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2009年7月アーカイブ

「第24回日本の海洋画展」会場、東京芸術劇場5F展示ギャラリーで。

「第24回日本の海洋画展」会場、東京芸術劇場5F展示ギャラリーで。


7月30日から8月12日まで、東京芸術劇場5F階展示ギャラリーにおいて「第24回日本の海洋画展」(主催:全日本海員福祉センター、後援:朝日新聞、国土交通省)が開催されている。その後、9月26日~10月18日まで、北九州市美術館でも巡回展がおこなわれる。それに先立ち、昨夜同芸術劇場でオープニングパーティが多くの出品画家などを集めて和やかに開かれた。僕も招待されていたので参加してみた。この絵画展は画壇のあらゆる流派の壁をこえて、現代日本画壇の海洋画を一堂に集めたものとして注目されている。海野経の特別出品など見ごたえがあった。(絵画展、写真展とも全会場入場無料)


8月20日から25日は、同じ東京芸術劇場で人と海のフォトコンテスト「第20回記念 マリナーズ・アイ展」が開催される。今回は第1回展から第19回展までの入賞作品約400点も同時に展示されるので、500点を超えるスケールのある大写真展となる。先立って7月13日~8月3日まで、神戸第二地方合同庁舎1階ロビーで。9月26日~10月18日までは、北九州市美術館において海洋画展と同時に開催される。20年記念写真集も同時発行される。僕が17年間審査員を務めさせてもらっているが、今回は3300点をこえる応募作品のなかから選んでいる作品だけあって非常に水準もたかく、海と海に生きる人々への共感をこめた作品が多い。ぜひ、夏休みの一時をご家族のみなさんでお出かけください。さわやかな潮風と磯の香りに包まれることでしょう。(お問い合わせ 03-3475-5390)

昨日の突然の白雨、暗雲のなかに一条の斜陽が射し込んだとおもったら、東の空に大きな虹が架かった。わずかの時間ではあったが何ともドラマティクであった。その後の異様な夕焼けを見た方も多いだろう。メールでその光景を送って来てくれた友人もいた。夜のニュースをみると九州地方の集中豪雨といい故郷・上州を襲った竜巻といい自然界の人類に対する警告とも思える荒れ方がここ数年続いている。地球温暖化だけではすまない、狂ってしまった自然と人間のあり方を今一度原点に還って、真摯に見つめなおすことは急務ではないだろうか。今朝、家の裏へ行ってみると2本の栗の木の下にたくさんの毬栗が落ちていた。手のひらにのせても痛くないほどまだ、針が若い。かわいらしいので10個ばかり拾ってきて籠にいれ仕事場に飾った。


月刊俳句誌「獐(のろ)」の2000年10月号を開いたらこの毬栗を詠んだ句を載せていた。この年の夏に秩父へ行った時に詠んだものだろう。次の7句である。

          鶏頭や荒畑に鍬ひびきをり         山峡の村の夕餉の残暑かな

          毬栗に囲まれし落合寅市の墓       決起せし杜しずめをる野分かな

          風布郷夕立を連れて走りけり        夕立後の草の息あり荒あらし

          志士とあり困民党の墓さやか        (小松風写)


9年前の僕の拙い句である。恥ずかしい気もするが、敢えて全句紹介した。当時、先師の高島茂が亡くなった直後で、その後を継いで主宰になったばかりの高島征夫(先日、突然病気で亡くなったことはすでにブログにも書いた通りである)が、この毬栗の句を次のように解釈して同誌11月号に書いてくれている。亡くなった主宰への鎮魂と思いここに紹介したい。     「今から160年前の明治17年(1884)に埼玉県秩父地方の自由党員と、不況に苦しむ農民とが秩父困民党を結成、蜂起した。10日間で鎮圧されたが、参加者は1万人を超したといわれ、農民が大衆的な組織化を行い、経済闘争をこえて明治の維新政府に武装蜂起で対抗した。揺籃期の自由民権運動の礎となったのである。歴史的にみれば日本の民主主義運動の先駆けなのであった。落合寅市はその指導者の一人である。その墓は今、毬栗の林の中に静かにあるのである。」・・・・・・・・あらためてご冥福を祈るばかりである。  合掌


20090728

昨日の風雨で落ちてしまった毬栗。これから実を大きくさせるとこだったのに・・・・。我が家でしばし目を楽しませてくれたまえ。トマトと茗荷は、今朝持ってきた近所のおじいさんの100円野菜。歯ごたえがあって旨い。

