泡盛)は置いておらず、日本酒のみであった。焼酎は置いてないのか尋ねると芋、蕎麦、麦の焼酎はあるという。ここは沖縄だろう~!!

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沖縄に一軒しかないという立ち食いの蕎麦屋。とにかく疲れているときには、軽く食べてすぐ宿に戻って寝るためには、都合がよろしい。盛そば、量は大盛で420円だったかな・・・。

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沖縄タイムスの編集委員、阿部岳記者。今回は紙面で大きく2度取上げてくれた。感謝~!! 彼が20代の頃からの知り合いなので、会場へも何度か足を運んでくれた。久しぶりに2人で一杯呑む。

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刺し身盛。

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僕が好きな焼きおにぎり。この店のものには、卵の黄身が乗っていた。

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「日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准を」の署名活動を推進している沖縄高校生平和ゼミナールのメンバー。8月6日からの広島原水爆禁止世界大会にも沖縄を代表して6人の高校生と行くという。「反核・写真運動」として原爆の写真集を1冊贈呈した。

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高校生平和ゼミナールをサポートする大人たちと一緒に。

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7月27日から沖縄に滞在していたが8月3日だけ東京にトンボ帰りした。那覇空港出発ロビーで。

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8月3日午後2時から「第36回全国保険医写真展」の作品合評会が、同写真展会場の東京・JCIIクラブ25で行われた。

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昨年に続き第36回展も最高賞である会長賞を受賞した徳島県の工藤美千代さんと。

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参加者で記念写真。

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8月4日の夕方。名護市辺野古岬で。埋め立てが進み景観が変わっていく・・・。 名護市立中央図書館で、5日午前中展示構成作業、午後1時からオープン~!♡☆ (つづく)

 

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午後2時からのオープニングトークの時には、200人を超える人の輪ができた。講師は被爆者の家島昌志さん(右端)

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10時から会場設営、展示構成が行われた。(株)フレームマンのスタッフ、写真弘社、ピースボートおりずるプロジェクト、「反核・写真運動」のメンバーたちで作業は行われた。

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会場はどんどん出来上がっていく。

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大きな横断幕も会場に張り出された。

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午後0時40分、展示構成は終了。お疲れさまでした。

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最後に作業を手伝ったスタッフで記念写真を撮った。みなさん、ありがとうございました~!♡☆

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創立当時、1983年に制作した「反核・写真運動」のポスター。写真・サインはW・ユージン・スミス デザイン:粟津瀞 という豪華なメンバーの協力で制作された。評判がよくほしいという希望者がこの日だけでも5人、大きな写真展のポスターの希望者もいた。

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オープンして20分も経たないうちに会場はほぼ満員状態となった。勉誠社から出版された『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』も多数の注文があった。

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「反核・写真運動」創立期からのメンバーで、同運動の運営委員の山口勝廣さんも大病を押して来てくれた。右は事務局の眞月美雨さん。

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写真展の感想など書けるテーブル。

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主催者を代表して事務局長を務めている僕があいさつをした。運動の意義や歴史、写真を撮った人たちの熱い思いなどを語った。

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オープニングトークの講師、家島昌志さんは、自身が広島で被爆した状況や昨年のノーベル平和賞授賞式ためにノルウェー・オセロに参加した時の感想など語った。

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被団協代表委員の家島さんは、予定時間を15分程オーバーするほど熱のこもったお話だった。

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最後に参加していた元総理大臣の鳩山由紀夫さんから「核の無い平和な世界を築くのは、政治家任せだけでなく、我々一人ひとりの責任でもある・・・」と訴えがあった。

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この日、会場で長崎新聞(右)の取材を受けた。中国新聞、東京新聞も取材に来ていた。

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ファションデザイナーでオリジナルブランドの制作を手掛ける橋本真智子さんと。

 

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被爆80年ー広島・長崎写真展のポスター。広く、深く拡散してください。(デザイン:野田雅也)

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2025年7月16日付東京新聞の紙面。明日からの原爆写真展を大きく取り上げてくれた。記事も詳しく書いてくれている。野呂編集委員・記者、ありがとうございます。 合掌

