写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2014年9月アーカイブ

28日、午後1時10分からはじまる武蔵野市民学校・映画○学ぶ会へ行った。天気が気持ち良く澄んでいたので初めてオートバイで出かけてみた。そうしたらわずか10分足らずで着いてしまった。この会は毎週、土曜日、日曜日の2回上映会をしている。この日は「アジア映画の魅力 モンゴル編」だ。上映前に馬頭琴の演奏ーモンゴルの心を歌うーをおこなうという特別企画のプログラムだった・・・・・・・。

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故郷に思いを馳せて馬頭琴を奏でるモンゴルからの大学留学生のヒルガン君。
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1991年制作の映画「チンギス・ハーン」(140分)は、監督のベグズィン・バルジンニャムをはじめ、脚本、音楽、出演者もみなモンゴルの人々。映像に迫力があり、テーマもしっかりしていてモンゴル映画の質の高さを充分に感じ取れた・・・・・・。
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ヒルガン君は、演奏の合間に参加者からのさまざまな質問に丁寧に答えていた。参加した人は、馬頭琴の物悲しい調べにみな感動していた・・・・・・・。 この日は大相撲秋場所の千秋楽。今場所初日から新入幕の逸ノ城の快進撃でモンゴル旋風を巻き起こしていたこともあり、参加者も多かったが、モンゴルに対する興味を持っていたらしく質問も多岐にわたっていた・・・・・・・。

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僕は、映画を学ぶ会の茶会の誘いをことわり、秋場所の千秋楽の優勝がかかっている大一番を見るために家に戻った。家の前の武州野の面影が残る畑の空には、まるでモンゴルの草原に広がるような夕暮れの雲が流れていた・・・・・・。

★10月12日(日)午後1時10分からは、武蔵野市民学校で[小さなシネ・フォーラム]と称して映像写真展「原爆を撮った男たち ヒロシマ・ナガサキ1945」を僕の企画・構成で、トークをすることになっている。場所は、志木市立柳瀬川図書館(東武東上線・柳瀬川駅下車徒歩3分)。はじめて見る原爆直後の貴重な写真がたくさんあり、僕が1点、1点解説をします。無料ですので、ぜひお出かけください。待っています~!☆

昨日27日、家に篭っているだけでは、心身に良くないと思い気になっている都内で開かれている写真展をいくつか巡ってみた・・・・・・・。他の人の作品を見ることはやはり刺激を受ける。学ぶ事の多い秋麗の一日となった・・・・・・・。

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まず、JCIIフォトサロンで開催されている笹本恒子さんの写真展へ行った。笹本さんは現役の写真家で100歳を迎えている。僕らの大先輩である。戦前の1940年から日本では初の女性報道写真家として活躍してきた人だ。今回の写真展は明治時代に生まれ、子ども育て、家事をしながらもそれぞれの仕事をしてきた日本の女性100人を撮影したものだ。僕も撮影している婦人活動家・櫛田ふきさん、俳人・鈴木真砂女さん、作家・住井すゑさん、歌手・淡谷のり子さんなど懐かしく拝見した。見ごたえのある写真展だった・・・・・・・。

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次に向かったのは、神田神保町の小さなギャラリーで開催していた島尾伸三さんの作品展。角川書店の雑誌「野生時代」に連載していた「Lesions/じくじく」を中心にした日本の日常的な光景を島尾さんの心情を含めた眼差しで切り取った作品だ。彼と会ったのは20年ぐらい前だろうか・・・・・・。本当に久しぶりの再会だったが、互いに顔を合わせたとたんすぐにわかった。
年賀や写真展のDMなどはお互いに送っていたのだった。僕はこの7月に月刊誌「前衛」に彼の父にあたる作家の島尾敏雄と母の作家・島尾ミホのことを書いたので、鹿児島・奄美大島のグラビアも合わせて掲載してあったその雑誌を届けた。「おもしろそうすですね・・・・・」と喜んでくれた。奄美や中国のことを中心に1時間ほど話し会った。島尾さんの代表作である写真集『中華幻紀』を一冊求めた・・・・・・・。

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3つ目の写真展は、銀座にある写真弘社1Fにあるギャラリー・アートグラフでしている「辺野古の海」。友人の新藤健一、森住卓、山城正邦さんなど14人の写真家たちの共同作品展だ。沖縄タイムスや琉球新報なども写真を出品している。新たな米軍基地を作るために埋め立てられることになっている辺野古の海は、実は世界最大級のアオサンゴ群、数百年を経て成長した巨大な塊状のハマサンゴ、海底を覆い尽くすテーブルサンゴなどなど地球的にみても貴重な自然環境が広がっている。

この海の多種多様な生き物たちの生命を育む海草のおおい茂る広大な海底も広がっている。そしてこの海は、絶滅危惧種に指定されているジュゴンの生息場所でもあるのだ。「この美しい海を米軍基地で壊してはならない。次代に受け継いでいくのは、私たちの役目だ」と決意を語るプロデュウサーを買ってでているフォトジャーナリストの新藤健一さん。手に持つのは、「2015カレンダー WE☆OKINAWA」(A4サイズ、カラー月めくり、12ヶ月)定価1000円+税。注文:七つ森書館 FAX:03-3818-9312まで。

