写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

2010年3月アーカイブ

一昨日、懐かしい中学時代の同窓生から突然便りが届いた。何かと封を開けて見ると同窓会の通知であった。前回はヒマラヤへ行っていたため、参加ができなかったので4年ぶりとなる。以前は4年に1度の開催だったが、50歳を過ぎてから2年に1度の開催にした。1回参加しないと8年間会えなくなることもあり、その間に恩師の先生や同窓生が亡くなったりしたのでこうしたのだ。それでも連絡がとれなくなる友いる。当時、僕が柄にもなく、生徒会長をしていたので、この時代の仲間たちにはとりわけ深い思いがあるのだ。今回の案内には、「-ふたたびの修学旅行へのおさそいー」というタイトルが付けられていて、次のような文章が綴られていた。「修学旅行のこと覚えていますか?山国育ちの私たちにとって、潮の香りや、枕元に届く波音など湘南の海はどれほど新鮮だったでしょうか。・・・・・光あふれる5月の海がたっぷり楽しめます・・・・・」


中国・四川省にある九寨溝の早朝

中国・四川省にある九寨溝の早朝


43年前の上州の山奥の中学校の修学旅行は、鎌倉・江ノ島であった。夕飯は冷たいハムカツに、中味のないさめた味噌汁だった。それでも女子生徒たちと夜の海で遅くまで遊んだり、他の中学校の生徒たちと喧嘩をしたり、ずいぶんと楽しかった思い出がある。幹事から「当時の写真があったら送ってください」と手紙が添えられていたが、あの頃はカメラなど持っている者などいるわけもなく、小学校も中学校も入学式と卒業式の写真があるだけだ。修学旅行も確か、江ノ島の海をバックに撮った集合写真があるだけである。僕がこのときの修学旅行で一番印象に残っているのは、米軍横田基地の見えるドライブインで昼食を食べた後、みんなで屋上に上って「沖縄を返せ」をスクラムを組んで合唱したことだ。「固き土を守りて、民族の怒りに燃えれ島、沖縄よ。我らと我らの祖先が血と汗をもて、守りつづけた沖縄よ。我らの国だ沖縄は、我らの島だ沖縄は、沖縄を返せ!、沖縄を返せ!」というような歌詞だったと思う。いまも口をついて歌えるから不思議だ。山深い田舎の中学生にとっても、当時の沖縄を米国から日本に返還させるという闘争には、同じ日本民族として感心があったのだろう。高い金網の向こうに鈍く光る米軍機に向かってあらん限りの声を張り上げて歌ったあの光景は。僕のほろ苦い青春の一コマであり、原風景でもある。

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「ブログ見てますよ。暇そうですね」とか「小松さんがあんなにオタクだとは思いませんでした」・・・・など最近人に言われることが多くなった。ブログを見てくれている人がそれだけ増えたのだから喜ばしいことではある。が、あんまり更新していると確かに先の感想のように見られてしまう。でもヒマしているのもあながち当たってないでもないなあ~。「Uvalere」というフランス語の洒落たタイトルの季刊誌(日立製作所発行)に、いま「中国大陸巡礼」という連載をしている。今日、2回目の長江流域の原稿がようやくひと段落したので、気分転換に散歩に出てみた。いつものコースでのんびりと歩いて1時間ほど。早い時は30分ぐらいで切り上げることもある。


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斜陽の川べりの向こうに広がる水田風景を見ながら、さっき書いていた原稿のことを思い返していた。それは長江文明のことである。この古代文明は紀元前14000年から紀元前1000年頃までといわれている。畑作中心の黄河文明に対して、稲作中心の長江文明は、世界最古の文化を持ち、稲作発祥の地とされている。瑞穂の国・日本に稲作が伝わったのもこの地方からだという説が有力である。いま、僕が見ている光景と、はるか中国大陸の紀元前14000年の長江中流域の風景とがつながっていると思うと感慨深いものがある。(写真は、今日の散歩で出会った光景にシャッターを切った)

