写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

日記の最近のブログ記事

 

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10月3日(火)、今日で写真展は5日目。いよいよ明日4日が最終日。午後3時まで。その後は搬出作業が始まる。この日、会場が閉まる6時前にいた人たちで記念写真を撮った。中央、僕の左隣りは、著名な自然写真家の鈴木一雄さん。じっくり1時間ほどかけて見てくれた。感謝~!!右2人目は、一番古い「風」同人の高田昭雄さん。岡山県早島町から闘病生活を押して5年ぶりに上京した。

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鈴木さんと親しい眞月美雨さんと鈴木さん(中央)と僕。眞月美雨作品の前で。

3日まで来場していただいた主な人々。写真家、森住卓さん、清水哲朗さん、池上直哉さん、名古屋の森田雅章さん、平林達也さん、宅島正一さん、松井正紀さん、小澤太一さん、若山美音子さん、千代田路子さんなど。JCIIの市川さん、ポートレートギャラリーの原田さん、写真弘社社長・柳澤さん、山口さん、GIPの倉持さん、フレームマン社長・奈須田さん、キャノン・岩崎さん、山下さん、八島さん、ニコン・相川さん、シグマ・桑山さん。画家・美崎太洋さん、文芸評論家・新船海三郎さん、ブルームバーク記者・高田亜矢さん、産経新聞・清藤拡文さん、中国語翻訳家・遠藤英湖さん、漁師・三恵丸船長・佐々木幸寿さんをはじめたくさんの方々。ご来場ありがとうございました~!♡☆ 合掌

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3日夕方、僕の田舎、上州の小学・中学・高校の同級生が来てくれた。僕の左、戸塚金也君。家も近く同じ集落だった。上京して56年目となる蕎麦一筋の職人。僕の右は塩谷晃君。中学、高校と剣道部で切磋琢磨した。僕が部長で彼が副部長というコンビだった。大学卒業後、大学生協連の役員を長く務めていた。その隣は奥様の貴子さん。二人の仲人は実は僕らがしたのである・・・。

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鈴木さんを囲んで、「風」のメンバーと同級生たちとで、ささやかな打ち上げをした。お疲れさまでした・・・。明日4日が最終日、がんばろう~!乾杯をした。

 

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異常気象により、移り変わりの激しい九州北部地方・博多はこの日、前日の15日とは打って変わり朝からの快晴だった。ホテルから福岡アジア美術館へ行く途中の博多大橋から。

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那珂川の辺に建つ定宿にしているホテルの朝食。しっかりと食べて講演に備える・・・。

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福岡アジア美術館へ上がるエレベーターの中で。第38回 日本海洋画展と併設のマリナーズ・アイ展の告知がされていた。

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前日から泊まり込みで来てくれた長崎在住の写真家・山崎政幸君(右)とスタッフたち。2年前に写真集『記憶の島 高島』を刊行している。17日早朝から故郷でもある高島へ取材に行くので、16日は早めに長崎へ戻っていった。

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会場入口の海の写真道場の看板とポスター。

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16日、13:00~作品解説「海の写真道場」は始まった。何人の参加があるか不安ではあったが20人ほどが参加してくれたのでホッとした・・・。

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みなさん、真剣なまなざしで聞いてくれていた(撮影:山崎政幸)。

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推薦作品2点を解説する。

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主催者である一般財団法人・全日本海員福祉センターの人たち。右から担当部長、理事長、企画展担当者と僕。わざわざ、東京から駆けつけてくれた。ありがとうございました。 合掌

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博多へは前日の15日に入った。早朝家を出て昼過ぎには福岡空港には着いていた。昨年取材できなかった北九州市・若松出身の作家・火野葦平の足跡を雨上がりの蒸し暑い中、巡った。詳しくは後日に記します。

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博多といえば、青ものと言われる靑魚。玄界灘のブリ、歯ごたえが良ろし。ぶらりとホテル近くの店に山崎君と暖簾をくぐった・・・。

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名物・バッテラ。さすがにサバは一味ちがった・・・。

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那珂川に架かる橋の上は屋台でいっぱい。まるで祭りの出店の行列でごった返しているようであった。

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川風に吹かれながら、屋台に入ろうか迷っている恋人たち。

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昨年呑んだ屋台は、若い観光客で一杯。店主にあいさつだけして他の屋台に・・・。

