写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2023年11月アーカイブ

 

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11月23日、半蔵門近くにあるJCIIフォトサロンに出かけた。1週間ぶりの外出である。目的は宮嶋茂樹作品展。なかなか足を踏み込めない地での取材、貴重な記録写真である。ジャーナリズムの世界での活躍が長いだけに、1作品づつの解説をしっかりと書いていて興味深かった。宮嶋君を囲んで写真家・眞月美雨さんと。

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硫黄島も国後島も行って見たいが、古稀を過ぎた老体にはもう無理だろう・・・(写真展会場)。

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23日は二の酉の日、美雨さんが久しぶりに行って見たいというので近くの鬼子母神の近くにある雑司ヶ谷・大鳥神社へ。お酉さまというと浅草の大鳳神社か、新宿の花園神社と決まっていたが、この歳になるとあの人混みはかなわない。昔、暗室兼事務所があった東池袋から久しぶりの都電に乗って鬼子母神前まで。

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鬼子母神へと続く参道。この大門の欅並木は、東京都の天然記念物に指定されている。着いたのは午後5時を回っていたので生憎、門は閉まり境内には入れなかった。

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直ぐ近くの大鳥神社へ。この近所の家族連れに案内してもらい一緒に行った・・・。

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花園や浅草と比べるまでもなく、その規模ははるかに小さいが、それはそれで雰囲気はある。僕はこちらの方が好きである。

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自分が買ったわけでもないが、その場所に立っていると一緒に手拍子をしたくなる。見ているとみな小さめの熊手を求めている。花園や浅草では、とても一本締めなどしてくれそうもないサイズだ。

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それでも神社へ参拝をすまし、社務所で3本の熊手を求めた。家の分と店を経営している友人の分だ。写真家・眞月美雨さんもご機嫌。

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この日、撮りおろしになるカメラ、シグマfpLをF2の35mレンズを付けて使用してみた。馴れないせいか機械音痴の僕には難しかった。でも小さく軽量になり手にもしっくりと来る。頚腕症が進んでいる僕には合いそうである。これからよき相棒になるよう努めたいと思った・・・。

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夜祭とくれば境内の屋台で一杯。おでん、たこ焼き、焼き鳥という定番で酎ハイと生ビールを2杯~!♡☆生ビールは無論美雨さんが呑みましたよ・・・。

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正門から境内を望む。小さくてちょうど良い。神楽殿では町内会の高校生のブラスバンドや婦人会のフラダンス、地元の日本舞踊の先生の踊りなどが行われていた。周りのベンチに座っている老人たちからはやいのやいの歓声が上がり、おひねりが飛んでいた。まるで田舎の祭りみたいで懐かしかった・・・。

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裏の畑のニラがたわわに成長した・・・。

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ここ最近は3日に2晩は鍋。簡単で安く上がるから世話ないが、こう毎日だと味付けに一苦労する。

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鍋に飽きて豚バラ肉とマイタケ、チンゲン菜の炒め物。

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特製、残り物のコロッケ・鳥の唐揚げ丼。

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たまにスパゲッティ・・・。

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(各テレビ局の画面から)

11月24日夜半、午後11時前から日本のテレビなどメディアは、まるでハイジャックされたようにどの局も「北朝鮮のミサイル発射」情報一辺倒になった。それは深夜遅くまで続き、翌日のニュースもこの情報に時間を割いていた。楽しみにしていた番組を突然遮られてずーと同じ画面。たまったものではなかった。それも「ミサイル、ミサイル」といまにも北朝鮮が日本に向けて撃って来るごとく。携帯もアラームが鳴り響き、家人も何事かと不安そうであった。