無頼ふたり山背風の荒れし津軽なり    風写

歳時記で今日みたいな日をどんな風にいうか見てみると、盛夏、大暑、極暑、猛夏、湿暑、蒸暑し、炎暑、熱帯夜、炎日・・・など。昔の人々は多様な表現を用いていたことがわかる。日本語のもっている美しさ豊かさを再認識させられる。それは料理においても同じである。洗濯をしたり、タオルケットを干したりした後、久しぶりに昼飯を作ってみた。少し多すぎたので、近所の知人に声をかけたら家で作っているという野菜をどっさり持ってきてくれた。
料理というほど手間はかかっていない簡単な夏メニューを紹介する。


我が家の食卓兼仕事机は、もう5~60年たっている「卓袱台・・(ちゃぶ台)」。折りたたみができるのと丸いのが気に入って、ある編集部にあったのを欲しいといったら、何ヶ月か後に編集長が送ってきてくれたもの。表面は傷だらけだが、足はしっかりとしている。引越しの度に処分しょうかと思ったが何となく愛着があって、いまだ僕のとこにいるのだ。

我が家の食卓兼仕事机は、もう5~60年たっている「卓袱台・・(ちゃぶ台)」。折りたたみができるのと丸いのが気に入って、ある編集部にあったのを欲しいといったら、何ヶ月か後に編集長が送ってきてくれたもの。表面は傷だらけだが、足はしっかりとしている。引越しの度に処分しょうかと思ったが何となく愛着があって、いまだ僕のとこにいるのだ。


飲み物は、今年漬けておいた青梅ジュースの玄米黒酢割り。それにやはり今年漬けたらっきょう。自家製糠漬けのきゅうりと茄子。手作り路地トマト。谷中生姜の酢味噌。夏野菜の胡麻油焼き(ゴーヤ、茄子、新玉葱)。讃岐の包丁切りひやむぎ、たれは胡麻味噌たれ。旬の鰹のお造り、これはなんといっても青森産の大蒜のスライスと生姜を摩り下ろして食べるのがいい。写真には写ってないが、食通には知られている新潟の栃尾の油揚げを出した。揚げの中に浅葱、青じそ、茗荷、納豆をたっぷりと入れて焼くと香ばしくて旨い。

「お前、暇こいてるな~」と叱られそうだが、まあ人生そんな日もあってもいいではないですか。何はともあれ、ブログを見ていてくださる皆様へ。
                                                 暑中お見舞い申し上げます。    合掌

18日の朝から昨日23日まで大阪、岡山、高松などを巡ってきた。前半は、「フォトコン」連載中の企画「小松健一の写真道場」の門下生2人がモティーフとしている土地を訪ね、一緒に撮影をしながら個展へ向けてアドバイスをするというもの。初日のAさんとは大阪・梅田界隈の再開発地を炎天下のなか歩いた。2日目のDさんは、岡山の水島工業地帯周辺の町を撮り続けている。大雨注意報の出ている最中取材を敢行した。同行した坂本編集者も夢中でシャッターを切りつづけていた。仕事を終え大阪へ戻った坂本君と別れた午後9時過ぎ、ホテルに訪ねてきたデザイナーのS君と岡山の街に出て一杯やった。彼は2年前までは、東京に事務所を構えてバリバリと仕事をしていたのだが、訳あってこの11ヶ月間、金光教の修行のため山に篭っていたのだ。S君はこれからどんな人生を歩んでいくのだろうか・・・・。一人の友人として見つづけていきたいと思った。

翌日は写真研究会「風」同人の高田昭雄さんと岡山市の路面電車を一作年につづき取材。後楽園も久しぶりに歩いてみた。岡山城を囲むように流れる旭川は増水して濁流となっていた。夕方から倉敷の写真家の故中村昭夫さんの墓参りに行った。昨年突然、病気で亡くなったのだが、偶然にもその1カ月前に訪ねて話をしている。先輩写真家として以前からお付き合いをさせてもらっていたが、こんなに早く亡くなるとは残念の極みである。奥さんが待っていてくれて、ひとしきり中村さんの残した「吉備」などの作品について語った。その後、中村さん行き付けの店へ案内され、瀬戸内の美味な雑魚を馳走になった。楽しい一夜であった。21日は早朝、日光・男体山、上州・武尊山などの登山行から5日ぶりに戻ったばかりの高田さんの奥さんとともに瀬戸大橋を渡って高松へ行った。写真の弟子の娘さんが難病と闘っているというので見舞いに行ったのである。しかし、逆に闘病中の彼女や家族から元気をたくさんもらい、おいしい料理もご馳走になって何しにいったのやら・・・・。帰りに讃岐うどんのぶっかけだけは一杯食べてきた。