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昨夜は、余寒などは通り越し、本格的な冬の気候に戻った寒さだった。珍しく酒も飲まず早々に床に着いた。普段やり付けない事をするものだから、夜中の3時に目が覚めてしまい結局、朝方まで寝付けなくなってしまった。ヤケクソ気味にテレビを付けるとフィギュアスケート男子世界選手権大会のイタリア・トリノからの生中継を放送していて、高橋大輔選手が日本人初の金メダルを獲得したフリーの演技を見ることができた。「よーしゃ、やった!」などと独りで布団の中でガッツポーズをしていたので興奮して、そのまま起きてしまったのである。


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今日は、10時30分に上野公園の西郷隆盛の銅像前に集合となっていたので早く出かけることになっていた。僕も同人である俳句会「一滴」の吟行なのだ。夕べ世話役の人や代表の岡井輝生さんからも電話をいただいていたので、遅れないようにと思っていたのだ。久しぶりの花どきの上野の山は平日ではあったが今夜からの花見の準備や席取りの人々などで、すでに熱気が漂っていた。アジア系の観光客の姿が目立った。屋台でおでんや焼き鳥を頬張り、昼からビールをやっているのは、韓国や香港からの観光客ばかりだった。13時過ぎから昼食を広小路で取ってから俳句会なのだが、僕は申し訳ないと思ったが失礼した。締め切りを過ぎている原稿がまだ一本書きあがっていないのである。同人たちは「えっ、帰えっちやうの・・・?」と残念がったが、岡井代表に吟行で詠んだ句を渡して、花の上野の山を後にしたのである。以下、まだ推敲はしていない句だが記しておく。


   西郷像上野の花を見つめをり     春の山西郷像のモデルかな


   花冷えや素足の像に学ぶべし    大道芸に拍手集まる花三分


   花どきは吉宗さまも眠らりょか     風写 (2010.3.26 上野にて)


★「一滴」代表の岡井さんから夜に電話があり、今日の句会で僕の「花冷え・・・」の句が最高得点句になったと知らせてくれた。ちょつと気恥ずかしい。

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今日は菜種梅雨、花冷えの一日になりそうな日だ。昨日、10日ぶりに都内に出てみた。友人たちの展覧会を巡るためである。午後1時に、写真研究会「風」同人の鈴木紀夫さんと待ち合わせて、まず向かったのは、椎名誠写真展「五つの旅の物語ープラス1」が開かれている品川・キャノンギャラリーSだ。旅のなかの記憶、出会った風景などをモノトーンの写真とエッセイで表現した”椎名ワールド”の写真展は、こころに響くものがあった。今年の1月に撮影したという津軽・冬海の旅の作品が僕は好きだ。椎名さんに会えなくて残念だったが、『海を見にいく』という最新刊の本を一冊求めてきた。


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次に行ったのは新宿の伊勢丹本店で開催されている「第11回 高橋芳宣 作陶展」だ。陶芸家の友人なかでも、同世代ということもあって彼とは長い付き合いだ。10数年前に「上州」をキワードに僕の写真と彼の焼き物で2人展をしたこともある。最終日だったので本人もいて久しぶりに話がはずんだ。1年ぶりに見る彼の新作は、かたち、絵付けともにまた進化していると思った。ここで「風」同人の塩崎亨君も合流した。4人でダージリンティーなどをご馳走になりながら、「この夏、一緒に中国へ行こう!」と話しが盛り上がった。


