写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2012年2月アーカイブ

SDIM8042.JPG

 うるう年の今年のみある2月29日、つまり4年に1日しかないというある意味貴重ともいえる今日、未明から雪が都心に降り積もった。二月尽とか二月果つなど季語では言われ、もう光りかがやく春本番がそこまで訪れている季節をさしているのだが、なんとも異常な気候なのかと思ってしまう。昨日、福島原発事故を調査した民間独立調査委員会の事故報告書が発表された。その調査・聞き取りに協力しなかった東電の対応は問題外であるが、300人におよぶ政府関係者、政治家などの聞き取りによってもさまざまな恐るべき問題点が明確となった。内容は背筋が寒くなるような深刻なことばかりである。この程度の人々に僕らの未来や日本を託していたのかと思うと日本人の人の良さを通り越してはっきり言って馬鹿なのではないかと笑いたくなってしまった・・・・・・・・。もちろん僕もふくめて・・・・・・・・。はっきり言って「原発再稼働」など絶対に許してはいけない。もし、平然と許すような国民であるならば未来はないと断言する!!

昨日、パスポートセンターと都内の内科と眼科の2つの病院へ行った。1週間ぶりの外出である。心配していたインフルエンザの検査は、大丈夫だった。悪性の風邪らしい。肺炎の恐れがあるので注意をするようにといわれたっぷりと薬を出された。眼科の方は白内障が大分進んでいること、そろそろ手術もふくめて検討する必要があるとはじめて医師の口から言われた・・・・・・・・。まあ、長い付き合いだからお互いにうまく付き合っていくしかありますまい。目に傷をつけるのは極力避けたいのが僕の本音だ。熱は下がったと思い込んでいたが37,5度と微熱があった。それで頭痛が治らなかったのだと思った・・・・・・・。夕べは午後8時過ぎには床に就いた。信じられないような健康的な暮らしである。そういえば医者ももう10日以上酒を呑んでいないと言ったらびっくりして「小松さんやればできるじゃない、信じられない・・・・・」を連発していた。大きなお世話だと僕は内心思ったのである・・・・・・・・。

SDIM8039.JPG

この写真をふくめてすべて僕の家から5~6メートルの場所で今朝撮影したもの。自転車は隣のもの・・・・・・。

SDIM8034.JPG

夏みかんがたわわになっているのは裏の家だが、僕の玄関前を覆っている。食べないのかな~あといつもおもっ居ている・・・・・・・・。

SDIM8037.JPG

この車は前の家のおじさんのもの。古いタイプだが大切に乗っている・・・・・・・。これでしばらくは雪は消えないだろう。ところでこの大雪、薬局に薬を取りに行きたいのだが、とてもいけそうも無い。そこで朝のうちにFAXで処方箋を送っておいて、熱があるので行きたいが無理なので届けてもらえないかとお願いしたら、若い2人の女性薬剤師さんが雪の中 家まで届けてくれた。ありがとう。助かった・・・・・・・。代金は2万円しっかりと取られたが、ともかく僕としては一刻も早く薬が飲みたかったのでうれしかったのである・・・・・・・・・。やさしい薬剤師さんもいるものだね~☆  

珍しく数年ぶりに風邪で寝込んでいる。今日で12日目。熱は下がったがひどい咳が止まらない。昨年暮れに予防のつもりで2週間分の風邪薬を処方してもらっていたのだが、まったく効く気配がない。薬屋でうがい薬なども買って試しているがまったくだめだ。特に床についてからの咳がひどく一晩中続いて眠れないのだ。この間、酒はもちろん外出も1度だけ、夜は早い時には7時前、遅くても9時には床につくきわめて健康的な生活のはずなのだが・・・・・・・。今日二つの病院へ行って検査をして、きちんとした処方箋をだしてもらうつもりである・・・・・・・・・。みなさんもくれぐれもご自愛くださいませ~☆

体調が悪いからといって何もしないというわけにはいかないのがフリーの辛い所。即、飯の種が底をつく。この間、「フォトコン」3月号に特集で「写真の見方、選び方」と言う原稿を4ページ書いた。また今年が生誕150年となる森鴎外のことについてある月刊誌にグラビア8ページと本文を書いた。「日本文学風土記ー島根県津和野」と言うタイトルだ。生まれてから10歳まで暮らした鷗外の故郷に寄せる思いを書いてみたのだ。掲載は先の話になるだろう。それに今年が没後100年となる石川啄木については、「大人の休日倶楽部」というPR誌が、啄木と故郷・渋民、盛岡の特集を組むというので写真の協力をした。デザイナーと編集者が家に来て3時間ばかり写真をセレクトして行った。4月下旬の発行だという。(株)タムロンPHフォトサイト・ギャラリーへの原稿依頼があり、作品15点と1000字あまりの原稿を書いた。内容は「三国志巡歴の旅より」である。サイトへのアップは3月中旬あたりになるという。ぜひ、ご覧下さい。http://www.tamron.co.jp/gallery/index.html

