写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2025年2月アーカイブ

 

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2月20日、午後5時から銀座の吉井画廊で打ち合わせをした。集まったのは、僕に鈴木一雄さん(右端)、林義勝さん(右から2人目)、僕、山岸伸さんの同世代の写真家4人。それに画廊代表の吉井篤志さんだった。今年行う予定の写真展などについて話し合った。近く公表できるぐらいに具体的になった。お楽しみに・・・。

この日は午前中から国立埼玉病院へ行き、大腸がんの再検診を受け、腎臓がんの2回目の定期検査の結果が伝えられた。腎臓がんの方は異常が認められなかったが、大腸がんの内視鏡検査を3月中旬に行うことになった。正直、疲れ果ててようやく銀座まで辿り着いたのだった。

写真は打ち合わせ終了後、旧ビルの頃はよく通っていたニュートウキョウのビヤホールに夕食を兼ねて出かけた。写真談議に花が咲き、酒も杯を重ねると不思議に元気が出て来た。これからのお互いの活動と健康を誓って記念写真を撮った。ユニークな面々だね、とお互いに笑いあった・・・

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鈴木さん、林さんが乾杯~!♡☆ 昨年の暮れ以来の再会だった。会が終わったのは9時を回っていた。鈴木さんと一緒に帰ったが途中別れたあと、寝てしまい下車駅を通過してしまった。十数年ぶりの事だった。

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持病もちの僕と山岸さんで乾杯~!♡☆ 山岸さんとは古くからの知り合いだが、個人的に呑んだことは昨年までは皆無だった。この日で3回目である。 最初に彼と出会ったのは、銀座のコダックフォトサロンで、コダクロームフイルムを使用した作品で、秋山庄太郎さん、藤井秀樹さんたちと写真展をした時だった。この時の出品者に山岸さんがいたのである。

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2月19日、「写真集団・上福岡」の例会がふじみ野市西公民館で行われた。この日は3月5日~9日まで富士見市民会館で開催される第42回「写真集団・上福岡」写真展の展示構成などが行われた。会員10名、名誉会員1名の11人が出品して、120余点を超える大規模の展覧会となる。顧問の僕も出品する。ぜひ、写真仲間を誘ってお出かけください。見ごたえのある展覧会ですよ~!♡

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3月15日、浅草橋にある写真弘社本社へプリント引き伸ばしチェックのために行った。山本惠子さんの「白川郷」と中村咲さんの「さくら・さくら」の作品16点を担当の山口修二さん(左)と1点1点、確認作業をした。

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42回目となる写真展の成功の前祝いとして例会終了後、近くの居酒屋で有志で乾杯をした。昨年入会した5人の存在は大きいものがある。創作でもがんばっていて頼もしい限りだ。 右端は竹川義之会長。左2人目はいつの間にか古株になってしまった山口さん(86歳)。今展もモノクロ作品16点、現像、引き伸ばしからパネル張りまで全て自身で行っている。他の人は昨年入会の新会員。

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2月22日、この冬一番の寒波が襲来し、都内にも寒風が吹き荒れていた。そんな日に十数年ぶりとなる産経新聞元記者の旧友である萩原正人さんとその後輩である清藤拡文さんと呑んだ。萩原さんは81歳だし、僕は病気持ちということで夜遅くなりたくないと午後3時に新宿西口に集まった。行った先は20年前は、ほぼ毎晩終電まで呑んだくれていた言わずと知れた「新宿ゴキブリ横丁&ショウベン横丁」だ。昼間から飲んだくれ、屯しているのは異邦人ばかり。僕が出没していた当時とは様変わりしていた。

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あの喧噪さの中で呑み、話すのは嫌なので、比較的静かな店に行った。この店は当時、着物に白い割烹着を着た女将さんがいて、この界隈では隠れ家的な異邦人やジャリたれが入店してこない店だった。僕も時々使っていたが内装や入口周りは改装していたけども当時の面影は残していた。女将は10年程前に亡くなった言う。

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まずは乾杯~!! 清藤さんとは昨年3度ほど一緒に呑む機会があったが、萩原さんとは本当に呑むのは10数年ぶりだった。しかし、昔とちっとも変わらない吞みっぷり。81歳とは思えない若々しさだった。何度かお会いした奥さまもお元気だと言う。