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どこの屋台の客も地元の人たちは少ない。この日も席を同席したのは、九州は初めて来たという茨城からのグループと韓国人の青年(右)だった。
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誰も客がいない屋台、他はどこも混んでいるのに。僕は気に入って席に着いた。店主はこの道50年のベテラン。24歳の時から屋台を引いているという。昔はみな、てんぷらがメインの屋台ばかりだったが、今やこの店一軒だけになってしまったと笑った。今頃の若いもんは、この暑いのにてんぷらは食いたくないのかな~。アジ、キス、イカを注文。目の前で揚げてくれた。美味であった。ハイボールによく合う肴である。この夜は珍しく3軒のハシゴ酒をした。山崎君が本を出版して初めての乾杯ということもあった。締めは長浜ラーメンにビール。東京にいればまず、こんなことはしない。でも博多は、雨上がりの気持ちのよい夜であった・・・。

 

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9月27日、搬入・展示飾り付けで28日、10時からオープン。30日(土)は出品作家によるリレートークが午後1時から行われる。順番は①塩崎亨、②並木すみ江、③橋都とみ子、④出口信一、⑤水谷榮一、⑥眞月美雨の順でそれぞれの作品について、テーマや狙いなど質問も受けつつ約30分程度話をする。自由参加で無料。友人や写真仲間などお誘いの上、ご参加ください。平日も会場には複数以上の出品者がいますのでぜひ、お越しください。

尚、主宰の小松は初日の28日午後、3日午後、最終日4日の午後はいる予定です。

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「風」同人の写真家・眞月美雨さんが「風」のロゴを使ってTシャツなどユニクロから制作してくれました。写真展会場にいる際、スタッフとしての証に着用しましょう。「風」メンバー以外の人でも自由にご購入できます。

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ロゴがワンポイントで胸に入っているTシャツ(白・黒)や「ロゴ」が大きく入っているTシャツや長袖、トートバッグなど自由に注文できます。詳しくはMIUARTからご購入下さい。

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9月11日、出品作品のフィルムやデータ、プリント見本など写真弘社に全て入稿が終わった。作業は2時間以上の長時間に及んだ。第一次プリントチェックが9月20日16;00~写真弘社本社で。第二次プリントチェックは9月22日14:00~行う予定だ。写真は「風」会員の出口君(左)と写真弘社「風」担当の山口さん。

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9月10日、渋谷駅前のスクランブル交差点。

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この暮れにパーマをかけると言うことで長髪にしていた。髭も伸び放題だった。

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なのに気が付けばバッサリ。昔風に言えば角刈り。潮来刈り。慎太郎刈りよりも少し短めか。兎に角、話が違う・・・。 でもいいやすっきりとしたから。ついでに髭も5分の1ほど長さにカット。

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これがほぼ完成図。何だか・・・。

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左が公園坂通り。正面にNHKがある。右が僕が行くヘア・サロンがあり、その先は代々木公園、明治神宮などがある。「風」の例会もつい最近までこの近所の渋谷勤労福祉会館でしていた懐かしい場所でもある・・・。

 

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9月7日、上福岡西公民館で「写真集団・上福岡」の9月例会が開かれた。2024年3月6日から開催予定の第41回写真集団展の準備に入るため、持ちよった作品も一回では並べきれずに2巡並べるほどであった・・・。病気などで欠席した会員は3人でした。

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この日、見学者が一人あった。左から2人目の鈴木さん。子ども連れの人は前回入会した後藤さん。

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会が終わった後、「お疲れさま・暑気払い会」を会場近くの居酒屋で。そうしたら見学に来た鈴木さん(僕の右隣)が入会することに。すぐさま、みんなで歓迎の乾杯をしたのだ。おめでとう~!♡☆

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後藤会員と息子さん。彼女はいま、3人の子育てをしながら写真活動をしている。5歳の行成くんもモデルとなってママに協力しているのだ~!!

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2人の新入会員は、どちらも竹川会長が声をかけている。「竹川さんに憧れて会に入りました・・・」という発言に、会長(右端)は思わず顔を赤らめていた・・・。

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最寄り駅が一緒の一瀬事務局長。僕が駅前の蕎麦屋で一杯やっていると、買い物終えた帰りに一瀬さんが顔をだしてくれた。

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帰宅後、つまみに冷蔵庫にあったゴーヤでチャンプルーを。最近、ゴーヤが安くなったのと簡単に作れるので、ゴーヤチャンプルーをよく作る。家のあり合わせのものを混ぜればよい。この日は鶏の胸肉、油揚げ、木綿豆腐、そして玉子だ。そして出汁にはガラスープ、昆布だし。最後に荒引き胡椒少々。ゴーヤのシャキシャキ感が冷えた酎ハイによく合うのである。

 

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初日の29日は午後1時から始まった。参加者は僕を入れて7人。体調をくずしている岡山の高田同人、97歳の中村同人は上信越国境にある野反湖の撮影中のために出席出来なかったが、作品は2人とも事前に送って来ていた。

