写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2023年12月アーカイブ

 

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用事があって六本木に出かけたので、どうしても見ておきたかった細江英公さんの写真展へ行った。彼の1950~1970年代にかけての代表的な4つのシリーズ「おとこと女」、「薔薇刑」、「鎌鼬」、「抱擁」のなかから厳選した30点を展示している。すべてがウ”インテージプリントだ。作品サイズは小さいが、1点、1点の作品から細江さんの熱量が伝わって来た・・・。

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池袋駅西口にある東京芸術劇場へ足を運んだ。僕の写真人生にとって大きな影響を与えた日本リアリズム写真集団と現代写真研究所の創立60年・創立50年記念写真展を見るためである。

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東京芸術劇場のB1にあるギャラリーを使って写真展は行われていた。僕が上州の片田舎で写真好きの先輩たちに誘われてJRP(日本リアリズム写真集団)に加入したのは1968年のこと。集団が創立してまだ5年しかたってない頃だった。しかし、ものすごい熱を感じた。上州の山深い町まで届くような写真創作へのエネルギーがあった。当時、僕が住んでいた周辺の村や町だけでも10人ほどの写真愛好家が加入した。みな10代、20代の青年ばかりであった。

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会場風景。 1972年に「星雲の志を抱いて」10代で上州の寒村から上京してきた僕は、好きな写真を続けたいと思っていた。東京に来て1年後、田村茂、土門拳、田中雅夫、伊藤逸平、丹野章、伊藤知己、目島恵一先生らが中心となって「現代写真研究所」という写真を本格的に学ぶ夜の学校ができるという話を聞き、会社の上司に「ぜひ、行かせてほしい」と掛け合った。ある程度の自信があったので基礎科でなく、本科(カウンセラー:樋口健二、竹内敏信)から入校したいと思っていた。職場の後輩であった森住卓くんも一緒に入れてほしいと懇願した。するとその上司(副社長相当)は、「1年間はどんなことがあっても絶対に授業を休まないこと」を条件に許可してくれたのである。授業料と交通費は出してくれた。今考えると信じられないような話だ。お陰様で森住君も僕も写真家として何とか生きて来ている。僕ら「花の一期生」には写真家の藤田庄一さんをはじめ、何人かは写真界でまだ活躍している・・・。この上司であった橋場さんにぜひ会って、心からのお礼を言いたいと最近とみに思う。多少なりとも恩返しができたろうか・・・ 合掌

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懐かしい、お世話になった先生方の作品。右から土門拳、木村伊兵衛、田村茂、小西久弥、丹野章、川嶋浩、英伸三、目島恵一、藤井梵先生。英伸三さんを除いてみな鬼籍に入られた。英さんは、本科2年を終えて研究科に進学したが、その時の担任だった。卒業後、プロの写真家を目指すエネルギシュな若い面々が集まっている「英伸三塾」に2年ほどお世話ななった。森住君は、どちらかと言えば指導者を育成する「目島恵一塾」へ入った。本科で2年間お世話ななった竹内敏信さんは亡くなり、樋口健二さんは86歳に、いまでも時々お元気な声で電話がかかる・・・。僕が現研に入ってからすでに50年の歳月が流れたということである。

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会場にいたJRP理事で日本写真家協会会員の佐藤健治くん(右)らと。全国公募写真展「視点」(主催:JRP)は来年49回目となる。第1回目から関わっているから、こちらもかれこれ50年になる・・・。いまは、JRPも現代写真研究所も視点にもかかわらなくなって久しい・・・。

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東京芸術劇場前の広場で。いつも何かの演奏会などが開かれている。

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Xマスの日、午後5時から近くに住んでいる「写真集団・上福岡」の事務局長の一瀬邦子さん(右)と同集団の竹川義之会長、写真家で写真研究塾「風」同人の眞月美雨さんと4人で最寄り駅近くの韓国料理店で忘年会をした。(撮影:竹川義之)

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友人の李ルセ君が経営する南大門で、家族ぐるみで付き合いをしている馴染みの店だ。焼肉はもちろんだが、ワタリガニのケジャン、白菜などのキムチ、各種ナムルなどが美味い。この日はこれでもかというほど焼肉を食べた。酒も呑んだ。写真の話も大いに弾んだのである。

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にもかかわらず、二次会へと繰り出した。これまたよく行く鮨屋。ここでもどこの腹に入るのだと目を疑うほどによく食べ、呑んだ。握りは7~80個は食べただろう。それに荒汁や茶わん蒸しなどなど。信じられないが事実である。最後はほろ酔いで、お互いの来年の健康と幸を願って別れたのである・・・。 合掌

 

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12月20日、「写真集団・上福岡」の例会が行われた。同集団は来年3月6日から10日まで富士見市民会館において、第41回「写真集団・上福岡」写真展の開催が決まっている。今回はこの半年間で5人の新入会員が入会したこともあり、その人たちが写真展に参加するための作品セレクトを中心に行った。