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この店は全国の銘酒を多数そろえているが肴も旨い。特に鮮魚は豊洲からの直送なので活きがいい。

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20歳ほど離れている先輩後輩なので、産経で同じ釜の飯を食った時代は短いらしい。しかしひょんなことからこうして今でも付き合っているという。清藤さんは現在、新聞、通信、放送(NHK)35社が加盟する東京写真記者協会の事務局長を務めている。忙しい人なのだ。

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この店も馴染みの焼き鳥屋。先代は隠居していまは倅が二代目を継いでいる。萩原さんも通った店で山手線の電車が見えるこの席が好きだと言う。この店は奄美大島の黒糖酒、沖縄の泡盛の珍しい酒を置いてあるのがいい。この日は黒糖酒の「長雲」、泡盛りは「春雨」のロックを頂いた。

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スマホでの支払いの法方をお見せの人に訪ねている。

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「新宿ゴキブリ横丁」の雑踏に萩さんと佇む。後ろの「うなぎのカブト」もよく通った店だ。
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知らないが美しいと思ったので撮らせてもらった。画像を見せたら「ビュティフル~」と微笑みながら言った。ありがとうね。

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左の若いカメラマン風の男が彼女をバチバチと撮っていたので、僕にも撮らせてと割り込んで行って3カットだけ撮らせてもらった。 (写真で僕が写っているカットのほとんどは清藤さんの撮影)

 

 

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最終日となる2月12日、何とかやり繰りをして中村梧郎写真展へ行った。久しぶりの個展である。

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彼が一貫したテーマとしてきたベトナム戦争時、米軍が散布し続けた枯葉剤と人間がテーマである。

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最終日の終了30分前なのに会場は混雑していた。会場担当者によれば、連日もの凄い人出だったという。「さすがに今日は少ないようです」と笑った。

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中村梧郎夫妻。30年ぶりくらいだと思うが、奥さまが直ぐにあいさつに見えた。もう40年近く経つと思うが梧郎さんのお宅へ行ったことが何度かあり、づいぶんとお世話何なった。それを覚えてくれていたのだ。山形放送の美人OLだった奥様に一目ぼれした梧郎さんが、足蹴く通って交際に至ったという自慢話を本人から聞いた記憶がある。僕が記念にと言うと「まあ~うれしい、小松さんに撮ってもらえるなんて・・・」と言って僕の前に二人で立ったのである。

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中村さんは、経済産業省認可法人の協同組合日本写真家ユニオンの設立発起人の一人である。当時、専務理事だった僕と些細な行き違いがあって以来、20年近く会うこともなく、話をする機会もなかった。いま考えれば「アホ」みたいなことだった。この日、無理をしても行って良かったとつくづく思った。じっくりと話したわけでもないのに、お互いに全くわだかまりがなかったのだ。逢った瞬間に、20年の歳月は何だったのかと思うほど以前と同じに自然に対話ができた。お互いに昔のことは忘れてしまっていたかのように・・・。

中村梧郎さんとは、たくさんの想い出があるが、何と言っても忘れられないのは写真の勉強会のことだ。1970年代前半に梧郎さんが勤めていた通信社が有楽町にあった。そこをたまり場にして、月1回~2回、通信社や新聞社の若手写真部記者を中心に集い写真について研究会をしていたのだ。ナショナル電気の広報室からも参加していた。年長だった梧郎さんがリーダー役になっていった。各自の作品を持ち寄ったり、内外の名作について研究したりした。今の僕があるのもこの勉強会は一つの礎だったと思っている。

中村梧郎さんをはじめ、今活躍している写真家・森住卓さん、写真家・藤田庄一さんをはじめ、尾辻弥寿雄さん、関次男さん、若橋一三さん、小倉隆人さん、故・小島定吉さんらも来ていた。みな日本写真家協会会員として活躍していたメンバーだ。時々、評論家の伊藤逸平先生らも招いていた。会が終わると安酒やつまみを買ってきて激論を交わした。時には有楽町から上野まで肩を組んで気勢をあげながら歩いていったこともあった。みな20代~30代の青春真っ只中の若者であった。