つまりゴッホゴッホといいながらもそれなりにがんばっているのだ。しかし、やはり外出は自信がなく、「一滴」句会をはじめ、JPS技術研究会や個展のオープニングパーティなどは失礼させてもらわざるを得なかった。早く完治しておかないとこれから恐怖の花粉の季節がやってくる。その対策も今日病院で相談してこよう。

写真はすべて千葉県の房総半島の写真。かって日本に400年以上前から続いてきた商業捕鯨を取材していたことがある。房総の和田浦、紀州の太地、宮城の鮎川をはじめ、捕鯨母船の「第三日新丸」やキャツチャーボーとなどにも乗船して取材したものだ。そんなこともあって房総には頻繁にでかけたのだ。そのいくつかを紹介する・・・・・・・・。

コピー ~ 200810311543_043.jpg

房総半島には小さな入江がたくさんありその集落ごとに漁港があった・・・・・・・・。

コピー ~ 200810311543_026.jpg

房総の海岸は奇怪な岩肌の海岸線がある・・・・・・・・。

コピー ~ 200810311543_031.jpg

 房総半島は一足早い春の訪れで知られる。海岸線の畑は一面に色とりどりの花々で埋め尽くされる・・・・・。

コピー ~ 200810311543_035.jpg

房総の和田浦港は、夏場だけ房総沖に現れるツチ鯨の捕鯨基地となる。昔からおこなわれてきた沿岸小型捕鯨として認められているのだ。鯨をしとめるキッチャーボート。

200810311543_040.jpg

解体されたツチ鯨はさらし鯨として地元を中心に食用として普及されている。僕もこの日干しした鯨を炙って食べるのが好きで、酒の肴としていただいている・・・・・・・・。和田にある鯨の加工工場で。

コピー ~ 200810311543_037.jpg

和田浦はのんびりしていた。初めて会った僕に潜って取って来た岩牡蠣をその場でたべさせてくれたり、魚をおろしてくれた。酒ものめのめと勧められた。いまでも気さくな海に生きる漁師たちの笑顔が忘れられない・・・・・・・・。

SDIM8033.JPG

上野広小路の交差点の角に建つ「お江戸上野広小路亭」の入り口。

SDIM8029.JPG

階段を上がって演芸場へ行く両側には、落語会のポスターが貼られている・・・・・。 

2月17日の夜から体調を崩し、丸7日間寝込んだ。最初の3日間は熱もあったので寝ていてもしんどかった。後半はひどい咳が続いた。実は現在も続いている・・・・・・・。しかし、以前から約束していた寄席に行くことと、熊切さんの写真展を見たいと思い出かけてみた。一週間家から出ないということは、本当に運動不足になる。都会の階段の上り下りの多さに屁木屁木した。もちろんこの間一滴の酒も呑んでいなかった。呑む気さえおきなかった。食事も本当に少量しか食べれなかったので、体力が落ちたのかも知れない。やったとの思いで、御茶ノ水の写真展会場に着いた。人混みの中を歩くのも久しぶりだったのでギャラリーに着いたとたん疲れがどっと出た。

写真家の熊切さんは、行き違いで授業があるというので帰られたばかりだった。熊切さんの人物写真は定評があるが、中でも僕はこの池波正太郎シリーズが一番好きだ。写真集などでは、拝見していたが、やはりオリジナルプリントで見る作品はいい。熊切さんと池波さんの関係が作品から伺うことができる。2人は同じ東京の下町の小学校の先輩後輩にあたり、11歳離れていると言う。先日のあるパティーで熊切さんとそこらへんの話はいろいろと聞いていたので、作品を見ながら親しみを感じたのである・・・・・・・・。 

まだ寄席を一度も聞いたことがないというある出版社の編集者と約束していた御徒町へと向かった。開演までには少し時間があるので、軽く腹ごしらえしておくこととなった。そういえば今日は朝、軽く食事をしたきりだった。鮨屋のカウンターに座って金剛さば、平ら貝、つぶ貝、寒ぶりなどつまんだ。編者者君は若いのでよく食べ、よく飲んでいた。「春雨の会」は久しぶりだった。木戸銭を払い会場に入るとほぼ満席だった。椅子席を増やした会場になっていた。この日の番組は、開口一番・・・・・立川こはる、 厨火事・・・・・桂春雨、 試し酒・・・・・立川志遊、 中入り後、 くしゃみ講釈・・・・・桂春雨 だった。志遊 師匠の「試し酒」は上手さは光っていたがいまひとつ力強さが欲しかった。春雨師匠の「くしゃみ講釈」は聞かせるもの があった。会場も終止笑いの渦がおこっていた・・・・・・・・。体調が完全でないのでこの日は早めに引き上げてきて、すぐに床についたのである・・・・・・・・。      

 

 

 

 チベット族をはじめ、少数民族の人々のために学校を建設したり、図書館と図書を寄贈するなどいままでさまざまな活動を展開してきたNPO法人・チベット高原初等教育・建設基金会が活動の一環としておこなう少数民族との文化交流の企画である。僕はこのNPO法人に賛同して3年ほど前から協力してきた。一昨年は、2つ目となる学校建設の現場にも赴いた。四川省の成都から350キロ離れた山岳地域のイ族の建築様式を取り入れたすばらしい小学校であった。今回の旅はそのイ族をはじめとした少数民族の人々と交流するとともに文化を知り、学ぶ旅である。夏の暑い日本を脱出して、美しい高原をさまようのもいいのではないでしょうか・・・・・・・。みなさんの参加をこころからお待ちしています。