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26日には、元内閣総理大臣の鳩山由紀夫さんや前社民党党首の福島みずほさんたちも突然来たという。10月からは、この写真展は国会の議員会館や沖縄各地、アメリカなどでの巡回展が計画予定されている。写真は、左から写真家・桑原史成さん、共同通信社編集委員だった新藤さん、僕、このギャラリーのオーナーでもある写真弘社社長・柳沢卓司さん。
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最後の写真展は、銀座・キャノンギャラリーで開催している長倉洋海写真展「その先の世界へ」。作者の長倉さんも会場にいたので1時間ほど話した。僕と同世代であり、同じ世界を取材しているので、若い頃からお互いによく知っている。今回の作品は2013年、1年だけで撮影したというので驚きだった。それも個展を4箇所以上やり、写真集に単行本まで出版している。そのバイタリティには舌を巻くようであった。彼自身は「もう年だから疲れるよ・・・・・」など笑っていたが、この写真を見る限りそれは謙遜である。僕もまだまだ負けてはいられない。さらに精進しなければと強く思った・・・・・・・・・。

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昨年以来、約1年ぶりに友人のMさんに銀座で会った。彼女の仕事場が日比谷なので近いからである。今年創立77周年となる老舗ビャホール「ニュー・トウキョー」の「さがみ」と言う店が僕は好きでときどき行く。まずはそこで70年前の生ビールの味を復刻したという生ビールで一杯。創立記念にこの店の思い出川柳を募集していると言うので酔った余興で2句詠んだが・・・・・・・・・。
・失恋の味も飲み干すニュー・トウキョー     ・アンポ反対のデモより来たしニュー・トウキョー

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その後、彼女の常連の店の焼き鳥屋で芋焼酎をやった。Mさんにもこの1年間さまざまなことがあったという。互いのこれからの人生について語った一夜だった・・・・・・・。(写真は有楽町のガード下で)    合掌

秋分の日の9月23日、板橋区立文化会館ホールにおいて、琉球舞踊 川田功子の会「第16回 葉月の会」が5年ぶりにおこなわれた。前回は招待されて観賞に来ただけだった。たまたま友人が持っていたコンパクトのデジタルカメラで撮影した(5年前のブログを参照)のだが、今回はあらかじめ、モノクロのフィルムで撮影して欲しいと出演者から頼まれていたので、久しぶりに銀塩カメラを使って気合をいれて撮影した・・・・・・・。

以下のブログ写真は、愛用のシグマDP1、28ミリレンズ1本で撮影したもの。僕の席が左端だったために、舞台から遠く、みな小さく写ってしまって迫力のある琉球舞踊の感じが出ていなくてごめんなさい。モノクロフィルムは現像してからプリント引き伸ばしをするので今しばらく時間がかかる。もし、いい作品があれば、後ほど紹介したいと思う・・・・・・・。

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第1部は全部で11幕ある。その一、「大要燦燦」の2景 「世果報太鼓」 出演:川田公子をはじめ、みやらび太鼓研究会メンバー。 人々は一日の始まりを言祝ぎ、喜びと感謝を踊り、そして豊かな世を願って太鼓を打ち鳴らし踊る。舞台の開幕にふさわしい演出だ・・・・・・・。
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その二、「踊りくわでさ-節」。紅型染めの色鮮やかな衣装に花笠をかぶり、手には四つ竹を持って優雅に鳴らしながら舞う。一番親しまれている古典舞踊「女踊り」だ。
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十一、「みやらび三板(サンバ)」。 三板とは、三枚の硬い木や竹を紐で結び、指でかき鳴らす沖縄民謡には欠かせない特有の打楽器のこと。この舞は、三板を群舞いにした冠船流の創作舞踊。
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ひらひらと舞い散る花びらを思わせるしなやかな指使いやリズムが見ものとなっている・・・・・・・。
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第2部。「おなり神の島・琉球~自然・人・いのちへの賛歌」(川田功子創作展より)。 第2章 「月の美しゃ」。
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波と月と星がテーマとなっている・・・・・・・・。
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第3章。「星に願いを」  立ち現れた神女たちは、秘めやかに晴れやかに舞い舞う。神は人、人は神。この南の島に永遠の命あれ!榮あれ!・・・・・・・・・。
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出演者を代表してあいさつに立つ川田功子さん(中央)。 この舞台の構成・演出・振り付け・衣装を手がけている。
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最後は琉球独特ののカチャシーの踊りで会場は一体となった・・・・・・・。
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観客と出演者が一緒に踊るフィナレー・・・・・・・・。
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川田功子さんの長女・仲濱美紗緒(左)とその娘さんの美海ちゃん。ロビーで。
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打ち上げは、会場近くの居酒屋で。出演者、スタッフをはじめ50人ぐらいが参加していて賑やかだった。美しい踊りを見せてくれた佐野七夕子さん(中央)。僕は近くの別の呑み屋で飲んでいたが呼び出しがかかり合流した・・・・・・・。
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この舞台のパンフレットに文章「琉球舞踊と川田姉妹と私と」を寄せた俳人の笠原茂舟さんと「みやらび」が大好きなジャーナリストの遠藤英湖さん。
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川田功子ネェネェ~のお孫さんにあたる美海ちゃん。まだ高校生だ。大学は沖縄の芸術大学に行きたいと語っていた・・・・・・・。この日の舞台でも元気に踊った。
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この日の舞台で圧巻の踊りを披露した崎山陽子さん(中央)と師匠の功子先生。陽子ちゃんが舞ったのは、第1部のその4、「本花風(ムトゥハナフウ)」。琉球の港から旅立つ夫を見送る妻の心情を踊ったもの。また、めぐり合う日を信じて待つ妻の切なく美しい姿を見事に表現していた・・・・・・・・。

功子さんは、第2部の第2章、「月の美しゃ」  まるでニライカナイへ引き込まれていくような世界観。あまりの踊りの美しさにシャツターが切れないほど感動した。彼女の踊りはもうずいぶんと見続けてきているが、歳を重ねると同時にその円熟さが増し、見るもの心に沁みてくる。これからも後進の指導とともに自身も踊りつづけて欲しいと一ファンとして切に思った・・・・・・・。  合掌

