写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2014年10月アーカイブ

昨年、10月31日~11月6日まで新宿のフォトギャラリーシリウスで開かれた創立5周年記念 小松健一主宰・写真研究会「風」第3回写真展に、意欲作品を出品して評判をよんだ写真家・眞月美雨さんが、こんどはもう一つのプロフェショナルの顔であるヘア&メイクアップアーティストとして、9月5日に鹿児島市天文館のグルメ通りにユニークな「アトリエ、眞月美雨」をオープンした。

「ヘアメイクの魔法をかけて、夢を叶えていくアトリエ」としてヘア・メイクの道を極めていく一方、写真創作との融合をどう図っていくのか、彼女の夢に向かっての精進は日々続いているようだ。今回、忙しい中、オープンしたアトリエの様子や美雨さんの活動について写真と文章をレポートして送って来てくれたので、ここに紹介することとした。 夢が実現できるかどうかは、自分の努力しだい。 美雨~☆ がんばれ~!☆

__ (2)-001.JPG

店内1-001.JPG

__ (3)-001.JPG

僕が美雨さん、君にとってのヘア・メイクと写真創作の融合とは・・・・・。と、問うと美雨さんは次のような文章を書いてきた。

降りてくるテーマ・ストーリーをどう伝えたいのだろうか。コンセプトを決めて、シーンごとに頭の中にデザインして組み立てていく。場面を想像したら、ヘア→メイク→スタイリング→背景→どこで・・・・・・。 誰が何をどうしたのか?したいのか?考えていく。ワンシーンごとに一枚の絵として撮えてみる。そして一歩後ろから観てみる。言いたい事がみんなにどう伝わるのか・・・・・・・。 深く追求創作する中で、みえなかった世界が見えてきた。
これからも美雨は・・・・・・・~☆~☆

店内3-001.JPG

__ (4)-001.JPG

店内4-001.JPG
上の写真は、「アトリエ、眞月美雨」点描(撮影:美雨)と、いま撮影中のモデルのなつきちゃんと・・・・・・。
__ (5)-001.JPG
「アトリエ、眞月美雨」のマスコット・win(ウィン)くん。幸運を運んできてくれる文鳥。アトリエの誕生と同じ日に生まれたという・・・・・・・。
5-001.jpg
南九州一の繁華街である鹿児島・天文館。そのなかでも一番人気のある”グルメ通り”にアトリエはある。カメラとハサミが彼女のトレードマークだ・・・・・・・。
3-001.jpg

3-jun-001.jpg
アトリエで仕事をする美雨さん。
ブログヘッダー-001.jpg
「アトリエ、眞月美雨」のオープンにあわせて、開設したホームページ http://miu-madzuki.jp  と 「アトリエ、眞月美雨」専用ブログ http://ameblo.jp/m-oonrain 写真は専用ブログのトップページから。
SDIM5590-001.JPG
鹿児島で人気のある情報誌「コレット」10月号にさっそく「アトリエ、眞月美雨」が取り上げられた。表紙のモデルをはじめ、3ページは美雨さんのヘア・メイクだ。
SDIM5592-001.JPG

SDIM5595-001.JPG

美雨さんの仕事ぶりやアトリエも紹介されている・・・・・・・。

__ (6)-002.JPG

「コレット」10月号のモデルになった中村綾美さんと。中村さんは鹿児島初のローフードカフェ「マリアカフェ」のオーナーであり、今月開校した日本リビングビューティー協会のローフードマイスター認定校・鹿児島天文館校の校長でもある。

__-002.JPG

第62回鹿児島市民文化祭の一環として10月29日~11月3日まで、鹿児島県歴史資料センター黎明館で開催されている第38回鹿児島合同写真展の会場。県内の18団体、266人が出品している。主催している鹿児島県写真協会会長は今年から村上光明君が務めている。今年の講師は写真家・沼田早苗さん。「風」のメンバーである美雨さんと北山毅君も出品している。

__ (2)-002.JPG

合同展会場で。鹿児島県写真家協会会長・村上光明君と。彼は公益社団法人日本写真家協会会員であり、協同組合日本写真家ユニオンの会員でもある。僕ともまだ彼が写真家を志している頃、20数年前からの付き合いだ・・・・・・・。

hikaruデザイン01-003.jpg

(第38回鹿児島県合同写真展に、眞月美雨さんが出品した作品)

最後に美雨さんは、「すべての人は、愛されるために生まれてくるのだと思います。自分自身と正直に向き合い、一つ一つ現実を受け止めて表現していくことが、素敵に夢を叶えられるのだと信じています・・・・・・・」とメッセージを記している・・・・・・・・。

 

 

SDIM5708-001.JPG

前夜の木枯らしが止んで、秋の麗日となった28日、およそ半年ぶりに、俳句同人・一滴会の句会に参加した。句会は毎回都内の新橋で午後1時からおこなわれている。この日は体調を崩していた代表の岡井輝生さんも参加していたのでうれしかった。僕が無理を頼んでお願いした選者の俳人・中原道夫さんにも不義理をしていたのでどうしても参加しなければと出かけたのだ。
午前中に写真弘社へ行って、11月4日から東京中国文化センターではじまる写真展「三国志巡禮」のプリントチェクと12月13日から前橋のノイエス朝日で開催される「五天展~藝術は遊びのこころ~」へ出品する作品のチェックを済ましてから、銀座・キャノンギャラリー、銀座・アートギャラリーの写真展を見て句会に参加したのである・・・・・・。

SDIM5711-001.JPG

 

俳人仲間は、「あまりにも参加しないので、病気でもなっているのかと心配したのよ・・・・」などと気づかってくれた。久ぶりの投句は、入選が2句と1句は選外と惨敗の結果だったが、記録だから記しておこう。

農民は藝術家なり稲棚田  風写   山肌はすべて棚田よ天高し  風写  (中原道夫選:入選)

幾千年耕し早稲の峪なりき  風写  (選外)

句会が終了した後、有志の仲間たちで新橋駅前の居酒屋へ繰り出して、ここでも俳句談義に花を咲かせていた(写真:右列4人目が中原道夫さん)。早い時間から始めたこともあってみんながほろ酔い気分になったのは、まだ6時半前であった。数人からいつも行く「ホテルオークラ」のバーへと誘われたが、中原さんもこの日、新潟から戻ってそのまま句会に参加したので疲れたというし、僕も写真展の準備が気になったので申し訳ないと思ったが失礼した・・・・・・・。

