写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2014年3月アーカイブ

 

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3月29日午後1時から都内で写真研究会「風」の2013年度最後の例会がおこなわれた。参加者は僕をふくめて5人と少なかったが、内容は濃いものであった。2014年度から新たに研究員となることが決定した鹿児島の北山毅君の作品を見るメンバー。 名古屋の知花さんも入会予定だ。
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名古屋から通っている平元盛親同人の作品。1月の合宿以降に撮影したもの。冬の間、虫たちは見えないが蠢いているイメージの風景を描き出している力作である。鈴木渉同人は、毎月2回以上のペースで、福島へ通い続けて取材をしている。3.11の東日本大震災以後、力強く立ち上がる東北の民衆に的を当てた作品となっている。
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並木すみ江同人は昨年春に亡くなった夫を中心とした現代の家族のあり方を問う意欲作のまとめに入っている。写真展と作品集を来年の三周忌には発表したいとがんばっている。鈴木紀夫事務局長は、いままで取り組んできたネパール・ヒマラヤ、中国・チベット、日本全国を各駅停車で旅した3シリーズをまとめたいと決意を固めている・・・・・・・・。
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いつも例会をしている会館の庭で撮影。 2014年度で創立6周年目にはいる研究会「風」も、さらなる飛躍をめざさなければならないと決意を新たにした。会終了後、花見と僕の眼の回復祝いを兼ねて5人でささやかな宴をした。みな新年度に向けてがんばろうと乾杯をした・・・・・・・・。
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今回はじめてペンタックスK-3というカメラを使って撮影してみた。今日のブログに使用した写真は全てこのカメラで撮ったものだ。小型で軽量化されていてこのカメラの売りである「究極のフィールドカメラ」がまさに言い当てていると思った。 僕の仕事部屋にある卓袱台の写真(下)が最初のシャツター切った1枚目である・・・・・・。(写真はRICOHのパンフレットより)
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いつもながら散らかっている・・・・・・・。
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つい先日、2月14日は雪で覆われていた写真を撮影した近所の農家への道は、いまは梅は満開で櫻が咲き始めるという信じられない光景となっていた・・・・・・。(3月29日:撮影)
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この写真も雪の写真(2月15日付けの僕のブログ)と比較してください・・・・・・・・。
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この櫻は、東京都世田谷区内の小さな公園で撮影したもの(3月29日)。
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この櫻も同じ場所での撮影。毎回、「風」の例会をしている会館の前にある公園。まだ2部咲き程か・・・。
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その公園にある佐藤助雄氏のブロンズの彫刻像。

 

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台湾での東日本大震災写真展実行委員会(委員長:新藤健一)の主催で、来る4月10日から17日まで台北の日台交流協会事務所にあるギャラリーにおいて写真展が開催されることが決まった。同展はその後、台南市、高雄市などでも巡回展が予定されている。
この写真展は、地元、岩手日報、華北新報、福島民友をはじめ、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信、時事通信など日本新聞協会に加盟している13の新聞社、通信社とフリー写真家、フォトジャナーリスト30人が撮影した写真を ①津波被害 ②復興と原発災害 ③3.11以後を生きる のテーマに分けた約70点が展示される予定だ。
出品する写真家たちは、田沼武能、江成常夫、熊切圭介、野町和嘉、桑原史成、細江英公、石川文洋、桃井和馬、石川梵、森住卓、新藤健一、小松健一など30人だ。  同展のカタログも日本語、中国語で作成中。 協力として、日本新聞博物館、東京写真記者協会などが名を連ねている。

上記の写真は、僕の出品作品   「岩手県宮古市 浄土ヶ浜」  以下のような解説文を付記した。
三陸海岸を代表する景勝地で、国の名勝にも指定されている浄土ヶ浜には、岩手県が生んだ詩人・宮澤賢治も訪れている。賢治が生まれた1896年には、不幸にも死者・行方不明者21,959人という明治三陸沖大地震が起きている。
また、賢治が亡くなった1933年には、死者・行方不明者4,586人、負傷者12,053人という昭和の大地震が発生した・・・・・・・。  賢治の「イーハトーブ」の思想は、東北地方のこうした厳しい現実から生まれている。
「さながら極楽浄土のごとし」と言われているこの地を賢治は愛した。浄土ヶ浜で夜を明かしながら賢治は多くの歌を詠んでいる。
うるわしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ   宮澤賢治
この歌の歌碑が賢治の生誕100年を記念して1996年に浄土ヶ浜に建立された。2011年の東日本大震災の津波によって幾多のものが破壊されたが、奇跡的にこの歌碑は残っていた・・・・・・・。
(2011年9月8日撮影)

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奇跡的に残った宮澤賢治の歌碑。この奥にあったみやげ物屋、レストランなどの建物は使用不能なほどに破壊されていた。

 

 

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「写真集団・上福岡」3月例会で。手前のモノクロの写真は、島貫雅子さんの川越の作品だ。半切20点におよぶ作品を展示することになる個展。どう彼女がまとめ上げるか、楽しみではある・・・・・・・。
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3月26日、写真集団・上福岡の3月例会が、ふじみの市の西公民館においておこなわれた。この日、第32回目となる同集団の写真展の日程と会場が決定したことが事務局より発表された。6月11日~15日。会場は例年通り川越市の総合デパート・アトレの6Fだ。今年の個展は、事務局担当の山本恵子さんと並んで、この会の中では一番早くから会員である島貫雅子さん。20年ほど撮り続けてきたモノクロ写真の川越の作品だ。

島貫さんはもう30数年間も僕の元で指導を受けている。最初の頃はみなモノクロフィルムで撮影し、自分で現像をして、ベタ焼きを取ってプリントも自身で引き伸ばしていたが、いまやこれを実践しているのは島貫さんただ一人となってしまった。ポジフイルムにこだわって撮影している人は数人いるものの、会員の大多数はデジタルカメラとなった。但しプリントは自分でしている。これも時代の流れで致し方ないのであろう・・・・・・。

この公民館ができる時に、当時市内で唯一の写真サークル団体であった写真集団・上福岡が市に要望して暗室を作らせた経緯がある。僕も当時の市長に直接談判したことがあった。それが認められて暗室はできたもの最初は使用者も多かったがいまや数が激減して、このままでは暗室は取り壊れそうな危機に直面していると言う。モノクロ写真の独特の魅力は消えないし、現代の中では逆に輝きを増していると言える。ぜひ、暗室は残したいものだと切に思う・・・・・・・・。

