写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2023年4月アーカイブ

 

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今年になってから東北・宮城県に引っ越した友人が山菜を送ってくれた。上州の田舎の母が亡くなってからは、毎年のように山菜や川魚を採って食べる会に、後輩たちに呼ばれて行っていたのだが、コロナ禍があり、3年前に母が亡くなって以来、とんと足が遠のいている・・・。

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山菜は足が早いので、着いた夜にタラの芽とウドの葉のてんぷら、ウドの酢味噌和えを頂いた。

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ウドの酢味噌和え。

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お隣さんの畑で採れたさやえんどうをはじめ、ネギ、ニンジン、もやしなどと白魚の揚げものに玉子がけをして煮た。
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山菜のしどけのお浸しと、さやえんどうのお浸し。シンプルだけども旨い。
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冷蔵庫にあった野菜をたっぷり使って卵とじスープ。
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これも冷蔵庫にあった青野菜のオリーブサラダ。
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歯の調子がよくなく、またまた僕の主治医の歯医へ行く羽目となった。来月には別な総合病院の歯科口腔外科へ予約をいれている。この3年間余り通院を重ねてようやくすべての治療が終わったと思った矢先に、レントゲンを撮ったら歯茎のなかで奥歯が割れていた。これを抜くのだという。もういい加減にしてよ~。というのが本音!!歯科の玄関前に咲く、小さな花が眼に留まった・・・。











 

 

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50年来の写真仲間、森住卓君が訪ねて来た。「写真を見て欲しい。写真集を制作しているのだが、意見を聞きたい・・・」ということである。僕も人の写真を見るほどのゆとりはないのだが、そこは若き日からの同じ釜の飯を食った森住君の頼みだから無下に断ることも出来ず、4月12日の午後にに久しぶりに会った。40年間撮り続けて来た沖縄の写真450点超と、まだ未発表の水俣の写真120点ほどを抱えて来た。つい数日前まで沖縄にいたと言って伊江島のサトウキビから作ったラム酒を珍しく下げてきた。3時間以上、雑談を交えながらすべてを見てから僕なりの感想を言った。彼はできれば年内には形にしたいと言っていた。出来上がりが楽しみではある・・・。(この写真は遺影用にと一応撮影した)
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案内状を頂いていたので、先輩・齋藤康一さんの写真展「中国にて」キャノンフォトコレクション(キャノンオープンギャラリー品川/4月25日まで)へ4月21日に行った。

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写真展会場入口で。

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たまたま居合わせた左から写真家・山口規子さん、齋藤さん、僕、写真家・鷲尾倫夫さん。齋藤さんの娘さんが撮影してくれた。山口さんは現在、JPSの常務理事をしている。

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齋藤さんの世代は最近、お亡くなりになっていて寂しい限りだ。齋藤さんは今年米寿だという。日大時代の仲間たちとのグループ「六の会」も現在3人に。熊切圭介さん、高村規さん、野上透さんがすでに鬼籍に入られ、残っているのは齋藤さん、木村恵一さんと松本徳彦さんだ。みな90歳近くなっている。JPSの三木淳会長・藤本四八会長時代にみな広報理事をしていた。僕は一番若かったので先輩たちから多くの事を学んだ。深く感謝している・・・ 合掌

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久しぶりに齋藤さんと1時間ほどしゃべった。作品はみな自分で焼いたという。写っている内容も深いし、美しいプリントだった。僕も27年間、中国各地を取材しているのでお互いに話題は豊富だった。上海を取材中にタクシーに乗ったら日本の写真家かというのでそうだと応えたら「齋藤康一先生という写真家を知っているか?私は先生が上海を取材するときには専属のドライバーだった」といった。この話を齋藤さんにしたら懐かしいそうに遠い眼をして頷いていた・・・。

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土佐の南国市から友人の写真家・角田和夫さんが上京し、会いたいと言うので21日の夜に池袋で会った。明日から京都、大阪へ行くと言うので軽く一杯と言うことだったが、案の定、合ったらいつもの情熱的な角田節に4時間付き合った。彼の人間性は土佐のいごっそうとは違う面白さがある。昨年10月~今年の1月まで、高知県立美術館で「角田和夫 土佐深夜日記ーうつせみ」という大きな展覧会を開催したばかり。同名の写真集も出版。昨夏、大阪・難波での僕の写真展に突然やって来た以来だった。土佐に戻ってからがんばると固い握手をして池袋の雑踏に消えていった・・・。