22日は午前中、日本では46年ぶりの皆既日食を瀬戸内の町で撮影。その後、高田さんが講師をしている早島写真同好会のメンバーが中心の写真講座に招かれた。午後、夜の2回で50数名が参加するという盛況ぶりであった。全日写連やJRPや地元の写真クラブの面々も参加、みんなの熱気に圧されて少々疲れた。最終日はのんびりと高田夫妻と倉敷の町を散策してから倉敷アイビースクエアでランチをご馳走になって帰路へとついた。どんな食事をしたのか、いくつか写真で紹介しましょう。こんな美味しいものばかり食べているから、太るんだと叱られそうですが、・・・・・残念ですが体重は増えていませんでした~よ。でも、自戒せねばとは思います。


7月18日 大阪・梅田の地下飲食街の立ち飲み串揚げ屋で。「フォトコン」編集部の坂本君と。

7月18日 大阪・梅田の地下飲食街の立ち飲み串揚げ屋で。蓮根や玉葱が美味しかった。「フォトコン」編集部の坂本君と。


7月19日 岡山・下津井漁港の食堂での昼定食。小鯛の煮物、鱧などが美味しかった。

7月19日 岡山・下津井漁港の食堂での昼定食。小鯛の煮物、鱧などが美味しかった。


7月19日 児島の割烹料理屋に地元の写真愛好家に招待され、今旬の活き藻蛸を馳走になった。そのまま生でもいけるし、軽く焼いて食べてもいい。坂本君は口や喉に吸盤が吸い付いて焦っていた。いままで蛸でこれほど旨いと思ったことはなかったが、一匹を4人で食べられないほどのボリュームだった。もったいないのでもらって帰った。

7月19日 児島の割烹料理屋に地元の写真愛好家に招待され、今旬の活き藻蛸を馳走になった。そのまま生でもいけるし、軽く焼いて食べてもいい。坂本君は蛸が活きているので口や喉に吸盤が吸い付いて焦っていた。いままで蛸でこれほど旨いと思ったことはなかったが、一匹を4人で食べられないほどのボリュームだった。もったいないのでもらって帰った。


7月20日 倉敷の中村さんの行きつけの居酒屋で。昔ながらの蔵作りの店で歴史を感じ落ち着く。瀬戸内の雑魚料理がなんと言っても旨い。穴蝦蛄、石モチなどのから揚げやママカリの焼き南蛮など珍味だった。ママカリは、あまりの旨さにご飯が足らなくなって隣に、飯をかりにいったことから「ママカリ」と命名されたということを中村さんの奥さんは自慢そうに語った。

7月20日 倉敷の中村さんの行きつけの居酒屋で。昔ながらの蔵作りの店で歴史を感じ落ち着く。瀬戸内の雑魚料理がなんと言っても旨い。穴蝦蛄、石モチなどのから揚げやママカリの焼き南蛮など珍味だった。ママカリは、あまりの旨さにご飯が足らなくなって隣に、飯をかりにいったことから「ママカリ」と命名されたということを中村さんの奥さんは自慢そうに語った。


7月22日 高松はあまりにもうどん屋が多いが、そのどれもが水準をクリアする旨さだ。この店も一杯250円。葱、揚げ玉は自由だ。やはり醤油のぶっ掛けがシンプルで旨い。

7月21日 高松はあまりにもうどん屋が多いが、そのどれもが水準をクリアする旨さだ。この店も一杯250円。葱、揚げ玉は自由だ。やはり醤油のぶっ掛けがシンプルで旨い。