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僕の津軽の友人であるシャンソン歌手で作家でもある鎌田紳爾さんの最新刊『ふたりの修ちゃ 太宰治と寺山修司』(未知谷刊・定価2000円+税)が贈られて来た。鎌田さんとは2009年に『太宰治と旅する津軽』(新潮社)の取材で津軽に行った時に出会って以来の友人である。彼は日本の音楽大学を卒業後、パリ・エコール・ノルマル音楽院声楽科演奏家課程を修了している本格的なシャンソ歌手であるとともに、津軽弁朗読者として活躍。また太宰、寺山研究もしており著書もある。短歌、俳句もこなすいわゆる津軽を代表する文化人である。

この著作は、「太宰治(本名・津島修治)と寺山修司ともに弘前でうまれ、津軽訛の生涯抜けなかった二大作家を 自身も弘前出身の著者が追いかける同郷人ならではの一冊」と表紙カバーに書いてある通り、津軽で生まれ育ち、いまなおその地に暮らし、深く根を張った作家活動をしている鎌田さんにしか描けない”太宰・寺山ワールド”綴られているのだ。その太宰治の章に、僕のことが登場する 『津軽』の「いま」を読み解く『太宰治と旅する津軽』発行に寄せて  という一文があった。鎌田さんとの出会いから写真家の水越武さんと僕の2人で開いた囲む会でのエピソードなどを綴ったものだが、書評の面もその文にはあって著者の僕としては心に沁みた一文であった・・・・・・・・。  感謝したい!   合掌

 

3月24日、眼の手術をして退院してから4回目の病院の診察を受けた。この日ようやくほぼ完治したと言われた。但し、眼薬は2種類1日4回さすことは続けることと、2週間に1度は通院することとなった。しかしホッとしたのは事実である。1ヶ月間止めていた飲酒はどうでしょうか?と恐る恐る聞くと「まあ~ほどほどなら大丈夫でしょう・・・」と先生はニコニコしながら言ってくれたのだ・・・・。 うれしい~!☆!☆

写真家の烏里烏沙君からキルギスからの留学生で、民族伝統楽器を弾く女子がいるのだけれども、キリギスの文化や音楽を日本に知らしめるためにライブみたいなことができないか、と前から相談されていた。その実現のためこの日は、池袋の琉球料理・みやらびへ行って女将の川田功子(左から2人目)さんと会うことになっていた。そのため病院の診察を終えた足で池袋へ来たのである・・・・・・・。

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22日に東京理科大学でおこなったNPO法人チベット高原初等教育・建設基金会主催の「絵画を読んで追いかける~チベットの壁画を通して~」の講演会に来た遠藤英湖さんと写真家の掛川泰雄さんを烏里君が誘った。それに俳人の笠原(右奥)さんも来て賑やかな会になった・・・・・・・。
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キルギスの民族伝統楽器であるコムズを持つケレザさん。いま日本の大学に通っている女子大生だ。
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この日は平日にもかかわらず、お店は満席。女将が僕に彼女を紹介して欲しいというので急遽、司会をするはめとなった・・・・・・・・。
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コムズは沖縄の三線と同じで弦が3本だ。リズムかるなメロディーのなかにも遊牧民族の物悲しさを秘めた調べであった・・・・・・・・。 彼女は沖縄が大好きで昨年、はじめて来日した母と一緒に旅行したという。
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途中からコムズを肩に担いで演奏する。この軽やかな曲は、草原を駆け抜けていく競馬のときに流れる曲だという・・・・・・・・・。
キルギス共和国は、旧ソビエト連邦から独立国家となった国。以前はキルギリスタンとも言った。中央アジアに位置し、国境をカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、中国と接している。人口は約500万人で、イスラム教が75%、ロシア正教が20パーセントとなっている。

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あまり人前で弾くことはないので緊張したというケレザさん。まだ日本に来て2年半だというが流暢な日本語をしゃべるのには驚いた。キルギス語はもとろん、公用語であるロシア語、英語も堪能という。キルギスの民族舞踊も踊れるのでこの次は衣装を着て披露したいと意気込みを語った・・・・・・・。
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烏里君とは今年の新年会で出会ったという。その時に彼女の演奏に感動してスマホで動画を撮影。それを僕に聞かせたのだ・・・・・・・・。
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遠藤さんは中国語や英語は堪能なことは知っていたが、この日、ケレザさんとロシア語で会話していたのには驚いた。 掛川さんは、4月4日午後10時55分から11時20分と再放送は7日、月曜日の午後3時15分~40分まで。NHKで放映される「ドキュメント72時間ー街角の写真印刷機ー」に登場するという。僕も彼の作品とカメラ機材などを見せてもらったが、ユニークな試みだと思った・・・・・・・。

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僕とも記念写真を撮った・・・・・・。僕を40代と思いましたなどとうれしいことを言ってくれた・・・・・・。この日、31日ぶりに酒を飲んだ。オリオンビールコップに一杯と宮古島の泡盛の炭酸割りを数杯。お店を変えて、鹿児島の芋焼酎の炭酸割りを2杯でした・・・・・・・。
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お客さんの親子とテムズさん。今日が娘さんの大学の卒業式だったので家族でみやらびへ来たのだという。ケレザさんの演奏に感動したといって話してきたので記念写真を撮った・・・・・・・。
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娘さんのAさんは「日大藝術学部を卒業したので夢は女優になることです」と僕に話した。それでは記念に写真を撮りましょうと1カット撮ったのがこの写真だ・・・・・・・。 がんばれ~!☆
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もう一枚みんなで写真を撮った・・・・・・・。
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まだ時間が早いのでというので近くのよく行く水産会社が経営している居酒屋へ・・・・・・・。仲の良い烏里君と英湖ちゃんです・・・・・・・。
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後、少しで長旅に出る。鮮魚は食べられなくなるので、いろいろと食べたのだ~。
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掛川さんの名刺を見るとなんと「群馬県南牧村出身」と肩書きに書いてあった。お互いに上州人だということもあってすっかりと意気投合してしまった。南牧村にはまだ一番上のお兄さんが実家をついでいるという。この前の大雪では村が孤立してしまい一人の方が亡くなっている。僕がまだ行ったことがないので、ぜひ行きたいというと案内しますよ、行きましょうと言った・・・・・・・・。 ”上州のチベット”といわれている過疎化が急激に進んでいる村だ。現在は掛川さんが暮らしていた頃の人口の10分の1以下である・・・・・・・。 ご馳走様でした!!

