写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2024年6月アーカイブ

 

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新年度2回目の例会だ。塾生は6人の参加だった。事務局長の塩崎亨くんは、午後1時~2時まで参加していたが、夕方から千葉の九十九里浜での撮影のために早退をした。沖縄の出口君、信州の橋都さんは遠路はるばる参加した。

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いま、今年に入って4回の写真展を開催している97歳の中村咲同人を除いて4人の同人、会員が来年の個展の開催を目指している。秋口が各会場の審査締め切りとなっているので最後の追い込みに入っている。3人は100点を超える作品を持って来ていた。

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入院以後、3週間ぶりの外出だったので、まだ完全に回復していないので体力が続かない。立っては座り、座っては立っての指導となった。

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塩崎君はいないが、みんなとの久しぶりの再会を喜んで記念写真を撮った・・・。足元がおぼつかないので、ヒマラヤなどでも活用した一脚を杖代わりに持ち運んだ。

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この日の移動はすべてタクシー。やはりまだしっかりと歩くことはできない。たかだか歩いて5分足らずの駅前の沖縄料理の居酒屋へ行くにもタクシーだった。アルコールは23日間一滴も飲まずに絶っていたが、この日、みんなが退院祝いの乾杯をしてくれたのでオリオンの生ビールの小を飲んだ。久しぶりの酒は五臓六腑にしみわたった。呑み助メンバーは、さっそく泡盛へ。一人で春雨、菊の露、久米仙、八重泉のロックを気持ちよさそうに空けた強者女性もいた。羨ましい~!!

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料理も一応は沖縄料理がそろっていた。刺身はイラブッチャー(中央)のみ沖縄の魚。モズクてんぷら、島らっきょ、ゴウヤチャ、フーチャンプル、豆腐用など注文していた。この店はまだ4回目だが、みんな暑い夏の訪れと共に沖縄の店が好きなようである。ほどよく酔いが回った頃にお開きとした。次回は8月下旬の再会である・・・。

 

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6月22日、雨上がりの清々しい朝。午後に退院が決まっているが、その日に相応しい朝を迎えた。病室の窓辺から。
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手術後に入った病室。ちょうど10日間滞在した部屋。なんとなく愛着が湧く・・・。帰宅後はしばらく療養とリハビリを兼ねながらのんびりと送るつもりでいる。とにかく多くの方々にご心配をかけたことを心からお詫びします。 僕は絶対的に元気ですからご安心ください~!♡☆

◆写真は、沖縄本島最北端・辺戸岬より本土方面を望む。晴れた日には与論島の島影が見える。
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5月7日、埼玉県和光市にある独立行政法人 国立病院機構 埼玉病院へ入院した。長男である小松淳平と弟子の眞月美雨さんが同伴してくれた。

最初の入院は5月20日までとなったが、当初の予定は、10日手術ということであった。しかし、この間、検査を繰り返し、糖尿病内科の医師たちが、血糖値の高さ、血圧の高さなどいままの状況では手術のリスクが高すぎるという提案を泌尿器科の医師にして再検討となったことでこの入院がなった。リスクを最大限に下げて手術に耐えうる環境に整えることが入院の目標である。

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最初の病室からは富士山が正面に見えた。「小松さん、起きて富士山がよく見るわよ~」と夜勤担当の看護師から声をかけられた。このように富士山が綺麗に臨める五月晴れは、2週間の入院の内、結局は2日間しかなかった。

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同病院内における撮影や録音などの行為は厳しく禁止されている。各所にその旨を記入したポスターが掲示されている。看護師たちスタッフからの注意も多い。他の患者さんもいることなどで当然のことではある。自ずと撮れるものは限られてくる。このような病窓から風景、朝、昼、夜の三食の食事メニュー、それに自写像などだ。面白くない映像が続くかもしれないが、ご容赦ください。

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再入院の6月10日。この日も前回同様、倅の小松淳平と眞月美雨さんが同行してくれた。病院の正面玄関口。(※突然、再入院の話に飛びましたが以下は、一回目の入院の話です)