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南信州の霜月祭りをこの数年取材し、撮り下ろした下伊那の橋都同人(左)の作品を見る。出品作品は全倍サイズをふくめて15点になった。

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午後5時半過ぎから7時半までホテルの近くの海鮮居酒屋で夕食&懇親会をした。2次会の参加者はみな疲れたらしく僕を入れて3人。ホテル前のお店で、軽く飲んでからデザートをたっぷりと頂いた。

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2日目(30日)は、朝9時30分から午後4時30分までの丸一日。気合を入れて9人の全出品作のセレクトと展示構成を仕上げる。作品総数は108点、全倍、全紙、半切、大四つ切のサイズ。額装もあれば、マットパネルもある。会場平面図の壁面の10分の1サイズを作り、展示順やレイアウトなど確認しながら会場用展示パネルを作成した。

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昼食は産業文化センター1Fにある食堂でいただいた。

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ほとんどが有機野菜などで作った手作りのお弁当にした。味噌汁か珈琲など飲み物が付いて900円。素朴な味で美味しかった。

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2日間の全ての日程が終わり、軽く「おつかれさま会」をセンター1Fの食堂でやる。乾杯~!!♡☆

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長野県飯田市の北、高森町の橋都さん(右端)その隣は千葉県銚子市の水谷さん、塩崎事務局長をはさんで沖縄県南城市で家族で暮らし、この日は事務所のある湘南へ戻る出口会員。次は会員歴10年となる眞月さん、さらにベテランの並木さん。並木さんも青梅市の奥地からなので遠い。みなさん、本当にお疲れさまでした・・・。  合掌

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☆連日、できるだけ多くの出品者が会場にいるようにします。30日(土)1時から6人の出品者が会場でリレートークをします。自作品について、何を狙いで撮ったのか、どう伝えたかったのか、などなど参加者の質問にも応えながらのトークです。自由参加ですので、ぜひ、ご参加ください~!♡☆

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31日(木)アイデムフォトギャラリーシリウスで開催している友人の木下修写真展「偏愛東京」を見てから、OMシステムギャラリーで始まった日本舞台写真家協会 第35周年記念写真展へ行った。

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実は僕は同協会の創立期はメンバーだった。会員ナンバーは5番だ。第1回写真展では実行委員として、当時渋谷にあったドイ・フォトプラザと交渉し、無理なお願いを聞いてもらった。会が軌道に乗った5~6年後に僕は退会をした。丹野章さんはその後も会員で、後に名誉会員に推挙されている。

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当時、創立会員として一緒に活動した現会長の瀬戸秀美さんの主催者あいさつ。現在、創立メンバーは11人が在籍しているという。会員は47人に増えている。

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パーティ会場で久しぶりに中谷吉隆さん(左)、松本徳彦さんと出逢って話が弾んだ。三木淳会長、藤本四八会長時代、ともに理事として約8年間活動した。「写真界のため、日本写真家協会(JPS)のため・・・」を合言葉の様にしてよく活動したと思う。2人ともその時の先輩であり、仲間であった。当時の先輩たちは鬼籍に入られた人も多いが、お二人は現在、JPSの名誉会としてお元気に活躍している。ご自愛を祈ります・・・ 合掌

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(株)シグマの桑山輝明さんと。久しぶりの再会に話は盛り上がった・・・。かれこれ20数年来の付き合いである。

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瀬戸秀美日本舞台写真家協会会長と、舞台写真家として先輩であり、前日本写真家協会副会長の松本徳彦さん。めずらしい組み合わせなのでパシャリ~!!

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左から(株)シグマの桑山さんと(株)ニコンイメージングジャパンの相川さん。彼女もコロナ禍のなかで数年ぶりの再会であった。

 

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8月20日(日)は、下北沢商店街あげての「阿波踊り祭り」狭い路地には、踊り子連と見物客で超満員。ライブ会場の前もご覧の通り。

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舞ちゃんのライブが始まる時間と、阿波踊りがスタートする時間が一緒だったので見れなかったが、始まる前の雰囲気は撮れた・・・。

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6時30分きっかりに始まった。外の賑やかな太鼓や鉦の音がうるさいかと思いきや、気にならなかった・・・。

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30数年前に作った「願い」(作詞・作曲:あらい舞 補作詞:小松健一)の曲も新CDに収録され、この日のライブでも彼女は歌った。ロシア、ウクライナの戦争をはじめ、世界各地で紛争がおきている現在の状況を憂い、人々に語りかけているような詩と曲が胸に沁みた・・・。

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あらい舞ちゃん(中央)、河島英五さんのツアーメンバーのBassだった吉田さん(ラウンのマスター)、正さん(舞ちゃんの夫)。