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右から事務局長の一瀬さん、新人の後藤さんは約500枚を引き延ばして持参した。新井さんも先月入会したばかりだが約100枚作品を持ってきた。この日、僕が見た写真の枚数は合計すると1.000枚は優に超えていた。当然、疲れました・・・。

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竹川会長(左端)、一瀬事務局長の作品は、とうとう見れずじまい。来月の臨時例会で見ることになった。左から3人目の田中前会長は体調がすぐれないために忘年会には参加せずに帰った。

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場所を移して久しぶりの忘年会を9人が参加して行った。かって20数名いた頃は、蕎麦打ちをしたり、ずんだ餅を作ったり、それぞれが持ち寄った料理や酒を並べた。ビンゴゲームやプレゼント交換なども行われて華やかなものだった。コロナ感染に揺れた3年間で、この集団も変化した・・・。

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9月入会の後藤さん(右)と10月入会の新井さんと。新しい息吹が吹き込まれると集団も活気ずくね~!♡☆ 僕もうれしいさ~!♡!☆

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3時間余りの楽しい交流。第41回写真展はすぐそこだ。来年もがんばろうと誓って解散~!

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後藤さんは一足早く帰ったが、最後にもう一枚記念写真を・・・。

 

◆師走のなか、寒中お見舞い申し上げます。早いものでもうお歳暮の季節となりました。仕事がなく生活苦にあえいでいるフリーランスの写真家にとっては、涙が出るほどありがたいシーズンです。今年も全国のみなさまより、心のこもったお届け物をいただき、感謝の念に堪えません。本当にありがとうございます・・・   合掌                        「日本お布施党」・党首

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☆埼玉・Tさま 自家製夏みかん、大根、秋じゃがいも  ☆埼玉・Nさま 日本酒「獺祭」一升  ☆長崎・Yさま 呼子の干物セット  ☆東京・Kさま 北海道プレミアム 日本ハム「美しの国」詰め合わせ

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☆岡山・Hさま 信州・ふじりんご5キロ  ☆東京・Nさま 自家製さつまいも「紅はるか」一箱  ☆愛媛・Kさま 宇和島みかん一箱  ☆宮崎・Yさま 諸塚村の焼酎古酒2本、七ツ山味噌(麦)、七ツ山味噌(合わせ)、柚子胡椒  ☆東京・Sさま 自家製写真カレンダー  ☆東京・Mさま 自家製油彩画カレンダー  ☆埼玉・Tさま お米10キロ  ☆沖縄・Kさま 自家製写真カレンダー  ☆東京・Gさま 白霧島900mmビン1本  ☆東京・Sさま 自家製写真カレンダー   ☆埼玉・Iさま 自家製手作り味噌       ♡心から感謝いたします。  合掌

 

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この日は9月~10月に行われた「写真研究塾創立15周年記念展」以後、はじめての例会だった。反省会もした。師走のためか遠方の岡山・早島、長野・伊那、埼玉・毛呂山3人が欠席した。

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先だっての写真展で好評だった出口君(右端)が、新たに和歌山での藤枝虫丸さんの合宿などを取材し、新作120点余を持参した。出口君は合宿会場でも巡回展をするために、作品を車に積んで湘南から和歌山まで往復したという。

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少し遅れて東京・青梅市から参加した並木さんが撮り続けて来た沖縄作品をどうまとめて行くか、今までの作品を持ってきた。最近、地元の図書館で沖縄の作品展をしている。

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千葉の銚子から参加した水谷さんは、イラクの人々の生活を中心に撮った作品を持ってきた。以前、石油タンクなどの塗装のためにイラクに数年間暮らしていた。その時に撮影したものだという。
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塩崎くんはめづらしく、東京浅草の人々をスナップしたものを持ってきた。眞月美雨さんは、作品は持ってこなかったが、今後の抱負について語った・・・。

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例会後、みんなで2023年度の忘年会&交流会をいつも使っている居酒屋でおこなった。6人と少し寂しかったが、写真談議は弾んだ。最後に「来年めざしてがんばろう」と決意を固めあった。

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12月14日、用事があって出かけたので六本木の富士フィルムスクエアに「細江英公生誕90年記念 細江英公作品展」を観に行った。細江さんの代表作の一部がオリジナルプリントで、小さいスペースに展示されているが見ごたえがあった。今月28日(木)まで。ぜひ観に行って欲しい作品展である。

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我が”こまつ平民食堂”のこの季節のメニューは、そのほとんどが鍋料理になる。週に3~4回は鍋。今日も明日も鍋、鍋である。作る方は極めて楽だ。それでいて野菜はたっぷりとれるし、豆腐も2丁は入れるので栄養豊富である。この日は生しゃけと牡蠣と海老団子が具材のメインだ。