大変長らくお待たせいたしました。ようやく8月中旬から今月初めまで取材に行っていた写真のレポートをみなさまに報告することができます。第1回目は、8月23日~8月27日までの5日間で撮影した写真をアップしました。

24日の朝、昆明を車で出発して、イ族自治州の楚雄を通り、双柏県ガク嘉鎮へ向かったが、途中、午後4時頃に雷をともなった集中豪雨に見舞われて、道路の至る所が土砂崩れとなり、山の中に閉じこまれてしまった。1メートル先の目の前が、あっという間に3メートルを越す土砂が樹木なだとと共に崩れてきた。道路の反対側は500メートル以上の谷底。逃げる場所が無く、本当に間一髪だった。携帯電話で警察や道路管理をしている部署などに連絡をしてブルトーザーに救出されたのは、4時間後であった。その後も何度もがけ崩れに遭遇して、わずか4キロメートルの一番近い町に到着したのは、午前2時を回っていた・・・・・・・・。

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8月24日午後3時。
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午後4時、急に空が暗くなり雷が轟き、大粒の雨が叩きつけるように降り出した。前方はまったく見えなくなった・・・・・・。
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道路はすぐに川のようになった。この車も僕らと一緒に閉じ込められた・・・・・・・。
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ようやくブルトーザーなどが来て、土砂を片側だけかたずけて、車が動き出したのは、すでに深夜になっていた・・・・・・。

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8月25日。朝、玉渓市新平県の山の中腹にある古刹の寺に参拝した。この旅が無事に終えることができるようにとお祈りをしたのである・・・・・・・。
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8月25日。玉渓市漠沙鎮大沐洛村。この村は花腰タイ族が暮らしている。
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村の道端で、老人たちと出会う娘たち。
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肩に担いでいるのは、田うなぎを獲る仕掛けの籠。食べてみたが、日本うなぎと比べるとずいぶんと小さいが味はしっかりしていて美味であった・・・・・・・。ビールのつまみには最適だ。
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花腰タイ族の伝統的な衣装を纏う村の娘たち。花腰タイ族は、旧タイ王朝の貴族の末裔だと言われている・・・・・・・。
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他のタイ族と異なるのは、この笠。形に特長がある・・・・・・・・。
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この坂の下に紅河が流れている。
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村の一家族が僕らを夕食に招待してくれた・・・・・・・。
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8月26日。石屏県へ向かう途中で。
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8月26日。紅河州石屏県。
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石畳の古い町並みが残っていた・・・・・・・。
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今回の撮影の同行した写真家たち。右は知人の運転手の胡波君。中央は、コーデネーターのイ族出身の写真家・烏里烏沙君。(石屏県の旧市街の屋台での夕食)
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8月27日。石屏県から北へ150キロメートル程、山岳部へ入った標高2000mにあるイ族の村・羨善村で。
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村の集会所の正面には、毛沢東の肖像写真がうやうやしく掲げてあった・・・・・・・。
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この村の女性たちは歌も踊りもうまい・・・・・・・。
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女性がやるこの龍の舞い踊りは、中国全土の芸能大会で第1位になったことがあるという・・・・・・・・。
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動きが激しく、迫力がある。この踊りを舞うために村の女性たちは、仕事の終えてから毎日、山岳道を10キロ以上走っているという。
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龍の踊りが終わってから、僕と村の女性たちで記念写真を撮った・・・・・・・。
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民族衣装を着た少女。「わたしも早くお母さんみたいに踊りたいなあ・・・・・」と笑った。
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8月27日。紅河の岸辺には、河で獲った魚を売る露天商が出ている。その場で、大きな鯉をさばいていた。紅河州元陽郊外で。 (この写真レポートはつづく・・・・・)

9月19日~20日、写真研究会「風」のメンバー有志と「風通信」の読者との交流会が、秋晴のもとおこなわれた。会場となったのは、東京都下奥多摩地方、甲斐の国との国境に程近い山間部にある「風」同人の並木すみ江さん宅だ。参加したのは「風通信」2代目編集長・鈴木渉同人、並木すみ江同人、塩崎亨同人、それにはるばる名古屋から車で参加した平元盛親同人。「風通信」読者は、写真家・菱山浩忠君と田頭とみいさんの計6人。僕を入れて総勢7人の愉快な会となった・・・・・・・・。