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新発売となったCDのタイトルとなった曲「Garasha~永遠の祈り~」(作詞・作曲:あらい舞)を熱唱する・・・。

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パーカッションは正人さん。

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熱唱する舞ちゃんを久しぶりに撮影した・・・。1988年1月に、あけび書房から刊行した『夜明けまでピアノを弾いて』(写真:小松健一/文:あらい舞)以来のことである。

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ライブが終わった後、参加者ひとりひとりにあいさつして回る舞ちゃんと正人くん夫妻。熱烈なファンばかりだ。

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みなさんが帰った後、正人くんと舞ちゃんと2人と親しい写真家の眞月美雨さんで、ささやかな「おつかれさま会」をした・・・。

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「道理の前で」、「待ち門」の芝居が終わって・・・。(メルシアーク神楽坂・主催:Creation そらあいだ)

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主催者を代表してあいさつをする清水ひなたさん。芝居の解説もした。

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作・演出をした清水ひなたさんは、立教大学大学院 現代心理学研究科・映像身体学専攻在籍。フランツ・カフカの作品を参考にして、現代的に斬新に表現している意欲作。「いる」と「いない」の狭間を若者の視点で見つめ、捉えようと葛藤する心象を描く・・・。

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舞台が終わり、夜の部が始まる前に捥ぎり場の前で。

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清水さんとは、4年前に知り合い、彼女を被写体に「ひなた20歳」という作品を撮り下ろした。19歳~20歳の時、第37回「写真集団・上福岡」展に8作品を出品したことがある。その時以来の友人だ。来年春には社会へ巣立つが、これからどんな人生を送っていくのか楽しみではある・・・。

 

 

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立秋などは等の昔に過ぎたのに、毎日が酷暑、極暑の日々・・・。家の前の畑のスイカは暑さと降水量の少なさにほぼ全滅。みな割れてしまったのだ。(8月下旬の午後4時過ぎ)

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僕と同じ歳の隣人は、サラリーマンを辞めてから農家に前の土地を借りて農業はじめた。最近は本格的な農民になりつつある。暑さが少しは収まった夕暮れ時に畑に出て作業をしていた。(8月下旬)

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8月17日、東京芸術劇場で開かれている第38回日本海洋画展へ行った。今後、8月28日~9月3日まで、兵庫県民会館アートギャラリー。9月14日~19日まで、福岡アジア美術館において巡回展が行われる。 現代日本画壇の海洋画を一堂に集めた見ごたえある絵画展です。ぜひご覧ください(無料)

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スタッフと記念写真~!♡☆ 毎年発行している全作品が納められた画集(目録)撮影を僕が担当している。

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日本海洋画展とマリナーズ・アイ展の事務局を担当している飯田さん(左)と写真家の眞月美雨さん。

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8月18日、皆川靖写真展「房総逍遥 Ⅱ 安房・上総丘陵の四季風光」(ポートレートギャラリー/8月17日~23日)を見る。写真展DMと同時出版した同名の写真集(日本写真企画刊・3300円 税込)。皆川さんは千葉県を中心に写真活動をしている。現在、千葉県写真美術会副会長など。

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近所の居酒屋でブラリと呑む。大学院生のHさんと芝居や表現について語り合う・・・。

写真家・眞月美雨さんとは、9月28日から10月4日まで新宿御苑前のアイデムフォトギャラリー・シリウスで開かれる、「風」創立15周年記念展に出品する作品などの事など語り合った・・・。
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少々ご機嫌な僕でした・・・。近年は呑むと直ぐに眠たくなるので、あまり外では呑まない・・・。

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こんなことが実際にあるのか、というぐらい偶然の再会であった。この日、僕は創業70周年となる池袋の沖縄料理の店・みやらびへ久しぶりに顔を出した。友人の画家・美崎大洋さんを誘ったが生憎、体調が悪いらしく断られたので独りで店に入った。珍しく混んでいたのでカウンターへ腰かけてオリオンビールを呑み始めた。そこへ店の幸ちゃんが電話を持って、いま、重松さんから電話でこれから沖縄そばを食べにくるという。しかし、この日は汁が一切なく、麺類は出来ませんと伝えたという。重松さんは諦めて電話を切ろうとしたときに、いま写真家の小松さんが来ましたと告げると、えっ小松さん、懐かしいからちょと顔を出す。と言うのだ。(左から重松さん、琉球舞踊家の陽子さん、僕)

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あの忙しい売れっ子作家の重松清さんが、来ないでしょうと半信半疑でいると5分足らずで本当に顔を出したのである。銀座にこれから呑みに行くのでほんのちょとだけですと言ってまずは12年ぶりとなる再会に乾杯をした。東日本大震災直後の2011年7月25日、新潮社から刊行された『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』のサハリン・ウラジオストック取材やそのあとの打ち上げ以来だったのである。重松さんと陽子ネェネェ~。