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みやらびの琉球舞踊家・崎山陽子ネエネエ~が仕事を終えて駆けつけて来た。友達の画家・音楽家の美崎太洋さんの奥さんであるが、いつも気を使ってくれるやさしい女性だ・・・・・・・・。

関東地方に春一番が吹いた日、友人のヘア・メイクアーティストの島田文子さんからメールがあった。一緒に仕事をしている写真家の山下裕之君の写真展が新宿で開かれているので行きませんかというお誘いだった。僕の友人の写真家も他に3人来る予定だという。僕は直接は山下君を知らなかったが、写真展の内容が東日本大震災の被害を被った相馬市で撮った家族であるということと、島田さんとも昨年11月以来のご無沙汰だったので出かけた・・・・・・・・。

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写真展の入口。
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この写真展の主催はNPO法人3.11こども文庫という団体がなっており、企画や運営もその法人がしているという。関係者とも話したが、子どもたちのために地道な活動を被災地でしている。今回の企画もその一環だ。会場では写真展の他に、小学生たちが取り組んでいるアート・パフォーマンス「桑の実が見る夢」展と「3.11ふくしまそうまの子どものえがくたいせつな絵」展が同時に併設されておこなわれていた。島田さんと山下君。

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歌舞伎町の「新宿東宝ビル・建設予定地仮囲い」でも4月10日まで同展は、野外展示がおこなわれる。撮影した山下裕之君と記念写真。 これから100家族、200家族と撮っていけば、すばらしい作品となるとアドバイスをした・・・・・・・・。
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4時過ぎまで会場で待ったが他の人たちは用事ができたらしく来なかった。 軽く食事をということで新宿駅西口近くの「やきとり横丁」へ久しぶりに行った。この店をはじめ、この界隈で30年以上通っていた店が5~6軒あるがそのどれもが当時のままでまだ残っているのがうれしい。但し良く通っていた頃の店主たちは亡くなっていた・・・・・・・。
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内臓の刺しセット。これは他の店では味わえないこの店のオリジナル名物である。
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僕はまだお酒は飲めないが、島田さんはお酒も、特にお肉が好きなので案内したのだ。しかし、僕に気を使ってかビール一本しか飲まなかった。僕は小さなウーロン茶とサイダーを1本づついただいた。トホホ・・・・・・・。
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まだ午後5時半を過ぎた所で、外も明るいのでもう一軒近くの店を案内した。この「ぼるが」という店は、僕の俳句の師匠が主だった店で、多くの文化人が集まる新宿のサロンのような所だった。僕も一時は毎日の様に通った。当時いた従業員はほとんど辞めてしまっていたが、2代目主人の周ちゃんと数人が残っている。店内には、僕が撮影した先代の写真やヒマラヤの作品も数点飾ってある・・・・・・・。 島田さんはここでも”元祖チューハイ”を一杯飲んだだけだった・・・・・・・。

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僕の飲んでいるのは炭酸水だ。この日で禁酒してかれこれ約1ヶ月になる・・・・・・・。

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3月20日、友人の七宝焼き作家の斉藤かほるさんが小川町にある埼玉伝統工芸館で2月25日~3月30日まで「七宝の書画~かたくりの花の咲く頃~」を開催していると案内状が来たので出かけた。多少交通の便が悪い所だというので、写真集団・上福岡の田中栄二会長と事務局を担当している山本恵子さんが車で迎えに来てくれた。
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写真集団・上福岡の田中会長と事務局担当の山本さん。山本さんは僕が指導してから30年以上は経つ大ベテランだ・・・・・・。
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斉藤さんの作品「私のまんだら」の前で。田中会長が撮ってくれた・・・・・・。
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以上4点とも作品名は「私のまんだら」。 斉藤さんは、書、刻書、篆刻、洋画などを学んだ後、ガラス質の微妙な色合いの変化から生まれる美しさに魅せられて28年前から七宝に取り組んでいる。観音経などの宗教感ただよう世界の作品を独特な書と画を組み合わせて七宝焼きで表現している。朝日新聞社東京本社ギャラリー、銀座・鳩居堂画廊などで個展多数。今年12月、前橋のノイエス朝日で、僕とも初めてのコラボ展を行う事になっている。いまから楽しみではある・・・・・・・・。

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和紙の里・小川町。そこで漉かれる小川和紙で作った衣類が展示されていた・・・・・・・。
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小川和紙は1300年の歴史と伝統を持っている。本格的に紙漉きが産業として栄えたのは、江戸時代の文化、文政、天保の頃だという。現在、細川紙は国の「重要文化財」、県の「伝統的手工芸品」の指定を受けている。
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同館に併設されている「麺工房かたくり」で3人で遅い昼食をとった。地元産の自家製粉したうどん、蕎麦、地元朝採り有機野菜をはじめ、地豆腐などもある。僕らは鴨南蛮の付け汁蕎麦と野菜てんぷらをいただいた。美味しかった・・・・・・・。

僕はその足で雨の中、銀座の写真弘社まで行き、来月から台湾で開催される東日本大震災の写真展に出品する作品とその解説文を入稿したのだ・・・・・・・。

3月15日~17日まで僕が育った上州へ行ってきた。第一の目的は、30年来の親しい友人である詩人・「書」表現者の住谷夢幻さんの個展を見に行くためだ。彼について少し紹介しておく。住谷夢幻は筆名で、本名は岡田芳保だ。元群馬県立図書館長、元群馬県立土屋文明記念館館長など務める。第6回NHK関東甲信越地域文化賞受賞。著書に、詩画集『住谷玄無の16の花の詩による版画集』、詩集『光・風・空』など。展覧会は、「夢幻の書展」(東京・神田)など多数。

僕の萩原朔太郎をはじめとした「日本文学風土記シリーズ」では色々な面においてサポートしてもらった。また2006年には、画家で小説家の司修さんと夢幻さんとをネパールヒマラヤに2週間ほど案内したことがある。同じ上州人ということもあって何かと良く会って語らい、飲んだものだ。勿論、年齢は僕よりも一回りほど上だが、気が合うのである・・・・・・・。詩人の伊藤信吉さんとも共通の友人であり、夢幻さんはとりわけ親しかった。その他にも水上勉さんなど作家や詩人、音楽家、出版人など幅広い人脈を持っている文化人である。若き日にパリに留学をしていたので酔うと必ずフランス語でシャンソンを歌う・・・・・・・。

今回の書はいままでの夢幻さんの書を大きく超えていた。魂をゆさぶられ、圧倒されたというのが僕の第一印象だった。「3.11 フクシマ」を書でどう表現するのだろうかということも興味を持っていたのである。夢幻さんは、自分の書について本道から外れていて前衛書でも現代書でないとし、「私の仕事の方向性は、心身で創造する。 生み出すイメージの世界なのです」と言っている。「3.11 フクシマ」の作品は、幅0,94mX60mの超大作だ。会場入口から最後までが一枚の和紙に墨や柿渋によって描かれている。言葉を何遍も重ねても言い表せないので、僕なりに60メートルの作品の一部を写真で切り撮らせてもらった。以下紹介するので、静かに向き合って夢幻さんの突き上げる魂の叫びを聞きとって欲しい・・・・・・・・。