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そして最後は神楽坂のセッションハウスで開かれている「渡辺一枝写真展ーチベットのはなしをしょう」へ行った。一枝さんは、言わずと知れた椎名誠さんの奥さんであるが、作家としても写真家としても有名である。僕は彼女の写真展はそのほとんどを観ている。この日も、日本写真家協会副会長の熊切圭介さんがちょうど会場にいたし、入れ違いに写真家で、映画監督でもある本橋成一さんが帰ったばかりであった。彼女の写真には、本来写真家がすべき、本質が写っているのだ。ジャーナリスティクな眼といおうか、少し大げさに言えば、大義がある。そこに胸打たれれるのである。いま流行の「私写真」などという自己満足の代物ではないのだ。2時間ほどチベットの話を伺って失礼した。明日の夜行列車で九州へ2週間の旅にでるという鈴木さんの無事を願って近くの飲み屋で乾杯をした。この店には以前よく来ていて、鶏の丸焼きが名物で旨いのだ。3人で写真談議をしながら名物をすっかり平らげた。70歳を過ぎた鈴木さんはここ5~6年、JRの青春切符という各駅停車の旅で、日本中を周って写真を撮っている。僕が彼の作品に付けたタイトルは「哀愁の青春キップの旅」。近く、個展をめざしてまとめに入ると張り切っている。

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今日は「春分」、お彼岸の中日。昼と夜の時間が等しくなる日だ。暦では「啓蟄」という日があるが、これは陽暦の3月6日頃。以前、親しくしていただいていた「未来図」主宰の俳人、鍵和田秞子さんの句に「啓蟄や指輪廻せば魔女のごと」がある。冬眠から覚めた蛇や蛙など地中の虫や小動物が這い出してくるような陽気をさして啓蟄というのだが、この季節の不可思議な女性の心境をうまく言い当てていると思う。近く、ご先祖様の墓参にいこうと思っている。毎春、写真仲間や編集者たちとやっている”手打ち蕎麦を食べる花見会”の場所の開花状態を見に行った。といっても家から歩いて数分の新河岸川のほとりだ。さくらの蕾はだいぶふくらんでおり、開花はまもなくのようだ。


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4月13日(火)発売の週刊誌「サンデー毎日」から、毎月第1週の火曜日発売の号(5月のみ13日)に9月までの半年間、僕の「”三国志大陸”をゆく」の連載が決まった。ぜひ、書店やキオスクなどで手にとってごらんください。僕が三国志の舞台となった中国大陸の取材へ初めて発つたのは1991年の冬。かれこれ20年の歳月が流れようとしている。今までで、まとめて発表したのは、岩波新書から初のカラー版として1995年に刊行した『三国志の風景ー写真紀行』と、同時期に発行したムック本『三国志』(世界文化社)、『三国志誕生』(新人物往来社)だけである。個展などもふくめてこの15年間、ほとんど発表してこなかった。ただ、黙々と取材だけは続けてきた。とくにこの3年間は、車で大陸を10、000キロメートル以上走破した。三国時代の史跡をくまなく周る目的のためだ。今回、ようやく理解ある編集者と出会えて、少しではあるがまとめて皆さんにお見せすることができることとなった。これをひとつの機会として念願の「中国・三国志巡歴」の写真集、写真展とつなげていければと思っている。  合掌

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3月7日、8日の2日間にわたり東京目黒の”ブルース アレイ ジャパン”で開催された沖縄のシンガーソングライター凡子のCD発売記念リサイタルが、4月18日(日)に那覇市の”桜坂セントラル”で開かれることになった。「NAMIKO live in OKINAWA ”DESERTBUTTERFIY”」と銘打った凱旋公演だ。バックも東京の角松敏生さんらでなくて全員、地元沖縄で活躍しているミュージシャンたちが凡子ライブを盛り上げる。開場は18時、開演19時から。チケットは前売り3000円(当日:3500円)とお手頃でうれしい。東京公演を聞き逃した人は、ぜひ故郷・琉球ではじける凡子に遭遇するのも楽しみさ~。(桜坂セントラル・TEL098-861-8505)