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2年前までは沖縄藝術大学で、島唄や三線などを学んでいた美海ちゃん。みやらびの女将となるべく、いま修業中。功子現3代目女将の孫にあたるのだ。重松さん、何卒ごひいきに・・・。

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左から功子女将、重松さん、陽子ネェネェ~、そして僕・・・。展示された写真は、この店の2代目女将の夫だった写真家・石川文洋さんの作品。右から2点目は僕の作品。功子さんの舞台をを撮影したものだ。もうかれこれ40数年通っている店だ。

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みやらびには、昭和の文壇作家をはじめ、画家、俳優など文化人が揮毫した色紙が100枚以上ある。飾ってあるのはその一部だ。佐藤春夫、檀一雄、新田次郎、山下清、山田五十鈴などなど。基本的には鬼籍入った方々を展示しているが、特例に重松さんの色紙は飾ってある。ファンが多いそうだ。
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サハリン取材は毎日が愉快だったと思い出話は弾んだ。毎夜、毎夜呑み歩いた。同行した編集者も呼んで会をやろうと盛り上がったのだ。12年も会っていなかったとは思えなかった。僕の母が亡くなったことをはじめ、近況など詳しく知っているのに驚いていると、僕のブログに目を通しているという。「えっ!!」と声をあげると「僕は小松さんのブログを世界で一番読んでいる読者だと思うよ・・・」と言うのだ。僕はとてもうれしかった。書いてきてよかったと思った。まもなく初めて2500回になるが、時々何のためにこんなことをしているのか、と疑問におもったこともあった。でも、重松さんの一言でこれからも続けていこうと決意をしたのである・・・。 合掌

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家の前の駐車場から夏雲を望む(2023年8月15日)。

 

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昨夜、夏バテ対策にと思い冷蔵庫にあった京野菜の万願寺とうがらしの味噌炒めを作った。ナス、ゴーヤ、地元の手作り味噌に沖縄の油味噌を少し、酒、みりんを入れてよく混ぜる。金山寺みそまでいかないまでも少々甘めの味噌で炒めた。ビールのつまみによろし・・・。

 

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2023年7月3日3:00頃、みずき書林社長、前勉誠出版社長の岡田林太郎さんが永眠した。享年45歳だった。お通夜は7月7日、告別式は同月8日に品川区の桐ケ谷斎場でしめやかにとりおこなわれた。あれから1カ月過ぎたが、この現実がなかなか受け止めれられずにみなさんに報告できなかった。広島・長崎で人類にはじめて原子爆弾が使用されたこの8月6日がふさわしい、僕との出会いも広島・長崎の原爆のことであったこともあり、思い切って書くことにした。 お知らせが遅くなったこと深くお詫びします・・・  合掌

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何度か来たことがあった桐ケ谷斎場だが、猛暑の中、一つ乗り過ごしてしまい戻った五反田駅からタクシーで駆けつけた。せみ時雨のなか、式は始まっており、喪主の岡田裕子さんのあいさつが静かに流れていた。

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お焼香と遺族へのあいさつがはじまる・・・。

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前方右から岡田林太郎さんの母、父、そして妻の裕子さん。ご遺体を囲むように進んで一人一人がご遺族と語れるようになっていた。遺影の前にはみずき書林を設立してから彼が手掛けた書籍、数十冊が並べられていた。

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故人が好きだった真っ白い花々で包まれていた・・・。

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参列者は若い人が多かった。早稲田大学出身の友人たちが目立った。出版関係は一人が僕にあいさつに来た。それにデザイナーがお清めの会場であいさつに来ただけだった。知り合いはこの2人だけだった・・・。

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3年程の重い癌との闘病生活、本人からは一度たりとも「辛い」という言葉は聞くことがなかった。穏やかな顔であった。岡田さん、ゆっくりと、安らかにお眠りください・・・ 合掌

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彼が勉誠出版の社長だった時、原爆投下70年に広島・長崎の原爆の悲惨さと平和の尊さを訴える写真集を刊行しょうと企画が持ち上がった。2015年春まだ浅い頃だった。1982年に日本のあらゆるジャンルの写真家・写真関係者500余名が発起人となり結成された「反核・写真運動」の運営委員・新藤健一さんと事務局長を務めていた僕の2人が編集・構成者となった。それから発行日の8月6日までの日々は、今考えてもよくできたとつくづくと思う。社長である岡田さん自身が一編集者となって先頭に立って出版に至るまで奮闘したのは言うまでもない。彼がいなければこの人類にとって貴重な本は陽を見ることはなかったろう。現にその後、この本をみたアメリカ・テキサス大学の米国歴史センターの教授たちが「反核・写真運動」と協力して写真集の出版や大規模な写真展など世界に繋がったのである・・・。

