旨い肴と旨い酒で話は弾んだ。20代と30代の友人たちに囲まれてご機嫌で、いつものより乗っている僕でした・・・・・・・。Mさんの撮影~☆。
旨い肴と旨い酒で話は弾んだ。20代と30代の友人たちに囲まれてご機嫌で、いつものより乗っている僕でした・・・・・・・。Mさんの撮影~☆。
11月27日の小春日和に、沖縄出身の友人と劇団「ひの」の第83回公演を観に東京都下にある日野市に出かけた。「ひの」の公演は新羅生門を観た今年の1月以来だった。今回の演目は詩人・宮澤賢治の代表作のひとつ『銀河鉄道の夜』を佐藤利勝の脚本・演出で舞台化したもの。賢治が最晩年の病床のなかでも最後まで原稿に手を入れ続けたという名作であり、広大な宇宙のスケール感に溢れる作品をどう狭い舞台の空間で表現するのか興味を持っていた。
また賢治自身が乗り越えようと葛藤していた宗教問題が色濃くちりばめられているこの作品をどう子どもたちにも含めてわかりやすく構成するのかも見所であった。結論を言うとこの芝居は成功といえよう。演出した佐藤によれば、劇団員9人(20歳~60歳)と準劇団員(小中学生)7人の計16人で40以上の役を演じているというから驚きだ。佐藤の脚色と演出は原作にはない奇抜な試みをしているし、今日的な時代性も取り込んでいて好感を持った。この作品をこの春におきた東日本大震災と原発事故とにしっかりと重ね合わせて、賢治が伝えたかった「いのちの重み」や「みんなの幸い」ということを真正面からテーマにすえていた。この難題なモティーフをうまく劇化しているのに大いに役立っているのが至る所で効果的に流れる音楽だと思った。作曲の関野武志、音楽の中村光志、振り付けの高橋弘子の縁の下力持ちとして果たしている役割は大きいと言えよう。合わせて狭いけいこ場の舞台をうまく活用した舞台美術や音響効果も良かった。
何か誉めてばかりだが、一言いえばやはり、宗教の描き方にいま一工夫必要だと思う。その点原作に少しこだわりすぎたのではあるまいか。賢治は自分が信じた宗派をふくめて宗教を超えようと試み、民衆と共に生きる道を探ろうとしたのが、実はこの『銀河鉄道の夜』だったのだと僕は思っている。今年7月に新潮社から重松清、澤口たまみとの共著で刊行した『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』に、僕は僕なりの考え方を書いているのでぜひ、ご覧下さい。
劇団「ひの」の”銀河鉄道の夜”の公演は、12月3日、4日、10日、11日と午後、夜の部でおこなわれる。詳しいお問い合わせは☆TEL&FAX042-584-3436 http://www.gekidanhino.org/
机一面に並べられた写真・・・・・・。
春子ママと常連客のご夫婦で記念写真を撮った・・・・・・。
話し合いが終了してから場所を変えて夕食をとった。弟の小松勝三にも群馬県の倫理法人会の専任幹事をやっている関係で県内に人脈を持っているので参加してもらった。話は文化から政治の話までにおよんで楽しかった。酒もまたよく飲んだ・・・・・・。
昨日の14日は先月の30日以来、久しぶりに都内へ出かけてみた。この間にもいろいろと用事はあったのだが、不義理をしたのだ。あんまり人に会いたくなく、話もしたくなかったのである。まず、新宿・コニカミノルタプラザギャラリーで18日までやっている先輩写真家の橋本さんの写真展「農燦燦」に行ってみた。久しぶりに本人に会えるのかなと楽しみにして行ったが残念ながら会うことができなかった。彼とはかれこれ40年ほど前からの付き合いになる。20代~30代にかけての頃一番付き合っていただろう。橋本さんたちは、当時、今は亡き根室の写真家・平野禎邦さんと今は車椅子生活を送っている竹内敏信さんと現在、沖縄にいる小橋川共男さんと4人で、有名な「ビボ」の向こうを張って、「バブ」というグループを作り、その事務所兼暗室が中野坂上にあった。そこが僕ら後輩の写真家たちもふくめたたまり場的存在になっていて、よく飲んで語り泊まったものだった。若き希望を抱いた写真家たちの”梁山泊”のような存在であった。いま橋本さんは新潟の豪雪地帯として知られる十日町市松之山に暮らしている。あの先輩メンバーたちもそれぞれにユニークだったとつくづくと思う・・・・・・・・。