またこの企画が生まれた背景には、昨年10月東京・練馬美術館で開催され好評だった「中国少数民族写真展ー涼山イ族」に現地写真家として参加した2人の写真家たちとの熱い交流があった・・・・・・。もちろん今回の旅でも彼ら現地の写真家たちとの交流はもちろん、日中写真家の合同撮影会なども考えている。さらにこの旅には、NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会理事長で、イ族出身の写真家であり探検家の烏里烏沙氏が僕と共に全日程をついてくれる。ちなみに彼は社団法人日本写真家協会会員でもある。

 taimatumaturi001.jpg

 松明祭は2日間取材する。松明を持って踊り盛り上がる人々・・・・・・・。西昌市内

taimatumaturi003.jpg

 さまざまな民族衣装をまとってパレードをする少女たち・・・・・・・・松明祭りで

(この写真から3点はjapanese,china,org,cnより)

001ec949c2cd0a95c63818.jpg

旅の前半に訪ねる濾湖は、中国に現存する唯一の母系民族文化発祥の地といわれるモソ人が暮らしている。「人類最後の母系社会」とも言われている。彼らは1500年前からこの地に生活しており、現在、約3万人が母親の血縁をきずなに生きている。男性は妻をめとらず、女性は嫁入りしない「通い婚」だ。

001ec949c2cd0a95c66a1a.jpg 

湖の周りは白雪を被った山々に囲まれ、湖の透明度は深く、肉眼でも11メートル下まで見通せる・・・・・。

001ec949c2cd0a95c65719.jpg

こんな別世界の湖畔でゆっくりと泊まり、3日間にわたり撮影をする。また旅の後半では、中国でも美人の故郷として名高い美姑へ行く。ここでも2泊するので、民族衣装を着飾った美人たちを充分に撮影できるであろう。有名な聖地・峨眉山にも泊まるので楽しみである・・・・・・・・・。

taimatumaturi002.jpg

今回の旅の主なルートと訪問予定の町の概略的な地図。

☆ 旅行期間 : 2012年8月4日(土)~16日(木)の13日間

☆ 旅行費用 : 318000円 (参加人数により費用は変わることもあります)

☆ 募集人員 : 10名 (最少催行人員6名)

☆ 募集締切 : 2012年5月11日(金)まで

◎ 申し込み・お問い合わせ : NPO法人チベット高原初等教育・建設基金会事務所  

〒176-0025 東京都練馬区中村橋1-8-19-603  TEL&FAX 03-5848-8299

e-mail:wusa@gesanmedo.or.jp        http://www.gesanmedo.or.jp

 

17日の写真集団・上福岡の新年・蕎麦打ち例会に参加した後、その夜から咳と熱が出て体中が痛くこの3日間、昼も夜も寝っぱなしのような状態が続いた。寝ているのも辛い物で腰をはじめそこら中が痛くなる。今朝になってようやく少し落ち着いたのでこのブログを書き始めた・・・・・・・・。

写真集団・上福岡の会員に蕎麦打ち名人と言われるMさんがいる。忘年会や僕がしている花見の会などでいつもその腕をふるってくれていたが、今回は新年会と合わせた例会で実演をしてくれた。彼は昨年から蕨市の活性化のためのボランテアとして週2回蕎麦を打っている。昼時だけだが毎回30食を完売している人気店となっているという。写真の例会なのだから当然写真はみなもってきているが、この日は、その後、新年会をやると言うことなので、それぞれが、赤飯、野菜天ぷら、手作りスモークチーズ、漬物、ベーコン、ウインナーソーセージ、お稲荷さん、などなど持ち寄った。もちろんそれに酒も。日本酒に芋焼酎にビールと・・・・・・・。

まずはMさんの華麗な手さばきを写真でご覧あれ。蕎麦の後はうどんも打った。この日は20人前打ったのでおかわりしたり、お土産に持ち帰ったりもした。出汁もその場でつくったので1番汁、2番汁をペットボトルにいれてみな持ち帰った。当然僕も・・・・・・・・。それでこの3日間なんとか食いつないできたのだ・・・・・・・。

SDIM7992.JPG

 蕎麦粉8割、うどん粉2割で打ち始める・・・・・・・。

SDIM7993.JPG

しばらくすると綺麗な菊の花のような形の蕎麦粉が出現する・・・・・・・。

SDIM8004.JPG

次は打った蕎麦を均等に棒で伸していく・・・・・・・。

SDIM8008.JPG

 最後は包丁でご覧のように切りそろえていく・・・・・・・。

SDIM8022.JPG

熱湯で1分ほどで茹で上がり、水で洗えば出来上がり。食べ方は各自自由に・・・・・・・。

SDIM7995.JPG

今回は調理室での例会だったから何か料理教室の雰囲気がした・・・・・・。

SDIM7997.JPG

しかし写真の合評となるとみな厳しくなる。各自5作品を選定するのだが、年10回のこの例会で得点を一番取った会員が年間優秀作家賞となる。2011年度は田中栄二さんがなった。休まないで毎回多くの新作を出さないとこの賞は取れない。賞品は顧問の僕のオリジナルプリントを贈呈している。昨年新たに8人の新入会員が増えたので 、今年度は賞をめぐって一段と激しい戦いが予想されると事務局担当のYさんは語っていた・・・・・・・・。