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東京から来た元出版社の編集長たちに作品を説明する夢幻さん(右から2人目)。
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ありそうにない事がありえない事が起こっている(「住谷夢幻 3.11 フクシマ」より)
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いきなり日常さが爆発した(「住谷夢幻 3.11 フクシマ」より)
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日常を歪んだ 像(イメージ) が襲う

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書は瞬間化された文字の形而上学である

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出来事は想像力を乗り越えてしまった
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全ての過去は復権されるか 絶望は希望を磨きだすか
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入場者に作品の解説を丁寧にする夢幻さん(真ん中)。
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僕も夢幻さんと記念写真を・・・・・・・。
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やはり昔から親しい陶芸家の高橋芳宣さんとノイエス朝日の企画・展示・構成全てを担当している武藤貴代子さん。彼女とも30年来の付き合いである。この12月に武藤さんの企画で、僕と夢幻さんと芳宣さんと七宝焼き作家の斉藤かおるさんとでコラボ展をこの会場で開催することが決まっている・・・・・・・。
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書家のAさんと夢幻さんと僕で。「3.11 フクシマ」の前で。

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実家の庭先の日陰には、先日降った雪がまだ残っていた。何十年ぶりかで1メートル近く積もったという。
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いつも行く手打ち蕎麦・うどん「里の茶屋」へ。その店の前の風景。
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弟の勝三の嫁・美香と母は鍋焼きうどん、弟は鴨南蛮そば、僕はきのこ汁せいろを食べた。
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汁の中には大量のきのこが何種類も入っていた。そば粉は地粉を使用。舞茸のてんぷらも美味。店主は大戸窯という陶芸もやっていて、この店の器は店主の手作りのもだ。鉄砲撃ちもしているので、この店で出される鹿肉、猪肉などは自分で獲ったものを出しているという。実家から10分ほどの所にある・・・・・・・。
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母と弟・小松勝三と嫁の美香ちゃん・・・・・・・。江戸から上州、信州へと続く旧街道。この先に国定忠治が2度関所破りをして、処刑された大戸の関所跡がある。
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近くに山から湧き出る美味しい水があるので、ポリタンクに汲んで帰る。実家も弟の事務所もこの水でお茶やコーヒーを沸かしている。もちろん酒の水割りも旨い・・・・・・・。弟・勝三の嫁・美香ちゃんと母と・・・・・・。
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墓参へ行く。町の公営墓地の一角に小松家の墓はある。20年ほど前に売り出したときに母と現地を見て購入した。東京の多磨墓地に元々の小松家の墓はあるのだが、親父が死んだ時に、母がいつでも墓参りが出来るようにと親父の両親や兄弟たちの遺骨を移したのだ・・・・・・・。多磨墓地へは僕がたまに行っている。
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16日は、日差しは暖かったが、北風が強く寒かった。谷川岳をはじめとした上越国境の山々は吹雪いていた。
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僕の従弟がはじめた足で全身を揉む「相気健康法」。家の近くにある岩櫃温泉にその体験所があり、従弟の娘がやっているので、僕はこの温泉へ行くと必ずやってもらう。ツボを的確に揉み解していくので温泉に入った後してもらうと気持ちがいい。30分で3、000円だ。
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岩櫃温泉。岩櫃山の麓にある。戦国時代に眞田昌幸が治めていた城として知られている。武田領の三堅城の一つとして名高い。織田・徳川の連合軍に敗れた武田勝頼が落ち延びるはずだった城である・・・・・・。
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母の友人である隣町のKさんの家で。どうしても僕に一度来てくれというので帰京する前に顔を出した・・・・・・。
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後数ヶ月で満86歳になる母の肖像。実家の庭にはまだ残雪があった・・・・・。「髪もボサボサだし、化粧もしていないのでやだよ~」と言いながらもカメラの前に立った。いつまでも元気でいて欲しいと願うばかりだ・・・・・・合掌

3月13日と14日は、都内の写真展を巡った。まず最初に行ったのは「震災よ!」Ⅲ 花井尊・柿木正人二人展だ。会場は、銀座・ギャラリーアートグラフ。最終日だったので共同通信社の写真部記者だった柿木さんがいたのでいろいろと話をした。花井さんは、朝日新聞社写真部のOBだ。2人とも定年退職はしているが、東日本大震災の被害の実情を見て写真で何か出来ないかと年に6~7回通い毎年写真展を続けてきたのだ・・・・・・。

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烏里烏沙写真展「夢境・家園」は初日のオープニングパーティのことを紹介したが、もう一度見ておこうと出かけた。ちょうど友人の染色家・橋本真智子さんが来てくれていた。彼女が気に入ったというチベット少年の写真の前で烏里君と記念写真を・・・・・・・。
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橋本さんとは、昨年3月に奄美大島へ行った時に、島唄の酒場で出会いそれ以来、友達付き合いをしている。彼女は大島の紬や泥染め、藍染などを研究しながら新たな創作をして、広く奄美大島のすばらしい特産品や郷土文化芸術を広めたいと東京とパリで10回の展覧会を開催したのをはじめ、さまざまな活動を展開しているエネルギシュな女性だ・・・・・・・。
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武田充弘写真集『ガンジス』(冬青社・3000円)の出版を記念したパーティと展示会が下北沢の「CIRCUS]で14日と15日におこなわれた。会場の光景・・・・・・・。
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左からよく「風」の催し物には来てくれる日本写真作家協会理事の今井田さん、武田君、僕、「風」同人で日本写真家ユニオン会員の並木さん、中国語翻訳家の遠藤さん、画家で音楽家の美崎太洋さん。14日に行くと言ったらみな合わせて出席してくれた・・・・・・・。

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写真研究会「風」の2月の熱海合宿に1000点以上の作品を持って参加した武田君。彼の写真に対する情熱は今回の展示会でもひしひしと感じる事ができた。将来が期待できる新人写真家の一人として大いに注目していきたいと思っている・・・・・・・。
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小腹が空いたのでと駅近くの居酒屋へ。無論、僕は酒は飲めないが、こうした居酒屋の方が旨くて安いのはわかっているので・・・・・・・。この写真のてんこ盛りの寿司は1200円ぐらいだ・・・・・・・・。
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5人の内、4人はオールフリーか、ジンジャエールという居酒屋にとってはあまりありがたくない冴えない客だ。美崎さんだけが代表してコップ酒の日本酒のお代わりを何杯もしていた・・・・・・・。

 

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(著:岡井耀毅 四六判並製 182ページ 定価1800円+税 2014年2月刊 彩流社)