しかし蓋をあけてみれば、だいたいアラームを鳴らし警戒情報を流した時刻には、そのミサイル(実際はロケット)とやらは、とうに日本列島を通過していた。警戒情報が解除されたのは11時15分前後だった。すでに30分近く経過していたのだ。いったい日本政府は何を狙っているのかと勘ぐってしまう。北朝鮮は数日前から人工衛星のロケットを発射すると日本を初め周辺各国に通告していた。韓国ですら「ミサイル」などとは一言も言っていない。「偵察用の人工衛星ロケットを打ち上げた」らしく、軌道に乗ったと思われるとしごく冷静である。

僕はこうしたかって戦争中おこなわれた「大本営発表」みたいなものを日本中のメディが何も疑わず、検証せずに公共のメデァ使って垂れ流すことに非常に危機感をもった。恐怖すら覚えたのである。この大騒動が実は「ミサイル発射!!」などではないと言うことがアメリカもふくめて明確になったにもかかわらず、メディアでは何一つ反省や検証はされていない。「北朝鮮は弾道ミサイルに転用する可能性があるから人工衛星打ち上げは国連安保理に反する」という論理だけでは説得力に乏しい。それでは出中ロケットを打ち上げている日本などは何をしてもいいのか・・・。核兵器もそうだがこの理論では世界中はまとまらないし、核兵器はいつの時代になっても地球上から消えない。一刻も早く終焉をさせなければならないウクライナやパレスチナなどの悲劇は終わらないのである。

 

 


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3人兄弟が元気なうちに年1~2回集い、一杯やろうと呼びかけた。「上州兄弟会」と僕が命名した。三男の勝三が仕切ってくれて11月13日~14日に伊香保温泉でやることになった。渋川に向かう途中、上越線の車窓から鉄路を写した。
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上越線の車窓から榛名連山(標高1449m)を望む(新前橋駅から渋川駅の途中)。谷川岳・水上方面向かって左側。
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上越線の車窓から赤城山を望む(吾妻線に分かれる渋川駅近郊で)。谷川岳・水上方面に向かって右側。

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伊香保温泉・伊香保グランドホテルの部屋から夕陽に染まる赤城山(標高1828m)全景。

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三男・勝三の還暦祝いと次男の修二が用意してくれた刺身の船盛。

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修二のかっての弟子(右)がこのホテルをはじめ、伊香保にある3つの大きなホテルの総料理長になっていた。僕も彼が若い頃に何度があったが、わざわざあいさつに来た。船盛は彼からのお祝いにと届けてくれたのである・・・。 感謝~!♡☆

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船盛を前に、右から修二、勝三の嫁の美香、ご機嫌の還暦を迎えた勝三、修二の嫁の宇基子。

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総料理長で料理部長も兼ねているTさんも一緒に。高校生の時にアルバイトで入ったのが切っ掛けだったという。その頃からずーと板場の責任者だったのが次男の修二だったのだ。

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部屋に戻ってからも呑みながら遅くまで兄弟水入らずで話し合った。気が付いたら午前1時だったので慌てて解散。 翌14日朝、部屋からの赤城山全景と伊香保の町。

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部屋にはかけ流しの露天風呂(黄金の湯)と内風呂の檜風呂(白金の湯)の二つの伊香保温泉の源泉が付いていて、いつでも入れて便利。僕は3回しか浸からなかったが、弟たちは5回入浴したという。窓からは赤城山が一望できる。

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ホテルで朝食を食べて一息いれてから父母や祖父母が眠る小松家の墓に参った。掃除は弟夫婦たちがしてくれているので綺麗だった。しばらくいてから近くの実家へ行った。母がいなくなってから足を踏み入れたのは何度目だろうか。仏壇の「小松家一切之精霊」の位牌を長男である僕に持って行けというので預かって来た。弟の嫁は母が趣味で集めていた急須を何個か持って行った。僕も中国から母への土産で買ってきた急須を記念に持って帰った。

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渋川に戻り昼過ぎだったので、大連出身の家族がしている中華料理屋で一杯やった。15年物の甕だし紹興酒を呑んだ。深い味わいがして美味であった・・・。