SDIM8011.JPG

合評と受賞式がおわって新年会。蕎麦もうどんも打ちたてだから最高。みなお代わりをしていた・・・・・・。いつもYさんがつくる赤飯も僕は大好物で、田舎の本家のおばちゃんが作ってもって来てくれた赤飯の味に似ているのだ・・・・・・。

下の写真は後片付けが終わり、2012年の創作を誓い合ってみんなで記念写真を~パチリ~☆

SDIM8027.JPG

SDIM7986.JPG

春一番、心待ちにしていた土佐・夜須の完熟フルーツトマトが地元で農業をしている福永誠道夫妻から届いた。福永さん夫妻と僕との出会いは、2年前の夏、岩手県花巻市の奥羽山脈麓の台温泉で知り合ったことは以前にも書いた。僕よりも一回り以上若い夫婦だが、何故か気が合い今日に至っている・・・・・・・。兎も角、野菜不足症候群の僕としては、こころからありがたい・・・・・・・・。  合掌

夜須のフルーツトマトの東京宣伝部長を任じている僕なのでまずは、このトマトについてPRをしなければならない。夜須がある土佐香美市の農業協同組合のパンフレットによれば、フルーツトマトの旬は、いま。早春から初夏にかけてが最盛期だそうだ。福永さんも現在毎日が徹夜状態で出荷におわれているという。パンフの一文を借りれば「太陽とともに七つの海を旅して 潮風は私たちの町にかえってきます。 選ばれたトマトの苗は特別仕立て。 水分をおさえ、植物の自然の力を 極限まで引き出すので 収穫は通常の5分の1くらいに絞られますが 糖度も高く、その風味は 感動するほどの美味さです。・・・・・・・」とある。

土佐の夜須という土地がどういう所かは、福永さんが写真でレポートしてくれました。以下の写真のすべての撮影は福永誠道さんです。完熟トマトの故郷をとくとご覧下さい。そして論より証拠で、まずは一口がぶりと食べて見て下さい。トマトに対する概念が吹き飛びます。とりわけ最近、京都大学の研究グループがメタボリック症候群に効くという研究発表をしたことから市場では、トマトが激売れとか・・・・・・。とにかくトマトの成分が脂肪を溶かすのだそうだ。まだ、マウスでの実験例ではあるが・・・・・・・・。何となく野菜や果物の隅の方に追いやられていたトマト君が表舞台の主役になる追い風になってくれればいいなあ~などと”東京の宣伝部長”は思っているのです・・・・・・・・・。

☆お問い合わせ☆ http://www.tosakami.or.jp/yasu-tomato/

yasi-.JPG

夜須のフルーツトマトが育つ高知県香美市夜須町の風景。1年を通しての日照時間は全国でも有数だ。

sun.JPG

夜須の海岸。南国の太陽がきらめく太平洋に面した温暖で自然豊かな土地である・・・・・・・・。

miki2.JPG

太陽の光りを満遍に行き渡せるために特別な「立体栽培」をしている。また、大地と切り離したシート栽培は、土壌汚染の心配もない。栽培床には、ココナツ果実の殻を利用した有機肥料を中心に育てている。また受粉はマルハナバチが愛をこめてしているのだ・・・・・・・。(福永さんのハウスで)

f4.JPG

夜須のフルーツトマトは食味(硬さ、糖度、酸度)に徹底したこだわりを持っている。まず生産者自らが食べて味や外観をしっかりと確認し、糖度も定期的に測り、厳しく品質をチェツクしている・・・・・・・・・。

menarasi.JPG

この時期が旬。次々に出荷される夜須のフルーツトマトたち。選別も生産者自らの手で、内容、外観、糖度などおこなっている。農薬の安全使用についても生産者全員が誓約書を提出し、自らが育てたトマトに責任を持って消費者へ届けている。もちろん生産地と生産者の氏名は表示しているのは言うまでもない・・・・・・・。(以上の5点の写真はすべて生産者でもある土佐・夜須町の福永誠道さんの撮影)

2月11日~12日、静岡県伊豆の伊東温泉で、小松健一主宰・写真研究会「風」 2011年度合宿がおこなわれた。「風」のメンバーは、仕事や法事、体調不良などで欠席が相次ぎ、5人しか参加できなかったがメンバー以外の人たちが長崎、高松、岡山、京都、名古屋などから8人がそれぞれ力作を持って参加してくれたので有意義な合宿となった。2日間にわたっての美味い伊豆の魚を肴に、楽しい酒を酌み交わしながらの写真談議はなんとも言えない豊かなな時間であった・・・・・・・・・・・。

