写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2024年11月アーカイブ

 

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11月22日暮れ時、新宿・百人町の路地奥のカストリ焼酎・泡盛古酒の酒房「さなぶり」に4人の写真家が集まった。左から山岸伸さん、鈴木一雄さん、林義勝さん、小松健一そして、さなぶりのオーナー田崎聡さん。

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山岸さんと鈴木さんは、はじめての御対面だった。まったくジャンルのことなる写真家だが話は大いに盛り上がっていた。

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何が目的で、何でこの面々が集ったか定かではないが、とにかく一度話をしようと集まってみた。4人が写真界で生きてきて約半世紀、先も見えてきた立ち位置にそれぞれがいる。何かできないか、では何ができるか。何か後世に残せるか、残さねばならないのではないか・・・。 約4時間にわたり真剣に討論した。2025年にはかたちとして社会にアピールできたらと思っている。

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林義勝さんと僕。お父さんである大先輩写真家・林忠彦さんとも思い出がある。

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日本中の粕取焼酎、沖縄の泡盛とクース(古酒)、奄美の黒糖酒、芋焼酎など旨い酒がずらりと取り揃えてある。肴は手作りの沖縄料理がメイン。左からオーナーの田崎さん、O店長。田崎さんとは30数年前に沖縄で出会ってからの付き合いである・・・。

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何が起きるかわからないが、この面々が集ったことは、ある意味、”写真界の事件”ですよ~!!!

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11月26日、日暮里サニーホールで第69回 「志遊の会」の昼・夜の部が開かれた。久しぶりに立川志遊の高座を聴いた。番組は 一、天狗の裁き 二、文七元結 だ。志遊は前座の頃から見守って来た。二つ目、真打昇進を見守り、お披露目式や披露パーティーにも出席した。立川談志師匠も最後の愛弟子真打昇進は、ことのほか嬉しそうでお酒とマイクをはなさなかった・・・。

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「志遊の会」は、基本的に年2回の寄席だから35年間続いてきたことになる。

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11月20日、「写真集団・上福岡」の11月例会がふじみ野市中央公民館で開かれた。来年3月5日~9日まで富士見市民会館ギャラリー・きらりにおいて第42回同写真集団展が開催されることが決まっている。最後の追い込みとなるので各自、それぞれの作品制作に力が入っていた。今回も作品点数は100点を優に超えることになりそうだ。

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例会が跳ねた後、有志によって恒例の懇親会が開かれた。みな年配者であるがお元気だ。

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自宅前の畑から武蔵野の面影が残る夕景色を眺めた・・・

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「こまつ平民食堂」名物・アボガドとマグロの中落ちの山かけ。時々、オーダーがあり作る。

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駅前の酒場で千ベロ~。長芋のわさび漬けと生牡蠣をキープの金宮焼酎。

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しめさばと枝豆。駅前だけども違う酒場で千ベロ~。ボトルキープは薩摩芋焼酎。

 

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小春日和となった11月18日、ちょうど1年ぶりに上州・伊香保温泉へ向かった。昨年秋から長兄である僕の発案ではじまった「上州・兄弟会」に参加するためだった。空っ風が吹きすさぶ赤城山遠望。上越線の車窓から。

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谷川岳をはじめとした三国山脈を正面に、右の車窓からは赤城山、左の車窓には榛名山が広がり、遠くには浅間山が望める。 10代の頃、半世紀以上前に僕が詠んだ歌。                                   ◎北へ向かふ車窓に赤城山広がれば母の故郷(くに)なり深く呼吸(いき)する  小松啄詩

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西側の車窓には、榛名山。その左奥には浅間山が見える。上越線・渋川駅の手前、八木原辺りから。

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僕の実家は、榛名山の北山麓の寒村だ。山麓の右側の奥、利根川の支流吾妻川の中流域にあたる。

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渋川駅で待ち合わせた三男の弟の車で、伊香保温泉の途中にある水沢寺観音堂へ参詣によった。この寺は江戸時代中期の建築と言われ、創建は1300年前だ。渋川市の指定重要文化財となっている。