以下、写真を中心にリポートする~!☆

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19日午後1時に最寄の駅前に集合、手分けをしてバーベキューなどに必要な食材などの買い物をして、並木宅でバーベキューが始まったのが午後3時前だった。まずはみんなで乾杯~!☆
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バーベキュー用の食材担当は、僕と鈴木編集長。酒やつまみ担当は、塩崎、菱山君。夕飯や朝食の担当は、並木、田頭班だった。タラバカニと海老、ホルモンなどを差し入れてくれたのは、平元君。僕は雲南省の豆腐皮と調味料を持っていった。鈴木さんは赤ワイン。田頭さんは、種子島で採れた新米を差し入れてくれた・・・・・・・・。 ありがとう~!☆
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最初の集合写真を撮った塩崎君が入ってパチリ~!! みようがは、並木宅の周りにあるものを掘った・・・・。
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肉類は、鶏肉は下北の地鶏のモモや手羽を。豚トロ、豚のスペアリブ、豚の内臓は、レバ、タン、ハツ。牛肉のステーキなど。味付けはブラックペッパーと岩塩、イタリアンのハーブ入りソルト、塩麹、出汁醤油、味噌、七味などを使い様々な味付けした・・・・・・。
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美味い~!と驚く菱山君。
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地元の野菜も焼いてたべた。カボチャは並木家産。僕はナスもピーマンもとうもろこしもみょうがも生の方が美味しいのでそのまま食べたのだ・・・・・・・・。
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焼き担当は、平元君と塩崎君がしてくれた。ちょうどいい食べ頃に焼いてくれる名人だ・・・・・・・・。
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ひたすらに酒を愛す菱山君と何時になくよくしゃべっていた鈴木編集長・・・・・・・。
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下準備が終わった僕と女性2人は、ただ飲み、食った・・・・・・・・。
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山間は日暮れるのが早い。少し寒くなってきたので、今度は家の中での宴会が始まった。平元君、田頭さん、並木さんの3人が作品を持ってきていたので、一人ひとりじっくりと見た・・・・・・・。(写真は平元君の作品)
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呑み、食べながらの作品合評と写真談義が延々と午前1時過ぎまで続いた・・・・・・・・。
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翌日、20日7時から朝食。家主の並木さん、田頭さんが中心に作ってくれた・・・・・・・。並木さん手作りのオクラ入り納豆や家の周りで採ったみょうが入り味噌汁、雲南豆腐皮の煮付け、八つ頭の茎の煮付け、タラの焼き魚などが美味かった・・・・・・・・。岡山の高田同人から高級ぶどうがたっぷりと届けられて、デザートにみんなでいただいた・・・・・・・・。 感謝~!☆
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昨日、バーベキューで食べきれなかった平元君差し入れの超大きい牛肉ステーキ(1枚分)。この大きさの肉を味付けを変えて朝から2枚焼いたのだ。そして牛肉大好き菱山君を核にみんなでペロリ~と平らげてしまったのだ・・・・・・・・。恐るべし食欲~!!菱山君は赤ワインを飲みながら喰らい付いていた・・・・・・・。
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朝食後、仕事や用事があるという平元、塩崎、菱山君は先に帰った。 残った僕と鈴木、田頭、並木さんで、並木家の先祖代々のお墓参りに行った。お墓の周りの草むしりをする。
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昨年、長年連れ添ってきた並木さんの夫・利夫さんが、病気で65歳という若さで亡くなった。今回の会の目的のひとつにそんな中でがんばっている並木さんを励まそうというみんなの心使いもあった。来年の3回忌を目標に、並木さんは、写真展の開催と写真集の刊行をめざしている。題名は「逢いたくて、愛したくてー夫・並木利夫に捧ぐー」と決まっている。写真を見せてもらったが、一人の写真家が、自分の伴侶をこれほどまでに撮影している者は、世界でもいないのではないかと思った・・・・・・。 僕も「風」の主宰としてはもちろんだが、一人の写真家として、できるだけのサポートをしていきたいと思っている・・・・・・・・・。

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利夫さんが亡くなるまで守り、よくお参りをしていた近所の村の鎮守様にもお参りをした・・・・・・・。
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この「並木集落」のお宮さんでの利夫さんをはじめ、家族を撮影した写真が多い。
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多摩川べりにある蕎麦屋へ行って昼食をとった。野菜天麩羅笊そばをいただいた・・・・・・・。
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お揃いかのようなピンク色のシャツを着て、蕎麦を頬張る並木さん(左)と元研究会メンバーだった写真家の田頭とみいさん。
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「月よい童屋」という洒落た名の蕎麦屋の僕の席から望む多摩川上流の流れ・・・・・・・・。

 

 

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佐藤秀明さんの写真展へ行って彼の作品をじっくりと拝見するのははじめてであった。佐藤さんとは共通の友人が何人かいていつも話の中で佐藤さんのことは聞いていたが、実は会ってお話をするのも初めてだった。今回の個展は、カナダからアラスカに流れる全長3700キロメートルの大河・ユーコン川を舞台としたもの。世界の辺境をモティーフにしている佐藤さんが、昨年、ユーコン川のホワイトホースからドーソンまでの700キロメートルをカヌーで旅した記録をカラー作品40点で構成したものだ。 (写真は、佐藤さんと受付を手伝っていた女性。彼女は僕が署名すると「ヒマラヤを撮っている写真家の方ですよね・・・・」と言った) その足で銀座ニコンサロンで展示している石川直樹君の写真展「国東半島」も見た・・・・・・・。

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関口さん(左)と烏里君で、まずは乾杯~!☆ (9月17日 池袋・逸品火鍋にて)
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僕も、関口さんと乾杯~!☆
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この日の料理のオーダーは、僕が担当した・・・・・・・。
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僕と写真家の烏里烏沙君とで、長い間お世話になった(株)ニコンイメージングジャパン・プロフェショナルサポート部のマネージャーをしていた関口宏さんが今年の春に、退任したことと新たな人生の再出発したことを励ますささやかな宴を持った。最初に、食べる機会が少ない本格的な池袋にある四川料理の店へ行った。この店は烏里君の行きつけの店で、僕も何度も来ている。料理長と烏里君が友達なのである。この日もサービスの料理を出してくれた。2時間ほど四川料理を肴に四川省の美味い白酒(パイカル)をやった・・・・・・。

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まだ時間は早いので、今度は琉球料理の店へ。僕が入り浸っている「みやらび」だ。ここでも関口さんは、いたってご機嫌だった。聞けば彼と僕は生まれた年はひとつ僕が早いが、同学年であることがわかった。来年の1月の誕生日で彼は61歳になるという。それでさらに宴は盛り上がったのである・・・・・・・・。女将の川田功子さんをはじめ、佐知代ちゃん、陽子ちゃんも写真に納まってくれた・・・・・・。
彼女たちはみな琉球舞踊家では知られた人たち。この9月23日にも板橋文化会館小ホールで大きな琉球舞踊のリサイタルがある。「第16回葉月の会~太陽燦燦 遊びの清らかさ踊てあしば」だ。 昼の部は14時30分~、夜の部は18時~。前売り:3500円(申し込み先:TEL/FAX03-3971-5061)。無論、僕も行き写真を撮ろうと思っている。

