写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2022年10月アーカイブ

 

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10月25日の句会は、2か月ぶりの体面によるリアル句会であった。講師である中原道夫さんが出席しない句会は、コロナ禍の時通りオンライン句会でおこない、講師が参加するときには、以前の通り新橋で句会をするとことに、この夏からなった。参加者は投句のみの人とも含めて13人だった。

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俳人・「銀化」主宰の中原道夫さん。「一滴」句会の講師を頼んでからもう10年ほどになる。投句を一つ一つ絶妙な語り口で講評していく。この日の朝、新潟から来たと言う。超忙しい俳人である。

<小松風写 句>

ウクライナ戦地の釣瓶落としかな (入選・2点)  うそ寒やユーミンの曲つけしまま (3点)      メルカリや歓喜不平の虫の音  (2点)

◆相変わらずの駄句ぞろいでお恥ずかしい限りではあるが、一応記録として記しておく。

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突出し

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この料理は、僕らが頼んだのではありませんので・・・。隣の席の人たち、ちょと撮らしてもらったのである。ごめんなさい~!

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会場近くのよく行く小料理屋で、希望者8人が参加して懇親会をした。記念写真を撮る前に元アサヒカメラ編集長の岩田溢平さんが用事で帰った。右から会代表の板見耕人さん、4人目が中原道夫さん、僕の隣がこの日入会した大村社会さん。以前、僕が同人をしていた「獐」の会員だった。

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一次会が終わったあと、中原先生と3人でもう一軒ということで駅前のバーに入った。最寄り駅に着いたらまだ9時過ぎだったので、いつもの鮨屋で軽くつまんで帰宅した。この日は珍しく三軒のハシゴ酒だった。家に帰ってから寝酒をしたのは言うまでもない・・・。

 

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通りに面してある大西みつぐ写真展の案内。

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丸の内の一等地にあるエプソンのギャラリーではあるが、土曜日ということもあって入場者はほとんどなかった。30分程いたが2人だけだった。広くて素晴らしいギャラリーなのにもったいないと思った。残念ながら作者の大西みつぐさんとも会えなかった。先日の銀座での僕の個展に来てもらったお礼を言いたかったのだが・・・。

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こちらは丸の内の新東京ビル1Fにある「アートスペース丸の内」の関口照生写真展の第2会場。大西さんの写真展会場は隣の新国際ビル。どちらも東京の一等地の場所である。

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でも僕がいる間は、残念ながら一人のお客もなかった。久しぶりに関口さんとお会いしご挨拶ともとも思っていたが叶わなあった・・・。

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険し岩肌にへばりつくようにあるブータンんの仏教寺院。

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最後に渋谷敦志君がこの8月に約3週間ポーランド経由で入ったと言うウクライナの現地を撮って来たいまのウクライナ報告写真展を見にいった。ここには作者がいてホッとした。

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昨年、第4回笹本恒子写真賞を受賞した新進気鋭のフォトジャーナリストである。まだ、40代後半だというが、お子さんが高校入学前を先頭に3人いて、子育てにが大変だとこぼしていた。今回の取材でも発表できる媒体が少なくて苦労したという。僕も先輩としてその苦労は実感として理解でき共感もできるが、現在の日本のジャーナリズムの現状がどうしょうもない状態になってしまっているのが最大の要因ではある・・・。

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せいろに、蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを一杯~!♡☆ 下は鳥皮ポン酢、いぶりがっことクリームチーズ、舞茸と春菊の天麩羅、しめて1200円なり。

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秋の日はつるべ落としという如く、まだ5時過ぎなのに一気に暮れて来る。もう2~3カ所写真展を巡ろうと思ったが八重洲から銀座まで歩いて地下鉄で真っ直ぐに帰って来た。都内で呑むと疲れる。眠たくてしょうがなくなる。そこで近年は家の近くで呑む機会がめっぽう増えた。以前ならば考えられなかったことだ。家の周りではずーと昔から一軒の呑屋しか寄らなかったのだ。ところがいまでは、蕎麦屋、鮨屋、焼き鳥屋、居酒屋、韓国料理店、中華料理店などざーつと7店舗に酒のボトルをキープしている。どこも歩いて3~4分足らずのとこ。歳をとった証であるかもしれない・・・。