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まだ早いということで、米沢牛専門の焼き肉屋へ。僕はあまり焼肉は食わないが、やわらく美味しかった。厚切り牛タン、軟骨、レバ刺しなど。弟たちはよく来ているという。僕はせっかくだから上州牛や吾妻牛を食べたかったと思った。
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二軒目のこの店でも、弟二人は日本酒の地酒を冷でぐびぐびと呑んでいた。昔は僕も2人に負けないくらいやったが、今では日本酒は全く呑めなくなり、とてもかなわない・・・。

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渋川駅発4時過ぎの電車で帰宅することとした。車内に入ったらすぐ寝てしまい、気が付いたら大宮駅だったので飛び降りた。気持ちよく眠れたのであった。

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ホームから見た赤城山。夕日に照らされ赤く染まっていた。

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最寄り駅で眞月美雨さんと合流。彼女が好きな鳥刺しや鳥のタタキがある呑み屋で、軽く一杯やって帰宅した。家に戻ったらまた直ぐに眠ってしまった。疲れたのだろう・・・。

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11月16日夜、47回目となる鈴木豊ギターリサイタルのある錦糸町へ、小学・中学校の同級生と出かけた。会場のすみだトリフォニーホールは駅から近く、下町のタワーが目の前に聳えていた。

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鈴木豊さんとは1983年からの付き合いになるので、かれこれ40年になる。彼が新日本フィル交響楽団のオーケストラと共演をしたのを撮影したのが切っ掛けだった。その後、意気投合して2人で呑んだ。

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リサイタルも最初に来た時からすでに40回目。途中何度か参加できなかったことがあったが、今回久しぶりに生ギターの音色を聴き、あらためて感動した。広い会場にマイク1本無く、ギターの音だけで観客を釘付けにする力量はさすがと思った。

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久しぶりの再会に、お互い歳を重ねた容姿でカメラの前に立った・・・。健康を誓って固い握手を交わして別れた。同級生の友人は彼のCDを求めてサインをしてもらっていた。

 