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最近、作品や文章を載せた雑誌、本などを紹介。雑誌「和華」(アジア太平洋刊行社刊)37号。

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「角川 俳句」5月号(角川文化振興財団刊)に僕の俳句の師・高島茂の写真2点。師は俳人であるが、新宿西口で戦後すぐに開いた「ばん焼き ぼるが」の主でもある。僕の20代~40代までは毎日が「ぼるが暮らし」だった。フリーランスの写真家になりたての血気盛んな歳頃だったこともあって、いま思うと誠に愉快極まりない日々であった・・・。

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林重男・井上祐子著『原爆写真を追う 東方カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(図書出版みぎわ刊・定価:2600円+税)インタビューを受けたり、資料提供など協力した。

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鈴木一雄『聲をきく』(風景写真出版刊/定価:3500円+税)に、親しい写真仲間への熱きエールをこめて「風土を捉える写真家 鈴木一雄へ」を寄稿した。あれから間もなく1年の歳月が流れる・・・。 合掌

 

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◆ポスター、チラシでは、未定となっていた福岡・博多での会場と日程が正式に決まりました。2023年9月14日(木)~9月19日(火)福岡アジア美術館 企画ギャラリー。第38回「日本の海洋画展」と同時に開催します。見ごたえのある大展示会となるでしょう~♡☆ ご期待ください!!

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(ポスター・チラシ デザイン:塩崎亨)

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◆今年は選外作品については、希望者には作品を返却します。

◆第34回の今展から「U19大賞」という新たな賞を設けました。10代の応募者が対象です。

◆今年も作品解説「写真家 小松健一の海の写真道場」を横浜・7月8日(土)14:00~、博      多・9月16日(土)13:00~、神戸・9月30日(土)14:00~に行います。 自由参加・無料ですので、友人知人、写真仲間をお誘いの上ご参加ください。お待ちしています~!♡☆

 

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写真展「造船記」野田雅也を見に行く。アイデムフォトギャラリーシリウスで4月19日まで。同時刊行で同名の写真集も発売中!!この世代にはあまり見られない粘り強い取材力に感心した。あの未曽有の3.11東日本大震災を1地点から見つめ続けた視点は、鋭いと思った。野田君のこれからを大いに期待したい。事務所が近所であることがわかり、今度一杯やろうと約束をして別れた・・・。

 

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銀座四丁目の交差点にあるソニービルの1本東側にあるあずま通りの銀座あづまビル5Fにヘアサロン・AGARIはあった。ビルの前に立つヘアメイク&アップアーティストの眞月美雨さん。

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店内の1つのフロワー様子。

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今までの渋谷、池袋の2店舗にプラスして、この春から銀座のヘアサロンでもフリーランスのデザイナーとして仕事を始めた美雨さん。そのお店に初めて顔を出してみた。奥のフローワーで。

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銀座通りの一本東側にあたる、あずま通りという超一等地の立地であるにもかかわらず(地下鉄・銀座駅から1分)、店内は20席程あり広々としている。気に入ったのは音楽などが一切流れていなく、時間も気にせずたっぷりと取れることだ。値段も僕にも通えるほどリーズナブルである。超おすすめだ~!♡☆ 周辺には写真ギャラリーなどが沢山あることも良い。

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カットが終わったあと並木通りの資生堂本店前にあるノエビア銀座ギャラリーへ、藤森武さんの写真展を見に行った。以前にも見た内容だったが改めてじっくりと見させてもらった。藤森さんから「御案内まで!」と葉書が届いていた・・・。

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会場の片隅に置かれていた熊谷守一画伯が若き写真家・藤森武のことを書いた文章に興味をひかれた。また画伯が撮影した藤森さんの顔のクローズアップや二人で撮りあう姿、藤森さんの師匠・土門拳が訪れたときの熊谷さんとのツーショツトなどの写真にも興味を持った・・・。