僕の先輩でもあり、親しい友人の岡井さんが、俳句と写真のコラボレーションによる表現の新境地を拓く可能性を追求した本を出版した。岡井さんはいままでに句集は出しているが、俳句についての評論は初めてだ。出版社の紹介によれば、かって俳句と画は親しい関係にあり、一つになった作品は俳画として認められていた。明治に入って写真機が登場すると写真と俳句のコラボの萌芽が始まった。本書は「写俳の黎明期」から誰でも写真を撮れる現在おける俳句と写真のコラボによる藝術の可能性を歴代写真家の俳句感と具体的な歩みのなかに探る話題作である(本文中の俳句は著者の作)・・・・・・・・。

[目次]

1、)「写俳の黎明期」 1「写俳」的原人一号は尾崎紅葉か 2「俳句不滅論」と「風景採集」の寺田寅彦 3詩人萩原朔太郎の蕪村へのオマージュと写真 4「写真」と「俳句」のクロスオーバー

2、)安井仲治の写真と俳句感

3、)写俳の里の物語ー林忠彦の師、磯部潤一郎と有馬光城

4、)土門拳の俳句

5、)写真家 岩宮武二の俳句

6、)写俳亭 伊丹三樹彦

7、)慎平俳句の時空間ー『二十一世紀最終汽車笛』

8,)「眼の思考」の写真と「風の思考」の俳句との合成の可能性

9、)対談 岡井耀毅VS中谷吉隆 写俳コラボレーションの問題点とゆくえ

10、)対談 岡井耀毅VS小松健一 写真と俳句の間=なぜ写真家は俳句に惹かれるか

著者の岡井耀毅さんは、僕らの俳句同人の会「一滴(しずく)」の代表である。1933年広島県呉生まれ、神戸で育つ。早稲田大学政経学部卒業後、朝日新聞社に入社。社会部、南米移動特派員、東京本社外報部、ソウル支局長、「週刊朝日」副編集長、「アサヒカメラ」編集長など歴任。退社後はジャーナリストとして写真評論の執筆、写真集の編集など手がける。  2001年『評伝 林忠彦』(朝日新聞社)により日本写真協会賞年度賞受賞。2006年『土門拳の格闘』(成甲書房)により日本写真協会賞学芸賞受賞など。主な著書に『昭和写真劇場』(成甲書房)、『現代写真家の仕事術』(彩流社)他、多数がある。

☆申し込み先:彩流社 〒102-0071 千代田区富士見2-2-2 TEL:03-3234-5931FAX:03-3234-5932  e-mail sairyusha@sairyusha.co.jp

 

 

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2011年3月16日撮影:福島第Ⅰ原子力発電所 「wikipedia」より。
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2014年2月17日撮影:福島第Ⅰ原書力発電所 「毎日新聞」ヘリより。「毎日ジャナーリズム」から。
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2014年2月17日撮影:「共同通信社」ヘリより。 「共同ニュース」から。

今日3月11日は、あの歴史的な未曾有の大惨事を引き起こした東日本大震災が起きてから丸3年となる日だ。日本人として絶対に忘れてはならない日である。お亡くなりなった人、今だ行方不明のままの人、20、000以上の御霊に心から合掌をしたい・・・・・・・・・。

数日前から突然のようにテレビや新聞マスコミは、この大震災の特集記事や番組を流しているが、いまだに僕ら国民にはその実態は何一つ知らされてはいない。あの地震と津波が襲ってきた直後、福島第1原発は炉心溶融などをともなった放射能物質の放出をした原子力事故が発生した(一番上の写真)。それは広島に落とされた原子爆弾の470倍ものセシウム134・137などを含んだものであった。国際原子力事象評価尺度(INES)は、最悪レベル7だ。これは最も深刻な事故に分類されているのである。

しかし、日本政府はわずか事故から9ヶ月もたっていない中、その原因や収束への方向性など何一つ明らかにされていないにも係わらず原発事故の収束宣言をし、再稼動への道を開いた。さらに安倍自民・公明党政権は、将来の日本の基本電源と位置づけて新規に増設することも含めた新エネルギー政策を閣議決定している。また諸外国への原発の輸出も積極的におこなっている・・・・・・・。人間として信じがたい感覚としか思えない様相である。

2枚目、3枚目の写真は、今年2月17日に、毎日新聞、共同通信各社が自社のヘリから撮影したものだが、安倍晋三首相は、リオでの東京オリンピック2020年招致の演説の際、世界に向かって「日本の原発は安全であり、放射能や高濃度汚染水は完全にブロックされ、コントロールされている」と大見得を切った。しかし、現実はどうであろうか、3番目の写真の下側に並んでいるのは、高濃度の放射能に汚染された水を入れたタンク群である。

その数は、2014年2月末日現在、1095基。37万8000トンの高濃度汚染水が収容されている。その料は総容量の90パーセントに達しており、残りは10セントを切っている。深刻なことは毎日毎日400トンの地下水が福島原発の1~4号機の建や内に流れ込んでいて大量の高濃度汚染水が発生しているということだ。さらに昨年8月に起きた300トンの汚染水漏洩事故が判明したが、こうしたことがその後も次々と起こっているということだ。しかし、国民にはほとんど真実は知らされていない・・・・・・。当事者にとってはあまりにも当たり前の状況だからか、東電と官僚たちは完全に感覚がマヒしているようである。

使用後の核燃料のゴミも処理できないばかりか、何処にも管理・保管できる場所がないのに、これからも原発を再稼動させて一体、2000年以上は半減しないという核のゴミをどうしょうと思っているのか。すでに何万トンもの核燃料のゴミは日本の国土にあるのだ。いまの僕らがすき放題な生活を送る事で、未来をこの地球で生きる子どもたちに、こんな厄介な物を残して良いのだろうか。そんな自分本位で、経済優先、利潤追求の無責任な理論がはたして通るのだろうか、僕は絶対にしてはならないことだと思っている。いい加減に人類が眼をさまさなければ、この美しい水の惑星は滅んでしまうと危機感を感じている。この星に生息しているのは人類だけではない。人類は多くの生物たちによって生かされているのである・・・・・・・・。

こんなことを大震災後、3年たった今日、痛烈に思ったのである・・・・・・・・・・。 改めてお亡くなりになった方々へ原発のない日本にするという誓いをこめて・・・・・・・・・  合掌

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「日本文学風土記」より  山形県最上川中流域・大石田の風景

僕も一昨年と昨年、2度にわたり写真展を開いた朝霞市立図書館で3日から開催されている「漂流するフクシマ ドキュメンタリー映画と写真展」に行ってみた。記録映画「立入禁止区域 双葉ーされど我が故郷」の監督は、福島県双葉町出身の佐藤武光さん。写真展「ふるさとの今」は、福島県浪江町出身の高木成幸さん。トークショーは、福島県双葉町出身の詩人・熊川多恵子さん。彼女は現在、朝霞市で避難生活を送っている。今回の企画は地元の市民が実行委員会を作って、この3人を中心にして企画・運営したものだ・・・・・・・。