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この店は、先ほどの蕎麦屋から3分程にある焼き鳥がメインの居酒屋。備長炭で丁寧に焼いている。

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今週のおすすめメニューはハタハタの焼き物。卵は抱いていないが実は、魚の身はこちらの方が脂がのっていてうまい。卵があるとそちらに旨味や栄養分が吸収されてしまうからである。

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僕はここへ行くとおつまみとして必ず頼む、漁師の焼きおにぎり。しっかりと焼いてもらう。

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手羽先とつくね。

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この店でのキープボトルはずーと一升瓶で薩摩の芋焼酎「黒丸」。蔵元は濱田酒造だ。土門拳先生の弟子として知られる写真家・藤森武さんも一緒に呑みに来たことがある。

 

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昨年に続き、今年もわが家の金木犀は二度咲である。窓を開けるとベランダから甘い香りが部屋中を満たす。以前に畑の向こうの通りから部屋の中を隠すために植えた金木犀6本と山茶花5本、それに金柑の木。年が経つに連れて前の畑がつぶされて、家が6棟建った。突然、光を遮られた植物たちはいっせいに太陽の光を求めて上へ上へと伸び、いまや2階のベランダを遥かに超えて屋根に届く勢いとなった・・・。僕が寝ている2階のベランダからの光景。

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旧オリンパスギャラリーで10月13日から開かれている野町さんの写真展会場。10月15日はスペシャルゲストとして「風の旅人」編集長の佐伯剛さんを迎えての作品解説があった。また野町さんの誕生日だということもあってか会場はひっきりなしの人で賑わっていた。

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しばらく野町さんと話をしていると、JPS理事の熊切大輔君が来たのでJPS会長の野町さんを囲んで記念写真を撮った。

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ついで、奥さんである写真家・榎並悦子さん(正面)と写真家の若山美音子さんも入ってパチリ~!!

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ストラップなどを開発して販売している(株)Sakura sling projectno 社長・杉山さくらさんと野町さん。少し照れくさそうだった。

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刑務所に服役中の女因たちと野町さん。野町さんによればこの女性たちの3人に1人は殺人罪で服役中の人たちだと言う。極寒のシベリアの刑務所とは思えない大らかな笑いがある・・・。僕も1991年2月、ソビエト連邦崩壊前夜のシベリアの最奥地・マイナス60度の世界に約1か月間取材でいたことがあった。

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かれこれ40数年かよっている店を久しぶりに覗いてみた。数年ぶりだった。親父は80歳をゆうに超えて店には出なくなったが、元気だと言う。倅は近くの店を買って改修し二号店を出したという。この店は狭いが日本酒はもちろんの事、芋・麦焼酎、泡盛り、黒糖酒など、他では飲めないものを常備してあるのがうれしい。

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昔は焼酎コップで一杯180円だった。その時代と比べるとやや高くはなっているがまあ、許せる範囲の値段だった。奄美の黒糖酒の「長雲」と「龍宮」をロックでいただいた。龍宮はたまに置いてある呑み屋はあるが、長雲にはあまり巡りあえない。大島でもマイナーな酒である。泡盛にしても芋・麦焼酎、蕎麦焼酎にしても憎い銘柄を押さえている・・・。

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焼きとん。アブラとカシラを注文した。

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北海道産の白子もつついた。

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驚いたことにションベン横丁は道幅があるので、店の前に椅子やテーブルを並べて商売をしていたことだ。以前は右側の山手線側でみな用を足していたものだ。だからこの横丁の名前が付いたのだが、こういう状態になってしまってはもう用は足せませんよ・・・。

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「鳥園」は、この界隈では老舗の焼き鳥屋だ。僕は30代の頃、この店に入り浸っていた。2階の一角に専用の席が用意されていたぐらいだ。何故かというとこの店の親戚の兄妹が台湾から留学に日本に来ていた。兄の方は写真を勉強していて日大芸術学部をめざしていた。1年近く僕が個人的に指導していたのだ。運よく一発で合格した。妹は希望していた文化服装学院に入学できた。そんなことがあったので僕の写真展のオープニングパーティなどには必ず、焼き鳥を100本以上届けてくれたものだった。林君と言ったその青年は卒業して国に帰り、台湾では知られた編集者になったという。結婚式にも招待されたが当時の僕には出席出来なかった・・・。いまはどうしているだろうか~?!