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ヒマラヤなどのチベット寺院を連想させる六地蔵を収めた大きな回し車がある楼がある(手前の建物)。普通は数人がかりで押して回すのだが、少し重かったが僕ひとりで「オンマニペイメイホン」と念仏を唱えながら回した・・・

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弟の勝三と美雨は境内にある屋台のコーヒー屋さんで、油を売っていてお参りには来なかった。

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暮れなずむ伊香保温泉と赤城山。ホテルの窓辺から。

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夕飯前に部屋の中にある露天風呂(黄金の湯)に浸かった。もう一つ檜風呂(白銀の湯)も付いている。湯船からは夕日に染まる赤城山を一望出来て気持ちが良かった・・・ 裸なんて見たくないよ~という人は失礼~!!

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1年ぶりの兄弟夫婦の再会だ。左から次男・修二、三男・勝三、次男の嫁の宇基子、三男の嫁の美香。そして前回は仕事で参加出来なかった美雨。

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刺し身の船盛は、次男・修二の弟子だった人が現在、このホテルをはじめ伊香保にある3つのホテルの総料理長。わざわざあいさつに来て、昨年に続き差し入れてくれたもの。 合掌 感謝~!♡☆

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19日朝の赤城山と少し遅い紅葉が始まっている伊香保温泉の街。ホテルの部屋から。

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部屋は洋間が一つ、和室が2つに、居間がひとつに風呂場が2つ。他に洗面所、トイレ、冷蔵庫などある調理室などがある広い部屋だから3家族で泊まれるのだ。夕食後も部屋に戻り12時過ぎまで兄弟夫婦で語り明かした。来年の再会を誓って別れた・・・。

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みんなで、祖父母や父母などが眠る故里の墓に参った。小松家の墓からの眺め。後から建った墓群から三国の山々を望む。

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まずは、お掃除から。

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記念写真を撮る。三男の嫁の美香は仕事のために帰った。

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数十年ぶりに郷里の小学・中学生時代の同級生の家を訪ねた。その足で開拓集落・大原を訪ねて、友人たちが眠る墓地を参る。現在もこの地で暮らす増田さん(写真)に話を聞いた。この開拓村には10軒あったが、現在は4家族しか残っていない。僕の同級生は5人いたから集落の半分家の子どもたちと同級生だった。学校までの往復8キロ以上の灯もない山岳道を小学校1年から9年間雨の日も、風の日も、雪の日も、日照りの日も通い続けるのは大変なことだったと思う。僕の家は山の下だったが往復4キロはあった。それでも子供心に大変だった。今は村には同級生は一人も残っていなかった。増田さんは、次男・修二の同級生だったとわかった。栽培している漢方の薬草畑で。
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帰りに勝三の自宅に寄った。小さかったネコちゃん「みようが」に逢うためである。猫好きの美雨は初めてなのにすぐにお友達になった。 下の写真は、僕と大きくなったみようが姫、オスではあるが。僕が間違えて「らっきょ」と呼んでもまったく無視されたのである・・・。
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11月7日、東京では木枯らし1号が舞った肌寒い日だった。3カ月ぶりにヘアカットに出かけた。

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池袋の行きつけのヘアサロンで。
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退院して2度目のカット、今月中旬に弟たちと”上州兄弟会”をふるさと伊香保温泉で開くので。
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髪のことはここ11年間は、ヘアデザイナーの美雨(miu)さんに任せている。彼女は写真家でもある。写真研究塾「風」同人であり、経済産業省認可法人で文化庁承認・著作権等管理事業団体の協同組合日本写真家ユニオンの正会員でもある。

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ヘアカットが終わったあと、記念に撮影をした(撮影:眞月美雨)。

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以前に僕の事務所が4年間程あった石神井公園駅の周辺の再開発が進んでいた。いまも内科と眼科の病院には定期的に通院している。呑屋も3軒ばかり・・・

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懐かしい光景にであったのでパシャリ~!!ひと昔は、酔っ払いの多い深夜の電車でもこうした塾帰りの子どもたちの姿を目にしたが、最近はほとんど見なくなった。この写真は昼間の電車の中で。

