写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2016年4月アーカイブ

僕が主宰する写真研究会「風」も8年目に入った。この日、見学に来た大久保美帆さんが入会して新たな気持ちで2016年度のスタートを切った。この日の例会は初めて浅草橋にある中央区立産業会館でおこなった・・・・。

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並木すみ江同人の福島を取材中の作品。ここ最近の2回分のものを約90点並べた。
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鈴木渉同人は4月に入ってから福島を取材した3か所の作品約100点を持ってきた。4月に開催していた所沢での巡回写真展も好評のうちに終了し、明後日からまた福島へ取材に入るという。
◆7月4日~7月10日まで、「コラッセふくしま」(JR福島駅前)5Fプレゼンテーションスペースで鈴木渉写真展「浜通り」の巡回展開催も決定している。
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少し仕事の関係で遅れて参加した塩崎亨同人の作品。やはり福島の放射能被害を受けた地域を撮影してきたもの。来年の個展開催を目指して取材をし、まとめに入る予定だ。新しく入会した大久保さんは10点。眞月美雨同人はこの3月から4月の中国貴州省・雲南省取材の作品がまだプリント出来てないと雑誌「クラッシックカメラ」NO.9号に掲載されてたものを持って来た。
右から塩崎、美雨、美帆、並木、鈴木の「風」メンバー。各自の作品を持って。 この後17時から、美帆さんの「風」入会の歓迎会を近くの中華料理店でおこなった。人数は少なかったが大いに盛り上がって楽しかった・・・・。

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夜の7時過ぎに、写真家の烏里烏沙君から電話があり、成都の李君がいま、都内に居て会いたいと言ってますが、来られますか・・・。と連絡がきた。帰宅途中の池袋で1週間ぶりに再会した。李君は魚料理が食べたというので、魚が旨い居酒屋へ案内した。美味な牛肉を土産に持ってきてくれた。
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李君(右)は旅行社に勤めていて日本語の通訳をしている。今回の旅は、北海道が中心で、札幌、小樽、函館、そして登別温泉に泊まって28日は都内観光。宿泊は今回もあのホテル椿山荘東京だという。明日は水戸で泊まり翌日、成田から成都へ。旅の参加費は1人、日本円で約16万円だそうだ。 ホテルはどこも名の知られた4つ星以上のホテルだ。 それにしてはずいぶん格安のような気がするが・・・。

宮崎・鹿児島の旅から戻った翌々日の18日から昨日の26日までの僕の動きを報告する。18日は雑誌「Realitas」の編集者、鑓田浩章君と会う。3回の連載分の写真原稿と1回目の文章原稿を渡した。この連載は世界のあまり知られていない街を紹介するもの。第1回目は、パプアニューギニアの高原の街・ポートモレスビーだ・・・・。

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19日は、先月結婚式を挙げたばかりの松枝秀雄・てる子夫妻が眞月美雨さんの仕事場である渋谷サロンワークステーションのモフ・ヘアサロンに来たので、その帰りに池袋で僕と会い新婚旅行の話を聞きながら乾杯をしたのだ・・・・。

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20日は、足腰などがやたらと痛いのでいつもお世話になっている後藤接骨医院へ行って鍼をしてもらう。その足で、月に一度は通院しているS呼吸器内科へ・・・・。

21日は伊藤若冲の初期から晩年までの代表作を集めた展覧会のオープニングセレモニーと内覧会に上野の東京都美術館へ行った。久しぶりに都美術館広報担当の進藤美恵子さんと会った。彼女は以前、写真研究会「風」のメンバーでもあった・・・・。

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美術館のエスカレーターで。

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伊藤若冲は18世紀に京都を中心にして活躍した絵師として知られている。「その技、際立つ。」「ひと月限りの、この世の楽園」とは、都美術館の作成したパンフレットに書かれたキャッチコピーである・・・・。内覧会の、それも午後5時過ぎと遅い時間だったために人も少なく、じっくりと観ることができたのは何よりであった。とにかく見るべし、必見なり・・・・。