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7日の昼過ぎに出かけた。午後2時から始まる映画を見てからゆっくりと写真展を見ようと思っていたのだが、映画の会場は、すでに超満員で立ち見でも入れない超寿司詰め状態。130人以上は入っているか、入口から一歩も入れないのであきらめた・・・・・・・。会場の入口付近。防護服姿の写真は、佐藤監督だ。
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写真をプリントしたのは、写真集団・上福岡のメンバーでもある増井清志さん。約100点展示されていた。熱心に一点一点を見ていく入場者たち。
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映画会場に入れなくてもどうしても見たい人たちは後ろのモニター室で観賞した。僕も実行委員会の責任者の人が案内してくれたので観ることができた。佐藤武光監督は、東宝・松竹映画等の助監督を務めた。今村昌平、恩地日出男監督に師事。HNK「吉田書簡」などの作品がある。

★8日(土)10;00、14;00と9日(日)10:00、14;00の4回の上映がある。ナレターは女優の市原悦子さん。(99分の作品・入場無料)。テレビ画面とは異なる生々しい地元福島の現実に胸が締め付けられるとともに、日本政府と大企業の利潤追求優先と無責任さに改めて怒りがこみ上げてきた・・・・・・・。

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「放射能を撮る」をテーマに据えている異色のフォトジャナーリスト、高木成幸さん。浪江町の農家に生まれる。現役時代に米国で放射能物質を厳格に取り扱う計測器の研究・開発に係わる。また、老人性痴呆症の原因物質を特定するなどタンパク質、ぺプチトの構造解析に長年携わり高い成果を上げている。

そんな高木さん、2011年3月の福島第1原発事故の3週間後には、カメラを持って被災地に入り以後、避難生活者、放射能廃棄物処理の現状などを中心に今までに10、000点以上撮影しており、写真展示、講演活動など全国で展開している。僕と話したいというので、1時間余り控え室で話した。「今までに撮った写真をこれからどのように発表していったらいいのか・・・・」などの質問が中心であったので、僕の経験、体験から説明をした。

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「私たちは広島原爆の470倍以上の放射能(セシウム134・セシウム137)に汚染された国土で生きる現実にある」という「地球の子ども新聞」の見出しは強烈だった・・・。どの新聞やテレビでも現実を報道していない!!
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写真展会場には僕の写真展を開催してくれた市民もたくさんいて、話が弾んだ。家にバイクで戻ったらちょうど夕日が武州野に沈むところだった・・・・・・。こんな美しい星、日本を、地球を、放射能などによって破壊してはならない。生物が住めない星にしてはならないとシャツターを切りながらしみじみと思った・・・・・・。

 

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写真家・烏里烏沙君、写真展会場で。2月22日の「フォトコン」2013年度月例コンテスト受賞式以来の公の席への出席だった。展示・飾り付けにも来る予定だったが退院したばかりだったのでキャンセルさせてもらった。
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リコーイメージングスクエア新宿のギャラリーⅠ&Ⅱを使っているので広い。ギャラリーⅠの会場。
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午後6時過ぎからオープニングパーティは始まった。最初は、公益社団法人日本写真家協会名誉会員・協同組合日本写真家ユニオン顧問の丹野章さんのあいさつから・・・・・・・。
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会場には、写真家をはじめ写真業界関係者、出版社の人たち60~70人が参加してくれた・・・・・・・。山岳写真家の内田良平さん、渡辺千昭さんら山関係の人も多かった・・・・・・・。
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烏里君は日本へ来てから今年で18年目となる。最初は交通事故で怪我した足の治療のため来日したが、その後、日本が気に入り和光大学の大学院へ留学。早稲田大学大学院に留学していた奥さんのOさんと知り合い結婚、現在娘さん1人がいる・・・・・・・。大学時代は四川藝術大学で油絵を学んでいた。和光大ではデザインを専攻している・・・・・・・。

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写真研究会「風」のメンバーも来てくれた。左から(株)タムロン広告・宣伝部長の千代田路子さん、写真家の鈴木渉さん、僕、(協)日本写真家ユニオン会員の並木すみ江さん、そしてメンバーではないが、よく「風」の催しに来てくれる画家の美崎太洋さん。
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公益社団法人日本写真家協会常務理事、日本旅行写真家協会会長の山口勝廣さんと月刊「キャパ」(学研)編集部の鬼沢編集部員。
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僕にとっては、”写真の弟子”でもある烏里くんのさらなる表現の飛躍を期待できる写真展である・・・・・・・。
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途中から駆けつけてきてくれた写真家の桑原史成さん。日本写真家協会常務理事も務めている。40年近く付き合っている先輩写真家だ・・・・・・・。
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二人の敬愛する先輩写真家。丹野さんは89歳になられるし、桑原さんも78歳だ。僕もこんな歳まで元気に生きていたいな~とつくづくと思う・・・・・・。
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桑原さんは、今年度の土門拳賞の受賞が決まった。良かった。おめでとう~!☆ こっそり2人で乾杯をした。「小松君、授賞式にはぜひ、来てね・・・・」とニコニコして言われた・・・・・・・。

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2月23日の入院前日から酒は一切絶っているのでこの日で11日目。あらゆる誘惑にも負けずこの席でも一滴も口にしていない。二次会でも無論だが、僕が飲まないと座が白けるといけないのでオールフリーというアルコール、カロリー、糖質0という得たいの知れない飲み物を飲んだ。一言で言って「まずい~!!」料理が旨くなくなる。これならお茶の方がよっぽどいいや~と思った・・・・・・・。3月一杯は禁酒宣言を断固厳守するぞ~!!!。

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まあ~、得たいのしれない飲み物でも、こうして写真に撮るとまるでビールを飲んでいるように見えるだろう・・・・・・・・。少し遅れて駆けつけて来てくれた中国語翻訳家の遠藤さんと烏里君と・・・・・・・。僕は9時半頃に先に失礼したが居残り組は遅くまでやったらしい。烏里君、遠藤さん、ご苦労さまでした。
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写真展のDM
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3月6日の朝。久しぶりの太陽が窓辺から僕の仕事場を射してまぶしい・・・・・・・・。

今日もみなさまにとって穏やかな一日でありますように心からお祈りいたします・・・・・・・・・。 合掌

 

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中国の少数民族イ族出身の写真家・烏里烏沙君の写真展が、3月5日(水)~17日(月)10:30~18:30(最終日16:00/定休:火曜)、リコーイメージングスクエア新宿(TEL:03-3348-2941)で開かれる。彼は公益社団法人日本写真家協会会員であり、昨年までは国際委員を務めていた。また、日本山岳写真家集団の同人、日本植物学会の会員でもある。僕とは7~8年前からの付き合いだが、この間濃密な付き合いをしている。