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友人の画家・美崎太洋さんの奥さんである陽子ちゃんと・・・・・・。
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烏里君は、9月22日早朝出発して、ヒマラヤの8000メートル峰のK2へ撮影に行く。キャラバン等を入れて約1ヶ月間の取材だ。 途中から「烏里くん、無事に帰ってこいよ~」と歓送会も兼ねた・・・・・・・。
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乗りに乗っている関口さんも一緒に入っての記念写真・・・・・・・。家が遠い関口さんを駅まで送ってから、鮮魚居酒屋に行って、「烏里君の歓送会」を僕と陽子ちゃんと3にんでささやかにやった・・・・・。

9月13日から敬老の日の15日まで、86歳の母が一人で暮らす実家へ帰省した。目的は、お彼岸には帰れないので、少し早いが墓参りがしたい。家の直ぐ前にある村の鎮守様である宇佐八幡宮の宵祭りと本祭りに2年ぶりに参加すること。それと12月13日~21日まで前橋のノイエス朝日で開催する展覧会の打ち合わせをすることだった。

祭り日にふさわしい秋晴れの3日間だった。僕はこの村の青年たちが30数年前から「祭りを賑わす会」を作って復活させた八幡様の祭りを僕なりにできることをサポートしてきた。まず、祭りの様子を写真で記録することと何がしかのお祝いの寄付を出し続けてきた。昨年は、海外へ取材に行っていたために帰省できず参加できなかったが、今年は何とか都合をつけて参加したのだ。子どもの頃に遊んだ先輩や後輩、わんぱくをしていつも叱られていたおじさんやおばさんたちに会い話すことができるのが、何よりも楽しいのだ・・・・・・・。

13日の宵祭りから翌日の本祭りを呑みながらではあるが撮影した写真をドサ~ッとアップします。祭りの中心は20代の青年たちと子供たち。それを見守りながら支えているのは、この「賑わす会」を創設した40代~50代の後輩たち。そして、ただ参加して食ったり呑んだりしている60代~90代の長老たちと参加者の幅は広い。僕もすでに還暦を過ぎたのと、わざわざ東京から来たということでいつもお客様扱いにしてくれる。ありがたい限りである・・・・・・・・・。   感謝! 合掌!!

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JR渋川駅広場にあるモニュメントの彫刻。
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名湯・伊香保温泉に行くにはここ渋川駅からバスに乗り換える。赤城山の上に巨大な入道雲が湧き上がっていた。赤城山が標高1826mだからこの雲は2万mぐらいの高度ある。
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弟の小松勝三・美香夫妻と2級先輩だった同じ村の友人を訪ねる。
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宇佐八幡宮への参道。母と6時半頃に出かけた。実家から歩いて1~2分の所にある。
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たこ焼きに焼きそば。
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上州といえば何と言っても名物・焼きまんじゅう。時々、無性に食べたくなることがある・・・・・・。
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子どもたちもラムネを飲んで楽しそう・・・・・・。
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「祭りを賑わす会」の若者たちの手作りですべての夜店がおこなわれている。生ビールや酎ハイなどの飲み物は、何倍飲んでもすべて無料というサービスだ。
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昨年から僕の名前が書かれた提灯も灯された・・・・・・・・。
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八幡様の境内には筵がひかれて、家族ずれをはじめ参加者でいっぱい。最近は村の人以外の人達も参加するようになった・・・・・・・。
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毎年、プロの歌手を呼んで、ミニコンサートやカラオケなどもやっている・・・・・・。
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宵祭りに参加した女性では母が最高齢だった。弟の勝三と・・・・・・。
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僕も母と記念に写真を撮った・・・・・・・。