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広島・長崎の原爆写真の一部。先輩写真家たちが命がけで撮り、戦前、戦後を通じて命をかけて守った貴重なネガフィルムがあったからこそ、原爆がいかにひどいものなのか、そしていかに恐ろしいのかがリアルに実感でき、実相にせまることがでるのである。今回の写真展を通じて多くの人々に核兵器の恐怖さとともに平和がいかに尊いものかをわかってほしいと切に願うものです。  合掌

 

 

 

 

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4月17日(木)、午後1時から写真研究塾「風」の新年度の例会が朝霞市産業文化センターでおこなわれた。岡山の高田同人と99歳の中村咲同人が欠席した他は全員が参加した。写真が好きで情熱がある人は、大歓迎~!!新入会員募集中~!☆!☆

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8月28日~9月3日に新宿のアイテムフォトギャラリーシリウスでの個展「舞踏家 屋久島で暮らす(案)」の開催が決まっている出口会員をはじめ、2冊目の写真集を「ヒマラヤ」でをまとめたいと言う水谷会員、撮りためて来た沖縄と横田をまとめたいと言う並木同人、10年以上撮り続けているテーマをいよいよ形にしたいと言う眞月同人、カンボジアへ6回取材に行っている被写体をまとめにかかりたいと言う橋都同人、最後に新たに東京・浅草を撮影し始めた塩崎事務局長。皆それぞれ力作を大量に持ってきたので見る方の僕は相当疲れた。朝一番にユンケルを飲んでいてよかった・・・。

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出口会員が理事を務めている協同組合日本写真家ユニオンで、ユーチューブで流す動画のシリーズがあり、その撮影をしていた。JPU組合員の出口君が個展の開催へ向けて準備をする様子をまとめるのだと言う。左端が出口会員。

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出口会員が「風」に入会してから3年。本格的に撮影した舞踏家の藤枝虫丸さんが暮らす屋久島へも3回取材に行っている。作品の幅が広がり、内容も深くなった。現在展示構成をはじめ、最後の仕上げにかかっている。

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体調崩していた水谷さん(前列左)が久しぶりに千葉の銚子から参加した。信濃の天竜川の奥地から朝4時起きで参加した橋都同人(後列左から2人目)もいるので久しぶりに記念撮影をした。

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塾終了後は、いつもの沖縄・名護出身のオーナーの店に。水谷さんと出口君の「同人推挙」のお祝いの乾杯をした。おめでとう~!♡☆

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名物・チキンの半身焼き。みんな好きだ。みんなの写真を撮り忘れてしまった・・・

 

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3月5日、夕べからの雪模様の悪天候の中、9時から搬入、展示がおこなわれた。99歳の中村咲さんを除いた全員が参加しての作業が行われ、順調に進んだ。午後1時のオープンにはすべてが完了し、みんなで記念写真を撮った。僕の左が山本惠子名誉会員、右が前会長の田中栄次さん。

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123点すべての作品展示が終わった会場で、受付をはじめ、当番の仕事の確認など行われた。

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1072年~約10年間、NHK近くの職場で同じ釜の飯を食ったAさんが来てくれた。僕は新聞編集局、彼は雑誌の編集部だった。ずーとご無沙汰していたが近年、比較的近くに住んでいることが判明して、SNSを通じて来てくれたのである。いま、「民族芸能を守る会」の事務局長をしている。寄席の開催や若手の落語家の育成をしているという。 お忙しい中、ありがとうございました。

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毎年来てくれているギター愛好家のグループの人たちと記念写真。グループの中心メンバーで、竹川会長と高校時代の同級生の人もいるという。

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特別出展として僕は『琉球 OKINAWA』より6作品を出品した。琉球で暮らす人々の日常の姿を捉えた作品(シルバーオリジナルプリント・大四つ切サイズ)。

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一段落ついて、遅い昼食に誘われてご馳走になった。写真展会場近くにある蕎麦屋のランチ。

 