来年、2015年はベトナム戦争が終結して40年。そして報道写真家・石川文洋さんがベトナム戦争を取材して今年で50年を迎える。来年7月沖縄での開催を前に、横浜にある日本新聞博物館で石川文洋写真展「ベトナム戦争と沖縄の基地」が25日から始まった。ベトナム戦争は、沖縄で訓練を受けた米軍兵士が戦地へ行き、爆弾を満載したB52が連日嘉手納基地から出撃していった。当時、「沖縄がなければ米軍はベトナム戦争を戦えなかった」と言われるほど、最大の後方基地であった。

ベトナム戦争は唯一、後にも先にも世界中のジャーナリストが自由に最前線まで行って取材ができた戦争だった。それゆえに日本人14人を含む多くの写真家や記者が命を落としている。ベトナムでは現在も枯葉剤の後遺症や不発弾に苦しむ人々が多数存在しているし、沖縄では今だ米軍基地問題で揺れている。今回の写真展は、地上戦を経験しているベトナムと沖縄の過去と現在を追い続けている文洋さんの作品、ベトナム105点、沖縄50点が展示されている。

文洋さんは「太平洋戦争の敗戦から70年を迎える平和憲法の国・日本が、戦争のできる国へと歩みだそうとしている今日こそ、写真展を通して、戦争の実態と平和を真剣に考えて欲しい」とこの写真展に寄せる思いを静かに語った・・・・・・・。

SDIM5596-001.JPG
秋晴れの25日、写真展の初日に文洋さんとこの写真展を企画・主催している沖縄タイムスの前写真部長の大城弘明さんから招待状と手紙が来ていたので横浜へと出かけた。僕の家から元町中華街まではストレートで行ける様になったので便利だ。ちょうど昼時に着いてしまったので、レストランへ入って一人でランチを食べた・・・・・・。
SDIM5600-001.JPG
ランチカレー。このほかに野菜サラダが付いていた。コーヒーのお変わりは自由。値段は税込みで1240円なり。
SDIM5611-001.JPG
午後1時から石川文洋さんのギャラリートークが始まった。26日と2回おこなう予定になっている。
◆11月22日(土)午後2時~4時は、石川文洋講演会「ベトナム戦争と沖縄の基地」 ◆11月23日(日)午後1時~3時30分 映画「石川文洋を旅する」の上映とトーク  ★どちらもッ無料だが博物館の入場料は必要。定員120人(申し込み先着順)
SDIM5637-001.JPG
70~80人のギャラリーで会場はいっぱいだった。
SDIM5638-001.JPG
笑いを交えながら平和の尊さと戦争の残虐性を自らの体験から語る文洋さん(写真右)。
SDIM5658-001.JPG
トークを聞きに来た障害者の家族と話す文洋さん。
SDIM5663-001.JPG
ギャラリートークが終わった後、写真家の丹野章さんと銀座・新居ギャラリーの正木さんとお茶を飲む。新居ギャラリーは日本写真家ユニオンが創設された時からオリジナルプリント展を開催してくれているギャラリーだ。
SDIM5675-001.JPG
写真展が終わってから文洋さんと大城さんとこの日、会場でしばらくぶりに会った講談社の雑誌編集長をしていた竹内さんらと近くの中華街へ繰り出した・・・・・・・。
SDIM5668-001.JPG
この夏、マリナーズ・アイ展のときに来た以来だった・・・・・・・。
SDIM5666-001.JPG
カメラを持って中華街を闊歩する文洋さん。
SDIM5677-001.JPG
ようやく店を探して席に着けたのは博物館を出てから1時間ほどかかっていた。文洋さんの右は、沖縄タイムスの大城さん。彼とも20数年前からの友人だ。左はカンボジアで現在、旅行社をしているという女性。20年前に文洋さんとカンボジアを旅したのがきっかけでカンボジアの魅力にとりつかれてしまったと言っていた。いまは家族全員でカンボジアで暮らしているという・・・・・・・。
SDIM5695-001.JPG

SDIM5697-001.JPG
文洋さんを囲んで。右が講談社の編集者だった竹内さん。僕とも長い付き合いだ。「フライデー」の編集長時代にはずいぶんとお世話になった・・・・・・・。
SDIM5694-001.JPG
交流会は蓋を開けたらたくさん参加していた。文洋さんの奥様も参加したし、遅れてフォトジャーナリストの新藤健一さんたちも合流した・・・・・・・。最後にみんなで記念写真を撮った。
SDIM5701-001.JPG

 

26日午後1時から志木市立柳瀬川図書館で、恒例の武蔵野市民学校映画○学ぶ会が20数名の参加でおこなわれた。この日はインド映画「きっと、うまくいく」の上映とインド・ネパールに12年間暮らしている韮塚由紀ちゃんのお話だった。由紀ちゃんは子どもの頃から良く知っている近所の友人の娘さんだ。

映画は、170分という長編だったが、まったく飽きさせることなく、笑いあり、涙ありの3時間だった。現代社会がかかえている問題を鋭く批評をしながらも、青春の持っているエネルギーと楽天性とで難題を力を合わせて乗り越えていくと言うストーリー。正直、僕も見終わったあと感動した。何よりも爽やかな心持になれた映画だった・・・・・・・・。上映後、10数人が残り、由紀ちゃんの話を聞きながら質問をしていた(写真)。

◆11月8日(土)13;30~志木市立柳瀬川図書館(東武東上線・柳瀬川駅徒歩4分)  18:30~にいざほっぷらざ(同線・志木駅直結)[小さなシネ・フォーラム]長編ドキュメンタリー映画「シロウオ」上映会とかさこ監督を囲んでのディスかション   ぜひ、ご参加ください~!☆!

k (1)-001.jpg

(デザイン:塩崎亨  書:小松風写)

小松健一写真展「三国志巡禮」があと10日と迫った。準備は着々と進んではいるが、まだまだやらなければならないことは山積している。上の写真は、ようやくできた開催中、会場に展示される写真展の看板。長さは3600mmある大きなものだ。デザインはDM同様、写真研究会「風」同人の塩崎亨君が協力してくれた。

肝心なことは、壁面構成、展示構成だ。会場がとても広いので、どう構成していけば鑑賞者のみなさんが見やすいのか、いま頭を痛めている・・・・・・。飾り付け、搬出、会場当番、レセプション準備などについては、写真集団・上福岡や写真研究会「風」のメンバーの人たちを中心に協力のお願いをしている。