それだけではなかった。実は僕が27年間、地球2周をはるかに超える取材を続けてきた中国西北部・チベットなどに暮らす少数民族。『民族曼陀羅 中國大陸』が2018年4月刊行予定で勉誠出版において着々と進んでいたのだ。しかし、岡田さんの突然の社長辞任をはじめ、紆余曲折があり、僕は勉誠出版での刊行を断念した。まったくのフリーになった岡田さんが、これから自分一人で好きな本だけを自分のペースで出版する会社を設立しょうと思っていると打ち明けた。勉誠出版ではすでにりっぱなパンフレットが1万刷り上がっていたし、定価、部数、印税なども決まっていたので彼はこの本は勉誠出版で出した方がいいのではないか。と言ったが、僕はいままで2年間2人でやって来たので最後まで成し遂げたいと強く言った。岡田さんは、「小松さん、部数は6分に1に、定価はそのまま、印税はありません。現品払いでよければ、新しく創る『みずき書林』の創立第一号の記念出版物として出しましょう」ということになった。それが遺影のすぐわきに飾られている写真集である。昨年亡くなられた写真界で初の文化勲章を受賞した田沼武能さんが、この写真集に心のこもった推薦文を寄せてくれたのは、「みずき書林」と岡田さんの新しい旅立ちの祝いになったと思っている。

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ご遺族。左から奥様の岡田裕子さん、一人置いて岡田さんのお姉さん、お父さん、お母さん。

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お通夜が終わったあとのお清め会場は、若い熱気にあふれていて満席だった。僕は一番前の席に陣取り、岡田君(僕の娘や息子より若いのでいつもはこう呼んでいた)と酌み交わしながら語っていた。隣に座った人に聞くと早稲田大学の後輩で映画部で一緒に活動していたという。少し酔うまで飲んでいた・・・。

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昨年の5月15日の沖縄本土復帰50年に発行された僕の写真集『琉球 OKINAWA』(本の出版社)も、もしみずき書林がまだつぶれていなかったら、うちで出しましょうかと笑っていた。昨年8月の銀座での写真展に来て、そこで僕の解説を聞きながら見るのを楽しみにしていると言っていたが、緊急の入院で果たせなかったのだ。先日、裕子さんに頼んで彼のご霊前にこの写真集を供えてもらった。これでようやく岡田君との約束を果たせと安どしている・・・  合掌

(写真は、同写真集の中から沖縄本島・やんばる地方の名護湾の夕暮れ)

 

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7月23日、金大偉監督のドキュメンタリー映画「天空のサマン」を観に吉祥寺まで出かけた。吉祥寺PAPCOのB2にある映画館だ。好評で8月10日まで上映する。金監督と親しい写真家・眞月美雨さんと。背景に展示されているのは、金さんの絵画作品。美雨さんが手に持つのは映画のオリジナルパンフレット。

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この日のトークはゲストに哲学者・茶道家の黒川五郎さん(右)を招いて行われた。 映画を観た後、小学・中学の同級生で実家が近く同じ村出身の友達を訪ねた。確かこの周辺で蕎麦屋をしていたはずだと思った。炎天下の中、記憶をたどりたどり、ようやくつくことが出来た。カツ丼とセイロのセットにてんぷらの盛り合わせをご馳走になった。冷えたビールも喉に沁みた。ありがとう~!♡☆

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行かなくてはと思い続けて来た田沼武能さんの遺作写真展「人間賛歌」を見に東京都写真美術館へ行った。何しろ昨年6月に突然と旅立たれてしまった田沼さん。彼の一生涯を代表する作品群が展示されていて圧巻であった・・・ 田沼さん、安らかに・・・  合掌

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やはり田沼さんとも何度かお会いし、話もしている眞月美雨さん。

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同じ東京都写真美術館の2Fで開催している本橋成一とロベール・ドアノーの写真展「交差する物語」も見た・・・。

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何でこの二人がと言う思いで見始めたが、時代は30年ほど違う日本とフランスと異なる場所で、それぞれが共通しているモティーフを撮っていることに驚いた。しかし、その表現は日本人の眼、フランス人の眼という視点はあれど心情的にはすごく近いことに気が付いた・・・。

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美雨さんは、ロベール・ドアノーの作品にとりわけ惹かれたようだった・・・。

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西日が射しこむ東京都写真美術館から恵比寿駅に通じる通路。