まだ午後7時前だったせいか何処もネオンの明かりが点いてない。シャツターを開けていた一軒の店の前では猫が暇そうに留守番をしていた。しかたないのでかれこれ30年ほど通っている歌舞伎町の店へ顔をだした。いまは2代目の僕と同じ年の大将と女将で切り盛りしているが、ここ数年めっきり客足が減ったという。「団塊の世代の人たちが退職したからですよ・・・・」という。以前は作家たちが通ったこういう昭和の雰囲気のある店が消えていくのは残念でならない。なんとか残したいものである。 池袋で友人とばったり会って2軒ハシゴをして帰宅したのは午前様でありんした・・・・・・・。 すみませんね~。今晩はのみませんぞ~。夕べ買ってきた切山椒でも食べて寝てしまおう。 合掌
先月の30日から都内に出ていないので今日で約2週間になる。その内、家から近くの病院など出かけたのが、「三福寄席」を含めて2回きりだからほとんどが引き篭もりの日々・・・・・。溜まっていた手紙の返事や雑誌の記事を読んだりしているものの時間はたっぷりとある。夕寝も毎日2~3時間した。12月開催の「チベット山岳写真協会 第3回写真展」の展示・構成や12月の締め切りの雑誌のグラビアの原稿セレクトなども終えた・・・・・。こうなるともうブログに書くネタがなくなってくるのだ~。
この春、写真家の水越武さんに酒の席で突然「小松さんは文章がいいから写真家など辞めて、作家にでもなった方がいいよ・・・・」と言われ面食らったことがあった。もちろんいくら尊敬する先輩の言葉でも僕は反論した。「僕は写真家として死ぬまで生きていくつもりです。やり残していることがまだたくさんあるし・・・・・」と。 この日は普段おとなしく人の話を聞く事が多い水越さんが、珍しくよくしゃべった。そして半ば根負けした感じで僕が「わかりましたよ。そこまで仰るのならば僕の還暦の時までに句集を出しましょう」と言ってしまったのである。水越さんは「う~ん、それはいいね~。楽しみだね」と言って、ニコニコしながら泡盛をあおったのだ・・・・・・。
そんなこんなで僕は、後1年余りで句集をだすはめになってしまった。もうこうなったらヤケクソ気味だ。意地でもやってやる~。句集の題名は「ヒマラヤ」と決めた。基本的には写真は使わないで俳句のみで勝負しょうと思っている。かれこれ先師の俳人・高島茂に本格的に俳句を学んでから17年。句集が刊行される頃にはちょうど20年になるだろう。句集の一冊ぐらいは死ぬ前にまとめておくのも悪くないかもね。 水越さんどうもありがとう。あなたのお陰様で句集を作る決心がつきました。 正に瓢箪から駒ですね。 合掌!!
岩塩担ぐ天秤棒や月の冴ゆ 曼陀羅の宙に撒きをる濁り酒
崑崙の嶺しらしらと月の村 少年の痩せ馬氷柱舐めてをる
初夏の隊商の鉦過ぎゆけり 日溜りに冬の毛蟲の眠りかな
氷雪や蝿は一途に空を欲り 凍河原水瓶重く少女の背
貴重なる卵ふるわす雪崩かな 雪に死す村に赤子の響きかな (風写)
☆この20年間に多数詠んできたヒマラヤの句のなかから、すぐに思い浮かんだ句を20句記してみた。
立冬も過ぎ明日11月11日で、東日本大地震がおきてから丸8ヶ月間となる。いまだ多数の行方不明者があり、仮設住宅などで避難している人々は無数だ・・・・・・・。 一日も早い行方不明の方々の発見を祈るばかりである。 合掌
今朝のニュースではトルコでまた地震が発生し、現地でNPOの難民救助活動をしていた日本人2人が倒壊したホテルに取り残されているという外電が飛び込んできた・・・・・・。全宇宙のなかでも稀に見る美しい星・地球は、人類だけのもではないのは言うまでもない。人類よりも遥か以前からこの星に生息してきた生物は数限りない。なのに人類は一体どれだけの生命体を絶滅させてきたのか、自らの欲望を満たすだけのために・・・・・・。そしてこれからも絶滅させ続ける。 もういい加減に眼を覚まさないと本当に手遅れになる。人類が滅亡するだけならまだしも、この美しい地球そのものが崩壊していく危機が迫っているのだ。いま、世界でおこりつつある温暖化をはじめとしたさまざまな影響による自然現象は、けっして偶発的に起きているのではないと危惧しているのは僕だけではないだろう・・・・・・・・。
(2010年夏 岩手山)