今年の4月、8~9月と中国・四川省、雲南省へ2回取材に行った写真から、全倍サイズに3点引き伸ばして追加することにしたが、このプリントチェツクをするために写真弘社へ2度行き、特注のパネル制作のために、フレームマンの奈須田社長とも打ち合わせをした。いろいろとすべき事がまだたくさんあるのだ・・・・・・。

omo_ura-001.jpg

(デザイン:塩崎亨  書:小松風写)

◆初日11月4日、午後4時から5時半まで、ささやかではありますが、オープニングレセプションが開かれますのでぜひ、ご出席ください。2次会も近くで準備しています。

◆11月7日((金)、12日(水)の2日間、午後3時から4時30分までギャラリートーク「中国大陸67.000kmの旅」(無料)を同会場でおこないます。友人、知人をお誘いの上ぜひ、ご来場ください。おもしろい話が満載です。お待ちしていま~す。

◆今回の写真展にあたり次の団体・会社に、ご後援、ご協賛をいただきました。この場を借りてあらためて、心から御礼申し上げます。 ありがとうございました・・・・・・・。   合掌

後援 : 中華人民共和国駐日本大使館

協賛 : NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会  写真研究会「風」  写真集団・上福岡  朝日印刷工業株式会社  株式会社アイデム  株式会社ゴールドウィン  株式会社シグマ  株式会社写真弘社  株式会社タムロン  株式会社ニコン  株式会社フレームマン  リコーイメージング株式会社

IMGP4534-001.JPG

諸葛孔明は、いよいよ長年の悲願であった中原進出をはたす時が迫っていたが、その前にどうしても後顧の憂いを断っておかなければならなかった。それは、蜀の南部地方でおきた叛乱である。その中心はイ族の孟獲だった。そして孔明の「南蛮征伐」がおこなわれたのである。(写真は、現在の雲南省のイ族やハニ族などが暮らす山岳地帯の村の棚田・元陽市郊外)

 

10月21日、ふじみ野市内の公民館で写真集団・上福岡の10月例会が開かれた。仕事や病気などで7人が欠席をしたが、相変わらずの旺盛な創作活動をしている会員たちが新作を机に並びきれない程の作品を持ってきた。来年、卒寿を迎える2代目会長・柴田格一さんをはじめ、みなさんお元気だ。同集団は今年、創立33年目を迎えるこの地域では一番歴史のある写真団体である。この日も来年の集団展について討議がされていた・・・・・・・。

SDIM5562-001.JPG
ずら~りと並べられた作品を前に恒例の記念写真を撮った・・・・・・。
SDIM5560-001.JPG
机に一回では並べきれず、この作品の合評が終了してから2回目の作品が並べられた・・・・・・。
SDIM5556-001.JPG
ポジフィルムを見る。メンバーの中には、いまだ銀塩フィルムにこだわって撮影している人もいる・・・・・・。
SDIM5564-001.JPG
たまには僕も入って・・・・・・。
SDIM5565-001.JPG
例会終了後、有志でいつものやきとり居酒屋へ。ここ30年ほどは例会後の打ち上げは必ずこの店と決まっている。長い付き合いである。会員の作品も店内に飾ってある。 この日はめずらしく女性を中心に大勢参加した。田中栄二4代目会長(左端)は、例会には用事があって少し遅れて参加した・・・・・・・。
SDIM5569-001.JPG
ここ最近、著しく伸びてきた、まだ入会して2~3年のパワーのあるI会員とT会員・・・・・・。
SDIM5577-001.JPG
ベテラン会員となった松ちゃんと今年入会したばかりのS会員。松ちゃんと地域の写真館で知り合い、彼が写真集団の展覧会に誘ったのが入会のきっかけだという・・・・・・。 がんばってね!おめでとう~!☆
SDIM5586-001.JPG
入会して3~4年だが、いまや集団の中心的な存在になりつつある右から竹川さん、Oさん、Kさん。
SDIM5573-001.JPG

やきとり居酒屋「ゆたか」の女将(中央)も入って記念写真を撮った。この日の打ち上げは、午後6時半過ぎにはお開きとなった・・・・・・。

 

10月18日、都内において写真研究会「風」の10月例会がおこなわれた。参加者は4人と少なかったが、作品はそれぞれ力の入ったもので合評は、やりがいがあった。来年個展を目指している平元盛親君、鈴木渉「風通信」編集長、個展の開催と写真集の発行を決めている並木すみ江さん。各自100点近い作品で、さらに前回の例会から取材に行って撮りおろしてきた新作も並べられた。

平元君の作品「蟷螂の棲む天地」は合計54点に絞った。展示構成の順番も決めた。これで都内の一流ギャラリーに挑戦する予定だ。将来、写真絵本も出したいと言う決意を語っていた・・・・・・。

SDIM5517-001.JPG
右から鈴木編集長、並木同人、平元同人。並べてある作品は平元君の「蟷螂の棲む天地」。
SDIM5520-001.JPG

SDIM5521-001.JPG
平元作品の一部。カマキリが誕生する春からはじまり、死んでいく冬で物語は終わる・・・・・・・。
SDIM5522-001.JPG
並木さんの作品「逢いたくて、愛したくて~亡き夫に捧ぐ~」の一部。
SDIM5523-001.JPG
彼女が20歳前の頃から現在に至るまで、約45年間にわたる夫婦の軌跡を追ったドキュメント作品である・・・・・・・。
SDIM5525-001.JPG
一昨年に突然、病気で亡くなった夫に対する深い鎮魂の叙事詩でもある・・・・・・。最晩年の闘病生活をする夫婦の姿には、胸にこみ上げるものがあった。 来年の6月の2人の結婚記念日に合わせて写真集の発行を目指すこととなった。同時に写真展も計画中。
SDIM5526-001.JPG
教室の黒板に無造作に書かれたメモ書き・・・・・・・。 鈴木さんの作品は撮るのを忘れてしまった。震災後の福島各地を取材しているものだ。今回も桧枝岐地方の農村歌舞伎など、新たに取材した力作30点ほど並べた。今までにセレクトしてある40数点の中から10点ほど削ってあらたに撮り直すことにした。年内にまだ数回は取材に行くと決意を語っていた・・・・・・・。
SDIM5527-001.JPG
研究会が終わった後は、いつもの居酒屋「味とめ」へ。創業47年となるこの界隈では老舗の飲み屋ある。写真談義の他に写真研究会「風」の新メンバーを増やそうと言う話や来年の合宿を2月に熱海でやろうなどと話し合った・・・・・・・。
SDIM5532-001.JPG
韓国料理店「南大門」のスタッフ。少し遅い夕食を取っていた・・・・・・。
SDIM5533-001.JPG