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僕の先輩も数人いたが、ほとんどは後輩たちばかり。僕らの同世代か、後輩たちの子どもたちの世代が祭りをほとんど仕切っていた。
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弟・勝三の同級生の高山君の奥さま。彼女は東京の僕の写真展などにも何度か来てくれている・・・・・・・。
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現在、「祭りを賑わす会」会長の青年(左)と会を創設した中心メンバーで現在、会の顧問をしている加藤孝幸君と・・・・・・・。 ごくろうさま・・・・・・。 合掌
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実家のすぐ上の家の角田七蔵おじさん。御歳92歳だという。子どもの頃には、悪さをして毎日のように叱られていた・・・・・・・。お元気な姿に感動した・・・・・・・。  合掌
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宵祭りが午後11時過ぎに終わった後、呑み足らない面々が何故か実家にみんなが集まった。午前様を過ぎても盛り上がる・・・・。
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翌、14日も気持ちよく晴れ渡った秋晴れだった。母は花が好きで春先から晩秋まで家の庭には、いろいろな花が咲き乱れる。この日も朝から花の手入れをしていた・・・・・・・。
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八幡様へ行く途中の道。家から30メートルほど行った所。僕の原風景の一つだ・・・・・・・。
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実家の斜め前にある丸橋家の土蔵。子どもの頃の良き遊び場だった。弟・小松勝三著『小松勝三の日日是好日』の表紙に使った光景である・・・・・・・。
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昨夜、母と通った八幡様への参道。僕がまだこの地にいた頃は、風景を台無しにする巨大な鉄塔と送電線は無かった。東京電力柏原子力発電所からの送電線だ。
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秋を代表する味覚・栗がたわわに実っていた・・・・・・・・。
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お参りをして、おみごく(お参りをすると神社からもらえる餅やお菓子など)をもらって先に帰る勝三の嫁の美香・・・・・・・。
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昨夜は出ていなかった「ぼんぼん釣り」の店が出ていた。僕も帰りにひとつもらってきた・・・・・・・。
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境内の右側にある石で作った岩山は、いつの時代でも子どもたちの絶好の遊び場だ・・・・・・・。
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豪快に焼き上げる焼きそば。美味しそうだね・・・・・・・。
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子どもたちに人気のあるポテトフライ。
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中でも焼き鳥は絶品。この道10数年の高山君(真ん中)が後輩たちにその秘訣を伝授していた・・・・・・・・。
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本祭りのメインイベントとなる子ども神輿の村内巡行の出発の準備が始まった・・・・・・・。
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宇佐八幡宮の本殿のなか・・・・・・・・・。「武運長久」を祈る旗や戦地に向かう前の記念写真などが、今でも飾られている・・・・・・・・。
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従弟にあたる大工の棟梁をしていた上田光義が亡くなる前に建てた社務所から境内を見る・・・・・・。
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いよいよ子ども神輿が境内から出発する・・・・・・・・。
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2時間程のコースだから子どもたちにとってはけっこうハードだ。途中、公民館でしている敬老会にも寄って神輿を担ぐ元気な姿を見せる・・・・・・・・。
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僕は、本祭りはいつもこの社務所のなかで、のんびりと呑みながら、地元の料理をいただくのが恒例だ。この社務所には僕が1996年に撮影した当時の「賑わす会」のメンバーの集合写真と「写真集団・上福岡」の関根民夫さんの作品が飾られている。
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次男の修二と同級生だった富沢君(左奥)は、現在、村の神主さんを務めている・・・・・・・。
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子どもの頃、よく遊んだ清水武ちゃん(右端)も今年から敬老会のメンバーになったという。70歳を過ぎたのだ。右から、この内出村の上田家の宗家にあたる上田茂昭さん(82歳)、角田七蔵さん(92歳)、加藤栄一さん(78歳)。祖先はみな、戦国時代の武将・真田昌幸の家来で、信州から岩櫃城があるこの土地にきた八人衆だ・・・・・・・。

母方の本家は上田家。茂昭さんとの話で、祖先の名は、河野茂左衛門ということ。400年前から続いている名家で、内出城の城代家老を務めていた鑓の名手だったということなどがわかった。現在も茂昭さんの家には枇杷の木刀や全国の大名の一覧、天明3年の浅間山の大噴火の時の被害状況など記した文章が残っているという・・・・・・・・。

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村一周を神輿を担いで周ってきた子どもたちが元気に帰ってきた・・・・・・・。
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内出村の子供たちと「祭りを賑わす会」の四役がそろっての記念写真。この写真を大きく引き伸ばして社務所に奉納することにした・・・・・・・。
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神輿と宇佐八幡宮の本殿 (撮影:加藤孝幸)
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昔からある大きな松の樹の下で。秋風が吹き抜ける・・・・・・・。
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詩人・宮澤賢治の絶筆となった 「方十里稗貫のみかも 稲熟れてみ祭三日そら は(晴)れわたる」 の短歌を思い出しながらシャツターを切った・・・・・・・。  故郷に感謝、そして 合掌

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15日、帰京の朝。群馬原町駅で・・・・・・・・・。

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今年12月13日~21日まで、前橋・ノイエス朝日でおこなうコラボ「五天展」の案内状やオープニングパーティ、トークなどについての打ち合わせをしに新前橋のノイエス朝日へ行った。キューレターの武藤さんが待っていてくれて話は早めに終わった。会場では「藤森カツジ展」が開かれていたので見せてもらった。今月21日まで開催。(写真は作者の藤森さん)

 

9月10日、写真集団・上福岡の9月例会が、ふじみ市内の公民館でおこなわれた。8月はお休みだったので2ヶ月ぶりの例会だった。この日の例会参加者は15人。仕事や体調不良などで 5人ほどが欠席していたが、作品は優に200点は超え、狭いテーブルの上にずらりと並べられた。3時間ほどかけて1人1人が持ってきた作品の合評をするのだからけっこうハードだ。しかし、みな熱心なので僕も力が抜けない。いつも写真の作者との真剣勝負だ。 しかし、終わったあとの有志会員によるやきとり屋での一杯は旨い。これがひとつの楽しみで30数年間続けてこられたのかもしれないね・・・・・・・・・。

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いつもの記念写真は、僕が入っていないのでこの日は、僕も入った。撮影は竹川義之会員。
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熱心に他の会員の作品を見つめる・・・・・・・。
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例会では、会員それぞれが良いと思った作品を選ぶのだが、この日は数が多かったので1人が7作品を選んだ。
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2015年、第33回目となる写真展での個展は、第2代目会長で、来年、90歳を迎える柴田格一会員(写真中央)が卒寿記念にやることに決まった。「いのち」をテーマに、長年撮影してきた大樹の写真で構成するる予定だ・・・・・・。
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カレンダーの写真コンテストの審査のために、京都から上京してきた写真家の大橋さんが、僕のブログを見て、ぜひ、「南大門」で焼肉を食べて、「三福」で魚料理を食べたいと自宅のある最寄り駅まで来てくれた。「南大門」のマスターとアルバイトの女性と記念写真を撮る大橋さん(左端)。

大橋さんは、20数年にわたり撮り続け刊行した写真集『知恩院の風』で知られていて、同写真集の中の作品で構成した僧侶たちの修業の日々で第5回飯田市藤本四八写真文化賞(公募の部)を受賞している。昨年僕とともにチベットへ取材へ行き、この春、京都市において個展を開いて好評をはくしている。 僕とは30数年来の友人である・・・・・・・・。