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昨年11月に中国四川省の成都を訪れたときに、ご馳走になった李偉君(右)が来日した。僕がよく呑み歩いている店として、池袋の沖縄料理の店「おもろ」にまずは行った。この店は創業68年になる池袋駅界隈では老舗だ・・・・。

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二軒目は創業65年を迎える焼き鳥屋「三福」。この店の豚の内臓の串焼きは絶品。鮮魚、中身豆腐なども旨い・・・・。李君とはこれで何度目かの付き合いとなるが、彼の奥さんとは付き合いは長くかれこれ十数年となる。僕の通訳として旅もした。

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中央区日本橋にあるギャラリーツープラスで開催している山口一彦写真展「STONE」で。山口君と眞月美雨さん。後ろは奥様・・・・。

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木村伊兵衛写真賞の授賞式・オープニングレセプションの会場は、今年から竹橋にある如水会館になった。授賞式会場前に並んでいた花輪・・・・。

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第41回目の授賞者は、新井卓君。授賞作品は「MONUMENTS」。まだ30代の青年だ・・・・。

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新井卓君。これからどんな創作活動をしていくのか、期待したい・・・・。授賞作品展は5月2日まで、新宿のコニカミノルタプラザで開催されている。

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パーティ会場で会った左から写真家の大山謙一郎さん、沼田早苗さん、吉田昭二さん。この顔ぶれは珍しいのでパチリ~!☆ 会場には、公益社団法人日本写真家協会会長の熊切圭介さん、写真家の川田喜久治さんをはじめ、大勢の写真家、写真関係者が出席していた・・・・。

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「写真集団・上福岡」の4月例会。今期限りで退会する山本恵子さん(右端)と島貫雅子さん(左端)。2人は入会して35年目。長い間、事務局担当として写真集団の活動を支えてきた陰の功労者である。本当に長い間ご苦労様でした。心から感謝しております・・・・。 合掌

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2年ぶりの休会から復帰した田端弘子さん(右から2人目)の歓迎会を兼ねてささやかな会をいつもの焼き鳥「つかさ」で行った。田中栄二会長(左端)の奥様・とみ子さんも参加してくれた。

この旅の食事編の第2回目は、4月4日の威寧の夕食から帰国する4月9日の朝、宿泊していたホテルの窓から雲南省の省都・昆明の街を撮影するまでを紹介する・・・・。

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4月4日の草海の夕暮れは、とりわけ美しかった。僕と烏里君は小舟に乗って湖の真ん中まで行ってみた。湿原があり、野鳥たちの天国だった。日がたっぷりと暮れるまで撮影していたので、夕飯は遅くなった。威寧の旅遊局の王さん(中央)が従妹を連れてきた・・・・。
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4月5日、旅も後半戦に入った。この日は朝から威寧を出発して一路、六盤水市へと向かった。途中、六枝県の長角ミヤオ族の村を取材した。一日の走行距離は360kmだった。地元では著名な写真家であり、市の旅遊局の幹部でもある王さん(左端)が、この3日間僕らと一緒に行動してくれることになった。地元の写真家たちも・・・。
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この地方では、名物の料理。大きな底の浅い鍋に油を張って野菜や肉、豆腐などを焼くというよりも、天ぷらみたいに揚げる感じの料理だった・・・・。ビールに合った料理だ。但し、油が飛び散るので頭からビニールを被らなければいけないのがちと面倒~!!
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僕らの歓迎も兼ねて、王さんの奥さんをはじめ、地元の写真家たち、王さんの友人も来て賑やかな夕食となった・・・・。
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翌6日は、水白県のプイ族の村を訪ね、村長らの厚い昼食のもてなしを受けた。この山深い村で中国に来て初めてキンキンに冷えたビールを飲めたのには感動した~!☆ それも大びん1本で日本円にして約60円。午後から王さんが、六盤水市で一番の秘境であり、まさに桃源郷の村だというミャオ族の格支村へ行くために北盤江を舟で遡った・・・・。