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画像をクリックしていただきますと多少大きく見れます。

この間、書いていた太宰治と田村茂の原稿がほぼ仕上がったこともあり、昨日、一昨日と珍しく、新宿、池袋へ出かけた。この秋、新潮社から『太宰治と旅する津軽』として刊行される。久しぶりの気合の入ったいい本になると思いますのでご期待ください。14日は写真研究会「風」の事務局長の鈴木さんと編集長の塩崎君との打ち合わせ。いよいよ「風」通信の創刊号ができました。このブログからも見れますのでぜひ、ご覧下さい。例会の度に発行しますので楽しみに・・・・・。打ち合わせの後、久しぶりに、「ゴキブリ横丁」や「小便横丁」などと呼ばれている終戦直後の焼け跡の闇市の雰囲気がいまだ残る新宿西口一角に行ってみた。今は「やきとり横丁」となって、ここ数年でめまぐるしく変わってしまって、外国人の観光スポットにもなっている。しかし何軒かは昔からやっている店が残っている。僕も焼酎一杯80円の頃から通っている馴染みの店が5~6軒はあって、4年程前まではほぼ毎日のように通っていた時期があった。2~3年ぶりの横丁は、狭い路地裏に這いつくばるように小さい飲み屋が軒を連ね、煙をもうもうと吐き出している光景は、以前と変わってはいなかった。


しかし、店の店員はほとんどアジア人になっていた。お客も外人が増え、時々ツアー客の団体が旗を持って店のなかを物めずらしそうに覗いたりもする。僕らは開店のときから来ている飲み屋へ入った。とゆうよりその前の路地に陣取った。店内は、以前はアルバイトをしていた中国人の女性が、娘さんも呼んで2人で切りもみしていた。焼き鳥の腕もすっかり上達していた。カウンターの客はカナダ人、スイス人、オーストラリア人、韓国人のグループに香港に長く暮らしていたという日本の女性。それにれっきとした日本人である僕ら・・・・・。ここは日本かと思ってしまう不思議な風景である。会話は、さまざまの言語が飛び交ってはいるが、そこは酒のみ仲間。結構理解しあえるものである。軽~く一杯のつもりが、すっかり国際交流を深めてしまったのである。


新宿の「やきとり横丁」で出会ったスイスの青年と通訳をしていた香港帰りの彼女と。(photo:toru shiozaki)

新宿の「やきとり横丁」で出会ったスイスの青年と通訳をしていた香港帰りの彼女と。(photo:toru shiozaki)


15日は、信州の安曇野へ用事があって、北海道の屈斜路から出てきた写真家の水越武さんと新潮社のK編集者と池袋で待ち合わせをした。東京芸術劇場前の噴水で。辺りは夕闇に包まれてはきていたが、まだ残照があり、恋人たちの絶好のスポットに、早変わりしつつある時間帯だった。僕は少し早く着いたので独りでそんな光景を楽しんでいた。それに時の流れの早さも感じていた。オジサン3人で待ち合わせする場所がちがうだろうとも思いつつ・・・・。この日は、仕上げた原稿渡しもあったが、水越さんが出した『わたしの山の博物誌』の感想を語る会の打ち合わせがメインだった。この沖縄の店も再開発される前の店からだから、かれこれ30数年は通っている。石川文洋さんの義理の妹さんが経営者だ。彼女は琉球舞踊の名手としても知られている。この日もお弟子さんたちが4曲披露してくれた。琉球料理の味もいいが、圧巻なのはこの店を愛した人たちのすごさである。色紙に書かれた文章や絵をひとつひとつ見るだけでも楽しい。店にはその一部が飾られている。佐藤春夫、壇一雄、新田次郎、江戸川乱歩、山下清、河合玉堂、草野心平、火野葦平、水谷八重子、馬場のぼる、滝田ゆうなどなど・・・・・そうそうたる面々たちである。その色紙の前に座ってゆっくりと飲んだ。水越さんといると何か古武士と盃を交わしているような緊張感をいつも持つ。不思議な存在である。水越さんは先日、ボルネオ島へラフレシアを撮りにいって、粘ったかいあって1メートルを超える巨大な花が撮れたと喜びの報告。そこでまた、2人でクース(古酒)を乾杯・・・・・。梅雨明けした宵は、こうして深けていくのであった。