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大橋さんがどうしても食べたいと言っていたヒマラヤの岩塩の上で焼く、高級牛肉や豚肉を用意してもらった。写真は、山形の高級豚のトントロ。
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中国から留学生として来ている南大門でアルバイトをしている学生。僕が中国の取材をしていることを知っているのでいつも親切にしてくれる・・・・・・・。
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学生たちのグループだろうか。どこで、どんなシチェーションで撮影したのか覚えていないが、南大門で気持ちよく呑んでの帰りなのは、確かだが・・・・・・・。酔っ払いだから露出不足で暗い写真になってしまった・・・・・。
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大橋さんが来たいと言っていた居酒屋「三福」にも案内した。もうお腹がいっぱいだったので、つぶ貝と新秋刀魚の刺身、あなご天ふら、自家製の漬物など肴に芋焼酎で軽くやった。大橋さんを見送った後、僕は戻って地元の若い友人たちと付き合った・・・・・・・・。
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一緒になって呑むが、名前はまだ聞いてない女性(手前)と、3代目「三福」の女将となる小津枝ちゃん。

僕が中国大陸を24年間、約67,000キロメートルを走破して取材した「三国志」の総決算ともいえる写真展が11月4日から14日まで開かれる。今年になってからも4月とこの9月、最後の取材へ行ってきた。この写真展は昨年正月、新宿御苑前のギャラリーシリウスの年頭企画展として開かれ、7月には埼玉県朝霞市立図書館で開催されたものに、さらに撮影をした作品を追加するというもの。

東京展の終了後、国内では2015年5月9日~17日まで群馬県前橋市の「ノイエス朝日」での開催が決まっている。6月~7月にかけては、三国時代、蜀国の都だった現在の四川省の成都での開催も決まっている。蜀の初代皇帝の劉備や諸葛孔明が祀られている武候祠での開催だ。同時に会期中に四川大学での講演も予定されている。四川大学と武候祠の共催である。写真展終了後は、全作品を武候祠へ寄贈し、武候祠が責任を持って保管・管理してくれることになっている。

★11月4日、16:00~17:30は、写真展会場においてオープニングレセプションがおこなわれます。 ギャラリートーク「中国大陸67,000キロメートルの旅」(無料)は、11月7日(金)、12日(水)15;00~16:30の2回おこないます。ぜひ、どちらもご参加ください。待っています~!☆

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(デザイン:塩崎亨  写真は、張飛が長年太守を務めた蜀・ロウ中の街)

★DMを必要な方は、ご一報いただければお送りいたします。ぜひ、友人、知人の方々にお知らせいただければ幸いです。また、この写真(データ)を使い、あなたのネットやウェブなどで広めていただきたいと思います。一人でも多くの人々に見て欲しいので、何卒よろしくお願いします。  合掌

2日の深夜、中国・雲南省から帰国して、翌日は以前から予約していた歯科病院へ行き、4日は朝から都内へ出かけるという目まぐるしい一日だった・・・・・・・。

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代官山のヒルサイド・テラスのフォーラムにおいて世界の写真家たちのオリジナルプリント展「PHOTO FAIRーⅠ」がおこなわれるというので興味を持って出かけた・・・・・。プリントの他に各写真集も豊富に揃えていた。
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午前11時から90分にわたり、連続企画トークの第一弾として、丹野章X細江英公X川田喜久治X金子隆一(写真史家・東京写真美術館)のトークがおこなわれた。会場は始まる前から満席。このトークは、日本を代表する写真家から近年注目を集める若手写真家をゲストに、キューレター、研究者、編集者などのトークによって、1960年代から現在までの日本における写真の変換を学ぶというもの。須田一政、石内都、森山大道さんらも出演する・・・・・・・。

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左から金子隆一さん、VIVOの丹野章さん、細江英公さん、川田喜久治さん。VIVOが始まる前、中期、後期とそれぞれの時代のエピソードなどをまじえての意味深いトークとなった。会場には病床にある奈良原一高さんの奥様もお見えになっていた。昨年、亡くなった東松照明さん、先年なくなっている佐藤明さん。VIVOのお元気な3人が一堂に集まって語れるのは、もしかしたらこれが最後かもしれないと思うととても椅子に座って聞くきにはなれず、100分間僕は、立ちっぱなしで聞いていた・・・・・・・。

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約1年ぶりにお会いした細江英公さん。少しスマートとなられたが、お元気そうなのでホッとした。ただご覧ように杖をしながら歩く姿には、朝方まで呑みながら語り、カラオケを美声で唄いまくっていた細江さんの面影はなく少し淋しい気がした・・・・・・・。
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VIVOの同人3人と奈良原一高さんの奥様、VIVO時代に暗室助手をしていた写真家・桜井秀さん。この写真も歴史的なものとなるだろう。今から20数年前に、VIVOの6人が勢揃いした写真を僕は撮っている。VIVOのメンバー全員揃った写真はほとんど撮られていない。当然、世の中には出ていないので貴重な記録となる。

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丹野さんに声をかけられた元写真研究会のメンバーが来ていたので、みんなで昼食をした。先に帰ったが、ジャナーリストの遠藤英湖さんも見えていた。この後、丹野さんと合流して代官山のカフェでコーヒーを飲みながら1時間ほど写真談義をした・・・・・・・。左から中田さん、田頭さん、並木さん、鈴木さん。
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夕方の7時から始まる森田雅章君の写真展のオープニングパーティには時間があるので、池袋にある東京芸術劇場で開催している「2014 全日本山岳写真展」に行った。先日、雲南省に一緒に取材に行った鳥山信子さんが「聖山 カイラス」を出品しているからだ。