しかし、川の水量が大幅に減っていて水面がなんといつもより50メートル以上も下がっていたため、本来の船着き場には着けず、急斜面の崖をよじ登らなければ行けないことになった。その村に泊まることになっていたので荷物もある。さすがにカメラなどを抱えたままの90歳の中村さんには危ないと判断して、六盤水まで戻ることにした。桃源郷の入り口までたどり着いたのに引き返すのは残念だったが全員の安全を優先しての決断だった。そこでせめてもの、北盤江の美味しい魚を漁師に譲ってもらって料理して食べることになった・・・。それが写真の鍋。大量の新鮮な魚が入った鍋料理だった・・・・。

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4月7日午前中、昨日行けなかった村の代わりにと王さんが案内してくれたのは歪櫛ミヤオ族の村。みな頭に大きな月型の櫛を刺していて、髪を大きく巻いているのが特徴だ。それに民俗画が盛んで村の至る所の壁に描かれていた。僕も女性の画家が描いた絵を一枚購入した。中村さんは2枚買った・・・・。
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近くに美味しい有名な鳥料理の専門店があると村長が案内してくれた。食事中にこの付近の村々を統括している郷の責任者があいさつに来た。まだ30歳そこそこというきれいな女性だった・・・・。
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4月7日の夕食は、9日間ともにしてきた通訳の姚沐君(右端)と運転手の徐虎俊君(左端)との「ご苦労様会」であり、お別れ会となった・・・・。本当にお疲れ様でした。車での全走行距離は約2000kmとなった。明日は六盤水から列車で、雲南省の昆明まで行くことになっているので明日、駅で本当のお別れとなる・・・・。
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スタミナを付けようと重慶火鍋料理を食べた。豚の内臓を中心に頼んだ。酒も貴州省の美味しい白酒(パイカル)を2本空けた・・・・。僕からも1本プレゼントした~!☆ 6人の愉快な”珍道中”の旅であった・・・・。 感謝~!☆ 合掌~!☆
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ホテルの部屋で、昔懐かしい天然の冷蔵庫でビールを冷やして飲んだ・・・・。

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天津から昆明までの気の遠くなるような長距離列車。特等席(軟座)だから寝台の4人部屋になっている。硬座は足の踏み場がないほどの混み様であった。昆明までの所要時間は、6時間半ほどだったが車中、中村さんはカメラを握りっぱなしだった・・・・。僕と今回の旅を同伴してくれた3人の仲間たち。右から眞月美雨ちゃん、中村咲ちゃん、そして烏里烏沙くんでした。 感謝~!☆

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御年90歳にはとても見えない咲おばさまで~す!☆!☆!☆いつも元気を頂いていましたよ。感謝!

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食堂車で昼食。

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ここでもビールで乾杯~!☆ 僕は列車に乗り込んですぐに買ってきたビールと白酒をやっていたのでこの頃はもうほろ酔い気分になっていた・・・・。記念に乗車チケットをもらったので記録しておこう。列車番号K2285 13両車025号下 値段は161.5元(日本円で3230円)。

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雲南に来たら雲南の酒を呑まなければ・・・・。その名も「雲酒」。白酒のだいたいのアルコール度数は52~56度ぐらいと相場は決まっている。

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雲南省はきのこの産地として知られている。この旅最後の夕食は、名物きのこ鍋。約20種類のきのこが入っていた・・・。僕も雲南に来るたびに、昆明のこの店のきのこ鍋を食べることにしている。