僕が主宰をしている写真研究会「風」の合宿には、烏里君はここ6年間は毎年参加しているし、僕の中国・チベット取材には、この6年間で彼も7回ほど同行しているのだ。そんなこともあり日本写真家協会の推薦人の一人に僕も名を連ねている。また、彼が中心になって活動しているNPO法人チベット高原初等教育学校建設基金会の活動にも協力している。

そんな烏里君が十数年間にわたり、チベットを数十回訪ね独自の視点で撮影した中から 約50点に厳選したもの。チベットに程近い横断山脈の山懐に生まれ、育った烏里君ならではの現実をリアルに見る眼と彼の心の中にある故郷への追憶の思いが一点一点の作品に深く込められた作品となっていて、観る者の心を揺さぶってくる写真展である・・・・・・・・・。

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今回の写真展に展示される作品を撮影した場所を示す地図。撮影地は四川省、青海省、雲南省、チベット自治区にわたっている・・・・・・・。
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ここに紹介した作品は、ごく一部のものであるが、会場では全倍サイズを中心として大きなサイズで見る事ができる。僕も彼の作品数百点余りを見せてもらったが、昨年3月に虎ノ門にある東京中国文化センターでおこなった写真展と比較するとはるかに質的に高くなっていた。烏里君の写真創作に賭ける情熱と精進の賜物であろう。ぜひ、見に行ってほしい写真展である。

なお、作者は基本的には毎日会場にいるというので直接本人から話を聞く機会もある。また初日の3月5日午後6時からは、同会場においてオープニングパーティが開かれる。もし、お時間がありましたらお出かけください。もちろん僕も出席します。お待ちしています・・・・・・・・。   合掌

 

僕が目に異変を感じ始めたのは、いまから10年ほど前のこと。糖尿病が悪化して、ヒマラヤ取材から2ヶ月ぶりに帰国して病院へ行くと右足指を切断しなければならなくなる。すぐに入院しなさいと当時住んでいた練馬区の総合病院へ緊急入院となった。幸いに指は切らずに済んだが、1ヶ月間の入院生活を終えてこの際、目の方は大丈夫かと見てもらった。そしたら「ひどい、手がつけられないので他の病院へ行ってくれ」という。僕は怒った。何のために1ヶ月間も入院していたのかと・・・・・・・。

眼低出血がそうとう進んでいるので、何とかしなければといろいろな病院を紹介をしてもらった。そして何軒か回ってようやく、僕が何とかしましょうと引き受けてくれたのが、この10年間づーと僕の目を診察し、今回の手術をしてくれた警察病院のI先生に紹介状を書いてくれたH先生だった。10年前にH先生の手により、レーザで出血している目の中の毛細血管の部分を焼くという治療を10数回したのだった・・・・・・・。

その頃から1.5だった僕の目は徐々に視界が悪くなり、目が霞んだり、まぶしかったり、暗い場所では物が見えづらくなって行った。何度も転んだり、階段から足を踏み外して落ちたりして怪我もするようになっていった。だから夜の車の運転などは注意してなるべくしないようもにしていた。それが極端にひどくなったのは昨年の秋頃からだった。夕方頃からは本当に見えづらくなっていたし、逆光ではまったく見えなくなっていた。交通事故に合いそうになったり、田舎に帰った時に、道から落下したりして怪我をした。もうこれは限界だと思い今回の手術を受けることとしたのである。その6日間の顛末記を「写真日記」として記録しておこうと撮影したので、以下にアップする・・・・・・・・・。

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2月6日、18日と診察と検査をして入院・手術の許可がようやくおりたのが2月24日。この日は朝10時30分から入院となっていたので前日から酒を絶っていた。入院手続きが終わって病室に入った。そしてまた明日の手術に備えての幾つかの検査がおこなわれた・・・・・・・。 深夜2時40分、なかなか寝付けなくて病棟の廊下をはじめて撮影した。灯りが漏れているところはナースステーション。