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数日前までは、100年ぶりの異常な27度超えの気温を観測していたかと思えば一気に肌寒くなった今日この頃。ようやく霜降月にふさわしい季節になったのか・・・。1階の仕事部屋に下りてくると窓辺に綺麗な光が写っていた・・・。
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11月8日、「写真集団・上福岡」の例会がふじみ野市西公民館で行われた。この日は3人の人が例会の見学に作品を持って参加した。 ◆正面の前会長の田中さんは、11月27日~12月1日(9時~17時まで)ふじみ野市役所1Fギャラリーで「2023 田中栄次作品展」を開催する。ぜひ、ご覧ください。
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9月以降、2人の新入会員が入会したので、3人が新たに入会すれば5人が一挙に増えることになる。久しぶりに活気づく。来年3月6日から富士見市民文化会館で第41回「写真集団・上福岡」写真展の開催が決まっているので大いに期待できる。今から楽しみではある・・・。
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右から今回入会した新井さん、撮影した写真100点を持参した。真ん中は、小池さん、入澤さん、入会希望で見学に来た。2人とも写真歴が長いベテランだ。
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左から9月に入会した後藤さん、一瀬事務局担当、後藤さんの息子・Nくん、うれしそうな竹川会長。
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僕の隣は、今回狭山市から見学に見えた館石さん。その左は山本名誉会員、ベテランの山口会員。
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何か説教を垂れているわけではありません。質問に一生懸命応えているのですよ。
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この日、何とも不思議なご縁というか出会いがあった。僕と肩を組んでいる小池さんは、今回見学に参加した一人だった。持ってきた写真はヒマラヤの山々だった。僕が何度も取材している村にも彼は行っていた。それも少しは驚いたが、例会を終えた後の交流会でさらに信じられないことが起きたのである~!!
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ひょんな話から群馬県出身と言うことはわかったが、話を進めて行くと同じ吾妻郡、吾妻町だと言うことが分かった。これでも衝撃的なのだが、「吾妻町のどこですか」と聞くと「原町です、大字川戸」という。川戸というと5~6カ所の小さな村があるが、さほど遠くない。聞くとすぐ近くの集落出身だった。小中学校も高校も学科も剣道部であったこともみな同じ。信じられなかった。
僕の先輩である。奥様も同じ川戸で僕の同級生のお姉さんらしいし、仲人は母が一時務めていたパン屋さんの社長、吾妻町の町長だった。もちろん僕も良く知っている人だった・・・。話せば切りがないほど次から次と田舎の友人、知人が飛び出してきた。懐かしさとうれしさ余っての会話に時間はあっという間に過ぎていったのである。こんなことって世の中にあるんだと小池先輩と不思議がった夜であった・・・。
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お母さんである新入会員の後藤さんが撮った。前回から3人のお子さんの一番小さいNくんが一緒に例会にも交流会にも参加している。お母さんの写真活動に協力してくれて、ありがとうね~!♡☆
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田中さんは都合で参加できなかったが、残りは全員参加で記念写真~!♡☆久方ぶりに賑やかだ。
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愛媛県宇和島市在住の写真家・Kさんが送ってくれた。ありがとうございます。Kさんは写真家であり、ミカン栽培をしている農家でもある。この9月に神戸ではじめて知り合い「先生、今年のみかんは甘いし、旨いから送りますよ」と言っていたが、約束通り送って来てくれたのだ。甘くて、ジューシー、久しぶりに本当に美味しいミカンに出会えた。うれしい・・・。  合掌
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週に1~2度、家に籠りっぱなしは良くないと自転車に乗って、近所の酒場に行っている。自転車に乗っている時間は往復わずか20分足らずだろうが、坂道が多い場所などは薄っすら汗をかく。でもホッピーや焼酎をやれば元の木阿弥か。トホホ・・・。
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この店はオープンしてまだ5~6年。オープン時から来ている。備長炭で焼く串料理がメイン。明るくて広い店内なので、若い女性客も多い。僕は薩摩の芋焼酎にホッピーの白で割ってロックグラスで呑むのがこの店での定番である。小一時間もいると良い心持ちになり帰りたくなる。めっきり来る歳を感じる今日この頃・・・。

 

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残りの鳥の唐揚げ、キュウリ、トマトを使って黒酢あんかけ。

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いよいよ本格的な鍋のシーズン!!この日からもう7~8回は鍋料理を作った。沖縄の友人のおみやげ、アオサを仕上げにたっぷりと。磯の香りが漂う鍋に・・・。

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10月31日、駒形橋の辺にアートスペース繭へ足を運んだ。30数年来の友人である横田康子さんが宮崎から個展のため上京していたからだ。20年ぶりぐらいになるだろうか、本当に懐かしい再会である。以前は宮崎の山岳地の夜神楽を訪ねたり、薩摩や沖縄などの織物や焼き物の旅をした。楽しい思い出である・・・。

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山や森から素材をいただき、糸にして織る「自然布」、繭から直接糸を紡ぎ出す「ズリ出し」の技法など日本古来の染織技術を伝える横田康子さんとそのお弟子さんたちの仕事が宮崎・西都の森で継承されている。山桜で染めた布や天蚕などで織った布が人気が高い。僕も記念に天蚕入りのスカーフを求めた。

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左から横田さんと繭のオーナー。

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夜更けに相当酔っぱらった挙句、自写撮りでの肖像写真の第2弾~!! でも、第1弾はまだ発表していなかったかな・・・?!

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10代に額に大ケガをしたが、そんなに目立たなかった。歳とともにその傷痕は深く大きくなった気がする・・・。

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眼は完全に酔っ払いの眼だ。情けないが、これがリアルな僕の古稀を過ぎた現在の貌である・・・。

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最後ぐらいは少し微笑んで・・・。御年97歳を過ぎた中村咲さんに「怖い~!」とお叱りを受けたから。でも大して変わりはないね・・・。

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