つづいて銀座・画廊るたんの周光靖君の{ROMANCE OF THE THREE KINGDOMS PAINTING」に行った。昨年僕がオリジナルプリント展をした画廊だ。周君は上海で生まれているが日大芸術学部美術学科の大学院を卒業している。彼は自分が好きだ「三国志」をテーマとして油絵を描いているので、ぜひ観てほしいと画廊の店主から連絡があったのである。

そして30年ぶりぐらいの再会となる画家の渡辺皓司さん(写真)の個展へ。これはたまたま銀座の路を歩いていたら看板を見て、もしかしたらと思い覗いたら本人だった。僕は一目でわかったが、渡辺さんは、太って、髭をはやし、まして金髪にそめた長髪の僕が最初は、わからなかったと見え、面食らっていた。しばらく話していたら思い出したらしく、「昔はよく飲んだね・・・・」と偶然の再会を喜んでいた・・・・。懐かしい再会であった。渡辺さんたちと一緒に呑んだ人の多くはすでに鬼籍に入られている・・・・・・。  合掌

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家を出てから約10時間後、ようやく森田君の写真展のオープニングパーティが始まった。お祝いのあいさつをする公益社団法人日本写真家協会名誉会員、協同組合日本写真家ユニオン顧問の丹野章さん。丹野さんは森田君のお父さんとも旧知の仲だったエピソードを語った。僕も彼とは30年以上前からの知り合いである。

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写真家協会や写真家ユニオン、写真研究会「風」のメンバーなど大勢がかけつけてくれた・・・・・・・。
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司会を務めた日本カメラ財団・JCIIフォトサロンの本橋さん(左)とあいさつをするキャノンギャラリーの担当者。
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右から(株)日本写真企画の石井社長、一人おいて編集者の本橋佑佳さん、JCIIフォトサロンの本橋正義さん。
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写真が好きな「ライフメディアコム」の編集者・本橋佑佳さんも駆けつけてくれた・・・・・・。
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長年、森田君の写真活動を支えてきた奥様とのツーショト!☆!☆  おめでとう~!☆!
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2次会は、大勢でやっていたが、僕らは「風」のメンバーの並木さん、鈴木渉さんと写真家の烏里君、菱山君と日本中国写真芸術協会会長の佐藤成範さんと6人で近くの居酒屋へ行った。そうしたら何と森田君夫妻と名古屋から来た森田君のお弟子さんが、2次会へ行かずにこちらに来てしまったのだ・・・・・・・。
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お祝いなので刺身の盛は豪勢に・・・・・・・。
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銀座での2次会も終え、自宅の最寄駅へ着いたのは午前0時を回っていた。駐輪所の暗闇で突然、声をかけられてびっくりしたら、知り合いのMさんだった。今が仕事帰りだという。お腹が空いているというので近くの居酒屋で軽く付きあった。ゆっくりと話をするのは始めてだった。彼女の話によれば、8年前に主人を亡くしてから女で一人で、現在高校生の息子を育ててきたという。見かけよらずにしっかりしているのだなと思った。僕が見ていた彼女はいつも少し酔っていて誰にでもニコ二コしている姿だった・・・・・・。話の最中、携帯がかかってきて今から友達と呑みに行くという。すでに午前2時半だ。僕は「息子さんが心配するから寝ている内に帰りなさいよ・・・・」と言うと「は~い!」と元気な返事をして街の中へ消えていったMちゃんでした・・・・・・・。

8月23日午前中に家を発って、成田国際空港へ。15;15発の中国国際航空CA926便で北京へ。北京で国内線CA4172便に乗り換え、雲南省の省都・昆明へ。遅れたこともあり市内のホテルに着いたのは午前2時20分。雲南第一日目の就寝は午前3時半を廻っていた・・・・・・。

今回の旅の目的は、雲南省の奥地に暮らすイ族の取材を中心に、11月に東京中国文化センターで、開かれる写真展「三国志巡礼ー中国大陸67.000キロメートルの旅」に追加する作品作りと、2015年春に予定されている、リコーイメージングサロン新宿での写真展「探検家・矢島保治郎ー中国・チベット37、000kmを辿る」(仮題)への追加作品を撮影することだ。

11日間、ハプニングの連続ではあったが、兎にも角にも、僕と写真家・烏里烏沙君と同行した4人の写真家は全員無事に9月1日に帰国。僕一人だけ雲南省昆明に一日留まり、翌2日の深夜に帰宅できた・・・・・・・。その顚末記については、これから数回にわたって報告する中で書いていきたいと思う。しばらくブログの更新ができなくて、読者の皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。しかし、これからの”雲南紀行”は面白くなりますので、どうぞご期待くださいませ・・・・・・・・。   合掌

 

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8月24、25日に取材に入る予定だった楚雄州・顎嘉へは24日~25日の激しい雷雨のために道路が至る所で土砂崩れ、鉄砲水で寸断されて行けなくなった。急遽、予定を変更して紅河州の石屏県郊外のイ族の村・羨善村へ行くことにした。僕らの村訪を聞いて村の女性たち24人や子どもたちが村の広場へ集まってくれた・・・・・・。
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玉渓市の漠沙鎮郊外の大沐浴村の花腰タイ族の娘さん。花腰タイ族は、タイ王朝の貴族の末裔と言われている。とりわけ衣装が美しく、被っている笠の形に特長がある。天秤棒に吊るしているのは、田うなぎを獲る仕掛けの竹かご・・・・・・・・・・。
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羨善村のイ族の女性たちに囲まれて記念写真を撮る・・・・・。 (この写真と最初の記念写真は烏里君が僕のカメラで撮影)

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