SDIM7962.JPG

 湯河原温泉、熱海温泉、伊香保温泉などで合宿をしてきたが、今回はじめて伊東温泉で開催した。初参加者が女性2人と現役バリバリのプロ写真家だった。持ってきた作品もユニークで、大いなる刺激をみんなに与えた・・・・・・・。

SDIM7926.JPG

午後2時から鈴木事務局長の開会宣言ではじまり、僕が主宰者として「写真の見方、選び方」について30分ほど講義をしてから弟1回目の作品合評に入った。熱い作品合評は5時半まで続き、一旦休憩に入った。ゆっくり温泉に入ってから夕食・懇親会。8時半まで1年ぶりに会う写真仲間同士の懇親は続いた・・・・・・・。

SDIM7928.JPG

左から長崎でフリーの写真家をしている山崎君、初参加の高松からのSさん、座椅子を借りて座っている僕の左はやはり初参加のフリー写真家のHさんです~☆

SDIM7931.JPG

9時過ぎからは場所を移して写真交流会。みなそれぞれ写真やパソコンに入っている写真などを見せながら写真談議に花が咲いていた。シャツターの切り方、カメラの構え方などの実技もやった。お酒も用意したのはみな干した。そろそろお開きにしようと言って時計をみたら午前3時近かったのだ・・・・・・・。

SDIM7935.JPG

初参加でフリー写真家同士の2人、話は盛り上がっていた。左が名古屋の写真家・Mさん。

SDIM7936.JPG

この3人は都内にスタジオと事務所を共同で持っている。真ん中が塩崎「風通信」編集長、その左が昨年の伊香保合宿に参加した写真家のTさん。

SDIM7932.JPG

鈴木「風」事務局長もご機嫌。「もっと同人や会員は真剣に創作活動をやらなければ・・・・とみんなの作品を拝見してつくづく思った」と語っていた。

SDIM7940.JPG

2日目の12日は、朝9時から作品合評を開始。午後1時までの4時間で7人の作品が並べられた。真剣に作品を見つめる烏里君(僕の左)と京都から2年ぶりに参加したOさん。

SDIM7955.JPG

次々に登場する力作に、みな熱が入る。今年中に個展を開く予定の人がほとんどだから、300~500点ほど作品を持ってきた人もいた・・・・・・・・。写真賞へ応募すると言う人もいた・・・・・・・。

SDIM7947.JPG

高松から参加したSさんの作品。彼女はすでに都内で個展や写真集の刊行もしていたが、6~7年のスランプがあった。久しぶりに彼女の写真をみたという感じだった・・・・・・・。大きなテーマに挑みたいと抱負を語っていた・・・・・・・・・。

SDIM7972.JPG

遅い昼食は、網代漁港でした。漁師の人たちが港で魚や貝を焼いていた・・・・・・・・。

SDIM7968.JPG

 この他にいかの刺身もサービスで食べさせてくれた。ありがとう。イカのつみれ揚げ入りうどんも美味しかった・・・・・・・・・。漁業組合直売の干物をみんなみやげに買った。

SDIM7979.JPG

 真鶴駅前にある大衆磯料理「大松」はいつもお世話になっている。漁師相手の店だから天道様が高いうちから店を開けているのがいい。僕は「小松」だから兄貴分みたいな店だ。下の写真は右から高松のSさん、長崎の写真家・山崎君、塩崎君、それに地元の漁師・佐々木君です。

SDIM7975.JPG

網代港で油を売っていたら真鶴岬の福浦港で漁師をしている佐々木君から電話が入った。「今日来ると言っていたので金目や白ムツを釣って待ってるよ・・・・・・」と言うので有志7人で出かけた。塩崎君の左が天恵丸の船長・佐々木幸寿君 (www.sen-sqn.infq) 。彼とはかれこれ20数年の付き合いだ。こちら方面に来る時にはいつも世話になっている。いまやすっかり地元の漁師として生きているからすごいと思う。最近また一回り大きな船に変えたという。ちなみに天恵丸は娘さん2人の名前から付けた。その後3人目の娘さんが生まれたので「いま一艘必要だね」と僕が言ったら笑っていた・・・・・・・・。

  SDIM7977.JPG

 佐々木船長がこの日吊り上げた金目、白ムツ、サバなどの刺身盛が二盛でた。新鮮で美味かった。塩崎君のうれしそうな顔を見ればお解りでしょう・・・・・・・。

SDIM7980.JPG

金目の頭は煮付けてもらい、アラはアラ汁を作ってもらった。真いわしの干物は酒のあてには最高だった。僕の大好物だ・・・・・・・・。6時前の電車で東京に戻り、都内に泊まるという長崎の山崎君と高松のSさんに付き合うことにした。お腹はもういっぱいだったがせっかくだからと面白い店に案内してゆっくりやりながら数時間話をして握手を交わして別れた・・・・・・・・・。

参加してくれたみなさん。本当に2日間ご苦労さまでした。来年はさらに高見に到達していることを楽しみにしています。   合掌

   SDIM7958.JPG

 

