写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2024年5月アーカイブ

 

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15日間の隔離生活以後、2度目の外出。リハビリを兼ねて都内に出かけた。目指すは友人の千代田さん(中央)の写真展。わざわざ遠い長崎から上京して開催しているので、何とか行こうと思った。一時は「風」の同人でもあったし、長崎に引っ越しする前の家も近かったので親しくしていたこともある。写真家・眞月美雨さん(右)も会場で合流した。左は俳人の青野はつ音さん。山岳写真家の故・青野恭典さんの奥さんでもある。

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会場で会った写真家・石田研二さんに撮ってもらった。ありがとう~! はつ音さんとは俳句結社「一滴(しずく)会」の同人仲間でもある。僕が最近句会に参加していないこともあり、久しぶりの再会に俳句話の花が咲いた。亡くなった恭典さんも知っていたので思い出話になった。

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5月28日、3月の写真展以来の「写真集団・上福岡」例会が行われた。昨年秋に新入会員が5人入会したことにより、何よりも活気がでた。それは写真の創作にも当然のことながら反映している。

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来年3月には、第42回「写真集団・上福岡」写真展の会場と日程が決まっていることもあり、すでにそこに向けた撮影や活動がそれぞれ始まっている。今月、沖縄に撮影へ行ってきた会員や、7月にチベットへ行く準備をしている会員もいる。

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「写真集団・上福岡」を代表する”美女軍団”の女性会員に囲まれて、タジタジの僕でした・・・。

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奥さんの体調がすぐれない会員を除いて、全員が参加した例会の後の打ち上げ。この日はいつになくみなさん、よく呑んだなあ~。僕はノンアルコールで乾杯して、あとは芋焼酎をちびり、ちびりとやっていた。でも30日ぶりのアルコールだったので顔が直ぐに赤くなってしまった。

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僕だけ一人吞んでいるようなあから顔、もちろん美女たちの気勢に圧倒されて興奮していることもあるかもね~!♡☆ ちなみに右端の山本恵子名誉会員は御年86歳であるよ。他に会員には元気な97歳、89歳、86歳の人もいるさ~。

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5月29日、毎年行っている東放学園専門学校・プロモーション映像科2年生の特別授業に参加し、講義をした。90分と短い時間だったがみんな真剣に聞いてくれた。担当講師は映画監督で音楽家、映像作家でもある金大偉さん(僕の左隣)。30数年来の友人でもある。

 

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22日の初日に続き、2日目の23日は、約250作品に絞られた作品を並べて審査。第2次審査を経て第3次審査で約120点にセレクトされ、入選作品が決定。昼食をはさんで、賞候補作品約30点が選ばれて賞の選考に入る。今回は審査員に藤森邦晃さん(「フォトコン」編集長)に急遽加わってもらった。僕の体調不良によるものだ。初日の第1次審査は塩崎、藤森の両審査員がおこなった。2日目の第2次審査からは、審査委員長である僕も加わり、3人とも全入賞作、入選作の選考はすべて同席した。35回のマリナーズ・アイ展の歴史上3人で審査をやるのは初めてであったこともあり、激しい議論も交わされたが、新鮮でもあった。右端から藤森審査員、小松(中央)、塩崎亨審査員(左端)と僕の後ろの一般財団法人全日本海員福祉センター・福井専務理事をはじめスタッフのみなさん。2日間お疲れさまでした。 ◆入賞・入選の発表は6月1日以降、HPで掲載します。

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審査会場の前にある鶏料理の店で昼食を取った。藤森審査員などが食べた名物の親子丼。

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僕は、鶏のお弁当。

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半月ぶり以上の都内への遠出だったので疲れ果てた。ようやく家に辿り着いたら目の前の畑に夕日が沈む光景が広がっていた・・・。

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入賞・入選作品全120点が一堂に展示される写真展は、◆7月2日~8日 横浜赤レンガ倉庫1号館 ◆8月7日~10日 神戸KITO ◆9月18日~22日 福岡NHKギャラリー(NHK福岡放送局内)が行われます。※3カ所とも僕の作品解説「海の写真道場」(無料・自由参加)が開催されます。ふるってご参加ください。皆さんと直接お会いできるの心待ちにしています。  合掌

ここに載せた写真は、いつ、誰と、どこで撮影したかなど子細には資料がないのでわかりません。事務所(自宅)でないためです。暇に任せてパソコンの未整理データをボ~と見ていて、これは記録として残しておこうと思ってアップしたものです。第1回目シリーズ(さらに続く)と合わせて詳しいデータは後日、記入しておきます。悪しからず・・・  合掌

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右から白川議員さん、熊切圭介さん、齋藤康一さん、木村惠一さん、そして僕。先輩たちとは一回り以上歳は異なるが、日本写真家協会が大変な時代に共に理事、監事として活動してきたいわば「同志」である。白川さんは几帳面な方で、自身のパーティの案内や賀状などは欠かさず送ってくれた。僕を除く全員が公益社団法人日本写真家協会の名誉会員である。