昨日は、市がおこなっている特定健康診査と、ついでに肺がん、大腸がん、前立腺がんの検査もおこなってきた。毎年おこなっている検査だがまあ、一種の気休めにはなる。僕は毎月3つの病院で定期的な検査をしているから安心はしているものの、淋しいかな最近とみに体全体が老化しているのを実感している。本人はまだ気持ちだけは2~30代のつもりでいるのだが、実際の身体と内臓の器官の年齢は、70歳を越えているという結果を医師に突きつけられて正直がっくりしているのだ。「なに、こんな器械いいかげんで当てになんかなるもんか~。あっしは先月も世界の屋根・チベットを旅してきているんですぜ~」と若い看護婦もいる手前、強がりを言ってみた所、病院を一歩出て木枯らしにさらされたとたんに、現実に引き戻されて不安になるのである。
皆さんも僕も、寄せる歳にはどうしたって抗うことはできやしない。歳相応の生き方をする時期に来ているやもしれません。 酒も、食も、旅も・・・・・・ね。 自然体の生き方が真に求められている年代になったのだろう。残された己の人生をどう生きていくのか、この命をどう全うしていくのか、考察する日々だ。 今年のお酉様は三の酉まである。昨年は行けなかったので今年は出かけてみようかと思っている・・・・・・・・。
(2010年夏 盛岡・さんさ祭りで)
早いもので2011年も後2ヶ月を切った。3月11日のあの未曾有の大震災がおきてからまもなく8ヶ月になろうとしている・・・・・・。しかし、復旧・復興のめどはまだたっていないばかりか、福島原発事故処理にいたってはいまだ国民に真実を明らかにしていない状況が次々と判明している。この国の行末を憂慮しているのは僕だけではないであろう・・・・・・。
今朝は澄み渡った青空でさわやかな神無月の一日だ。重い気分も一層されそうな気持ちの良い天候である。この11月を時雨月や神去月、あるいは初霜月ともいう。出雲地方ではこの月に諸国から神々が出雲に集まるので、神有月、神在月という。日本古来からの季節を表す季語は奥が深く興味がつきない・・・・・・。日本人が持つ独特な繊細な季節感であろう。それはまた四季折々がある環境で暮らしてきた民族に培われた感性でもある。
昨日は3日ぶりに外出した。地元の「写真集団・上福岡」のメンバー2人が誘ってくれたからだ。まず第50回朝霞市文化祭へ行った。この地に暮らして四半世紀は優に超えるが、初めて行ってみた。じつは僕も今回写真作品を出展したのだ。これもまた初めてのこと。先の2人があまりにも言うので出品したのである。会場はどこも満員であった。ついでに近くにある市立図書館へ行ってみた。僕の著書が10冊しか入っていなかったので3冊リクエストしてきた。郷土関係資料の方にも『ヒマラヤ古寺巡礼』が入っていたのはちょぴりうれしかった。
その足で2011年富士見市民文化祭・市民美術展へも行ってみた。ここにも写真集団・上福岡のメンバーが出展しているのだ。会場には顔見知りの人がいて案内をしてくれた。力のこもった作品が数点見受けられた。冷たい雨が降り続けていたので帰りには蕎麦屋で一杯。僕はせいろを肴に蕎麦焼酎の蕎麦湯割で体をあたためてから帰宅した。すぐに布団に潜って3時間ほど眠ってしまった。亡くなった親父やしばらく会ってない娘が出てくる夢をみた・・・・・・・。
2011年11月7日撮影 : 僕の家の周辺は、この1年間に激変した。上の4点の写真はすべて僕の家のベランダ、玄関前で撮影したもの。 住宅が家の前と左右に畑や駐車場をつぶして19棟建った。 僕がここに越してきた頃は、まだ辺りには武蔵野の面影がいたるところに残っていた。子どもたちや動物たちにとって雑木林や丘、沼地などは、絶好の遊び場だったのである。
世話人の山本ご夫妻と僕の小学・中学時代の同級生のOさん。この3人は世話人会の中心メンバーだ。 ご苦労さまでした・・・・・・。 合掌
地域に心通うきずなと文化の花を咲かせよう!!・・・・・・・・ 大好評だった今年7月に続き第二回目の「三福きずな寄席」が明日、3日午後4時から居酒屋三福で開催されます。噺家は、前回に続いて立川志遊師匠。木戸銭は千円。当日は立ち見となるかもしれませんが、ぜひ、お越し下さ~い!!☆ 主役はあなた、どじょうでも金魚でもありません。みなさんの笑顔と元気を被災地に届けましょう~!!!☆☆☆
◎2011年11月3日(文化の日・祝日) 午後3時半~開場 開演午後4時~5時 (終了後、師匠を囲んで世話人会の人たちと懇親会をおこないます)
◎居酒屋 三福 (TEL048-471-0062 東武東上線・志木駅東口徒歩3分)
◎木戸銭 千両 (当日券1500円・立ち見になるかもしれません)
真打昇進後、はじめておこなった「立川志遊独演会」(2010年)。日暮里サニーホールで