持っている写真は、梧郎さんが40代前半の頃、日本リアリズム写真集団が発行している雑誌「写真リアリズム」で、写真家・英伸三さんと対談した時に僕が撮影したもの。梧郎さんは「ずいぶんと若い頃もあったのだな~」と笑い、奥さまは「今の方がよほど素敵~!♡」と周りを笑いの渦に巻き込んでいた。
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日を変えて、昨年手術した腎臓がんの定期CT検査などが済んだあと、どうしても行かなければと思っていた佐伯剛さんの写真展会場のある新宿へ行った。

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このカメラで全ての展示作品の「針穴写真」を撮影したと言う。

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作品集も自分で制作している。信じられない価格で仕上がっている。上は新刊の『日本の古層VOI.5/かんながらの道』。左は昨年刊行した『VOI.4 始原のコスモロジー』。定価は各2、000円

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50号を世に送り出して廃刊した幻の名雑誌「風の旅人」編集長だった佐伯さん。編集者だったが、いつの間にか写真家にも。僕も「風の旅人」前期の頃に、2度大きな特集を組んでもらった。一つはヒマラヤの写真群だった。20数頁だった。もう一回は東京を舞台にした「都会の安息」シリーズ。こちらはモノクロ10数頁だった気がする。写真家の水越武さんの紹介で、紀尾井町のホテルニューオオタニ下の清水谷公園前にあった事務所を何度か写真を抱えて訪ねたことを想い出す。当時は威厳を感じて、僕よりもはるかに年上だと思っていた・・・。 いまは爽やか笑顔を見せている。

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神仏へのみちを感じさせる独特な雰囲気を醸し出している会場には、ひっきりなしの入場者が訪れていた。 ところで佐伯さん、初個展おめでとうございます~!♡☆ 合掌

 

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第36回展の応募作品を呼びかけるポスター。福岡展が「未定」となっているが例年通り、開催の方向で進めているが会場、日時がまだ決まっていない。 ◆応募作品の呼びかけを友人、知人、写真仲間など多くのみなさんによろしくお願いします。

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応募作品を呼びかける第36回展のチラシ。(ポスター・チラシ デザイン:塩崎 亨)

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◆今年度審査員は、藤森邦晃(「フォトコン」編集長)、塩崎亨(写真家・東京写真学園講師)、小松健一(写真家・社団法人 日本写真家協会会員)が務める。 ◆横浜展、神戸展、博多展(未定)において恒例の作品解説「海の写真道場」を小松健一が今年も行います。

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2月7日、生前、親しくさせていただいた女性ジャナ―リストの先駆けだった吉田ルイ子さん。その追悼写真展があると知り、銀座へ出かけた。時空を超えるまっすぐな眼で捉えたフォトルポルタージュ。オリジナルプリントから制作したモノクロームプリントは美しかった。僕と自身を「W健一」とジョークを込めて呼ぶ、新藤健一さんと。

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左から新藤健一さん(ジャナ―リスト・元共同通信編集委員)、僕、そして城島徹さん(ジャナ―リスト・元毎日新聞編集委員)。新藤さんとはバッタリ会場で会った。彼とは40年間「反核・写真運動」をともにして来たいわば同志である。原爆投下80年となる今年、被団協のノーベル平和賞受賞とも会わせて、東京・沖縄などで「広島・長崎原爆写真展」を開催するので何かと互いに忙しい。城島さんは、吉田るり子追悼展の実行委員をしている。
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以前に写真雑誌「フォトコン」の企画で、僕の手相を見てもらったことがある。その時の手相師がこの写真展の作者の鈴木サトルさんだ。左端の島尻るいこさんはその時に助手をしていた。その二人が今や飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の写真界を席巻している。鈴木さんは今回の個展をはじめ、写真集など3冊の著作を刊行している。島尻さんは2024年度の「フォトコン」(自由作品の部・上中級コース)の年度賞のグランプリに輝いていた。あ~たまげた!!。 僕がいる時に、公益社団法人日本写真家協会の熊切大輔会長(右端)が顔を出した。鈴木さんはJPSの会員ではないのに会長自ら会場に足を運ぶとは凄いこと。ちなみに会長は僕の写真展には来てくれたことは一度もないさ~。
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最寄り駅のいつもの居酒屋で、写真家の眞月美雨さんと夕飯を食べた。この店には今年になって初めての顔出しだった。彼女は仕事帰り、僕は久しぶりの銀座歩きで、お腹が空いていたので、2人ともしばらくは無言で食べまくった・・・
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今日の銀座写真展巡りは、珍しく足が軽かった。しかし、当初予定をしていた四谷ポートレートギャラリーの中村悟郎写真展「人間と枯葉剤」、新宿 OM SYSTEM PLAZAで開催している佐伯剛写真展「かんながらの道」を見るのは諦めた。2人とも古い知り合いなので会期中には何とか足を運びたいと思っている。この冬一番の寒波が来ている夜、軽く一杯やって家路についたのである・・・