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10月8日、午後1時から朝霞市産業文化センターにおいて写真研究塾「風」の2024年度10月例会が行われた。倉敷市在住の同人や仕事のため参加できなかった同人など3人が欠席した。しかし、沖縄県南城市をはじめ、南信州の下伊那、房総の銚子からなど遠方の会員たち5人が参加した。来年個展をめざしている沖縄在住のD会員の作品を題材にして、個展の構成・編集の仕方などみんなでシュミレーションをしながら学習をした。

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これまでに5回、カンボジアを取材している下伊那のH同人。これからも取材を続けるのか、どうまとめていくのかなど、作品を見ながら話し合った。長い間、教師をしていた経験が生かせるのではないか、などの意見も出ていた。

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沖縄のD会員は、来年秋の個展開催を目指している(左端)。

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銚子のM会員は、遠いので帰ったが、残りの5人で懇親会をいつもの沖縄料理の店で行った。

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ここでの話は長く、熱い。この日も3時間余にわたり写真談議に花が咲いた。キンキンに冷えたオリオンビールのジョキ生を9杯をはじめ、宮古島の泡盛「菊の露」のボトルがほぼ空いてしまった。無論、グビグビと一人空けたのはロック呑みをしていたH女史であることは言うまでもない。次回12月例会は恒例の忘年会も兼ねてやりまする・・・。

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南信濃の下伊那のH同人が近くで拾ってきたという栗をお土産に持ってきた。さっそく茹で栗に。大量にあるので時間をかけて茹でて食べてみたら、信濃の秋の味覚がほんのりと感じられた・・・

 

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新年度2回目の例会だ。塾生は6人の参加だった。事務局長の塩崎亨くんは、午後1時~2時まで参加していたが、夕方から千葉の九十九里浜での撮影のために早退をした。沖縄の出口君、信州の橋都さんは遠路はるばる参加した。

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いま、今年に入って4回の写真展を開催している97歳の中村咲同人を除いて4人の同人、会員が来年の個展の開催を目指している。秋口が各会場の審査締め切りとなっているので最後の追い込みに入っている。3人は100点を超える作品を持って来ていた。

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入院以後、3週間ぶりの外出だったので、まだ完全に回復していないので体力が続かない。立っては座り、座っては立っての指導となった。

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塩崎君はいないが、みんなとの久しぶりの再会を喜んで記念写真を撮った・・・。足元がおぼつかないので、ヒマラヤなどでも活用した一脚を杖代わりに持ち運んだ。

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この日の移動はすべてタクシー。やはりまだしっかりと歩くことはできない。たかだか歩いて5分足らずの駅前の沖縄料理の居酒屋へ行くにもタクシーだった。アルコールは23日間一滴も飲まずに絶っていたが、この日、みんなが退院祝いの乾杯をしてくれたのでオリオンの生ビールの小を飲んだ。久しぶりの酒は五臓六腑にしみわたった。呑み助メンバーは、さっそく泡盛へ。一人で春雨、菊の露、久米仙、八重泉のロックを気持ちよさそうに空けた強者女性もいた。羨ましい~!!

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料理も一応は沖縄料理がそろっていた。刺身はイラブッチャー(中央)のみ沖縄の魚。モズクてんぷら、島らっきょ、ゴウヤチャ、フーチャンプル、豆腐用など注文していた。この店はまだ4回目だが、みんな暑い夏の訪れと共に沖縄の店が好きなようである。ほどよく酔いが回った頃にお開きとした。次回は8月下旬の再会である・・・。

 

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6月22日、雨上がりの清々しい朝。午後に退院が決まっているが、その日に相応しい朝を迎えた。病室の窓辺から。
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手術後に入った病室。ちょうど10日間滞在した部屋。なんとなく愛着が湧く・・・。帰宅後はしばらく療養とリハビリを兼ねながらのんびりと送るつもりでいる。とにかく多くの方々にご心配をかけたことを心からお詫びします。 僕は絶対的に元気ですからご安心ください~!♡☆

◆写真は、沖縄本島最北端・辺戸岬より本土方面を望む。晴れた日には与論島の島影が見える。
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「軍艦島」こと、長崎県端島が閉山になったのが1974年1月。その前年の秋にそのことを知った宅島さんは、当時東京写真専門学校2年、27歳だった。故郷長崎の炭鉱である「軍艦島」を卒業制作のテーマに据えるのには、何の躊躇もなかった。この島が無人島になる1カ月前から島に張り付いて撮影したドキュメンタリー。今回の展示は、学生当時自らが焼き付けたオリジナルビンテージプリントで構成している。同名の写真集も同時発売、好評だ。(中央が宅島さん)