「南大門」の店主・李ルセ君と話をしていたら武蔵野市民学校映画を○学ぶ会の代表の兼岡さんが見えた。11月8日に上映する長編ドキュメンタリー映画「シラウオ~原発立地を断念させた町~」のかさこ監督についての話やどう成功させるかなどを話し合った。かさこ監督は、実は写真家であり、文筆業もしている。僕は会って話もしていて知っている写真家だ。何とかこの上映会を成功させたいと思っている・・・・・・・。

SDIM5536-001.JPG
19日午後5時から練馬市役所の会議室で、第6回ゲーサンメド写真展の公募作品の審査会がおこなわれた。市庁舎の19Fの窓から暮れていく東京の街を眺めた・・・・・・・。
SDIM5543-001.JPG
今年度の審査員は、僕の他に山岳写真家の川井靖元さん(右)と写真家でこの写真展を主催しているNPO法人チベット高原初等教育・建設基金会理事長の烏里烏沙君(左)の3人だ。立会人としてチベット建築写真家でチベット文化研究会役員の大岩昭之さん、全日本山岳写真協会監事の白岩吉明さん、日本風景写真協会理事の紀田さんが立ち会った。
SDIM5546-001.JPG
展示作品は約50点とし、プリントサイズはすべて全紙となる。
SDIM5553-001.JPG

終了後、練馬駅近くの何度か行ったことのある中国料理店へ行って食事をした。途中、練馬在住の烏里君の山の仲間だという中国人の丁さん(正面)も合流した・・・・・・。

8月23日から9月2日までの雲南省への旅は、この11月4日から東京中国文化センターではじまる小松健一写真展「三国志巡禮」の最後となる取材とともに、来春、リコーイメージングスクエア・新宿で開催する小松健一写真展「探検家・矢島保治郎~中国・チベットに足跡を辿る(仮)」の取材をかねていた・・・・・。

すでに「写真レポート」として2回に分けてブログで報告しているので、今回は愛機・シグマDP1で撮影した食文化に関する写真を紹介する。食文化などと偉そうに言っては見たものの、単に毎日の朝飯、昼飯、夕飯の一部をレポートしたものだ。しかし、雲南省独特のものが毎回の食事にはっきりと垣間みえた。四川省やいわゆる中原の食事とは異なる事もわかった・・・・・・。雲南省だけで26の少数民族が暮らしているので、それぞれの民の食文化もあるのだろう。

とくに今回の旅の道程は、ラオス・ベトナム国境に程近い山岳地帯に暮らす民族が主な取材対象だったために、ほぼ毎日、現地の人たちと同じ食事をした。中国では人気があり、漢民族が特に好きな四川料理はほとんど食さなかった。だいたい僕の旅では、ホテルや高級レストランなどで食事をすることは、まずない。それは、何処もが不味いし、高いということである・・・・・・・。町の屋台が中心で、食堂も地元の人たちが愛用している庶民的な店ばかりだ。この旅を通じて食べた食事(写真)は、不味いと思ったことはただの一回も無かったことをここに記しておきたいと思う・・・・・・。

SDIM4838-001.JPG

SDIM4609-001.JPG

SDIM4784-001.JPG

SDIM4719-001.JPG
みな屋台形式の店ばかりだ。椅子も背の低い子ども椅子のようなのが多い。右上の黒いものは、田うなぎのカラ揚げ。頭や歯、骨などが少し硬かったが、美味ではあった・・・・・・・。
SDIM4872-001.JPG
こうした町や村の賑やかな所で、食堂や屋台の店を探して食べる・・・・・・・。
SDIM4767-001.JPG
雲南は豆腐料理が旨い。上の左右は湯葉の料理。僕も軽いからお土産に買ってきた。家でも湯葉料理をして食べてみた・・・・・・・。
SDIM4631-001.JPG

SDIM4630-001.JPG
屋外や市場の中の一隅での食事も多い・・・・・・・。
SDIM4635-001.JPG
周りでは採りたての野菜などが売っている・・・・・・・。
SDIM4793-001.JPG

SDIM4633-001.JPG
お肉も新鮮だ・・・・・・・・。
SDIM4667-001.JPG
朝飯の時は飲まないが、昼飯の時には、みな必ずアルコール度が2~3度しかない中国ビールをお茶代わりに飲む。時にはアルコール度が高い白酒(左の瓶、35~56度)もやることもあった・・・・・・・。
SDIM4796-001.JPG
食事をした後は、地元の人たちはよく水タバコをふかしていた。口にあてている大きな筒状のものがパイプ。以前はみな竹でできていたのだが、最近、こうしたアルミみたいなもので出来たパイプが流行っている。
SDIM4756-001.JPG

SDIM4881-001.JPG
肉は圧倒的に豚と鳥。牛肉はほとんど口にしなかった・・・・・・・。雲南の料理の主役は、なんといっても豊富な野菜、きのこなどだ・・・・・・・・。
SDIM4892-001.JPG
朝は、決まってこのビーフン(米)の麺だ。店によってそれぞれ味付けや麺の太さなどが違い興味深い。雲南では、このビーフン料理は絶品である。上の麺は味噌がのせてあった。美味で汁もみな飲んでしまった。
SDIM4897-001.JPG

中国 雲南省のベトナムとの国境の町・河口。川の手前が中国側、川向こうの町がベトナムの老街。僕が泊まったホテルの部屋から。

SDIM4777-001.JPG
真ん中にあるのは、道端で農民が売っていたドラゴンフルーツと葡萄。
SDIM4911-001.JPG
雲南省の省都・昆明での最後の晩餐。少し豪勢な店に行って雲南料理を食べた・・・・・・・。
SDIM4928-001.JPG

SDIM4927-001.JPG

 

9月1日の夜。10日間の旅の疲れを癒すために写真家でガイド役も兼ねている烏里烏沙君たちと足湯へ行った・・・・・・・。このときはまだ、帰国できなくなるトラブルが発生するなどとはつゆ知らず、僕は極楽極楽だったのである・・・・・・・・。  合掌

 

o0637052012324430383-001.jpg
核実験のカラー写真(インターネットより)。米軍の撮影と思われる。実は原爆よりも原発の方が化学的にみれば、人体や環境に悪影響を及ぼす有害物質が多く、それも強い。つまりはるかに怖いのだ。しかし、こうしたことは、国民にはあまり知らされていないのが事実である。
200810311508_079 - コピー - コピー-001.jpg
爆心地の中心だった広島平和公園にある被爆詩人である峠三吉の「にんげんをかえせ」の詩碑。
200810311508_072 - コピー-001.jpg

