写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2024年5月アーカイブ

 

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右から写真家の渡辺義雄さん、田村茂さん。当時、渡辺さんは日本写真家協会(JPS)会長、田村さんは日本リアリズム写真集団(JRP)理事長。2人は戦前からの無二の親友だった。事務所や暗室も共同だった。愉快なエピソードは沢山聞いている(1974年・東京新宿区で)。ちなみに田村さんは、僕が日本写真家協会に入会した時の推薦保証人である。もう一人は山口勝廣さん。

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左から写真家の土門拳さん、クリエーターの太田英之さん、渡辺義雄さん。太田さんは木村伊兵衛さんを資生堂の広告写真に抜擢して使うなど画期的な広告写真を切りひらいたことで知られている。長野で静かにお亡くなりになった。奥様からご丁寧なお便りがあった。

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右から丹野章さん、渡辺義雄さん。この当時、二人は日本写真家協会を中心にして写真著作権運動の旗手として大活躍をしていた。上の3枚の写真は、1974年、日本リアリズム写真集団の新事務所オープンのレセプションパーティで。

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右、写真家の熊切圭介さん。当時は公益財団法人日本写真家協会会長だった。JPS三木淳会長、藤本四八会長時代に共に理事をした頼れる先輩だった。僕の著書『民族曼陀羅 中國大陸』の出版を祝う会。池袋の沖縄料理店「みやらび」に駆けつけてくれた。

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田沼武能さん、当時は公益社団法人日本写真家協会会長だった。田沼さんとのお付き合いも長く40数年になる。田沼さんの写真展会場(新宿)で。

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左から写真家の野町和嘉(前JPS会長)さん、田沼武能さんと僕。JPSの暮れに行う会員相互祝賀会で。何年だったかは調べればわかるが、今は出先で書いているので手元に資料がない。すみません、後で記入しておきます。

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「K&K」コンビの木村恵一さんと相棒の熊切圭介さん。僕は親しみを込めて二人の前では「くまさん、へいさん」と呼ばせてもらっていた。木村さんはまだお元気だ。田沼武能さんの文化勲章受章を祝う会で(東京・帝国ホテル)。

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僕と弟の修二と・・・。平屋の小さな家だったが、貧しいながらもしあわせだった気がする。雨が降ると水浸しになった玄関前で。

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僕の上州の実家の縁側の前で。亡き父母と次男の修二と。彼も今年で68歳になる。父に叱られて夜家を出て、縁の下に潜って一夜を過ごしたこともあったなあ・・・。

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亡くなる前年の母、92歳(2019年)。いつも元気で僕よりも長生きするのではと思っていたが、新型コロナ化の中、突然に無くなってしまった・・・。無念の極みである。 合掌

 

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ゴールデンウィーク前半は雨交じりのぐずついた天気だったが、後半の5月3日からは見違えるような爽やかな五月晴れとなった。3日、連休に入る前にと思い郵便局や銀行などを廻った。ここ数年、家の周りの畑はどんどんと潰されて、新しい住宅が次々に建っている。全国的には、恐ろしいほどの人口減少が激化しているが、僕の住んでいる朝霞は、ここ毎年人口が増えている。それも若い層、子どもたちがである。小・中学校でも学年のクラスが10クラスになったと聞いた。そんな影響もあるのだろうか、武蔵野の面影が残る畑が消えていくのは寂しい限りである・・・ (家の近くの光景)

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5月4日、この6日で終わってしまう友達の山岸伸さんの写真展へ行った。7日からはしばらく都内には出れなくなくなるのでどうしてもと思ったのである。超多忙の本人とは会えず・・・。

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この日が5月~6月のうちでは、都内に出る最後の日だと思い山岸さんの後は、石川真生さんの土門拳賞受賞作品展、東京写真美術館で行われている「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を見いくつもりで意を決してきた。しかし、山岸さんの写真展を見て、大きな靖國の境内を歩くうちに疲れ果ててしまった。意欲が失せてしまったのだ。途中、ベンチにしゃがみこんで何度か思案したが、やはり自らの身体をいたわり、いまは無理をしないことにした・・・。

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それで、これらの写真をトボトボと歩きながら撮った。僕なりの「靖國点描」である。

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大鳥居の門柱。

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境内に張り出されていた山岸伸写真展のポスター。

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写真展会場の入り口。遊就館の本館一階ギャラリー。少し奥まったところだが、外国の人もふくめて入場者は入っていた。山岸さんの人柄が出ている優しい作品だった。「日本人の心がやどる」と副題についていたが、僕には山岸伸のこころがやどっているように思えたのである・・・。

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この館の中は、戦時中の陸海空の軍事品が飾られていた。途中まで無敵と恐れられ活躍したゼロ式戦闘機の前に、軍服に似せた服を着ている人たちがいた。また境内には、グループで軍歌を謳い、敬礼などと繰り返し叫ぶものいた。A級戦犯はともかく、戦争で亡くなった人々を鎮魂する場にはふさわしくないと思った。世界から多種多様の人間がお参りに来ている場として違和感を感じたのである。僕の叔父さんも若い命を中国大陸に散らした一人であった・・・。

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黒人の参拝者。

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子どもも若い人も、参拝に入る時と終わって出る時に、きちんと深々と本殿に向かって礼をする光景に少し戸惑ったのである・・・  合掌

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