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101歳でお亡くなりになった写真家・芳賀日出夫さん。僕の個展や出版記念パーティなどには、必ず来てくれた。飯田市藤本四八写真文化賞の第1回受賞者が芳賀さん。第2回受賞者が僕であったこともあり、芳賀さんは会うたびに「小松君、この賞を立派なものに育てていこうな」と言っていた。酒豪なので酒の話もし、地方でばったり会った時などはよく呑んだ。付き添うのは長男で現在、公益社団法人日本写真家協会監事を務める芳賀日向さんご夫婦。

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写真家・田沼武能さんが著書に揮毫する(酒田市土門拳記念館で)。

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土門拳記念館名誉館長の土門真魚さん。酒田市の土門拳記念館で展示作品を丁寧に鑑賞する。

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上州の実家。母が手入れをしている庭先で。

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(株)勉誠出版社長だった岡田林太郎くん。勉誠社では、原爆投下70年に『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』を共に刊行した。翌年、日本ジャナ―リスト会議JCJ賞を受賞、今年も重版となり発行部数は5万部を超えた。独立して(株)みずき書林を創立して第1版目の書籍が、僕の大写真集『民族曼陀羅 中國大陸』だった。享年43歳、僕の子どもたちよりも若かったが、心から通じ合える大切な友であり、信頼できる出版人であった。無念の極み・・・ 合掌

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左、書家で俳人、歌人でもある豊田瑞穂さん。岡井耀毅さんが代表を務めていた「一滴(しずく)」句会の創立時の中心メンバーだった。書家としても有名で、お弟子さんも多数いた。彼女と何度かコラボレーション企画・展示会をした。

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僕は土佐へ行くと毎晩入り浸って来た高知市内の割烹「常盤」の主人。控えめな人で、女将さんが前に出ていて、その微妙な関係が好きだった。最初に女将が亡くなり、その後、大将も無くなって店は閉まったと最近知った。土佐へ行く楽しみがひとつ消えた。寂しい限りである。

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写真界で初の文化勲章を受章した田沼武能さん。帝国ホテルで開かれた祝う会には多くの人たちが駆けつけた。僕の写真集『民族曼陀羅 中國大陸』に推薦文を寄せてくれたときには、文化功労者であった。心のこもった文章でうれしかった。いまでも大切にしている。

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左から写真家・大石芳野さん、熊切圭介さん、齋藤康一さん。大石さんは二人にとって日大芸術学部の後輩である。

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写真家・大山謙一郎さん。熊本出身だから酒は強い。それでもって土佐が好きで、「よさこい祭り」の撮影に通った。僕とも機会あるごとによく呑んだものだ。ある時に、彼の熊本の実家を訪ねたことがあった・・・。

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アメリカ・アリゾナ大学の教授たち代表団を「反核・写真運動」の代表委員として迎える江成常夫さん、熊切圭介さん。(東京・銀座で)

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珍しい顔ぶれ、硬派の写真家がそろった。右から熊切圭介さん、江成常夫さん、桑原史成さん。

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関西で活躍した藤本俊一さん(中央)。JPSの理事として、協同組合日本写真家ユニオンの設立発起人として共に働いた。左は公益社団法人日本写真家協会副会長だった山口勝廣さん。2人ともJPS名誉会員となった。

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僕のほとんどの写真集を制作・印刷してくれた(株)東京印書館のスタッフ。左端、僕の営業担当だった佐々木政美さん。二人三脚で10冊を超える本を世に送り出してきたが、3年前に忽然と消えてしまった。酒好きでよく仕事の後は二人で呑んだものである。

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奄美大島在住の写真家・久野末勝さん。この年、奄美を代表する音楽家だった奥様(写真)が病気で亡くなった。何度か家にも泊めてもらいお世話になった。彼は建築家でもあり、奄美の海を見下ろせる丘に建つ木で出来た家は終の住処だろう。

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日大芸術学部出身の大写真家のなかに、独り門外漢の僕が・・・。やはりちょつと変な感じ。

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暮れの恒例のJPSの会員相互祝賀会で。右から僕、鈴木一雄さん、田沼武能さん、芳賀日出夫さん、木村惠一さん、山岸伸さんらが見える。何だこれ~!?スマホでの自撮りだろうね。

 

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右から写真家の渡辺義雄さん、田村茂さん。当時、渡辺さんは日本写真家協会(JPS)会長、田村さんは日本リアリズム写真集団(JRP)理事長。2人は戦前からの無二の親友だった。事務所や暗室も共同だった。愉快なエピソードは沢山聞いている(1974年・東京新宿区で)。ちなみに田村さんは、僕が日本写真家協会に入会した時の推薦保証人である。もう一人は山口勝廣さん。