爆心地だった長崎市の新春節。通称ランタン祭り。市内の通りには、異国情緒漂う色とりどりのランタンが飾られていた・・・・・・・。

 

SDIM5507-001.JPG

10月12日、志木市立柳瀬川図書館において、僕が企画・構成した原爆投下直後の広島と長崎の写真を映写しながらトークをするという会がおこなわれた。連休中にもかかわらず、20名を越える参加者で盛り上がった。1部、2部が終わってからのデスカッションも積極的な意見が出された。参加者の中には、広島の女学校時代に8月6日原爆が投下されたのを目撃したという人もいて、当時の生々しい証言と彼女が描いたという原爆ドームの絵画なども見せてもらった・・・・・・・・。

来年、戦後70年を迎えるに当たってヒロシマ・ナガサキの真実を後世に伝えることの意義を改めて認識した。同時に単に70年前の話ではなくて、現在、フクシマ原発の放射能漏れ事故により、我々日本人は今も放射能の被曝を日々受けているという現実を多くの人々に知らしめていかなければならないことを、みんなで再認識した会でもあった・・・・・・・・。

僕が話をしていたために、会場風景が撮れず、打ち上げの写真しかアップできなくて申し訳ありません。打ち上げは、武蔵野市民学校の中心メンバーでもある韓国料理「南大門」の店主・李ルセ君の行為に甘えて南大門でした。右から2人目が同会の代表である兼岡敏二さん。都内からも写真家の並木すみ江さん、ジャーナリストの遠藤英湖さんらも参加してくれた・・・・・・・。 ありがとう~!☆

SDIM5501-001.JPG

SDIM5505-001.JPG
武蔵野市民学校の中心メンバーたちと韓国の酒・マッコリを飲む並木さん。
SDIM5510-001.JPG
次々と美味しい料理を出してもらった・・・・・・。 感謝~!☆  僕は奄美の喜界島の黒糖酒・「朝日」をロックでしみじみといただいた・・・・・・・。
SDIM5512-001.JPG
家の近所の由紀ちゃん。彼女も10月26日(日)13:10~武蔵野市民学校映画○学ぶ会の主催で、[アジア映画の魅力 インド編] 『きっと、うまくいく』(2010年制作、170分)の上映後、トークをすることになっている。12年間に及ぶインド・ネパールの生活から見た、「インドの人々と暮らし」を語る。ぜひ、ご参加ください。
SDIM5513-001.JPG
前にも書いたが由紀ちゃんは、僕の友人夫妻の娘さん。幼少の頃から良く内の子どもたちと遊んでいた・・・・。
SDIM5511-001.JPG

 

その由紀ちゃんが来春おめでただという。そんなこともあったので帰宅する前、まだ午後7時だったのでルセ君の母親が経営している「南大門」東口店で少し話した。両親は静かだが喜んでいるというから安心した。母親になったのが影響しているのか、夏に会ったときと比べるとずいぶんと顔がやさしくなったと思った。「お母さんの若い頃に似てきたね」と僕が言うと、彼女はわずかに微笑んだ・・・・・・・・。 心身にはくれぐれも自愛することを願いながら、家路に向かって自転車のペタルを踏み込んだ。

東の空には大きな赤い満月が浮いていた・・・・・・・・・。

 

SDIM5496-001.JPG

武蔵野市民学校・映画○学ぶ会(代表:兼岡敏二)の主催で、10月12日(日)午後1時10分から志木市立柳瀬川図書館において、上記のような「小さなシネ・フォーラム」がおこなわれる。同学ぶ会は前にも書いたが、「地域に映画文化の灯を!」を合言葉に2009年5月に創設され以来、毎週土曜日、日曜日に欠かさず上映活動をして来た。上映日数はすでに550日を超えるところまで来ている。単に日本、世界の名作映画を上映するだけでなく、映画監督を招いて話を聞いたり、編集者、文学者、ジャーナリストなどを呼んで参加者とのパネルデスカッションもしている。

僕も1年半ほど前に兼岡さんと出会い、協力をしてきた。今回の企画は、前々から頼まれていたヒロシマ・ナガサキの原爆投下直後の写真を見ながら解説をして欲しいというリクエストが実現することとなったもの。原爆投下直後の写真を約800点収集・保存管理をしている「反核・写真運動」と、岩波書店の協力を得て上映の運びとなったのである。

当日は、★第1部で、「ピースマシンの旅 ヒロシマ・ナガサキ編」(10分)、「原爆災害」(10分)、「被曝直後の広島の記録」(20分)、被曝直後の長崎と翌年の長崎・広島の記録」(20分)  ★第2部で、「ヒロシマ・ナガサキ 1945」(日本写真家ユニオンeブックス刊)。 そしてこれらの制作・出版に係わった僕が当時、命をかけて撮影したそれぞれの写真家の思いを語りながら、1点、1点の写真についても解説をする。会場のアクセスは、東武東上線・柳瀬川駅下車徒歩4分。(写真は、「反核・写真運動」が収蔵しているヒロシマ・ナガサキの原爆投下直後の写真の一部)

SDIM5499-001.JPG

 

「反核・写真運動」は、1982年3月19日に日本の写真人約550人がよびかけ人となって設立したもの。目的は思想、信条、政治的立場を越えて、世界に核兵器の廃絶を訴え、日本国政府に対しては「非核三原則」の順守を求める。同時に世界の写真家、写真関係者に核廃絶のための行動を働きかける。また、被爆直後の惨状とその後の被爆者の苦しみの記録を総括的に収集して、写真集の出版、写真展の開催などを通して核兵器の廃絶を訴えることにある・・・・・・・・・。

僕は創立当時から係わっており長い間、運営委員をしてきた。現在も事務局を兼ねた責務を引き受けている。上の写真は、1995年8月に新たに原爆投下直後の広島、長崎の写真が発見された時のもの。左の写真の右端は、原爆投下された16日後の1945年8月25日に長崎に入り、その後広島にも入って撮影した当時、朝日新聞写真部記者だった松本栄一さん。真ん中の写真の中央は、父親が撮影した写真のネガを提供してくれた遺族の方。他は、僕をはじめ同運動関係者と共同通信社の記者。左の写真は発見された写真。(東京・新宿で)

★どなたでも自由に参加できます。参加費は無料。問い合わせ:080-4291-4904(兼岡)まで。

 