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烏里君の育った四川省康定市に暮らす実姉の「義姉妹」が来てくれた。僕も彼女とはこれで3度会っている・・・・。中国では、三国志の劉備、関羽、張飛の三人の「義兄弟」の契りが有名だが、今もこうした「義兄弟」や「義姉妹」の契りを結ぶことが多いという。そういえば烏里君は、僕のことを「日本のお兄ちゃん」とよく呼ぶことがあるが・・・・。
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4月8日、雲南省昆明市の夜。この旅、最後の夜も僕と烏里君と美雨ちゃんの”三バカトリオ”は、屋台の灯を求めて繰り出したのであ~る・・・・。
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4月9日、ホテルの窓から見た朝の昆明市内。この後、11:35昆明発のCA404便で北京に行き、国際線に乗り換えて、CA183便17:10発で羽田へ。到着は21:30だった。

☆全員無事に日本へ帰国できて心から感謝しています。 ありがとう~!☆ 合掌~!☆

3月30日から4月9日の11日間取材に行っていた中国・貴州省と雲南省の旅から無事帰国したという報告をしたままになっていたので、2回に分けて旅の食事編を紹介する。第1回目は、3月30日~4月4日の昼食まで。第2回目は4月4日の夕食から帰国の日の4月9日の朝までを報告する。

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3月30日、貴州省の省都・貴陽市の空港に着いたのは午後10時30分を回っていた。軽い夕食は機内食で済ませていたが、貴陽での夜はこの日だけとホテル近くにあった屋台で遅い晩飯取った。炭火の上にトレーみたいな鍋をのせて鳥肉と内臓を焼いて食べるのだが、珍味であった・・・・。

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3月31日貴州省旅游局の課長の楊さん(右から2人目の女性)、前日空港に出迎えてくれた通訳・ガイドの姚沐君(正面)、運転手らと合流した。長さ50キロ、幅1、2~5,3キロ続く石楠花の原生林の「百里ツツジ(石楠花)」の食堂で昼食を取った。
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またしても写真が縦位置にできなくてすみません・・・・。
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3月31日は大方など巡り七星関に泊まる。走行距離は約300kmだった。この日もまた、ホテル近くの屋台に繰り出して焼き鳥で一杯やった・・・・。中国にはこの手の屋台は全国にあるが、その地方、地方によって具材や味付けが多少は変わる。深夜から朝方までやっているので、若者たちから家族連れまで訪れて賑やかだ。

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七星関区のホテルは、僕が26年間中国を旅して宿泊したなかで、5本指に入る良いホテルだった。とりわけ食事がずば抜けて良かった。そう言うこともあって3月31日、4月1日の2日間の夕食は、めずらしくホテルで取った。何が良かったかというとまず、新鮮な魚介類。その数の多さに驚いた。貝はみな生だった。カニもあり、刺身では、タイ、サーモン、タコ、イカなど、ナマコまでありその場で切って盛り付けてくれた。もちろん巻きずしから握りずしまでそろっていた。

他に各種鍋物、ビールやワインは飲み放題。おかずの種類は30種をこえていた。フルーツやデザートも豊富だった・・・・。 標高2000mを超す山岳地の街で、これほどの鮮度の良い魚介類を出すとは・・・・。 本当に驚いた。お客は外人は僕らだけ、すべて中国の人たちだった・・・・。

 

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4月2日、四川省の境にある大屯イ族の土司荘園を訪ねる。大屯郷の役場で昼飯をご馳走になる。正面の眼鏡の人が副郷長さん。郷は村や鎮より大きな行政機関だ。悪路を120キロ以上走って来たのでみな相当疲れが出た・・・。

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4月2日の夕食。朝から320kmを走ってようやくフーザンに着いた。標高は2070mの街だ。旅游局の幹部と外事部、行政の幹部の人たちが出迎えてくれ、ホテルでの遅い夕食となった。

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右から一番お元気な90歳の写真家・中村咲さん、僕、一番若い眞月美雨さん。

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美雨さんのポートレートを撮る・・・・。

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右から役所の幹部、写真家の烏里烏沙君、通訳の姚君。旅游局の局長さん。ちなみに姚君は大連外語大学の日本語科卒。烏里君の大学の後輩だ・・・。