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この間、埼玉病院での検査は繰り返された。この映像は1度目の造影剤を入れたCT検査の僕の腎臓の画像。上の画像の左部分の腎臓の下に丸く付いているのが癌の腫瘍。この時点で直径7センチ大だった。下の画像は輪切りにして見ているもの。やはり左部分の丸いものが腎臓がんである。僕が「腎臓よりも大きく見えますね」と言うとまだ40代と思われる執刀を担当する医師は「そうですね、でもまだ転移は見られませんので早く切りましょう」と言って笑った。この写真はその医師が撮影してくれたもの。僕が写真家であり記録として残したいという希望に沿ってくれたのである。

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夕日の刻は、ぼっ~と外を眺めていた・・・。 俳句は浮かばなかった・・・。

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晴れた日は、晴れた日でぼっ~と雲の流れを見つめていた。僕は貧乏人なので一番安い4人部屋に入っていたが、空いていれば窓側を希望することができる。但し、一日500円費用が嵩む。でもカーテンに仕切られ、一日陽が射さない場所に長期に及びいると思うと居たたまれない。ささやかな贅沢は、精神面でも良いと思い頼んだのだ。10㎝ほどだが開けて外の空気も入れられるのにはありがたいと思った・・・。

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一日3食のメニューはすべて撮った。1日、1800カロリー。値段は一食100円なり。それでこのボリュームはうれしい。米は発芽米に変えてもらった。家でのご飯と同じにしてもらった。

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毎日、小さな散歩をした。新館の6階から本館の1階に下り、外のバス停まで行き前にある小さな公園で軽いストレッチをした。その後、コンビニエンスストアへ寄って1本1リットルの水「霧島の天然水」2本、ルイボスティー、中国茶各1リットル。最後にコーヒーのAサイズをオリジナルチェイサーに詰めて戻ってくる。これを日課としていた。
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毎食、しっかりと噛み、味わって食べるよう試みた。
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バス停前の風景。ベンチに何気なく座っていると色んなものが見えてくるから面白い。僕の写真の恩師の一人に戦後、学生写真運動などで名をはせ、「カメラ」の最後の編集長代理を務めた目島恵一先生という人がいた。この先生は滅茶苦茶酒が好きだった。酔うと必ず「上から読むとめじまだが下か読むとまじめだ~!!」と大声で笑っていた。独りベンチに座っていると、ふとそんなことを想い出した・・・。 合掌
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再入院の部屋から見える埼玉病院の表て玄関。入院は6月10日~22日。

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今日もパンのような雲が流れていく。

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11日から献立は「重湯」になった。米粒ひとつ入っていない。何も味がせず、何を食べているかもわからない。

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時のたつことの何と遅いことか・・・。

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11日手術の前日、夕方から点滴が始まる。

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この日の夕食も重湯。体内の物を出来るだけきれいに出すために昨日から下剤や浣腸を使い、胃や腸から入っている物を絞り出しているのだ。

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2024年6月12日(大安吉日)午前8時。最後になるかもしれない撮影。 ここから手術を終えて集中治療室に戻るまでの全ての写真は、写真家の眞月美雨さんが、医師・看護スタッフの人たちの了解と協力を得て撮影した貴重なドキュメントである。ここにアップしているのは、その一部だ。   感謝~!♡☆

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9時に手術が始まるので慌てて荷物を整理し、部屋の引っ越しだ。僕がこの手術で一番ショックだったのが髭を全て剃ってほしい!!と言うことだった。僕は当初から、がんとして反対を貫いていた。約半世紀、40数年間髭は僕の相棒として常にあった。ヒマラヤ、チベット、アンデス、北極・・・どこに行くにも必ず一緒だった。「僕の髭は武士の刀やちょんまげと同じだ」と抵抗していた。僕と親しい写真仲間も見たこともない。娘や倅も・・・。僕すら記憶がないくらいだ。