 

Komatsu 1194.JPG

岩手県北上市・東北芸能祭りにて(2010年8月撮影)

 昨年の11月以降、仕事らしい仕事をしていなかったので、2012年という僕にとっては勝負の年となるだろう今年になって珍しく企画の売り込み、つまり僕が大の不得意とするマネージメントとやらをしたのだ。

生誕130年を迎える上州の探検家・矢島保治郎の記念展の巡回とそれに関連する報告集、ポストカード、ポスター、写真の販売などを群馬県の大手印刷会社の社長さんをはじめ、支えてくれる人たちとの打ち合わせからはじまって13本の企画を持ち込んだ。大手新聞社の出版局責任者、凝った本を出して注目を浴びているY出版社の編集部長などなどと4~5時間に渡って真剣に話し合ったのである。結論は直ぐには出ないが何本かの企画に手ごたえがあった・・・・・・・。がんばるぞ~!!☆☆☆

そして話が終わった後は、一杯呑む。僕の好きな昭和の香りが漂う店へいって・・・・・。僕は東京に残る「昭和の香りの漂う店を愛する会」を立ち上げようと前からひそかに思っていたが、ここへ来て本気になって行動を起そうと思った。それはどの店もここ数年、お客が激減しているからである。団塊の世代のお客が退職をし、若い世代が、こうした昔からある店の魅力をしらず、足が遠のいているからだ。まず、20代~50代に、こうした店の存在と魅力を知らしめることからはじめたいと思っている・・・・・・・。美味い酒と肴をこよなく愛するみなさん。ぜひご協力ください。会費も会則もありません。ただ会が認定した店を愛して、できるだけ呑みにいき、友達や知人にこっそりと店を教えてあげていただくだけでいいのですよ~。よろしくお願いしますね。

 SDIM7886.JPG

 港区浜松町にある「芝文」。50年ほど前からこの地で魚屋をしていたが、20年前から現在の大将が魚料理をメインにはじめた居酒屋。若大将の美しい奥さんも店でテキパキと働いていて気持ちがいい・・・・・・・。

SDIM7887.JPG

どの食材も鮮度がいい。酒好きにはたまらない肴がめじろ押しだ・・・・・・・・。

SDIM7881.JPG

この日の焼酎は屋久島の芋焼酎の「三岳」。鮪の脳天が美味だった・・・・・・・。

SDIM7883.JPG

調理場に立つ大将とずらりと並んだ魚介類・・・・・・・・。元魚屋さんだけあって種類は豊富だ。

SDIM7893.JPG

 「芝文」へ誘ってくれた友人がどうしてももう一軒付き合ってというので、新橋のおでんと日本料理の「一平」へ。ここには彼女の友達がいるのだという。一平の本店は銀座の並木通りの路地を入った所にあった。僕は「ルパン」や「とりぎん」で呑んだ後、よく「一平」にも寄ったものだ。個人まわりとした店のたたずまいがすきだったのである。でも火事であたりが焼けてしまいビルになってしまい残念だった・・・・・・・・。

SDIM7894.JPG

スキュバーダイビングが好きで、水中写真をやるMさんとそのお友達・・・・・・・。

 

SDIM7900.JPG

作家の中村さんと16年ぶりに再会して呑んだY出版のS編集部長と。彼の行きつけの内神田の「ひさご」。神田界隈はまだこうした昭和の雰囲気が残る店がある。週一回、津軽三味線のライブを店の中でやるそうだ。店員も三味線を弾くという・・・・・・・。中村さんはいま、売れっ子の作家だが、昔は僕と中国を旅したり、よく飲み歩いたものだった。いまも時々は呑むが・・・・・・・・・。

SDIM7901.JPG

鯛の頭の煮付け、鰤カマの塩焼き、鮭のハラスなど旨かった・・・・・・・。

SDIM7898.JPG

16年ぶりの再会を記念して、中村さんが撮ってくれた・・・・・・・。いい仕事をしょうと固い握手を交わしたのである・・・・・・・・。

SDIM7912.JPG

2人と別れた後、僕が愛してやまない池袋の沖縄料理の店「おもろ」へ独りで寄った。たまたま隣り合わせになった若い精神科医と医学療法士の女性とで話が盛り上がり、「おもろを愛する会」を結成することになった。僕が会長で、精神科の先生が副会長で彼女が事務局長となった。とりあえず3人での船出だ。当面は月に一回以上はおもろに来ることを約束した。大将にも承認してもらったので、年に1回ぐらいは貸切で何かイベントをしたいねなどの話になって大いに盛り上がった夜であった・・・・・・・・。みなさんも参加してちょう~だい!!