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4月3日、カセツ市珠市での昼食。貴州大学の民俗学を学ぶ学生たちと合流して昼食を取った。地元の旅游局の責任者が自家製の白酒をポリタンクに入れて持ってきた。美味であった。

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イ族出身の旅遊局担当者(右から3人目)が、イ族の歌を披露したので、日本側から何か返さなければいけないと僕が代表して、故郷・上州の正調「草津節」を唄った・・・・。

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この地方では名物の羊の鍋料理・・・・。
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3月31日~4月3日までの4日間、僕らとともに行動してきた貴州省旅游局の楊さんがここでお別れとなるので、みんなで記念写真を撮った・・・・。
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4日間、ありがとう~!☆「貴州省の魅力をぜひ、日本の人たちに知らせてください・・・」とメッセージを言ったあと僕と記念写真を撮った。別れ間際に彼女は僕と、熱いハグを交わした・・・・。
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4月3日の夕食。威寧にある標高2170mの草海の辺の食堂で遅い夕食を取った。左端は地元の旅游局の担当の王玉媚さん。4日はイ族の民族衣装を纏って僕らを案内してくれた。
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4月4日、イ族の板底村に取材行く。そこでの昼食の折、美雨さんと烏里君の要望によりポートレートを撮ることとなった・・・・。
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「写真家らしく撮って欲しい」と言う烏里君の要望にそって厳しい眼光の写真を撮った・・・・。
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美雨は自然体で・・・・。
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ここでも歌を唄いながら次々と酒を注いでくる・・・・。
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イ族の伝統的な料理をいただく・・・・。器も漆器で模様も美しい・・・・。

 

13日の午後3時過ぎに日向市から特急日輪で宮崎市についた。親しい写真家の芥川仁さんが駅まで迎えに出てくれていた。市内にある彼の事務所に行って美味しい珈琲をご馳走になりながら、とりとめのない話を3時間あまりして別れた。一昨日まで助手を務めてくれた塚原和弘君と雨の中、車で鹿児島へ向かった。市内のホテルへ着いたのは夜10時を回っていた・・・・。

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雨上がりの翌日14日は、朝から雲一つない青空が広がっていた。鹿児島県写真協会有志による写真講座は午後3時からだったので、それまで桜島を撮影することにした。まずは定番の標高107mの城山へ上って、鹿児島市街地と錦江湾と桜島を一望した・・・・。中国からの団体ツアーの観光客が引っ切り無しに来ていた・・・・。

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島津光久が別邸として造らせた名勝・仙巌園にほど近い磯海水浴場からの桜島を撮ろうと行ってみた。外国人の恋人たちが誰もいない浜で泳いでいた。楽しそうな2人をパチパチと撮らせてもらった・・・・。

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★全ての縦位置の写真がどうしても横位置になってしまい、見づらくて申し訳ありません。以前使用していたパソコンのソフトのほとんどが消去されてしまったのです。(写真は13日の夜、宮崎から鹿児島までと、14日の午後2時まで運転と撮影の助手をしてくれた塚原和弘君。感謝~!☆ 熊本の人たちに連帯する気持ちをと思いくまモンの袋を購入した)

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平田屋の前の海岸。
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鹿児島漁港からの桜島。太公望がちょうど釣り上げている光景・・・・。

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名物じゃんぼ餅。一人前10本ある。軟らかい餅にみたらし団子のようなあんかけがかかっている。

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老舗の四代目平田屋で頂いた。一人前500円だった・・・・。

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鹿児島へ行くと必ず食べに行っていた「こむらさき」だったが、1年ぶりのこの店の味は、正直落ちていた。調理人が変わると味が変わるというが、老舗のこの店も代替わりか・・・・。それにしても先代の味をしっかりと引き継いでほしいと思った。しばらくは足は向けないだろう・・・・。