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今夜も最寄り駅前の居酒屋で千ベロ~! 氷、容器にたくさん入れてもらい50円、炭酸はヤカンに一杯で100円なり。ボトルはキンミヤがキープで1650円かな・・・

 

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昭和、平成の時代の政治家、実業家、小説家、画家、写真家など文化人、芸術家、そして芸能界、スポーツ界と多岐にわたり中谷さんが取材・撮影してきた記憶に残る人々へのレクイエムとして展示した作品展。約130点、100人が登場する。1956年~2008年に撮った肖像で圧巻である。フリーランスの一写真家がこれだけ各界の著名人を撮ることが出来たのは稀なことだと思う。週刊誌、月刊誌、新聞等の全盛時代で良い時代であったとともに、中谷さんは写真家として超売れっ子だったのだと思った。。

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中谷さんとはJPSで共に理事をしてきた時代より前からの付き合いだ。最初の出会いは、相模灘沖での海上自衛隊の観艦式の船上だった。僕が怒鳴られたのが一等最初だった。あれから30数年の歳月が流れている。御年87歳になったという・・・。

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20数年前からはジャーナリストの岡井耀毅さんらと共に、俳句仲間として親しくしてもらっていた。俳句誌「一滴(しずく)」の同人として互いに切磋琢磨した時代もあった。中谷さんは、今も雑誌ゃ新聞などで「俳人・中谷龍子」として活躍している。

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月刊誌「前衛」12月号の巻頭グラビアに掲載された。写真8頁、本文1頁。もうかれこれ10年以上は続けている「日本文学風土記」シリーズの兵庫編だ。今回は播州・播磨に生まれ、その地で創作をした柳田國男、和辻哲郎、椎名麟三、そして谷崎潤一郎のゆかりの地を訪ねた。

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哲学者・和辻哲郎の郷里を流れる市川。村の子どもたちとの遊び場だった。右の山は甲山。
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民俗学者・柳田國男の生家と三畳の台所のかまど。間口5間、奥行4間の江戸時代の農家の代表的な形態。1972年に県指定重要文化財になっている。

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右ページ、播州平野、椎名が務めていた近くの神戸市元町南京街。左ページは谷崎の小説『細雪』に登場する芦屋市を流れる芦屋川と長く妻・松子と暮らした「椅松庵」の応接間。

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椎名は現在の姫路市書写東坂に生まれた。書写山の山麓の村である。山腹にある西国三十三霊場の第27番札所の圓教寺の土の塀と樹齢700年の御神木と参道。

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室町時代中期に創建された境内の大講堂。学問と修業の場である。国指定重要文化財。

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僕の取材ノートとして、作家4人それぞれの所縁の地の感想や記録を記している。

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コロナ以後、とんと外での呑み方は減った。さらに今年の5~6月に腎臓がんの入院・手術をしてからほぼ外呑みはしなくなった。家からごく近い最寄り駅前での軽い一杯が唯一の楽しみとなった。最近オープンした駅から1分もかからない焼き鳥屋。昼間から若い人たちで混んでいる。

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やきとりがメインの料理献立。鳥皮のニンニク焼き、豚バラ、豚しそ巻に揚げ餅串。

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刺し身も少しはある。ブリ刺しとカツオのたたき。

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僕は食べないが、人気のある何故だか「親父のナポリタン」と、駅改札から10秒ほどの蕎麦屋の揚げ銀杏。この店はオープンの時から顔を出している。月曜日にしかアルバイトに出ていなかった女性に、僕が付けた通称「月曜日の女」の彼女がいまや店長として調理場も仕切っている。先だって、考案中の新メニューを試食してほしいと頼まれ感想を述べたばかりだ。

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「こまつ平民食堂」の名物メニューのアボガド入りヤマトイモとろろとアルカディア市ヶ谷での綺麗なデザートでした。 兎も角、時短で安く、しかし肴はそれなりに旨い。酒はどこもボトルをキープしている。現在駅周辺で9軒の店にそれぞれ1本。泡盛、芋焼酎、焼酎、紹興酒などなど、日本酒は無し。 酒はしずかに呑むべかりけりの季節がようやく訪れた・・・  合掌

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