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そうしたら手術を担当する泌尿器科の医師3人、麻酔科の医師2人が僕の部屋に来た。みんなで説得作戦。「緊急事態が発生したときに、髭があると対応できない」というので「では緊急事態が発生した時には無条件で剃っていい」と僕が言った。最後に執刀する医師が「髭を剃らないならこの手術はできない」とぴしゃりと言った。

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こうまで言われると仕方ない。最後まで抵抗してみてもと、一瞬思ったが、やめた。髭はまたすぐに伸びてくるのだ。そんなことにこだわっているより、一日も早く健康になってやり残した仕事をやり切らねばならないと思い直したのである。残された日々が限られている。顎の髭は剃れた。

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残すは、鼻の下の髭。”髭剃り名人”と言われる看護師さんが医療用の鋏を使って何とか剃っていく。病院だからカミソリなど刃物類は置いていないのである。この鋏では正直難しい。

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最後は刃の付いてない電気カミソリ。でごしごし擦り付けるように剃っていった。もう何人もの髭を剃っているので感覚が分かっているのだそうだ。助かった手術室へこれで15分前に向える。

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髭が剃られ、弱弱しくなったような僕。これが恐らく僕が死ぬ前に最後に見せた髭のない顔となるだろう・・・。レアな写真かも知れない。

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家族など関係者も、見送りはこのエレベーター前まで。手術室へ向かう。地獄への通路のような気がした。6月12日、8時55分。

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ここからはまだ全身麻酔が効いているので、僕は一切覚えてない。鼻や背中、尿管、両手、両足から多数の管がつながっている。

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当初の手術予定は「4時間見ておきましょう。通常2時間か3時間ですが小松さんのは大きいですから」と前日の打ち合わせでは言っていた。しかし、何と9時間を超える大手術だった。美雨さんによると部屋に戻ったのは夜の6時を優に廻っていたと言う。泌尿器科の医師3人、麻酔科の医師2人、それを支える看護医療スタッフ5人が疲れ果てていたと聞いた。「僕が担当した手術中、一番時間がかかったし、おそらく泌尿器科の記録だろう・・・」と後に主治医から聞いた。

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左がわの丸いのが癌の病巣。

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左側の腎臓の下にぶら下がる丸いものが癌の腫瘍。

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上の写真が切り取った右腎臓と癌。左がわの上と下にどす黒くなっているのが癌の腫瘍と思われる。「大きさは30㎝を超え、重さは3キログラムはあったと思う」と主治医は説明した。「あんなに大きく、重い腎臓は初めてでしたよ」と苦笑していた。撮影した美雨さんはこの日以来、口にするのは勿論、肉類に近付けなくなってしまって閉口しているという。 ごめんなさい~!♡☆

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麻酔が覚めて来るたびにそこら中に激痛が走る。この痛みは半端でない。美雨さんが居たことも帰ったことも全く記憶にないのだ・・・。

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13日の夕方。集中治療室から個室の部屋へと変わる。

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14日、少し起きれるようになったが、まだ全身が痛い。尿管と腎臓に入る管を除いて夕方取れる。鼻、背中の痛み止めの管、両手の点滴用注射器など外れただけでも気分がいい。夕方、眞月美雨さんが寄ってくれた。生きている証に「一緒に写真を!」をと言うのでパチリ~!☆!♡

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18日、一日中雨が降り続いていた。僕は窓を開けて、雨音と湿気を含んだ甘い大気に親しんだ。子どもの頃から雨の日は好きだった・・・。

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洗面所の鏡で自撮り。5月7日入院した時の体重は、119、4キログラム。6月18日朝の体重は101,9キログラムだった。目標の90キロ台突入は厳しいかもしれないが、諦めないでがんばってみよう。しかし、明日朝から通常の糖尿病患者用のインシュリン投用が始まるので、食事もきちんと窃取しないと低血糖になる。体重を単純に減らすために食料を減らすというわけにはいかなくなるのだ。ここら辺については毎日、栄養士が来て相談している。