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今年、創立40年を迎える鹿児島県写真協会の熱心なメンバー有志が集まって写真講座を開いた。現在の会長は村上光明君(前列右端)。公益社団団法人日本写真家協会会員、協同組合日本写真家ユニオン会員でもある。僕は彼がまだアマチュアだった頃から知っている親しい間柄だ・・・。(村上光明写真スタジオで)

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夜は参加者の有志の人たちが懇親会を開いてくれた。この後、村上君と今給黎さん(右列一番奥)の3人で二次会へ。昨日も行った奄美の郷土料理の店「群倉」(ぼれくら)で飲んでいた時に、第1回目の震度7を超える地震が発生したのだ。午後9時26分だった。1階の店だったが震度3強あったからけっこう揺れがつづいた・・・・。

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深夜にも何度も携帯電話の地震緊急速報を知らせる信号音が鳴った・・・・。写真は15日。桜島へフェリーで渡って撮影したもの。北岳(標高1117m)の中腹373m、桜島の4合目に位置する湯平展望台から。砂防ダムの真ん中に生コンを輸送している工事用のヘリコプターが写っている。

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琉球と同じ「石敢富」があった石垣のある集落。桜島で。

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自然石で組んだ美しい石垣のある小さな漁港と桜島。

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ガジュマルの木の下に海の神様を祀る小さな祠があった・・・・。背景は桜島。

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堤防で撮影をする村上君と今給黎さん。

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金子兜太句碑が桜島が見える場所に建っていた。「黒い桜島 折れた銃床 海を走り  兜太」と自筆の文字で刻んであった・・・・。

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強制的な避難勧告が出されている有村地区。しかし、いまだ故郷を離れたくないと何世帯かの人々がこの村で暮らしている・・・・。

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二度にわたって桜島の噴火によって大きな土石流の災害を受けた有村地区。この河口から錦江湾へと土石流は流れ出した。かっては役場があり、郵便局があり、学校もあって賑やかな村だったという。

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黒神地区にある埋没鳥居。高さ3メートルあった鳥居が笠木のみ残して火山灰によって埋没している・・・・。

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西日になった桜島港フェリーターミナル。乗る前に桜島の温泉にゆっくりと浸かって旅の疲れを癒したのである・・・・。

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僕が鹿児島最後の夜だから魚が食べたというと村上夫妻と今給黎さんが市内の魚が旨い店に連れて行ってくれた。ありがとう~!☆ 僕が注文したのは刺身はきびなご、首折れサバ、ハマチ、焼き物のは、ぶりのカマ焼きときびなごの塩焼きだった・・・・。どれも美味であった。

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いつも仲の良い村上光明夫妻・・・・。ごちそうさま~!☆

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写真家・今給黎祐三さんと村上夫人とで・・・・。

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鹿児島最後の夜も僕は独りで、旨い黒糖酒と奄美の郷土料理が食べれる「群倉」へ行った。結局は鹿児島に滞在していた夜の3日間は毎日通ったことになる・・・・。女将の市枝さんと喜界島出身のアルバイトの青年。店は今春リュニーアルオープンをしたばかりだ。

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帰京する16日の未明にまたしても震度7.3の大きな地震が熊本地方を襲った。やはり緊急地震速報の警告音は鳴り響いて僕の泊まっていたホテルも揺れた。

午前中は、黎明館で開催

している日本風景写真協会鹿児島支部写真展を見てから、西南戦争で亡くなった西郷隆盛をはじめ6000数百人の戦士が眠る墓地を参拝した・・・。幾多の若く優秀な青年たちの無念さを感じながら墓碑銘を見て巡った・・・。   合掌

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鹿児島最後の食事の締めは、やはり「鹿児島ラーメン」で行きたかったので、村上君推薦の店に行った。以前に僕も行ったことがある有名なラーメン店で修業した若者たちが開いた店だという。う~ん75点ぐらいかな・・・・。前出のラーメンよりも旨かったのは間違いない~!!