昨日、「写真集団・上福岡」の会員で、写真家の瀬下太刀男さんから用事があるからと呼び出しがあったので、いつも行っている居酒屋・三福で待ち合わせた。彼が新しく購入したタムロンの600ミリレンズのことをはじめ、最近の取材活動、被写体やテーマのことなど写真談義を2時間程して別れた。瀬下さんはとにかく写真創作活動については、とことん熱心である・・・・・・・・。その後、今月12日(日)午後1時10分から志木市立柳瀬川図書館でおこなうことになっている武蔵野市民学校・映画を学ぶ会の映像写真展とトーク[小さなシネ・フォーラム~原爆を撮った男たち ヒロシマ・ナガサキ1945]の打ち合わせを、会の代表の兼岡さんとした。

待ち合わせの場所は、韓国焼肉店・南大門だ。当日の打ち合わせは1時間ほどで終わった。奄美大島の黒糖酒・「龍宮」を一杯飲んで帰ろうと思っていたら店主の李ルセ君が、「1ヶ月ぶりに顔を出したのだから店を閉めてから軽く付き合ってくださいよ兄貴~」と言うのだ。彼は20歳ほど歳が離れている僕を捉まえて、こう呼んでいるのである。いつものことだが、僕も外で飲むのは8日ぶりだったので、少し付き合うことにした。ルセ君とはあまり話はしないのだが、何故か一緒にいるだけで愉快なのだ・・・・・・・。そうして気づいたらいつの間にか、上記のように6軒の酒場をハシゴしていた。もう夜明け前の4時半を回っていたのである・・・・・・・・。

SDIM5405-001.JPG
写真家の瀬下さんと三福で会ったのは午後5時。それからちびりちびりと芋焼酎と黒糖酒をやっていたが、時間はすでに5時間を経過・・・・・・・。「南大門」店主の李ルセ君(左)と店のスタッフ。右のカップルは最後までいた常連客だ。
SDIM5406-001.JPG
僕のいつもの席は、店の一番奥で、調理場に近い所。僕の隣の席で盛り上がっていた若いご夫婦。
SDIM5407-001.JPG
店をスタッフに任せてルセ君は、僕を誘って最初はお腹が空いたといって、寿司・和食の店に。板さんは岩手県盛岡の人で話は盛り上がった。また客の一人が僕も昔通っていた新宿の酒場「どん底」にいまでもよく行っていると言う話が出て、僕が11月にやる写真展「三国志巡礼」のDMを配ってくれると持っていってくれた・・・・・。また来たくなるいい店だった・・・・・・・。 (写真は、2軒目の「ひいらぎ」というスナックで前に一度会ったことがあるSさん)
SDIM5421-001.JPG
ここら辺りから僕は俄然”アラキ~モード”になって、クマモンが付いている愛機シグマDP1のシャツターを切りはじめたのだ~!!
SDIM5451-001.JPG

SDIM5416-001.JPG
この店で会ったルセ君の友人D君とSさんと一緒に写るルセ君。
SDIM5412-001.JPG
ルセ君が撮る、僕とSさん。彼女の旦那さんは会社員で今日は家で休んでいるので、一人で飲みに来たのだという・・・・・・・・。
SDIM5463-001.JPG
僕は、もう12時近かったので、疲れたので帰るというとルセ君は「兄貴~家までタクシーで送りますよ」という僕は自転車で来たからというと「危ないですよ~また転びますよ。もうタクシー呼んでるし」と言う事で乗ったら連れてこられたのが、もう一つの最寄駅近くのニューハーフの店だった。僕はこんな店があったことも知らなかったし、無論こうした関係の店とも無縁だった。ルセ君は常連客らしかった・・・・・・・。
SDIM5461-001.JPG
前のスナックで合流した友人のD君とSさんも一緒に来た。この店のスタッフは全員男性だという。ちょと見ると少したくましい女性にも見えるが、正真正銘の男性。店には7~8人はいたが、僕らの席に来た彼女たちは、みなフリィピンから来ているという。母親がフリィピン人で父親がアメリカ人などのハーフな人が多いと言っていた・・・・・・・・。
SDIM5471-001.JPG
「ぜひ、写真を撮って~」と言うので僕も写真家の好奇心満々で、さらに”アラキ~”モードをアップさせて撮りまくった。が、何せ酔いもだいぶまわっているせいか、ブレ、ボケ、露出オーバーやアンダーの写真ばかり。何とか本人に見せて「OK~!」の承諾をとった写真をアップする。でもみんな「セクシ~!ステキ~!」と喜んでくれたのでホッとした・・・・・・。
SDIM5475-001.JPG

SDIM5477-001.JPG
女性ホルモン注射をたくさんしていることと、胸はシリコン入れる手術をしたのだと言っていた・・・・・・。
SDIM5480-001.JPG

SDIM5483-001.JPG
彼女らは、お酒は一切飲まなかった・・・・・・。ただ、お客にうまく進めるのみ。素面で場を盛り上げているのだ・・・・・・・・。
SDIM5484-001.JPG
この子は僕よりも筋肉質で体格がいい。「まだほとんど男ね~」と豪快に笑った・・・・・・。店が引けたらみんなを車で送っていくのだという。ボデーガードも兼ねているのかもしれないと思った。
SDIM5486-001.JPG
この子は最後に来て「わたしも撮ってください~」と言うので最後に1カットだけパチリ!☆!☆
SDIM5487-001.JPG
4時過ぎて、ようやく店をでた。今度こそ家が近いので直接帰るとタクシーに頼んだのだが、またしても「最後の締め、これで上がりですから」と、パキスタン人がしているというカレーがメインのパブへ。だいたい今夜回った店は、三福と南大門以外は、僕は初めての店ばかり。こんな時間に開いている店があることも驚きだったが、店の中はほぼ満員で賑わっている。お客も次々に来るという現実にさらに驚いた。それも若者が多い。
SDIM5491-001.JPG
SさんとD君がチキンカレーとチーズナン、鳥のステーキを注文して、酒を飲んでいた。僕はビールで上がりの準備をしていた。この店はD君が奢ってくれた・・・・・・・。 ありがとう~!☆
SDIM5492-001.JPG

 

一番元気にハッスルしていたルセ君は最初に撃沈!!すやすやと眠りに就いていた。 あんまり仕事ばかりで無理をしないように、そして心身にはくれぐれも自愛するようにと祈るばかりだ・・・・・・・。

貧しく、しがないフリー写真家だからと三福でご馳走してくれた瀬下さん、そして「兄貴~!勘定はオレに任せてくれ~」と払ってくれたルセ君。 ほんとうに感謝している・・・・・・・。ありがとう~! 合掌

 