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植田正治さんの作品と。

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ロベール・ドアノーの作品と。

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帰りに乾いた喉を潤すためにエビスビールを引っかけた。そしてかってはよく行った恵比寿駅前にある「日本一の焼き鳥」を掲げている焼き鳥屋へ寄った。かっては友人、知り合いのネパール人たちが沢山働いていたのだ。久しぶりに顔を出したらネパール人は一人もいなかった・・・。

 

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南陽市・馬天港でハーリーの練習をする子どもたち。土砂降りの雨が止み、晴れ間が一瞬でた。

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6月11日、空港について直ぐに南陽市・馬天港へハーリーの取材に行き、この日が最終日だった豊里友行写真展「おきなわ」を那覇市民ギャラリーへ見に行った。

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豊里君と写真研究塾「風」のメンバー。この後、搬出の手伝いをみんなでしてから別れた。

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本来は、新しくオープンした牧志公設市場や壺屋などを取材してから沖縄タイムス記者(編集委員)の阿部岳君(左端)に会うことになっていたが、時間が押して真っ直ぐに向かったが少し遅れてしまった。ごめんなさい~!☆ 1年ぶりの再会だった・・・。

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日曜日で台風の影響もあり、牧志公設市場でもさすがに、鮮魚はあまり多くはなかった。夜光貝とクエの良いのがあるというので、それぞれのお造りを頼んだ。

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20数年来の付き合いになる公設市場の2Fにある「ツバメ」食堂で。昔の市場より、仮設のときよりも、店が大分狭くなっていた・・・。

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2軒目は、新しくできた店だが昨年から行きはじめた店。仮設市場があった前にある。呼び鈴を押すとハブ酒を一杯飲まなければならないという決まりごとがある。僕はあおちゃんが押したので一杯呑む羽目になってしまった。阿部君がゲームに負けたのでその罰ゲームなのだという。

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出口君の娘・あおこちゃん(一番奥)も合流した。この店の絶品は「じーまみ豆腐」。

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6月12日目、ホテルの朝食。県庁前で国際通りに面したいいホテルだった。

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那覇市内のホテルから真っ直ぐに奥武島へ。沖縄に詳しいNHKの記者の友人のお奨めスポットだった。昼飯は沖縄そば。もずくが練り込んである麺が美味しかった。

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海を前にして・・・。

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フェリーの出港に時間があったので由香ちゃんお奨めの喫茶店のフロント。番人役の猫ちゃん。無銭飲食は許さないにゃぞ~!!
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僕は白砂と海をみながらオリオンビールを。至極の時なり・・・。
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久しぶりに久高島を訪れた。フェリー乗り場の待合所には、お母さんに甘える子猫たちが出迎えてくれた・・・。
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久高島の最北端、琉球開闢の神・アマミキヨが降臨したハビャーン(カベール岬)で。手前から美雨、僕、並木さん。(撮影:出口信一)

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久高島の巨木ガジュマル。

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久高島・徳仁港を見下ろす丘で、いままで降り続いて雨がやみ突然陽が射しこんだ。

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小さな民宿へ泊めてもらった。夜の交流は、虫の音やカエル、鳥の鳴き声のなかで・・・。

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並木さん、あおこちゃんは先におやすみ・・・。

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6月13日、14:00のフェリー出港まで久高島を巡る。比嘉康雄さんの写真が展示してある民俗資料館にも行った。写真はニライカナイへの遥拝場であり、五穀発祥伝説の浜・イシキ浜へ。

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雨は降り続いていた・・・。

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雨のガジュマル。

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カベ―ル岬へと真すぐと続くサンゴの白砂の道で。今回の「風」取材メンバー。右から僕、美雨、並木さん、沖縄在住の出口君。

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久高御殿があった場所。かってはイザイホーなどがおこなわれた。現在も主要な年中祭祀をおこなう祭場。一番奥の建物はエラブ―(ウミヘビ)を蒸す作業小屋。

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6月14日、屋我地島で。 昨日の13日は久高島から途中、読谷村のやちむんの里へ寄り、名護市内へ着いた。夜は地元のやんばるの自然写真家・東江さんを囲んで話を聞いた。14日は彼の案内でやんばるの森へ行く予定だったが、大雨洪水注意警報が出されていたので残念だが中止。

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この写真は、6月14日にやんばるの森を案内してくれる予定になっていた写真家・東江辰昇さんが、その後7月29日に撮影したもの。「あの時は残念でしたが、久しぶりにヤンバルクイナが撮影出来ました。29日の深夜12時に国頭村のダム近くでの撮影です・・・」と写真とメールが来た。

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本部港にある友人のお店・「本部口福家」の名物料理。雨の古宇利島を廻って来たのだ。

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前日の名護市内のお店ではこの天気続きで、魚は一切入荷していないと言われ、ありつけなかったので船長でもある店主が特別に用意してくれていたがうれしかった。

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左から2人目が店主の森満憲司くん。昨年5月、名護市内で出会い、難波で開いた大阪展に店長を連れて見に来てくれた。僕が道頓堀にある彼のお店が気に入って友達を誘っていったりもした。本部が第一号店だというので今回、顔をだしたのである。腕をふるってたくさんの美味な料理を出してくれた。ありがとう~!