村上君が空港行きのバスターミナルへ送ってくれていた時にまた、緊急地震速報が鳴った。慌ててみると地震の発生場所が日向灘となっていたので驚いた。つい3日前まで宮崎県の日向にいて実際に日向灘を撮影していたからだ・・・・。余震が続く中、熊本に取材に行きたいというジャーナリストの魂がうずくなか、後ろ髪が引かれる思いで鹿児島の地を後にしたのであった・・・・。

中国貴州省、雲南省から帰国した翌日の11日から宮崎県日向市に向かった。第37回日向市美術展覧会の審査のためだ。もう一つは、日向市写真協会がフォトセミナーを開きたいと言うので、審査を終えた翌日に講師をすることになっていた・・・・。

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11日の夕飯は、30年ぶりに再会した日向市社会教育委員で日向市文化連盟事務局長の土工冨志夫さん(下の写真左)が安くて旨い魚が食える店に連れて行ってくれた。このボリュームで、一人前1000円だった。
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宮崎空港まで迎えに来て日向市まで送ってくれた宮崎市在住の塚原和弘君(右)。かって一緒にヒマラヤにも行っている。ありがとう~!感謝です~!☆
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翌日12日の朝から土工さんの案内で、岩場が続く海岸線の日向灘に撮影に行った。海岸べりにある鹿島神社の鳥居。
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きれいな丸い石が海岸には沢山あった。誰かが神社に奉納したのだろう。僕もひとつヒマラヤのアンモナイトの化石が入っている黒い石に似ている丸石を拾ってきた・・・・。
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土工さんと塚原君・・・・。
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次にっ向かったのは、歌人の若山牧水の生まれ育った場所。まだその家は保存されている。日向市東郷町坪谷。
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僕は4度目の訪問だったが、ここの光景は普遍的な日本の故郷のイメージをいつも感じる。前を流れる耳川の清流と牧水か幾度も詠んでいる尾鈴山は僕の好きな風景だ。牧水は僕の故郷である上州の吾妻路を何度も訪れているが、親しい友人に「この風景が日向の国に似ているからだ・・・」と語っている。写真は、生家の台所の窓。
ふるさとの尾鈴のやまのかなしさよ秋もかすみのたなびきてをり  若山牧水

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再会を喜んで記念写真を撮った・・・・。若山牧水記念文学館で。
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日向市市長、教育長らと昼食を取ったあと各部門の審査に入った。特選などの各賞が決定してそれぞれの作品評を書いた。午後4時からは一般参加者による作品講評会。約50人ほどが参加して熱心に聞いていた・・・・。
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僕の著書もみなさんに買っていただいた。ありがとうございました・・・・。 合掌
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夜は日向市写真協会のメンバーと懇親会。僕の左は会長の稲田義美さん。翌日13日午前中から開かれたフォトセミナーには延岡市など近隣からも参加者があり、30数名の参加で盛況だった。日向のみなさん本当にありがとうございました・・・・。 合掌

 

 

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今回の取材は、僕とJPS会員の烏里烏沙君、御年90歳の写真家・中村咲さん(僕の右隣り)、JPU会員で「風」メンバーの眞月美雨さんの4人で行った。貴州省六盤水市六枝県サガ村の長角苗族(ミヤオ族)。彼女らは世界で約4、600人しかいない民族だ。

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貴州省ヒガ市大方県白族(ペー族)の馬白村で。

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着いた翌日の3月31日に、地元貴州省のテレビメディアに取材される・・・・。その他、取材中に地元のマスコミ、旅遊局の幹部などにも何度かインタビューを受けた。左端は通訳の姚沐君。

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貴州省鳳山郷のイ族・水西村で女性たちに熱烈なお酒の歓待を受けた。 強引なアルコール度数の高い地酒の振る舞いにはうれしい反面、相当きつい部分もあった・・・・。

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貴州省大屯郷イ族の旧王様の住居跡で。四川省との省境にある・・・・。地元の17歳の高校生たちが来ていた。

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