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宅島さんとは2年ぶり。一昨年の銀座で開いた僕の個展「琉球 OKINAWA」に来てくれた以来。

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彼との付き合いは、1980年代半ばから。日本写真家協会の会員同士として彼は著作権委員会で活動していた、僕は広報委員会で任を果たしていた。その後は、経済産業省認可法人であり、文化庁承認著作権等管理事業団体である協同組合日本写真家ユニオンの結成のために共に働いた仲間だ。今年、結成20年になるが、創立当時から、宅島さんは理事、僕は専務理事としてがんばった同志である。

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東京写真専門学校時代の同級生が奥様と来てくれた。よく呑み、遊び、写真論議をした友だという。

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宅島さんは、酒が好きだ。僕が石神井公園に事務所があった頃は、住んでいる場所が近かったこともあって、よく呑み歩いた・・・。長崎県人らしく豪快な呑みぷりだった。

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26日、夏用の上下服を買いに池袋へ。その足でヘアカットをしに行った。カットをしてくれた眞月美雨さんへのお礼を兼ねて、久しぶりに池袋・みやらびへ行った。真後ろの写真は、琉球舞踊家・川田功子さんを僕が撮ったもの。それ以外はすべて石川文洋さんの作品だ。ちなみに功子さんは、ここ「みやらび」の3代目女将。文洋さんの亡くなった前妻は2代目である。本年で創業70周年になる老舗だ。

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写真家・眞月美雨さんも沖縄をテーマにして取材していることもあり、みやらびが好きで来ている。

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正面には、昭和を代表するの小説家、画家、俳優、詩人、政治家などそうそうたる面々のサインが飾られていて圧巻である。

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琉球舞踊家・崎山陽子さんと美雨さん。陽子ネェネェ~はみやらびで働いている。友人の画家・美崎太洋さんの奥さんでもある。

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功子女将の孫にあたる仲濱美海ちゃん(右)。4代目女将を目指し、現在修業中だ。三線や琉球民謡も上手い。3年前までは沖縄芸術大学で学んでいた。いまはしっかりとお店を切り盛りしているようだ・・・。

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沖縄出身の生粋のうちなんちゅ陽子ネェネェ~。もう20数年以上の付き合いだ。彼女の舞台も僕が撮影し、作品が店に展示してある。

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10年前、写真研究塾「風」作品展への出品のために上京してきた眞月美雨さんたちと、初めて行った池袋の居酒屋。懐かしく、久しぶりに行って見た・・・。

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この日は、みやらびで薄めの琉球泡盛と、この呑み屋では薩摩芋焼酎をちびりちびりとした・・・。以前ほどの大吞はもうとてもできない。

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翌、27日は軽く一人呑みをしょうかと思い、目黒で探し、池袋でと思ったが適当な店がなかったので地元へ帰ってきた。そうしたら駅前でバッタリと美雨さんに会う。昨日呑んだばかりだからと思ったが、一応声をかけたら付き合うという。それではと久しぶりに友人の韓国料理店へ行った。

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焼肉はあんまり食べないが、この日は食べた。ワタリガニのケジャン、レバ刺し、白菜キムチ、ナムルの盛り合わせなど肉の他に頼んだ。焼肉はタン塩、カルビに盛りだくさんのホルモンの盛り合わせなど。盛がとても多いので食べるのに相当苦労したが、何とか平らげることができた。
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もう、しばらくは焼肉はいい・・・。
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酒は、奄美・喜界島の黒糖酒をいつも飲んでいたが、最近は入荷していなく薩摩芋焼酎をじっくりと呑むことにした・・・。店主である李ルセ君の体調が余り良くないとのこと。まだ50歳そこそこと若いのに。店は今年に入り週3日休んでいる。あれほど好きだった酒も今は断っていると言う。少し、相談に乗ったが心配である。お互いの健康を祈って別れた・・・。

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