日本列島がまるで冷蔵庫のなかに入ってしまったような厳寒の日々の中、立春を迎えたと思ったら、春の雨・・・・・・・・。そして春一番が吹くと言う。昨今の地球全体の異常気象は、4年以内にマグニチュード7以上の直下型地震が首都圏を襲うという予報ともあいまって不安感を深く心の中にうえつけている・・・・・・・・・・・。

そんな春雨のそぼ降る中、新宿にあるペンタックスフォーラムに出かけた。藤森順一写真展「山里逍遥」と池田進一写真展「三びきの夜の獅子舞」を見るためだ。藤森さんは信州諏訪に在住の写真家。信州の風土性を色濃く反映した作品を旺盛に発表している。「フォトコン」藤森邦晃編集長のお父さんということもあってずいぶん前から知っていた。一昨年春、7年に一度おこなわれる諏訪大社の御柱には、ご招待いただき、お世話になったりもした。彼の創作姿勢と感性が僕は好きだ。今回の作品は7~8年かけてまとめた物だと言うが、僕はいままでの作品のなかで一番いいと思った・・・・・・・・。

隣のスペースで開催していた池田君は6年ほど前に、(社)日本写真家協会の会員になったという新鋭の写真家、千葉県の松戸市に伝わる獅子舞を取材したものだ。夜におこなわれる神事ということで会場の照明を落とし、お囃子を流して入場者を祭りの雰囲気のなかに誘うような仕掛けが作品を一層引き立てていた。聞くと樋口健二さんに学んだとのこと。とすると僕も若い頃、樋口さんに2年ほどお世話になったので、後輩ということになるのか・・・・・・・・。がんばってほしいと思いながら会場を後にした・・・・・・・・。

コピー - 200810311508_064.jpg

「日本文学風土記」より  福岡・柳川で

コピー - 200810311508_061.jpg

 「日本文学風土記」より  熊本・水俣で

コピー - 200810311508_072.jpg

 「日本文学風土記」より  長崎・長崎市で

コピー - コピー (2) ~ 200810311508_071.jpg

「日本文学風土記」より  沖縄・恩名村で

SDIM7784.JPG

 陽暦の2月4日頃は、暦のうえでは「立春大吉」である。とはいえ今年の日本列島の寒さは異常だ。科学者のなかには、地球上はすでに「ミニ氷河期」に突入していると言う説を唱える者もあるようだ・・・・・・・。

実は僕は2月1日から4日まで、育った故里・上州へ行っていた。いくつかの用事があったが、一番の目的は、平成23年度「ぐんま山村」フォトコンテストの表彰式と写真展の作品講評のためだ。群馬県庁の県民ホールでおこなわれた表彰式には平日の午後1時30分からの開始にもかかわらず大勢の参加者があった。

SDIM7806.JPG

5回目となる審査委員長として僕が全体の講評を述べた・・・・・・・。今年から応募者全員に作品講評会への参加をと案内をした。来年はぜひ応募作品を500作品の大台にのせたいのでみなさんのご協力をと呼びかけたのである・・・・・・・。

SDIM7812.JPG

受賞式の終了後、写真展会場でおこなわれた作品講評会には、入賞者はもちろん大勢の方々が参加してくれ、熱心に僕の話を聞いてくれた。入賞者たちの撮影時の体験も参考になった。この日の様子は地元ローカル局の「群馬テレビ」でも何度か取り上げられニュースで流れた。また「上毛新聞」にも写真入りで報道されたこともあって大勢の鑑賞者がつめかけていると県の担当者は喜んでいた・・・・・・・・。

 

SDIM7818.JPG

 県の担当者と写真集団・上福岡の会員に人たちと矢島保治郎記念展の協力者の伊勢崎の人たちなどと記念写真を会場の前で・・・・・・・。

SDIM7820.JPG

写真集団・上福岡の有志5人と写真の勉強会と撮影のための合宿に参加。毎年泊まっている伊香保温泉「金太夫」で。この旅館は作家・林芙美子が愛した宿で、代表作『浮き雲』のなかにも登場する。

SDIM7823.JPG

昭和天皇が泊まったという部屋で。この部屋は和洋5部屋あり、茶室や露天風呂、ジャグジー風呂、バー、暖炉などが完備されている。今回は男性2人と僕の3人で泊まった。大きなテーブルもあるので毎回合宿はこの部屋を使用している・・・・・・・。

SDIM7827.JPG

 伊香保温泉の代名詞のようになっている石段で、記念写真を撮った・・・・・・。

SDIM7841.JPG

2月2日は撮影にいくことになっていたが、北部の上越の山の方は雪が多いので止めて、僕の実家のある吾妻地方へ行った。それでも雪は少し残っていた・・・・・・・。馬頭観音の道祖神。

SDIM7847.JPG

実家の近くから町の方面を望む。谷川岳方面は雪雲に覆われていた・・・・・・・。

SDIM7852.JPG

 僕の町のシンボルの山、岩櫃山の全景。中学校の校歌でも歌われている。下の写真の吾妻川も。岩櫃山の山麓にあった岩櫃城は真田昌幸が納めていた武田領内の三堅城として名高い。実家のまん前に聳えたっている。僕ら子どもたちにとっては絶好の遊び場所であった・・・・・・。

SDIM7857.JPG

 実家に帰る時には必ず渡る田辺橋(たんべばし)から見た吾妻川。左の滝の上辺りが実家のある所だ。この上流15キロメートルあたりに八ッ場ダム建設が進められている。ダムが完成すればこの辺りの気温は5度下がるといわれ、農作物にも大きな影響が懸念されるが一切の保証は無い。