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午後からは40年来の付き合いの地元の写真家で運動家でもある宮里さんに辺野古を案内してもらった。雨が激しく、思うように撮影は出来なかった。

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かっては米兵たちで賑わっていた辺野古の町。キャバレーだった建物。

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夜は僕が名護に来たら必ずよる常連の店・「春海」へ。宮里さんを囲んで一杯やった。地元の泡盛と島らっきょ。

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この店は鮮魚が売り、やんばる料理や名物くじら料理もあるさ~。

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同志見たいな友・宮里昇さん。若かりし頃は真の写真家をめざして互いに切磋琢磨していた。彼は一昨年までは那覇市議会員も務めていた。

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「風」会員で協同組合日本写真家ユニオン会員でもある写真家・出口信一君と奥さんの由香さん。スイカは「本部口福家」の森満くんがお土産で持たしてくれた。

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交流会が終わったあと宮里さんと二人で、これまた30数年来の友である宮城リーミさんのお店に顔を出した。彼女は写真もやっている。いま、名護市商工会の理事、日本ハムファイターズの名護応援団長を務めているなど地域活動に貢献している。店のカウンターには、若かりしエンゼルスの大谷翔平選手とのツーショトの写真が飾ってある。

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名護市のシンボル・ひんぷんガジュマル。樹齢は400年とも・・・。

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巨木ガジュマルの下に、名護市が生んだ弁護士で社会活動家の徳田球一の顕彰・生誕碑がひっそりとあった・・・。

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新しくオープンした名護市博物館。

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僕が好きな名護の東食堂へ。昔と比べると店内を広げていた。聞くところによると那覇市内にも支店を出したという。

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僕はソーキそばを頼んだ。近くに「新山そば」もあっが、ここのかき氷が絶品なので久しぶりに食べたくなったのだ。

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東食堂のぜんざいの右に出るものはないと思う。それでいて350円と安いのだ。さっそくみんな頼んでほおばった。

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恩納村の山中を耕し暮らしている友達がいる。以前はここにインデアンの居住する建物があり僕も何度か泊まった。この建物は中東のトルコなどにあるものだという。驚いたことにこの建物を作るボランティア活動に出口家もかかわっていたという。真ん中が「またまた農園」の又一夫妻。

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摘んだ葉での茶や果物を出してくれた。昨年の僕の那覇、名護の個展に夫婦で来てくれたが、その前は20年ほど会う機会がなかった。うれしい再会ではある・・・。

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今や司法書士の事務所をたたみ、のんびりとこの山の農園で暮らしているという。僕が以前、沖縄で「ヒマラヤの神々」の写真展を開催した時に、又一さんは事務局長としてその中心メンバーだった。那覇に戻る途中、僕の写真の先輩でもある沖縄在住の写真家・小橋川共男さんが指導しているグループの写真展を北谷町でしていたので寄って一年ぶりの再会を果たした。故・丹野章さんの弟子でもある小橋川さん、80歳を過ぎたという。いつまでもお元気で・・・。

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初日に会えなかった与那嶺鮮魚店へ顔を出したが、またしても店は閉まっていた。午後7時過ぎには閉めてしまうのだ。少し遅れてしまったようだ。残念である・・・。

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初日の11日に行った店にまた行き、お疲れさま会を開く。沖縄滞在中、本当にお世話ななった出口夫妻に深い感謝を込めて乾杯をした。親しくなった店の店員と記念写真。並木さん好みの青年だという・・・。

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本当にお疲れさまでした。そして6日間、無事に取材を終えることができて良かったね~!♡☆ 沖縄最後の夜は島酒で盛り上がりつつ更けて行った・・・。
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6日目の16日午後、那覇空港のレストランで東京に戻る3人で最後の乾杯~! オリオンビールを空けた後、僕は泡盛のロックをやりながら、何も変わってはいない本土復帰51年目の沖縄についてぼ~と考えていた・・・。

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ANA996便は羽田に向かって低空飛行に入っていた。2時間ほど眠っていたらしく目に眩しい光が飛び込んできた。関東地方は梅雨の晴れ間が広がっていた・・・。 (沖縄小取材記は終わり)

 

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