 

 

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2月4日、朝霞市産業文化センターにおいて、写真研究塾「風」の2024年度最後の例会が開かれた。岡山・早島の高田同人、埼玉・毛呂山の中村同人、千葉・銚子の水谷会員は用事等で参加できなかった。しかし、沖縄在住の出口会員、長野・遠山郷の橋都同人をはじめ並木同人、眞月同人、そして久しぶりに塩崎事務局長も参加した。ゲストとして「写真集団・上福岡」の事務局長・一瀬邦子さんが作品を持って参加した。(並んでいるのは一瀬さんの作品。右端が一瀬さん)

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並木さんは、3月に地元青梅で作品展をするのでそのセレクトを。橋都さんは、信州・伊那地方に伝承する祭りを追いかけてきた写真を今後どう発展させるか。塩崎事務局長は、東京浅草を全く新しい感性と感覚でどう捉えていくのか、そしてどうまとめていくかを考察。眞月同人は前回持ってきた長年撮影を続けている「マスク・シリーズ」をさらに撮影し、まとめて発表するかを検討した。8月~9月に新宿・アイデムフォトギャラリーシリウスで個展が決まっている出口君は、さらに納得の行く作品に仕上げるために7月まで取材を続けると決意を固めている。

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僕も前回の「都会の安息ー1972~1980年代」300点に続き、1989年に取材した「遙かなるチリ」を300点余持っていって見てもらった。年内にまとめて刊行する予定だ。写真展も開催を計画している。作品はみなビンテージプリントだ。会終了後、いつもの居酒屋で懇親会。

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この店は朝霞台と北朝霞駅の前にある居酒屋だが、店主が沖縄の人、うちなんちゅである。泡盛の揃えも多いが、沖縄・琉球料理も多い。沖縄モズクのてんぷら。

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鶏一羽を半分にして丸焼きしたもの。これが旨い。キンキンに冷やしたオリオン生ビールに合う。

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刺し身は豊洲直送なので新鮮だ。青い鱗のようなものが付いているのは、毎日、那覇の真喜志公設市場から輸送されてくるエラブッチャー(ブダイの一種)。この魚はサンゴをかじっているのでシコシコと腰があって美味い。店主がいつも自慢している。右端は島らっきょの浅漬け。

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本格的な専門琉球料理店ではないこの店、やきとりからラーメン、握り寿司まである居酒屋だが、なぜか沖縄料理がメニューにずらりとあるからうれしい。泡盛の種類も豊富だ。僕らはボトルで宮古島の菊の露を呑んでいる。全員沖縄大好きなので、この店は盛り上がる。いつも3時間は語っている。

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牡蠣ネギ鍋と鳥レバのネギ合わせ。倅が広島・江田島の大きな牡蠣を送って来てくれた。

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牡蠣鍋は2日間食べて飽きたので、残りは牡蠣飯にした。ご飯は筍、人参、わかめを入れている。出汁は牡蠣汁を中心に鰹、昆布、飛魚(あご)出汁を使っている。

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牡蠣を食い尽くした翌日、今度は娘からタラバガニが。茹でカニとしゃぶしゃぶ風に鍋汁に付けて食べた。

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タラバカニの足。太くて食べ応えがある。 IMG_2582.jpg

北海道・別海町のイクラも娘から送って来た。考えてみれば娘とは十数年会っていない。その間に結婚をして、娘も生まれたというが、その夫にも娘にもまだ逢っていない。たまに電話やメールは来る。それで良いと思っている・・・。  合掌

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