SDIM7862.JPG

 同じ田辺橋から見た下流方面。子どもの頃、夏はもちろんだが冬はスケート、竹で作った筏遊びなど1年を通じて遊び場だった・・・・・・・・。なつかしい場所である。 歌人として知られる土屋文明が5年ほど疎開していたのも川戸村という僕の田舎。文明の短歌に 「友二人われをおくりて夕川を田辺わたればわが川戸村」の一首がある・・・・・・・・・。

SDIM7850.JPG

実家のすぐ前にある美しい道祖神。子どもの頃は何が彫ってあるのか関心がなかったが、大人になってからは、いい道祖神だと大切に思う気持ちになった・・・・・・。ほほえましいでしょ~☆

SDIM7865.JPG

今年85歳となる母と次男のお嫁さん。時々家に来てくれるので、母はとても喜んでいる・・・・・・・・。

SDIM7868.JPG

2月3日、節分の日に矢島保治郎の娘さんの仲子さんを連れて七宝焼き作家の斉藤芳子さんが県民ホールで開催している写真展を見に来てくれた。現在の群馬県庁は、かっての厩橋城の跡に建っている。面影をとどめる土盛りと松並木の前で。

SDIM7871.JPG

夜は友人たちが集まって新年会を開いた。右から前県立土屋文明文学記念館館長兼県立図書館館長の岡田芳保さん、陶芸家の高橋芳宣さん、ギャラリーノイエス朝日のキュレターの武藤貴子さん、写真家の天川弘さん、七宝焼き作家の斉藤薫さん。二次会は久しぶりにカラオケに繰り出した。さらに高橋芳宣さんと僕は高崎へ行って深夜の2時半まで呑んだのだ・・・・・・・。でもしばらく振りだったので積もる話で楽しかったのである・・・・・・・。11月に予定している展覧会はみな協力してくれる友人たちである。 感謝!!

SDIM7752.JPG

 1月31日新宿二コンサロンにおいて弟11回フォトシティさがみはら写真賞の入賞作品展と受賞パーティがおこなわれた。多くの写真家をはじめ写真業界関係者が出席していた・・・・・・・。

SDIM7757.JPG

 プロの部の入賞者は沖縄在住で沖縄を取り続けている写真家・石川真生さん。同新人賞は、「地下水道~Undercurrent~」の白汚零さんと「日本 2001-2010」のも本山周平さんだ。真生さんとは沖縄取材などで何度か一緒になり、知っている仲だが、久しぶりの再会であった。本人は受賞を沖縄の真実を知ってもらうためにもうれしいと語っていた・・・・・・・。この写真展のほかに石川真生展「港町エレジー」を新宿のPhotographers gallery で2月1日~17日まで。六本木の禅ギャラリーでは「石川真生 日の丸を視る目」を2月3日~26日まで開催している。

SDIM7760.JPG

石川さんの作品はどれもストレートなドキュメンタリーなので見ていて気持ちが良い。こうした作品がともあれ賞を受賞することはとても良い事だと思う。

SDIM7758.JPG

医療関係の出版社のYさん。様々なジャンルの人と交流をしたいと積極的に話をしていた・・・・・・。

SDIM7761.JPG

久しぶりに西新宿の思い出横丁にある「カブト」へYさんを誘って行った。ここはうなぎ専門の店で、昭和23年から営業をしている。焼き場には3代目が入っていたのが、驚きであった・・・・・・・・。

SDIM7763.JPG

Yさんはうなぎの串焼きのフルコースを黒ビールと焼酎をやりながらおいしそうに食べていた・・・・。おぬしなかなかやりますな・・・・・・・・。

SDIM7765.JPG

「カブト」で隣り合わせになって一緒に「ぼるが」に飲みに来た青年たち。27歳から36歳と言っていたから決して若くはないが、こういう店で飲む心構えはよろしい。楽しかったのでYさんも含めて大いに盛り上がったのである・・・・・・・・。

SDIM7769.JPG

その3人組のなかの一人、通称「ポックリボーイ」君が即効で描いてくれた絵。僕らがワイワイ呑んでいる雰囲気が出ている。ヒマラヤのポストカードをあげたお礼にということであったので、僕がこの絵をいただいてきた・・・・・・・。「ビックリボーイ」君は以前は漫画家であったらしい・・・・・・・。

SDIM7775.JPG

最後にもう一軒近くのジャズバー「ブラック・サン」へ行った。ここのマスターとも長い長い付き合いで、結婚式にも出席しているくらいだ・・・・・・・。元役者をやっていたマスターは青年たちから「カッコよすぎ~」を連発されていた。90歳のお父さんと息子と呑んでいたお客さんと一緒に記念写真~☆!!僕とYさんはここで帰ったが、3人組はさらに思い出横丁へ戻ってやったらしい。だいたい僕らと会う前にすでに2軒やって来たのだからやはり若いということはそれだけで、輝いているさ~☆☆

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。