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左から写真家の土門拳さん、クリエーターの太田英之さん、渡辺義雄さん。太田さんは木村伊兵衛さんを資生堂の広告写真に抜擢して使うなど画期的な広告写真を切りひらいたことで知られている。晩年は長野で静かに暮らして、お亡くなりになった。奥様からご丁寧なお便りがあった。

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右から丹野章さん、渡辺義雄さん。この当時、二人は日本写真家協会を中心として写真著作権運動の旗手として大活躍をしていた。上の3枚の写真は、1974年、日本リアリズム写真集団の四谷新事務所オープンのレセプションパーティで。

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右、写真家の熊切圭介さん。当時は公益財団法人日本写真家協会会長だった。JPS三木淳会長、藤本四八会長時代に共に理事をした頼れる先輩だった。僕の著書『民族曼陀羅 中國大陸』の出版を祝う会。池袋の沖縄料理店「みやらび」に駆けつけてくれた。

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田沼武能さん、当時は公益社団法人日本写真家協会会長だった。田沼さんとのお付き合いも長く40数年になる。田沼さんの写真展会場(新宿)で。

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左から写真家の野町和嘉(前JPS会長)さん、田沼武能さんと僕。JPSの暮れに行う会員相互祝賀会で。何年だったかは調べればわかるが、今は出先で書いているので手元に資料がない。すみません、後で記入しておきます。野町さんとの付き合いも1980年代初めからだから40年以上経つのか。

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「K&K」コンビの木村恵一さんと相棒の熊切圭介さん。僕は親しみを込めて二人の前では「くまさん、へいさん」と呼ばせてもらっていた。木村さんはまだお元気だ。田沼武能さんの文化勲章受章を祝う会で(東京・帝国ホテル)。

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僕と弟の修二と・・・。平屋の小さな家だったが、貧しいながらもしあわせだった気がする。雨が降ると水浸しになった玄関前で。

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僕の上州の実家の縁側の前で。亡き父母と次男の修二と。彼も今年で68歳になる。父に叱られて夜家を出て、縁の下に潜って一夜を過ごしたこともあったなあ・・・。

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亡くなる前年の母、92歳(2019年)。いつも元気で僕よりも長生きするのではと思っていたが、新型コロナ化の中、突然に無くなってしまった・・・。無念の極みである。 合掌

 

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ゴールデンウィーク前半は雨交じりのぐずついた天気だったが、後半の5月3日からは見違えるような爽やかな五月晴れとなった。3日、連休に入る前にと思い郵便局や銀行などを廻った。ここ数年、家の周りの畑はどんどんと潰されて、新しい住宅が次々に建っている。全国的には、恐ろしいほどの人口減少が激化しているが、僕の住んでいる朝霞は、ここ毎年人口が増えている。それも若い層、子どもたちがである。小・中学校でも学年のクラスが10クラスになったと聞いた。そんな影響もあるのだろうか、武蔵野の面影が残る畑が消えていくのは寂しい限りである・・・ (家の近くの光景)

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5月4日、この6日で終わってしまう友達の山岸伸さんの写真展へ行った。7日からはしばらく都内には出れなくなくなるのでどうしてもと思ったのである。超多忙の本人とは会えず・・・。

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この日が5月~6月のうちでは、都内に出る最後の日だと思い山岸さんの後は、石川真生さんの土門拳賞受賞作品展、東京写真美術館で行われている「没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる」を見いくつもりで意を決してきた。しかし、山岸さんの写真展を見て、大きな靖國の境内を歩くうちに疲れ果ててしまった。意欲が失せてしまったのだ。途中、ベンチにしゃがみこんで何度か思案したが、やはり自らの身体をいたわり、いまは無理をしないことにした・・・。

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それで、これらの写真をトボトボと歩きながら撮った。僕なりの「靖國点描」である。

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大鳥居の門柱。

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境内に張り出されていた山岸伸写真展のポスター。

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写真展会場の入り口。遊就館の本館一階ギャラリー。少し奥まったところだが、外国の人もふくめて入場者は入っていた。山岸さんの人柄が出ている優しい作品だった。「日本人の心がやどる」と副題についていたが、僕には山岸伸のこころがやどっているように思えたのである・・・。

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この館の中は、戦時中の陸海空の軍事品が飾られていた。途中まで無敵と恐れられ活躍したゼロ式戦闘機の前に、軍服に似せた服を着ている人たちがいた。また境内には、グループで軍歌を謳い、敬礼などと繰り返し叫ぶものいた。A級戦犯はともかく、戦争で亡くなった人々を鎮魂する場にはふさわしくないと思った。世界から多種多様の人間がお参りに来ている場として違和感を感じたのである。僕の叔父さんも若い命を中国大陸に散らした一人であった・・・。

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黒人の参拝者。

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子どもも若い人も、参拝に入る時と終わって出る時に、きちんと深々と本殿に向かって礼をする光景に少し戸惑ったのである・・・  合掌

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