池袋の琉球料理の店「みやらび」で記念写真をパチリ。若い女性の店員さんに撮ってもらう。

池袋の琉球料理の店「みやらび」で記念写真をパチリ。若い女性の店員さんに撮ってもらう。

昨日11日は、8日ぶりに公の場所へ出かけた。久しぶりの大都会は、梅雨の晴れ間とあってなんとなく人びとは、のんびりしているような感じを受けた。日本の将来を決める前哨戦とも言われている東京都議会議員選挙の最終日とは、思えないほど静かであった。先ず最初に向かったのは、「第5回 チベットの歴史と文化学習会」。親しい友人の作家、渡辺一枝さんの報告「今、チベットの人々は」を聞くためだ。久しぶりにお元気な姿も拝見して、元気をもらいたいとも思っていた。彼女は年に何度かは、チベットを取材し続けて久しいが、この4月、5月にもチベット奥深くの村村や人々を訪ね歩いてきている。そのリアルタイムの生々しい報告であった。とりわけ文化とは、仏像や寺院などの物質だけでなく、人々の心のなかにある精神が大切で、これはどんな圧政を加えられても、またどんなに蹂躙されようとも決して消えるものではないと言う事を、今回の旅なかで、12歳の少年から学んだというエピソードは胸に沁みた。会場を埋めた100人以上の人にも驚いたが、さらに若い人、それも女性の姿が多かったのはうれしかった。一枝さんたちの思いをこういう世代の人々が引き継いでくれるのかと思うと頼もしくもあったのである。僕も一写真家としてチベットは、これからもずーと見続けようと思っている。


チベットの話をする時は、必ずチベット民族の婦人が着る服装になる渡辺一枝さん。子どもの頃からあだ名を「チベット」とつけられていたという一枝さんの一つ一つの言葉に、こころからチベットの人々と深い思いでつながっていることを感じた。(2009.7.11)

チベットの話をする時は、必ずチベット民族の婦人が着る服装になる渡辺一枝さん。子どもの頃からあだ名を「チベット」とつけられていたという一枝さんの一つ一つの言葉に、こころからチベットの人々と深い思いでつながっていることを感じた。(2009.7.11)

次に向かったのは、日比谷公園。俳句と写真のコラボレーション「一滴・創立9周年記念展」の最終日であったからである。会場はたくさんの人々で熱気があった。新聞などで報道されたこともあって大勢の方々が来場してくれた。はじめての試みとしては大成功であったろう。運営にあたってくれた岡井代表をはじめ、同人のみなさん本当にご苦労さまでした。上野広小路亭の寄席に出演する前に、時間をさいて立川志遊師匠も寄ってくれた。ありがとう。搬出を済ませてから、いよいよ今日の本番ともいうべき、新宿のぼるがでおこなわれる「故・高島征夫さんを偲ぶ会」へ参加した。7日付けのブログにも書いたが、彼の死はあまりにも突然であった。参加した同人や俳句仲間、兄の周一さんたちにしても皆同じで、どう受け止めたらいいのか、わからないというのが本音であろう。僕もただ黙して遺影の前で、彼が好きだった酒を、あおるしかなかった。死の2日前にも句会のあと、このぼるがへ仲間と来て、楽しそうに俳句談義をしていたという。先師・高島茂の遺言を守り続けてきて10年たったが、190号をもって、俳句誌「獐のろ)」と結社「獐の会」は廃刊、解散となることを参列者全員で確認した。思えば104号から征夫さんが発行してきた。大変なご苦労だったと思う。死の2日前の句会で詠んだ高島征夫の辞世の句は、次の二句である。 征夫さん。やすらかにおやすみください。   合掌

辣韭の白さかがやき恙なし

あぢさゐやおもひのはてのとどかざる  征夫

僕が敬愛する先輩写真家・細江英公さんともパチリ。
僕が敬愛する先輩写真家・細江英公さんともパチリ。


僕の作品の前で、上野広小路亭の寄席に立つ前にわざわざ寄ってくれた立川志遊師匠と記念写真です。

僕の作品の前で、上野広小路亭の寄席に立つ前にわざわざ寄ってくれた立川志遊師匠と記念写真。


俳句結社「獐」主宰、故高島征夫さんを偲ぶ会が故人ゆかりの場所、新宿「ぼるが」でしめやかにおこなわれた。

俳句結社「獐」主宰、故高島征夫さんを偲ぶ会が故人ゆかりの場所、新宿「ぼるが」でしめやかにおこなわれた。


  

今日、7月7日は七夕さま。星祭の行事だ。五色の短冊に願い事をしるし、竹に結ぶのが、七夕竹。それを川や海に流すのことを七夕送りという。太宰の故郷・津軽でこの時期おこなわれる「ねぶた」は、この変形であったこととは、知らなかった。ともあれ、梅雨晴れとなってよかった。今夜は一年ぶりに天の川をはさんで、牽牛星と織女星の逢瀬が実現できることを祈りたい。7月3日から、僕の誕生日も含めて、今日まで家に篭って原稿を書いていてようやく脱稿した。そうして今朝、出版社の人が取りに来たので渡したのである。太宰治とその写真を撮った田村茂のことを400字詰め原稿用紙約35枚ほど。まだ、第一稿なのでこれから推敲しなければならないが、とりあえず一山越えて、気分は今日の天気のように晴れやかである。