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なめこと上州ねぎに里芋、鶏のもも肉の鍋。出汁に苦労する。毎日が同じ味だと飽きるから・・・。

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椎茸、人参、鳥団子、白菜などがメインの鍋。

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椎茸、えのきだけ、かぶ・・・。中に固い沖縄豆腐、京都の絹ごし豆腐が入っている。

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アンコールにお応えして今が旬の銀鮭の鍋。かぶや椎茸、海老団子、上州こんにゃく、すだちなど。

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余った大根で煮つけもの・・・。

 

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今年から理事会の構成が抜本的に若返った。日本写真家協会会長には熊切大輔さん(中央)がなった。二期前の会長・熊切圭介さんの息子さんだ。大輔さんの知り合いの写真家・眞月美雨さんと。

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第49回日本写真家協会賞は、(株)ワン・パブリッシングの月刊「キャパ」が授賞した。左から山口規子副会長、熊切大輔会長。

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「名取洋之助写真賞」の受賞式で選考委員を代表して挨拶をする専修大学教授の山田健太さん。選考委員はJPS会長・熊切大輔さん、JPS会員、写真家・清水哲朗さんの3人。

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「名取洋之助写真賞」は中条望さん(中央)、「名取洋之助写真賞」奨励賞は、齋藤小弥太さん(右から3人目)、同奨励賞の小山幸佑さん(右から2人目)。左3人は選考委員。

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授賞式は続く・・・。

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1年ぶりに再会を果たしたJPS名誉会員の木村恵一さん。JPS歴代の三木淳会長、藤本四八会長時代から理事を一緒に務めて来た先輩であり、盟友でもある。パーティには300人を超える参加者であったが、当時理事をしていたのは何人もいない。木村恵一さん、齋藤康一さん、松本徳彦さん、桑原史成さん、山口勝廣さんと僕の6人だけだった。(桜井秀さんが撮影してくれた)

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桜井秀さんは(左)、VIVO時代に専属の暗室マンとして活躍、森山大道さんの先輩だった。

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JPSの前副会長の山口勝廣さん(右)。名誉会員に推挙されたことがこの日、パーティの席上で発表された(全会長の野町和嘉さんも)。((株)写真弘社社長・柳澤卓司さん。お二人ともかれこれ40数年を越す付き合いである。

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写真家・眞月美雨さんもお二人にお世話になっている。

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50代、40代が中心の新理事体制となった。60代以上は数人しかいないという。僕も知らない人ばかりだ。中央辺りの白いスラックスを履いているのは、山口規子副会長。唯一女性の理事。

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同世代と言うこともあり、写真界の中では仲のいい右から鈴木一雄さん、林義さんと僕。”写真・花の3人組”である・・・。

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博多から参加した写真家・八田公子さんが、「私も入れて~!」と参入した。

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協同組合日本写真家ユニオンの創立時、1~2年間アルバイトとして事務局を手伝ってくれた林さん。当時、僕は専務理事をしていた。久さしぶりの再会であった。あれから20年の歳月が流れたのか・・・。

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写真家のバク斎藤さん。彼がJPS展の実行委員長をした時に、やはりアルバイトとして写真展を手伝ったのだという。

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三百人余りの参加者へ挨拶をするJPSの新理事たち。

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恒例の参加者による記念写真。

 

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かっては石炭積出量日本一を誇った若松港と隣接する若松駅、当時の面影が残るホームが現存する。その目の前に火野葦平資料館がある。

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火野葦平資料館に展示されている葦平の当時の書斎。河童が好きだった葦平らしく河童の置きものもあった。先年、アフガニスタンで銃撃されて亡くなった日本人医師の中村哲さんは、葦平の妻の妹さんの子ども。書斎の一隅に小さな遺影と花が添えられていた。

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火野葦平旧居「河伯洞」。昭和15年に父金五郎が竣工した当時のままので残っている。大きな板を使った一階の廊下。

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葦平の小説『花と龍』にも登場する金毘羅神社の境内。ここからの眺めは、洞海湾を中心とする北九州市を眼下に一望できる。

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葦平の父・玉井金次郎が仕切っていた玉井組事務所があった直ぐ近くに、弁財天上陸場(ごんぞう小屋)がある。当時の面影を残すふ頭の一部。

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小説『細雪』の舞台となった兵庫県芦屋市にある芦屋市谷崎潤一郎記念館。遺族から寄贈された多数の資料が展示・収蔵されている。

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『細雪』のなかに登場する芦屋川の清流。

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谷崎潤一郎が森田松子と暮らした旧居(後に詩人の富田砕花旧居)跡。谷崎が書斎として使っていた離れが残っている。

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いまでも庭にある谷崎が好んだ灯篭。

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谷崎潤一郎が松子と暮らした「倚松庵」の応接間・食堂から庭を望む。谷崎は昭和11年から18年11月まで、関西移住のなかでは一番長く住んでいた家である。

 

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