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6月19日朝、病窓からの爽やかな風景。 この調子で回復していくと退院も見通せると主治医は言った。今週中か、来週頭か、僕とすれば出来るだけ早く退院したい。今回の件については、家族とごく近い少数の人以外には一切知らせていない。いろいろとご心配をかけている多くのみなさま方に、一刻も早く元気な姿を見せたい。

・残された人生、悔いのないように精進する。

・やり残した仕事を一つでもやり遂げるよう努力する。

・病気としっかり向き合い、決して侮らぬ共生の精神で生きぬく。

今回の闘病生活を体験して学び、心に刻んだことは、上の3点である。余りにも平明簡素であるが、決してそう長くはない残りの日々を静かに生きて行きたいと切に思っている・・・  合掌

 

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ポスター(A2サイズ42㎝X60㎝、写真:大賞作品「旅路」熊倉颯)デザイン:塩崎亨

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チラシ表(A4サイズ、写真:特別賞作品「夏休み」阿部高嗣)デザイン:塩崎亨

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チラシ裏(写真:入賞作品 大賞・推薦・特選・優秀賞・U19大賞・会長賞・特別賞)

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DMハガキ(裏)

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DMハガキ(表)

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林義勝さんが企画した「林家6代 写真展」を観たせいか、カメラは持っていなかったが、無性に撮影したくなった。四谷の露地ではあるが、ふと潮風が吹いてきたと思った。同伴した写真家の眞月美雨さんにモデルになってもらい20カット余りシャツターを切った。恥ずかしながら手持ちのスマホで。本人の承諾を得て数点ここにアップすることにした。

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知り合ってから10数年が経つが、いままでほとんど美雨さんを被写体として撮ったことはなかった。せいぜい記念写真だった。今回もそれに近いが、多少は彼女の内面を表現できたかと思いアップしたのである。あらためて彼女の表情を見て、出会った頃とはずいぶんと印象が変わったと思った・・・。

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「小松~何を暇こいているんじゃ!!」と叱られそうだが、人間を撮るということはやはり面白いと思った。山岸伸さんの気持ちがよくわかる。土門拳の『風貌』、田村茂の『現代日本の百人』などに憧れた時代もあった。もう遅いかもしれないが、僕も興味のある、好きな日本人を撮影したいとあらためて思った。でも・・・せめてものこの道に入って半世紀、いままで撮りためた人びとを「出逢いの肖像」としてまとめようと思っている。やるぞ~!!

 

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6月6日、年に一度の撮影のために、朝7時半過ぎに家を出て湘南台の先にあるスタジオ&倉庫へ向かった。今日の撮影を手伝ってくれるのは、写真家の塩崎亨さん。

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主催者である一般財団法人全日本海員福祉センターの事務局の飯田さん(右端)も手伝いに来てくれた。スタジオのスタッフ5人も。撮影は11時前から始まった。

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塩崎君とのコンビはすでに9年目。途中変わった年もあったが、順調に撮影は進んだ。

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午後1時15分前に、午前中の撮影は終わりにした。知らない内に塩崎君が撮ってくれていた。

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昼食前に、恒例のスタッフたちとの記念写真を撮った。

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昼食はスタジオ近くの鮮魚が売りのいつもの食堂へ。各自が自由の頼んだが、この日の僕のメニューは、下田港のトロ金目鯛(200g)の煮つけ定食。

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それに伊豆七島の神津島のアカいかの刺し身。

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地元湘南の釜揚げのしらすを頂いた。食べきれなかったのでみなさんへ回した。満足でした。 合掌

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他の人たちが頼んだメニューのいくつかを撮らせてもらった。本マグロ(100g)定食。

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駿河湾の獲れたてアジのフライ定食。

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海鮮丼。どれもが美味しそ

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午後2時過ぎから撮影開始。この2枚も知らない内に塩崎君が撮ってくれたのだ。