この数日間に、哀しい知らせもあった。ひとつは、僕の俳句の先師であった高島茂さんの息子さんで、現在、俳句誌「獐(のろ)」の主宰をしていた高島征夫さんの死の知らせである。彼とは、同世代でもあり、俳句の仲間として切磋琢磨してきた。同人にも先師から一緒に推挙されもした。最近は鎌倉で、独りで暮らしながら選句や俳句誌の編集をしていた。先月も俳句を12句と鎌倉に太宰の取材で行った事など書いてFAXをだしたばかりだった。その中の一句に、「芥子菜の土手に哀しさもてあます」 という句が偶然に入っていたが、この句は何か今回のことを予期していたものではない。この3月の末に、ヒマラヤで高山病にかかった日本人トレッカーをシェルパと抱えながら下山する途中に亡くなったネパールの親友プナム・プラダーン君に捧げた句である。彼のことについては、いずれじっくり書くつもりであるが、今はまだ、書けないでいる。僕の気持ちがいまだ立ち直れないのだ。末の弟夫妻がわが子のように愛しんできた猫のチビが亡くなったという知らせも届いた。いのちあるもの、いずれはなくなるのは宿命ではあるが、そこに立ち会うのも哀しいものではある。・・・・合掌。

「征夫さんを偲ぶ会」は、先師が築き、現在、兄がそれを守っている新宿の「ぼるが」において、7月11日に行われる。俳句仲間も大勢参加することだろう。やはりここの場所があなたには一番ふさわしいよ。久しぶりに征夫さんゆっくりと俳句論を語り、そうして飲みませう。    みなさんもお互いに自愛しませうね。それにはこころのストレスを蓄積しないことが一番ですよ。これは僕の実感ですぞ~。

子どものいない弟夫妻にとってチビは、我が子同然でいつも抱いて寝ていた。亡くなった朝も嫁の胸のなかで眠るようにしずかであったという。9年といういのちを全うした。合掌
どものいない弟夫妻にとってチビは、我が子同然でいつも抱いて寝ていた。亡くなった朝も嫁の胸のなかで眠るようにしずかであったという。9年といういのちを全うした。合掌

写真は那覇の牧志公設市場で撮影。俳句は、沖縄取材の折、詠んだもの。
写真は那覇の牧志公設市場で撮影。俳句は、沖縄取材の折、詠んだもの。紙はヒマラヤネパールの山麓で手漉きのものを買い求め、墨は中国のものを沖縄の泡盛で磨った。

6月30日から7月11日(9時~17時)まで、東京・日比谷公園内にある「緑と水の市民カレッジ」(TEL03-5532-1306)において、僕も同人と出展している俳句会「一滴」の創立9周年記念「一瞬世界の飛翔」展が開かれている。初日の30日は、園内にある松本楼で、オープニングパーティが同人、招待出品者をはじめ、俳人、写真関係者、マスコミの方々を集めて開かれた。同人を代表して、あいさつに立った岡井輝毅さんは「写真と俳句の境界を乗り越える新たなる表現の試みをご覧下さい」と呼びかけた。

会場風景(photo:Ikenaga Kazuo )
会場風景 (photo:Ikenaga Kazuo )

展覧会場に展示された作品は、同人36名の作品はもとより、その多くが初公開のものばかりで、どれもが興味深く鑑賞するものばかりであった。同人作品では、細江英公さんの有名な「鎌鼬」、「抱擁」のオリジナルプリントに句がつけられていたし、先日急死した稲越功一さんの写真に本人が亡くなる前に、句を揮毫していたものなど印象に残った。また、招待出品者では、故秋山庄太郎さんの「薔薇」、故林忠彦さんの「太宰治」などの名作をはじめ、浅井慎平、石川文洋、大石芳野、栗原達男、斉藤康一、白川議員、白旗史朗、土田ヒロミ、藤井秀樹、故前田真三さんら総勢22名の豪華メンバーの作品と句が並ぶ。俳人では伊丹三樹彦、故松井牧歌、正木ゆう子、池田澄子、山元志津香さんとそうそうたるメンバーだ。これだけの人々が一同に会することは、最初で最後ではないかと思う。必見の価値がある展覧会だ。梅雨時の日比谷公園もしっとりしていていいですよ。ぜひ、お越しください。

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