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3月8日のブログで、凡子との沖縄での出会いを書くと約束していたので、ちくっと遅くなったが書くことにするぜよ。最初に断わっておくが残念ながら「甘いロマンスの出会い・・・・」なんてのはないのでごめんさ~!!あれはもう何時頃になるだろうか?間違えなく十数年前にはなっている。凡子が今よりもさらに若々しい娘時代だ。「やんばる」と呼ばれる沖縄本島北部の中心の街・名護から「ちゅら海水族館」方面へ行った所に、「女踊り」という奇妙な行事をいまも伝承している村がある。興味を持って一人で取材に行った時に、ジャ~ン!凡子と出会ったのだ。そもそもこの祭りでの出会いは不思議なものがあった。先年亡くなった当時、名護市長だった岸本さんとここでしたたかに飲み、それがきっかけで”名護写真フェステバル”の講演や写真コンテストの審査員など引き受けた。またこの時、踊っていた美しい母と娘さんを写真に撮ったがそれ以来、いまでもこの娘さんとは、家族ぐるみの付き合いをしている。僕の展覧会を手伝ってくれたり、彼女の家の清明祭へ呼ばれたり・・・・・。


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そしてこの時、すでに沖縄に移住していた先輩写真家・小橋川共男さんとばったりと会ったのである。東京では長い付き合いだったので、久しぶりに一杯やろうということになった。このときに一緒にきていた彼の友人の娘さんが凡子だったのである。それからずーと凡子のお母さんとも親しく付き合ってきたので、凡子の沖縄でのライブは何度も聞いているし、プライベートでもオジサン風を吹かせたわけではないが、何かと相談にのってきた。メジャーデビューしても、昔とちっとも変わらない。ピュアな女(ひと)だということを今回撮影してみてあらためて痛感した。彼女の清涼感あふれる声とともに、凡子のこういうところが人気の根源であるような気がする。琉球の美しい自然と伝統文化をしっかりとバックポーンとして、世界の人々のこころに沁みる歌い手になってほしいと切に願っている・・・・・。(写真は全て東京公演2日目に撮影したもの。協力:(株)二コン イメージングジャパン/塩崎亨)



めまぐるしく変化する春の気圧配置をにらみながら、14日(日)に早春の八ヶ岳を撮りに行った。八ヶ岳は長野と山梨の県境、南北20キロメートルにわたる火山群である。宮沢賢治の無二の親友だった盛岡高等農林時代の「アザリア」同人である保阪嘉内の故郷が山梨県の韮崎なのである。嘉内はこの故郷から見る八ヶ岳と南アルプスを生涯愛した。岩手県花巻生まれの賢治ににも何度も、故郷の山々のことを自慢して話している。この日、自宅を早朝出発して新宿発の「あずさ」7号に乗り込んだ。今回も担当編集者のTさんが同行してくれた。彼女は、なんでもてきぱきとこなしてくれるので、僕にとっては大変ありがたい存在なのだ。甲府駅で下車し、武田信玄公の大きな銅像に出迎えられた。彼女の母方のご先祖様も、僕の母方の先祖も同じ武田家家臣の真田昌幸の家来だったのでまずは信玄公へあいさつをした。駅前のレンタカーを駆っていざ、甲州の地に出発!!


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数日前の春のドカ雪で、まだ日陰には雪が残っているが、この2~3日の4月下旬を思わせる”バカ陽気”のおかげで道路はすっかり乾燥していた。南アルプスの山々は、急な温度の上昇で春霞がかかっているように、すっきりとはその山容をみせてはくれなかったが、八ヶ岳連峰は、主峰の赤岳(2899m)をはじめ白い峰峰を早春の蒼空に突き立てていた。標高1000メートルを超える登山道入り口まで登ってみたが、さすがにここまで来ると雪は深かった。明野という高原の村で地元でとれた野菜料理などで遅い昼食をした後、韮崎の町に戻った。


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まず、昨年秋にも参った嘉内が生まれた藤井平が一望できる保阪家の墓地へ行った。入り口には嘉内と賢治の短歌が刻まれた碑が門柱のように建立されている。その後、保阪家が代々氏子総代を務めている当麻戸神社や保阪嘉内生家跡の「古屋敷」などゆかりの地を巡ってみた。嘉内の息子さんの庸夫さんは残念ながらお留守でお会いできなかった。嘉内が通った藤井尋常小学校の跡地には、賢治と嘉内の友情を表現した「花園農村の碑」が建っている。そこには嘉内が書いた歌稿「文象花崗岩」から抜粋した次のような一文が刻まれている。「・・・ああ諸君、田園都市を作らしめよ 模範農村を作らしめよ そしてわが幸ある天地の神に感謝をささげしめよ・・・・・」嘉内の故郷への思い、農民への深い思いが伝わってくる。(写真は2点とも中国・四川省で)