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病室は8階だったので窓からの眺めがいい。25日深夜午前3時前の街は灯りは点っているが人影はない・・・・・・・・・。
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病院の起床は6時。ようやく眠たくなる頃だ。25日、右目の手術日の夜が明けた・・・・・・。朝日はまぶしかった。
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僕のベットの周り。友達がプレゼントしてくれたクマもんのタオルが目立つ・・・・・・。
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2014年2月25日。手術は午後2時45分からの予定。3000人に1人は失明するリスクがあることに同意する旨の文章にサインをした。効き目の右目からの手術に不安を感じたが、変更はできないとのことであきらめた。右目が開いているうちにとベットで自写像を撮る・・・・・・・。
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手術は40~50分ほどで無事に終了して車椅子で午後4時前に部屋に戻る。こんな光景はもう二度とごめんなので、戒めのために看護師さんにシャツターを押してもらう。
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部屋に戻ってから点滴を1時間ほどする。原稿を書くつもりで参考資料にと『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』(新潮社・重松清、澤口たまみ、小松健一共著)を持ってきた。友人が照国神社の厄除けのお守りを送ってきてくれたので枕元に・・・・・・。
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点滴の針を手の甲に打つのはけっこう痛いもの・・・・・・・・。
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こう言う写真を見るといかにも重症患者だね。鼻から医療器具で体内へ空気を送っているのだ・・・・・・・。
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夜になって一段落したので、鏡の前で自写像を撮った・・・・・・・。わずか1時間ばかりの手術ではあるが、やはり写真家にとって眼はとりわけ大切なもの。精神的なショックがあったのだろうか、疲れた・・・・・・・。
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2月25日、入院2日目の午後8時15分に病窓から撮影する・・・・・・・・。
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病棟の廊下はまだ消灯前の時間だから明るいが人はいない・・・・・・・・。
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2月26日、入院3日目の朝を迎えた。看護師が隣の患者のIさんに歩き方や寝る時の姿勢などについて指導していた・・・・・・・・。
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今日の午前中の診察で、経過が良ければ眼帯が外せることになっていたのでその前にもう一度撮影した・・・・。
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午前11時過ぎの診察で眼帯を外してもらえた・・・・・・・。世の中が突然別世界のように何もかもが明るくなり、色彩は鮮やかになった。10年ぶりの世界だ。しかし、サングラスをかけていても眼の奥や頭がクラクラして痛い。脳が慣れるまで、しばらくそうした症状が続くのだという・・・・・・・。
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この日は、斜め前の患者さんが退院して、新しい入院患者さんが入るというのでシーツ交換など看護師たちがしていた。結局、このベットは僕がいる間に4人代わった・・・・・・・・。
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病室に差し込む眼にクラクラするほどまぶしい朝日・・・・・・・。
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僕のベット。この朝はクラシック音楽と琉球民謡を聴ききながら横になっていた・・・・・・・。
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2月26日の病窓からの風景・・・・・・・・。
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右目だけでもいままでとは見違えるように良く見えるもので、活字を読んだり、原稿を書く気持ちが大いに湧いてくる。「フォトコン」に掲載する「日本文学風土記ー宮澤賢治」の本文とキャプションを書く気になった。ベットの上で・・・・・・。
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患者さんやお見舞いに来た人が使うラウンジへはじめていった。部屋のすぐ近くなのにいままで行く気になれなかった。3月4日までは、頭や顔は洗ってはいけないことになっているのだが、首から下のシャワーなら良いというので午後シャワーを浴びた。蒸しタオルで朝夕、顔や体を拭いていたのだが、やはりシャワーは気持ちが良いなあ~・・・・・・・。
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右目の視力を検査をしたら0.7までに回復していた。これから徐々に視力はさらに回復していくという・・・・・・。
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2月27日の朝を迎えた。この日は朝方から雨模様・・・・・・・。眼にもやさしい気がした。午後1時30分からの左目の手術の予定だ。
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朝7時から昼、夕方、夜と一日4回の投薬の他に、手術日は朝夕の薬がもう2種類増えることと手術2時間前からは、表の通り3分間おきに4種類の投薬を30分間ごとに続けるのだ。けっこう大変な作業だ・・・・・・・。
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左目手術15分前。2月27日午後1時15分。ベットの上で自写像を撮る・・・・・・・。
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この日、僕の担当看護師のUさん。テキパキと仕事をこなし、予定時間通りに車椅子に乗せて3階の手術センターへ連れて行く・・・・・・・・。
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右目の時よりも若干早く手術は終わった。しかし、少し痛みが残った。前回の時にはまったくなかった違和感だ。記録に写真を撮ってというと「はいはい~」と言ってカメラを取りに来た瞬間にシャツターを押したもの。せっかくの顔が隠れてしまっている・・・・・・・・。
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そして彼女が撮影したのがこの写真で~す。これも僕の人生におけるドキュメント写真だ・・・・。ありがとう~!☆
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「また様子を見にきますからね・・・・・・」と言って帰る看護師。
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今回の点滴は腕だったので前回のように痛くはなかった・・・・・・。
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一眠りして起きてからまたシャツターを切った・・・・・・・・。
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手首に氏名とバーコードが付いた腕輪をはめさせられる。手術の時などは間違いがないか確認のためにこのバーコードをコンピューターで必ず識別するのだ。こうなると物品と同じだね・・・・・・・。
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消灯は午後9時。起床は6時だからその間の9時間は、僕にとっては”地獄の時間”だ。本やテレビを見ることはもちろん、出歩くわけにも、灯りを点けるわけにもいかず、暗く狭いベットのなかでひたすら夜の明けるのを待つしかないのである。午後8時になるとみな寝る準備に入るので病院内は静寂が訪れる・・・・・・・・。
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枕元の照明灯も寂しそうに見える・・・・・・・・。
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いよいよ昨日手術した左目の眼帯が良ければ取れる2月28日の朝。そして経過が順調ならば退院もできることになっている。病窓からの空も心なしか明るい展望が開けるような感じがした・・・・・・・。
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同じ日に入院した埼玉県久喜市のIさんに薬剤師が来て退院後の薬の説明をしている。彼は片目だけの手術だったがけっこう時間がかかった・・・・・・・。
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退院の日の診察前の自写像を撮る・・・・・・。
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Iさんも診察の結果、この日退院と決まった。ちょうど投薬に来ていた看護師のUさんと記念写真を。Iさんは現在、接骨医院でマッサージ師をしているが、現役時代はカメラメーカーに勤めていたというので僕が写真家とわかると話が弾み急に親しくなったのである・・・・・・・・。
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僕も昨日の手術の時にはお世話になったので一緒に看護師のUさんと記念写真を。 Iさんが撮る・・・・・。 ありがとう~!☆
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せっかくだから綺麗に世の中が見えるようになった両目を出してUさんと写真を撮ってもらう・・・・・・・。僕の眼の手術に係わってくれた医師、そして看護師さんたち、心から感謝します・・・・・・・・。  合掌
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この入院・手術については、ほとんどの人に知らせていなかったので見舞いに来る人などはいないのが当然だったが、鹿児島在住の写真家・村上光明君から突然電話があって仕事で東京に行くので見舞いに来るという。「風」のメンバーの眞月美雨さんに聞いたのだろうか。28日は午前中には退院するので、午後1時に池袋の東京藝術劇場で待ち合わせをした。昨年5月以来の再会だ。近くの店で「東北応援定食」というのをしていたので昼飯を食べた・・・・・・・・。

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藝術劇場の近くにある僕も何度か食べにきている店だ。目の前に大きな生けすがあり、たくさんの魚が泳いでいるのが特徴な店だ。村上君は、公益社団法人日本写真家協会の会員であり、協同組合日本写真家ユニオンの会員でもある。いま、ばりばりの油の乗った写真家だ・・・・・・・。
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食事後、また藝術劇場に戻って写真創作の話しを中心に4時間程語り合った。いままでこれほど長時間にわたって彼と話たこともなかったし、この1週間僕もほとんど人との会話がなかったので、大変面白かった・・・・・・・。
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2月28日午後7時過ぎに5日ぶりの我が家へ帰った。やはりいくらゴチャゴチャしてはいても我が仕事場は落ち着く。しかしいままで暗いと思っていた部屋が明るい。見渡すとあらゆるところにほこりやゴミがあるのが目に付くのだ。台所周りをはじめ、テレビや仕事机、ちゃぶ台の上などなど気になって掃除をしまくった・・・・・・・。眼が見えるようになるとは、こう言う部分もあるのかと思った。写真は3月1日、僕の仕事机の右側。

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仕事机の後ろ側。ちゃぶ台とソファ。ちゃぶ台は僕が独りで食事を取る場所でもある・・・・・・・・。
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仕事机の斜め後ろ側。正面のドアの向こうは、玄関や二階への階段へ続く通路がある・・・・・・・・。
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仕事机の左側。部屋中本棚に囲まれているが、資料に使う頻度の多い書籍が並んでいる書棚が座ったまま手の届く所にある・・・・・・・・・。
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そして最後は、僕の愛用の仕事机。もう20年以上使用しているものだ。その上はご覧のように物であふれかえっていて最近、原稿用紙を広げるスペースがなくなってきている。でもここで書くのが一番はかどるのである・・・・・・・・・。

長い長い僕の”カメラ日記”に、最後までお付き合いいただいて心から感謝~!☆!☆!☆    合掌

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