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桜散らしの雨が降る中、ライカギャラリー東京へ野村誠一さんの写真展を見に行った。野村誠一というとタレントや女優を撮った写真集を400冊以上出版するなど超人気のカメラマンとして長きにわたって業界を牽引してきた人だ。1973年からフリーランスのカメラマンとして活躍していたから、上州の山の中の片田舎から1972年に上京した僕とは天と地の開きがあった。当時の僕からすれば輝くスターに見えたものだ。僕がフリーの写真家になったのは1982年のことだった・・・。

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実は僕は、野村さんのことについては、そんなに詳しくは知らなかった。今回あらためてプロフィールを読むと僕と同世代であることと、群馬県生まれであることが分かった。1971年に東京写真専門学校(現ビジュアルアーツ)を卒業しているから群馬の高校を卒業後すぐに上京したものと思われる。僕は生まれは岡山県であるが生後1年過ぎで母の故郷上州へ戻っているから僕は生粋の上州人だと強く思っている。上州が好きである。上州人の野村さんのことが興味深くなった。僕の表現とはまるで違う写真表現の道を進んできた彼ではあるが、今回展示されている1976年夏、26歳の時にカメラに標準レンズを付けた1台だけを持って欧州ひとり旅をした時の作品に、僕は上州人の熱い血のたぎるのを見た・・・。

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今度、機会があればじっくりと野村さんと語ってみたいと思った。大病をしたと聞いているので、くれぐれもご自愛を祈るばかりである・・・。 合掌

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ヘアカットをしてくれた美雨さんへお礼に軽く一杯~!♡☆ 有楽町駅近くのガード下の老舗居酒屋へ。コロナ禍以来、初めて顔を出したが、親父さんは「ずいぶんとご無沙汰してましたね~」と笑顔で出迎えてくれた。どこもそうだが安さが売りだったこの店も2~3割ほど値上がりしていた。

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最寄り駅前のもう30年程通っている居酒屋へ一人で寄ってみた。昨年夏、焼き場を担当していた一番若かったヒロ君がコロナ感染がもとで急死した。店は2代目の親父と、3代目となる倅が何とか切り盛りしている。聞くと長年使っていた焼き鳥を焼く台や使い込んだたれなど全て処分してしまったという。もうあの旨い焼き鳥は食べれない。ヒロ君は僕の好みの焼き具合を知っていて部位の種類によって焼き分けてくれていた。寂しい限りである・・・。ヒロ君の死が一番応えたのが女将さんだ。息子の一人のようにかわいがっていた。まだ結婚していなかったヒロ君のために、結婚資金をこっそりと貯めていたのを僕は知っていた。その女将さんとツーショト!!実は初めての2人の写真である・・・。 合掌

 

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4月3日、午前9時から水谷榮一写真集の印刷立ち合いが始まった。右端からプリンティングディレクター・同社取締役の高栁昇さん、ハッサン水谷さん、僕、一人置いて新座工場責任者・プリンティングディレクターの高橋満弘さん。この2日間はこのメンバーで取り組んでいく。

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輪転機の音とインクの匂いが充満する・・・。東京印書館は、昨年5月から印刷の拠点を比企郡ときがわ町の玉川工場からこの新座工場に移した。僕は初めてのこの工場での仕事だった。

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工場内から見える桜が気温の上昇で、いっせいに散りはじめていた。

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昼飯は近くの食堂へ。

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高栁さんの好物、金華さばの焼き魚と盛り蕎麦。昼飯の外食の90%以上はさば焼き定食だそうだ。

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ハッサン水谷写真集『サハラ蒼氓』の表紙カバー(デザイン:塩崎亨/題字:小松風写)

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4月2日から泊りに来た水谷さんと夕食をした。朝9時からのスタートなので、千葉の銚子からでは時間に間に合わないからだ。写真家の眞月美雨さんも同席した。ホテル近くのいわゆる「町中華」屋さんへ行って前祝いをした。

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3日もホテル泊まりだったので、立ち合いが終わった午後8時前からホテル前の居酒屋で、夕食とささやかな「お疲れさま会」をした。

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4月4日も朝9時から印刷開始。

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刷り出しを厳しくチェクする高栁取締役。

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4日、1台目が僕のOK~!が出て印刷が終了した。左端がぶどうぱん社の担当営業係長の桝川大輔さん。