四川省の2点以外は、上から八ヶ岳、南アルプス、高原野菜弁当、甲府の信玄像

「上毛新聞」(3月13日付)の文化面に、僕の原稿と写真1点を使い7段ぶち抜きの記事が掲載された。記事の内容は「実学の文学」というテーマで、群馬県立土屋文明記念文学館館長、中央大学名誉教授、筑波大学大学院教授、文芸評論家など4人が「連論」として毎週書き、最後に門外漢の写真家である僕に、お鉢が回ってきたのである。仕方ないので「写真と文学風土ー変わらぬ本物の記憶」という内容で書いたのだ。写真は歌人・土屋文明が約7年間疎開していた群馬県東吾妻町川戸で撮った写真を使った。母が暮らしている土地である。(記事については長文なので、ここでは詳しく書けないのでネットなどでご参照ください)


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13日の土曜日、銀座に用事があったのでその足で、表参道で開催している友人の作家であり、画家でもある「司 修・二つの展覧会」(始弘画廊・3月20日まで。TEL03-3400-0875)を見に行った。あいにく司さんは、中央大学での詩人たちの講演で居なかったが、奥様がいて直ぐに僕をわかってくれた。司さんが「静岡新聞」に昨年1年間連載していた「蕪村のタイムトンネル」の苦労話など伺った。また、数年前に僕がネパールへ案内した時に、国王のクーデターに遭遇した。そのときのことを思い出されて、「司と連絡が8日間もとれず心配で外務省まで電話したのよ・・・・」といわれた。僕は改めてすみませんと謝るしかなかった。展覧会の内容は、 1、『戦争と美術と人間』出版記念 南仏取材ノート 2、「もの」としての美ー閉じ込められた本  の二つのタイトルの展示を壁面だけでなく床なども使って立体的に表現していた。相変わらずユニークな司作品に会え、満足して帰路についた。途中、表参道の路地裏にあった安くて旨い中華料理の屋台で手作り大肉まんで一杯やったのであ~る。


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椎名誠写真展「五つの旅の物語ープラス1」が品川のキャノンギヤラりーSで今月29日(月)まで開催している。その他、親しい友人の展覧会が今月開催されるので紹介しておこう。まず、3月17日(水)~23日(火)伊勢丹新宿本館5階で「第11回 高橋芳宣作陶展」。かの北路地魯山人が修業した窯元として知られる須田青華の3代目の元で修業した芳宣の大らかで味わい深く、かつ洗練された器を手にとってご覧下さい。3月20日(土)~29日(月)まで神楽坂のセッションハウス「ガーデン」(03-3266-0461)では「渡辺一枝写真展~チベットのはなしをしょう」が開催される。会期中、ギャラりートークが20日、21日、27日、28日(各14時から)がおこなわれる。一枝さんのチベットに寄せる熱い思いを聞きたい方はぜひご来場ください。お問い合わせ*椎名誠事務所TEL03-3229-0466まで。(上記写真は2点とも”琉球・OKINAWA”より。二コンD3X、ニッコール24~70ミリF2.8で撮影)

 

季節はずれの大雪が日本列島を覆っていたが、ようやく春らしい日差しが戻ってきた。しかし、まだ余寒の日々は続くのでみなさんには、くれぐれもご自愛くださいませ。さて毎年の確定申告の締切日が迫ってきたが今年も僕は、もたもたしていてまだ提出していない。やり始めてはいたのだが、昨年もがんばったのにあまりにも稼ぎのなさに、我ながら情けなくなってやる気が失せてしまったのである。僕の周りの写真仲間も、こぞって不景気風に晒されている。仕事が激減しているのだ。ましてデジタル化の波で写真環境が激変して機材投資に莫大な資金がかかる割には原稿料が逆に安く叩かれている。「このまま写真で食っていけるのだろうか?・・・・」と先行きを心配しているのが現状なのだ。(銀塩派といわれている僕などは一層深刻である)