労働の尊さを知る稲梯田          農民は藝術家なり稲棚田

幾千年耕して来し稲の原          山肌はすべて梯田や天高し

緑春という地早稲田の峪なりき       農民水牛蟻のごと稲の道     風写

 

早いもので、中国・雲南省西南地方の旅から戻って明日で1ヶ月が過ぎる。そして今日から10月。長月(陰暦の9月の異称)だ。この月をほかに、菊月、菊咲月、色どる月、小田刈月などとも季語ではいう。「九月尽」といえば、9月の末日をさすが、秋が終わる日のことを言うのだ。だから秋尽、秋尽くなどとも言う・・・・・・・。

ようやく<写真レポート★VOL・Ⅱ>をアップすることが出来た。上記の俳句は今回の旅の途上で詠んだ出来栄えの良くない句だが、これもその時の僕の心情が出ているので載せておくとしよう。第2回目は、8月27日の元陽から9月2日の昆明までの7日間で撮影した中から一部をセレクトした。人間が好きな僕の割には風景写真が多いと思うだろうが、先の句を見てもわかるが、僕は眼前に広がるその圧倒的な光景に圧倒されたのである・・・・・・・・・。

IMGP3967-001.JPG
8月27日。元陽郊外の紅河の岸辺。魚を売る露天と河を眺めながら水タバコを吸う人・・・・・・。
IMGP3994-001.JPG
紅河州・元陽県から緑春県へ行く途中は、写真のような棚田が続く・・・・・・。名もない、観光化もまったくされていない素朴な山村風景だ・・・・・・・・。
IMGP4045-001.JPG
標高2000mを超える山岳道路の風景は、めまぐるしく変化する。斜陽になった山の空はとりわけ美しい・・・。
SDIM4779-001.JPG
緑春県のハニ族の料理店で遅い夕食を取った。ウエイトレスの娘さんだが、やけに馴れ馴れしいね。僕はうれしかったが・・・・・・・・。
IMGP4116-001.JPG
8月28日。緑春県の中心部から南へ100キロメートル行ったラオス国境に程近い三猛郷鎮への途上の辺りも見渡す限り棚田が続く。 農民と水牛がのんびりと耕作していた・・・・・・・。
IMGP4188-001.JPG
ここは胡姑村という。ハニ族の小さな村だ。この村にNPOチベット高原初等教育・建設基金会(烏里烏沙理事長)が、小学校を建設するか、どうかの現地調査を兼ねて来ている。今回の同行者はみなこのNPOのメンバー。三猛郷の教育長をはじめ、学校関係者たちと会い、状況の説明などを聞いた。
IMGP4204-001.JPG

胡姑村小学校は、現在、1年生から4年生までで、158人が通っているという。近郊の19の村々から来ている。教室は4教室。先生は校長先生を入れて4人。先生たちは学校に泊り込んでいる。どの教室も暗く湿気が高く、黴臭かった。それに村自体が崖っぷちにあるので、平地が少なく、子どもたちが運動する場がないことが一番の課題だった・・・・・・・。写真は、学校の下から川の反対側の村を撮影したもの。

SDIM4814-001.JPG
一番きれいだった教室で。 NPOの理事長の烏里君(左)とこの小学校の李先生と三猛郷教育委員会の李さん。
SDIM4820-001.JPG
1階の日の当たりが悪いところが教室で、2階が先生たちの部屋になっていた。寝室も台所も仕事場もみな兼ねていた・・・・・・・・。
IMGP4236-001.JPG
胡姑村の豚さんに声をかけられた。「ねぇ~寄ってらしゃい。私をきれいに撮って・・・・・」と聞こえたのだが、空耳だったのだろうか・・・・・・。
IMGP4246-001.JPG
胡姑村からさらに60キロメートルほど奥地に入った所にひろがる口合徳梯田。この棚田をいろいろな角度から撮影して夕刻までねばった・・・・・・・・。
IMGP4262-001.JPG
この棚田は、ユネスコ世界文化遺産に登録されているとともに、中国の国家湿地公園にも指定されている。しかし、交通の便がよくないせいか、観光施設もなく、観光客などは一人もいないのがいい。
IMGP0011-001.JPG
広い棚田だが、目を凝らしてみると農民や水牛などが農作業をしている姿が見える・・・・・・。
IMGP4338-001.JPG
山の中腹の棚田のなかにある村々はどこも近代的な建物に変わっていた・・・・・・・。
IMGP0079-001.JPG
どのようにして耕していったのだろうか・・・・・・。
IMGP4361-001.JPG
何かヨーロッパの地中海の島の村に来たようなちぐはぐな感じがした・・・・・・・。広場や屋上などで農作業をしている姿が見えた・・・・・・・。
IMGP0067-001.JPG

IMGP0032-001.JPG

刻々と棚田の色が変化していく・・・・・・・。

SDIM4866-001.JPG

三猛郷鎮までもどり泊まった。29日の朝、町の屋台の食堂へ、毎朝食べているビーフンの麺を食べに行った。昨日の昼食も、夕食もハニ族のこの店で食べた。町で一番美味い店という評判だった・・・・・・。

IMGP4415-001.JPG
老人と少女を撮影する烏里烏沙君。泊まったホテルの前で、すぐに見物人が集まってきた・・・・・・・。
IMGP4480-001.JPG

三猛郷鎮から元陽県郊外の村へ向かう。途中、豪雨に遭う。道の周りは深い広葉樹林が広がっていた。気になったのは、公安武装警察の厳しいチェク体制だ。昨年も今年4月に来たときにも雲南省でこれほど公安警察の影を感じなかった。昆明駅での大量殺人テロ事件が発生してから厳しくなったという。主要幹線ではチベットよりもある意味厳しいのではと思った・・・・・・。

IMGP4518-001.JPG
元陽県の市街地から60キロメートルほど離れた郊外の村。それまでのにわか雨が止んで、空が晴れ渡ってきた・・・・・・。
IMGP0173-001.JPG
稲がたわわに実っていて、いまだ刈り取っていない雨上がりの棚田は黄金色に輝いていた・・・・・・・。
IMGP4530-001.JPG
僕らが丘の上に登って撮影していたら、それを見つけた中国の観光客たちが車を止めて登ってきた。
IMGP0129-001.JPG
まず、この日泊まる宿を探してから撮影に出たが、また天気が崩れて辺りは濃い霧雨に包まれた・・・・・・。
IMGP0139-001.JPG
夕暮れの棚田はもう撮れないと諦めかけていたら、また雨雲が流れて空が晴れてきた。標高2000mの山岳地は、気象条件がめまぐるしく変化していく・・・・・・・。やはり日頃から神々に感謝の祈りを捧げていると、神は微笑んでくれる・・・・・・・・。  合掌  (写真は雨上がりの道端に咲いていた高山植物)
IMGP4534-001.JPG
元陽の棚田として観光化されてしまった老虎嘴棚田。いままで写真ではたくさん見てきたが、周りがこんなにも山々に囲まれているとは思わなかった・・・・・・・。夕方の時間だったせいか、観光客は誰もいなかった・・・・・・。
IMGP4629-001.JPG