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新しく「きくや」に改装オープンしたこの地下に入る店は、以前はしゃれたバーだった。きちんとアイロンがかかったワイシャツに蝶ネクタイをした老人2人がバーテンをしていた。僕は角かホワイトのボトルをキープしていて、3軒ばかりハシゴした仕上げにここで軽くあおって帰路につくというのが当時のパターンだった。  僕があしげく通っていた当時の界隈の店は、まだ何軒か残っているが、多くは様相が変わってしまっている。それでもまだ7軒は残っている。昔と違い、そう何軒もハシゴはできないが、近くに行けば今でも1~2軒は顔を出している。

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最寄り駅の前に最近、出店をはじめたキッチンカーtotoがある。よく行く居酒屋の前にあるホテルの一角なのでたまに寄る。手頃な値段のピザとボリュームたっぷりジェラートが売りだ。この日はお奨めのシラスとチーズピザを頼んだ。家に戻ってから肴にして寝酒に一杯呑んだのである・・・。

 

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神戸市元町南京街の夜。隣の長田区の山陽電機鉄道本社ビル前には椎名麟三の文学碑がある。椎名はかって山陽電鉄に勤めていた。その時の体験が代表作『美しい女』を生んでいる。碑文には「考えてみれば人間の自由が僕の一生の課題であるらしい」と刻まれている。

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神戸を代表する風景のひとつ日本三大中華街(南京街)

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神戸港

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神戸港・メリケンパーク。阪神淡路大震災の遺構として一部が遺してある。

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黄昏る播州平野・姫路市街。山陽新幹線が走り抜ける

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民族学者の柳田國男は兵庫県神崎郡福崎町西田原に1875(明治8)年に生まれる。柳田が「私の家は日本一小さい」と言った生家。県指定重要文化財として1972(昭和47)年に指定されて西田原に現存している。

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家は間口5間、奥行き4間。土間、3畳間と4畳半の座敷、4畳半の納戸、3畳の台所という「田の字型」民家。日本民家の原初形態、江戸期の農家の代表的な形態である。

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河童の河太郎と河次郎の物語が語り継がれている柳田國男の生家前の池。

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柳田國男と松岡家記念館。松岡家の5兄弟を顕彰した記念館の一室。6男の柳田をはじめ、それぞれの兄弟が各分野で活躍し英才であった。

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『古寺巡礼』や『風土』などの著書で知られる哲学者・和辻哲郎は1989(明治22)年に兵庫県神崎郡砥堀村仁豊野の医家の次男として生まれた。幼少期の頃、和辻が村の子どもたちとよく遊んだ市川の流れ。左側の山は甲山。

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作家の椎名麟三は、兵庫県飾磨郡曾左村之内書写村に1911(大正元)年に生まれた。現在の姫路市書写東坂。西国三十三霊場の第二十七番札所・園教寺が山腹にある書写山の山麓の村であった。園教寺の摩尼殿へ向かう塀。

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樹齢約700年の巨大杉。樹高35m、幹回り8.4mほどある御神木と参道。

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室町時代に創建された食堂(じきどう)。現在は1階は写経道場となっている。国指定重要文化財。

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室町中期に創建された大講堂。園教寺の本堂にあたる。本尊の釈迦三尊像が安置されている。国指定重要文化財。

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庭の左側に常行堂があり、三つの堂がコの字型になっている。それぞれが国指定重要文化財である。

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大講堂の正面。この地はトムクルーズが主演した映画「ラストサムライ」や「関ケ原」、大河ドラマ「軍司官兵衛」などをはじめ多くの映画・ドラマのロケ地となっている場所でもある。

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うっそうとした樹木に覆われる参道。

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崖側の参道からの眺め。

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岩山の中腹に建つ舞台造りの摩尼殿から。京都の清水寺と同じ造りだ。国指定重要文化財。

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書写山園教寺の境内にある椎名麟三文学碑。この地に生まれ、深く故郷を愛したことによるもの。書は親交のあった岡本太郎による。

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書写山から山麓の書写東坂方面を望む。

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