旧王城の面影をとどめるネパールヒマラヤのムスタン・ジャルコット村(3700m)の雪景色

旧王城の面影をとどめるネパールヒマラヤのムスタン・ジャルコット村(3700m)の雪景色


さらに以前は、撮影してフイルムを渡せば終了だった写真家の仕事が、デジタルカメラになったことにより、クライアントが求めるデータ作りに大幅な時間が取られているのだ。ある写真家は「現在は、撮影は1時間で終わって、データ作りに1日も2日もかかっている。写真家だけでなくて、かっての編集者やデザイナー、製版屋、印刷所の分までの仕事をやらされ、料金は下げられているのだからたまったものじゃないよ!」と怒りをぶちまけていた。(社)日本写真家協会によれば、ここ1~2年の間に大手出版社を中心にフリーの写真家たちに、デジタル処理など「デジタルカメラ関係経費」について一方的な低価格な基準を強要する文書を出しているという。これは言語道断で、こんな事がまかり通れば写真家にとっては”死活問題”となる。早急に(協)日本写真家ユニオンや(社)日本広告写真家協会などのプロの写真家団体と共同して対応していくことが必要であろう。JPSの役員のみなさんの機敏な対処に期待するものである。(本当はこんな話を書くつもりではなかったが・・・・書いてるうちにどうしても書かなければという強い気持ちが湧いてきたのだ。ということで書きたかった「写真と文学風土」については次回に)

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昨日、7日と今日、8日の両日とも都内にあるホテルウィングインターナショナル目黒のB1にある「BLUES ALLEY JAPAN」に出かけた。沖縄のシンガーソングライター・凡子の「NAMIKO SECOND LIVE  IN TOKYO”DESERT BUTTERFIY"」の撮影のためである。同名のCDが角松敏生プロデュースで発売されるのを記念してメジャーデビューのリサイタルだ。今回のライブも昨年夏に続き、凡子の楽曲を角松がアレンジ・プロデュースしたオリジナルライブとなった。会場は立ち見席も含めて超満員。開演の5時間前から外で並んでいた人たちもいた。


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4日前に突然、沖縄の写真家・小橋川共男さんから電話があり「凡子のメジャーデビューライブを東京でやるので撮ってよ」と頼まれたのだ。若い頃は日本の音楽家たちをはじめ舞台写真をずいぶんと撮った。「日本舞台写真家協会」の創設にも関わった。その後退会したが、会員番号は確かNO・5だった。久しぶりの舞台写真、会場の照明も暗いので、デジタルカメラで撮影することにした。バンクーバー・オリンピックから前日帰国したばかりの(株)二コンイメージングジャパンのプロサポートセンター所長・関口宏さんに連絡をつけて急遽「二コンD3s」とニッコールレンズ24-70ミリF2.8を借りることにした。長年お世話になっているが、いつも無理なお願いにも応えてくれてありがたい。愛用の「シグマDP1」ももちろん用意した。助手を写真家の塩崎亨君がかってでてくれたので、デジタルオンチの僕としては非常に助かった。今日も夕方から2ステージ目の撮影に出かけるのだが、とりあえず昨日撮ったなかから何点か紹介しょう。角松が「ちゃんとした声、ちゃんとした歌・・・・・」と絶賛する凡子のライブの雰囲気を少しでも堪能してくださればうれしいです。(沖縄での凡子との出会いなどについては、次回書きます~よ)


ライブ終了後、CDのサイン発売会をしたが冷たい雨の降る中、1時間以上も外に並ぶ凡子ファンの人たち。

ライブ終了後、CDのサイン発売会をしたが冷たい雨の降る中、1時間以上も外に並ぶ凡子ファンの人たち。

僕の主宰する写真研究会「風」の第7回例会が、都内で開催された。この日は新入会員のTさんをはじめ9人の参加。それぞれのテーマにそった作品をテーブルいっぱいに並べて熱い論議を交わした。年内に個展をめざすメンバーも幾人か生まれてきており、2009年度の例会もいよいよ後2回となって最後の追い込みとなっている。新入会員のTさんの作品や昨年の12月に中国へ取材に行ってきた鈴木紀夫さん、塩崎亨君の新作品が特に注目された。詳しいレポートは「風通信NO・6」で報告しますのでご期待ください。