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午前中、昨日と同じにスムーズに印刷は進んだ。

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2日目の昼飯は以前、僕の担当で昨年急死した佐々木政美さんが好きで通った蕎麦屋へ。僕は彼とよく食べた穴子丼と盛り蕎麦を頼んだ・・・。 合掌

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午後からもスムーズに印刷は終え、予定時間よりも3時間以上早く終わった。最後の印刷台が終了し、著者の水谷さんを囲んで記念写真。

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水谷さん、前拍をふくめると3日間、お疲れさまでした。高橋工場長、全台お付き合いいただき、ありがとうございました。そして高栁取締役、桝川さんをはじめ、印書館のみなさん、心から感謝しています。ありがとうございました・・・  合掌

☆ハッサン水谷写真集『サハラ蒼氓』(ぶどうぱん社刊/定価:3600円税別、上製本、B5判、152ページ)は、5月16日発売です!!

 

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東武東上線・森林公園駅から寄居行きに乗り換えて小川町へ向かう。前の席に座った高校生と車窓。

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車窓からの風景は小川町に入る手前から一変する。それまでの住宅街などが消え、雑木林と田畑などが広がるのだ・・・。

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雑木林に一本の桜が満開に咲いていた。

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「山笑う」の季語にピッタリの低い山合に小さな池が見えた・・・。

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個展、最終日の31日。近所の親子が韓国料理のランチを食べに。写真もしっかりと見てくれた。

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まちの観光ステーションとしての役割を果たしたいと若世代で運営している「おいでなせえ小川町駅前店」。

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町の食材など使いアレンジした羊羹など。僕も3種類食べてみたが美味しかった。地元酒蔵の酒、地ビール、地ワインをはじめ、伝統工芸品、小川町の歴史グッズなどそろえている。

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搬出の手伝いに来てくれたなぎさちゃん。写真研究塾「風」同人・事務局長の塩崎亨さんの娘さん。

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親子でドライブがてら来てくれたという。感謝~!♡☆ 昨年8月の銀座での個展のときにも2人で手伝いに来てくれた。なぎさちゃんは、辛いのは苦手と言いつつもカルビ定食をペロリ~!!

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搬出作業をする前に記念写真。女将さんの鈴木こうちゃんが撮ってくれた。1か月間、お世話様なりました・・・。 合掌

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僕の事務所まで戻り、作品や書籍を片付けてから近くの居酒屋へ打ち上げを兼ねた食事に行った。「風」同人の眞月美雨さんも遅れて合流した。

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羨ましいほどの親子である。僕は娘の高校時代にはこんなふうな付き合いは出来なかったなあ~。

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彼女がお母さんのおなかの中にいた頃からの知り合いだ。そのおじさんがおじゃま虫で・・・。

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写真家・眞月美雨さんと。仕事が終えてから駆けつけてくれたのでお疲れの様子が・・・。

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若いということは兎にも角にも美しい~!♡☆素晴らしいことです。僕の54年前の姿は・・・。

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翌日の4月1日。花曇りの日だったが、毎年見つめている近くの新河岸川沿いの桜を見に行った。ぶどうぱん社の「櫻を見る会」の定位置の桜は散り始めてはいたが、まだ持っていた。

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諸葛菜(花大根)が桜堤に下にひっそりと咲いていた・・・。

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3月30日に都内の病院二つを受診。その薬が全部そろったと薬局から連絡があったので、4月1日に取りに行った。そのために僕の今年の「櫻を見る会」はわずか10分ほどであった。

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新河岸川の流れも雲も、春らしくゆったりとしていた・・・。

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4月1日、千代田区一番町のJCII PHOTO SALONで開催している藤森順二作品展「諏訪の街角ー蜜と虚実ー」を見に行く。会場に来ていたJPSの高村達副会長(右)と藤森さん。

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僕も息子さんの藤森邦晃「フォトコン」編集長の関係もあり付き合いは長い。また藤森さんが師事した写真家の木村仲久さんは僕とは1975年来の仲だったこともあり、亡くなった奥様の悦子さんともども良くしてもらった。諏訪大社の御柱祭のときに諏訪でお世話ななったこともある・・・ 合掌

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