IMGP0208-001.JPG
夕日は赤く染まらなかったが光はまわってきた・・・・・・。
IMGP4602-001.JPG
棚田の造形美の美しさには、目を見張るものがあった。同時に、この田棚を幾千年耕し続けてきた農民たちの労働の尊さをしみじみと感じた・・・・・・・。
IMGP4634-001.JPG
この棚田のすべてに水が張られたら、どんな風景になるだろうかと考えながらシャツターを切った・・・・・・。
IMGP4662-001.JPG

棚田の上にあるのは、観光客が増えたことによって新しくできた町、新町。ようやく雲が少し赤く染まってきた・・・・・・・。

IMGP4699-001.JPG
8月30日。朝5時半に宿を出て歩いて15分足らずの多依村の棚田で撮影の準備に入る。最初は濃い霧がかかっていたがしだいに朝日で少し明るくなってきた・・・・・・・。
IMGP4695-001.JPG
多依村とその前に広がる棚田。
IMGP4760-001.JPG
棚田はまだ深い霧のなか・・・・・・・。
IMGP0357-001.JPG
濃霧が少し晴れて初めて気がついたのだが、多依村の棚田の直ぐ前には、標高3000メートル級の山が連なっていた・・・・・・。
IMGP4846-001.JPG
道端で可憐に咲く高山植物。今回は同行の烏里君が高山植物の研究・撮影をしていることもあって、僕もずいぶんと付き合って撮影したのだ・・・・・・・。名前は聞いたがメモしてなかったのでわかりません。
IMGP4738-001.JPG
スケール感のある風景だった・・・・・・・。雲の上は晴れていて、雲の下はまだ霧雨の中だった・・・・・・。
IMGP0367-001.JPG
ようやく霧も晴れてきて、棚田が顔を現した・・・・・・・。
IMGP4800-001.JPG
朝8時までねばってようやくこの1点が撮れた。しかし、この後、勝村と言う村で朝食をとってから撮影しょうと思っていたら、また濃い霧に包まれて何も見えなくなってしまった・・・・・・・・。
IMGP4861-001.JPG

元陽の早朝での撮影の後、この日はベトナム国境の町・河口まで紅河沿いに約320キロメートルを走った。写真は中国側の国境。向こう側はベトナムの町・老街。中国国籍の烏里君は、ビザを取らなければ入国できないので、僕ら日本人だけでの5人でベトナムへ入国した。わずか3時間余りだったが、ベトナムのビールや酒を買って戻った。それは中国のビールはアルコール度数が2%前後なのに対して、ベトナムのビールは日本と同じ5%前後だったのだ。濃くがあって美味かった・・・・・・。
パスポートには、ベトナム入国の印が確かに刻印されていた。ひとつの記録としてうれしかった・・・・・・。ベトナムにこだわって取材をしていて、若くして死んだ親しい写真家だった郷司正巳君のことがしきりに思い浮かんだ・・・・・・・。

IMGP4869-001.JPGベトナムと中国とを結ぶ国境の橋で。ちょうど真ん中あたりで、紅河の川面を見つめるベトナム人。川向こうは、ベトナムの町・老街。
IMGP4934-001.JPG
国境の町・河口での夜。ホテルの近くの川べりのレストランで、パインお強などベトナム料理をベトナムビールでやった・・・・・・。同行した写真家たちも珍しいのか、写真を撮っていた・・・・・・。
IMGP4975-001.JPG
8月31日。河口の朝、8時30分に国境の門が開くので、ベトナムの人たちは走って一斉に橋を渡ってくる。露天の商売をする場所取りのためだという。
IMGP0382-001.JPG
国境の町だけあって河口には、武装警察が多かった。ベトナム側では警察官は一人も見なかったのだが・・・・・・・。(ホテルの窓から)
IMGP4995-001.JPG
朝食は近くの屋台へ。地元の人たちばかりで賑わっている店だ。見かけは大きなお蚕のような不思議な食べ物を食べた・・・・・・・。
IMGP5005-001.JPG
道路でさまざまなフルーツを売るベトナムの女性たち。
SDIM4751-001.JPG
ドラゴンフルーツ、パッションフルーツなどどれもが安くて美味しい。
IMGP5036-001.JPG
朝、河口を出て一気に雲南省の省都・昆明市まで約450キロメートルを走った。夕方には市内のホテルへ入った。窓辺から見た夕暮れの昆明の街。
SDIM4915-001.JPG
雲南最後の夜。色々大変な事もあったが旅の無事の終わりを祝って、「ごくろうさん会」をした。美味な雲南省産のワインで乾杯~!☆
SDIM4924-001.JPG
夕食後、烏里君と今年の4月にもあった彼の友人夫婦と4人で、足湯へ行った。今回の旅は、山岳地帯が多かったせいか、足湯にはあまり行けなかったが、最後の夜にようやく行けてうれしかった。10日間の旅の疲れが抜けていくようだった・・・・・・・・。
IMGP5045-001.JPG
9月1日午前2時30分。朝5時30分にホテルを出発するので、荷造りがすぐできるように準備しておいた。
IMGP5050-001.JPG
9月1日、深夜の自写像。カメラは今回の取材で使用したリコーの「ペンタクッスK-3」。コンパクトであるが、堅牢で重宝した・・・・・・・。

IMGP0385-001.JPG

9月2日。昆明空港ホテルの僕の部屋からの眺め。

本来なら9月1日、昆明発7時40分発CA4583便で上海行き、その後上海発14時15分、CA0919で成田へ。成田着18時の予定で帰国する事になっていた。しかし、トラブルが発生して僕だけ一人が飛行機の乗れず、昆明空港に残るはめになった。烏里君は、他の同行者とともに帰国してもらった。この件の”騒動記”を書くと長くなるのでここでは割愛する。僕は一人で白酒などをのみながら、のんびりと雲南省昆明市で過ごし、翌日無事、帰国したのだった・・・・・・。 (長いお付き合いをありがとうございました。 合掌)

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。