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スタッフが1人合流したので、最後の撮影が終わった後、再度記念写真を撮った。午後4時を過ぎていた。これで来年の6月に再会するまでは、みなさんと旨い魚としばしのお別れである。お疲れさまでした・・・。

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帰りに、最寄り駅前にある居酒屋に寄った。この写真の筋の煮込みが無性に食べたくなったのである。口の中に入れるととろけてしまうやわらかさ、脂質が抜けたコラーゲンがたっぷりで旨い。焼酎のロックがとりわけ合う・・・(この日は禁酒しているために呑むことはできなかったが)。

 

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6月2日、「第36回全国保険医写真展」の審査が新宿の保険医団体連合会の本部で行われた。山口県、徳島県、宮城県など全国から集まった文化部所属の先生たちも参加しての審査だった。

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審査委員委員長の僕と右隣りは、岩本英次審査委員(JPS会員)。文化部の先生方。写真展は8月初旬に東京JCIIフォトサロンで開かれる。入賞作品をふくめ約60点が展示される。会期中の8月4日(日)14:00から、僕が講師をして写真解説が行われる。無料・自由参加ですので、ふるってご参加ください。

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今回、会長賞を受賞した工藤美千代さんは、徳島県でクリニックを開く総合内科専門医であり、糖尿病専門医の医師である。記念に僕とパチリ~!!会長賞受賞は2度目であるという。娘さんとお孫さんの愛を表現した「宝」というタイトルの作品。

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審査終了後、近くの居酒屋でスタッフも参加して、軽く打ち上げをした。僕もお付き合いをした。先生方は酒豪が多い・・・。

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6月4日、しばらくの間、また”隔離生活”になるので、ヘアカットに池袋のサロンへ行った。

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3度目のヘアサロン。駅に近いし広々としている。

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ヘアスタイルは、ここ11年間は、フリーのヘアデザイナーであり、写真家でもある眞月美雨さんに任せっぱなしだ。

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写真家仲間では親しい林義勝さんが4代目となる「林家6代 写真展」へ出かけた。彼の父親は著名な写真家・林忠彦(3代目)さんである。

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四ツ谷駅近くにあるポートレートギャラリー。

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5代目となる林義明さんが、山口県周南市から来て写真解説をしていた。会場には多くの参加者が詰めかけていた。

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自分の作品、シルクロードを撮ったものを説明をする義勝さん。

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林義勝さんが教えている写真教室の生徒さんたちが見え、記念写真を撮っていた。右端で配置を指示する5代目林義明さん。

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一緒に並んで記念写真を撮る。義勝さんの作品前で(撮影:眞月美雨)

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自然写真家の鈴木一雄さんと林さんと僕の3人は気が合う仲間。3人で何かをやろうよと相談しているが、果たして・・・。

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奥さまの葉山真理さんと眞月美雨さんも入って4人で。撮影は林写真家5代目、義明さんだ。縦位置写真を横位置に圧縮してあるので、みなさん太ってみえる。ごめんなさい~!!

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家路を急いだが最寄り駅についたとたんに空が暗くなり、風も出て来た。遠雷が見る見る大きくなり、大粒の雨が落ちて来た。傘を持っていなかったので慌てて近くのお店に入ったら、うなぎ屋さん。メニューはうなぎの松、竹、梅。酒はビールに日本酒にノンアルコールの計6種類のみ。後は一切無いときた。値段はうなぎにしたらリーヅナブルではある。とにかく久しぶりにうな重にビールを頼んだ。

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後はひたすら雨の止むのを待つだけ。雨音を聴きながら40分程眠ってしまった・・・。目覚めたら雨は上がり、外は爽やかな大気に包まれていた。

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6月5日、夕日が差し込む我が家の玄関。

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玄関前の畑に日が暮れるところだった。同じ歳のお隣さんが、今年初収穫のきゅうりと2日前に掘ったジャガイモを分けてくれた。感謝~!! 彼の耕す畑が写る写真を見せたら喜んでくれた。

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