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例会終了後、中国の写真家・烏里烏沙君も合流して、いつもの三軒茶屋の店に行った。Tさんの歓迎会と烏里君が日本写真家協会会員になるお祝いを兼ねての宴会である。この店はもう20年ぐらい前から通ってきているが昔、雑誌「東京人」で編集者をしていた知人の文芸評論家・坪内祐三さんなども常連客だという。いろんな文化・芸術ジャンルの人たちが通ってきているユニークな店だ。メニューは魚料理がメインだが、ざっと数えただけでも百種類はある。いわし料理だけでも20以上はあるのだからうれしい限りである。


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この店からされに奥まった所に以前、作家・寺山修司のお母さんが愛犬と住んでいた。何度か訪ねて寺山の遺品などを見せてもらい取材したことがあった。寺山のお母さんは、はつさんといって気丈夫な方で女手一人で寺山を育てたのである。当時、青森の三沢市に建立した寺山修司文学碑を僕に「修ちゃんの文学碑を見てきて欲しい」と、はつさんがいうので直ぐに三沢に飛んだことがあった。その頃、はつさんは寺山の遺品を墓地のある八王子市に寄贈しょうと考えていたが、僕が三沢に行って寺山の同級生や市の関係者たちに会い、故郷・三沢に寺山修司記念文学館建設構想があることをはつさんに伝えたことがひとつのきっかけとなって、その後、三沢に寺山の遺品などが収蔵された「寺山修司文学記念館」ができたのであった。三軒茶屋へ来るといつもその頃のことを思い出すのである。

歳月の過ぎるのは何と早いことか。今年もすでに3月に入った。今日は雛祭りである。桃の節句、桃花節、雛の節供などとも呼ばれているが、最近は昔ほどに女児がいる家庭でも厳かにはやらなくなくなった。昨年は、我が家でも雛人形を出して飾ってみたが、部屋の中が何かよけいに侘しくなった気がしたので今年はやめた。雛祭りなどというものは、やはり独り暮らしの男所帯などでは絶対にするものでないことはよく認識できたのであ~る。還暦前の男がそれも独りでぼんぼりの前に座して、雛あられをつまみに白酒を飲んでいる光景なんて想像しただけでもぞ~とするでしょう。(僕も考えるとコワ~イです)


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昨日は、「写真家・小松健一オフィシャルサイト」のリニューアルについて、管理者やサポートをしてくれている人たちと会議をした。立ち上げてから10ヶ月、ブログは僕が何とか更新していて、今年に入ってからアクセス数が伸びているものの、ギャラリーの写真作品の追加のアップや、写真展・イベントページが昨年の2月から変更されてないなどブログ以外の所がほとんど手が付けられていなかった。この状況を変化させたいと忙しいなか皆が集まってくれたのである。ギャラリーの写真作品を当面10000点アップすることを目標にすることやその分類方法やカテゴリーについて、イベントページをどうアップさせていくか、全体のデザインの変更はどうするのか、など3時間以上にわたって話し合った。その結果、本年5月中に「写真家・小松健一オフィシャルサイト」のリニューアル版をアップさせることになったのである。本当にありがたいことだ。営業が苦手の僕にとっては、一人でも多くの人たちに僕の作品を見て欲しいので、このサイトは写真家小松健一の”いのち綱”ともいえる。打ち合わせの後、吉祥寺の「旅人食堂」というタイ・アジア屋台料理の店へみんなで繰り出してささやかなサイトの新たな旅立ちを祝う宴をしたのである。風薫る5月がサイト立ち上げの1周年記念の月。どうぞご期待ください!!

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