南陽市・馬天港でハーリーの練習をする子どもたち。土砂降りの雨が止み、晴れ間が一瞬でた。
6月11日、空港について直ぐに南陽市・馬天港へハーリーの取材に行き、この日が最終日だった豊里友行写真展「おきなわ」を那覇市民ギャラリーへ見に行った。
豊里君と写真研究塾「風」のメンバー。この後、搬出の手伝いをみんなでしてから別れた。
本来は、新しくオープンした牧志公設市場や壺屋などを取材してから沖縄タイムス記者(編集委員)の阿部岳君(左端)に会うことになっていたが、時間が押して真っ直ぐに向かったが少し遅れてしまった。ごめんなさい~!☆ 1年ぶりの再会だった・・・。
日曜日で台風の影響もあり、牧志公設市場でもさすがに、鮮魚はあまり多くはなかった。夜光貝とクエの良いのがあるというので、それぞれのお造りを頼んだ。
20数年来の付き合いになる公設市場の2Fにある「ツバメ」食堂で。昔の市場より、仮設のときよりも、店が大分狭くなっていた・・・。
2軒目は、新しくできた店だが昨年から行きはじめた店。仮設市場があった前にある。呼び鈴を押すとハブ酒を一杯飲まなければならないという決まりごとがある。僕はあおちゃんが押したので一杯呑む羽目になってしまった。阿部君がゲームに負けたのでその罰ゲームなのだという。
出口君の娘・あおこちゃん(一番奥)も合流した。この店の絶品は「じーまみ豆腐」。
6月12日目、ホテルの朝食。県庁前で国際通りに面したいいホテルだった。
那覇市内のホテルから真っ直ぐに奥武島へ。沖縄に詳しいNHKの記者の友人のお奨めスポットだった。昼飯は沖縄そば。もずくが練り込んである麺が美味しかった。
海を前にして・・・。

久高島の最北端、琉球開闢の神・アマミキヨが降臨したハビャーン(カベール岬)で。手前から美雨、僕、並木さん。(撮影:出口信一)
久高島の巨木ガジュマル。
久高島・徳仁港を見下ろす丘で、いままで降り続いて雨がやみ突然陽が射しこんだ。
小さな民宿へ泊めてもらった。夜の交流は、虫の音やカエル、鳥の鳴き声のなかで・・・。
並木さん、あおこちゃんは先におやすみ・・・。
6月13日、14:00のフェリー出港まで久高島を巡る。比嘉康雄さんの写真が展示してある民俗資料館にも行った。写真はニライカナイへの遥拝場であり、五穀発祥伝説の浜・イシキ浜へ。
雨は降り続いていた・・・。
雨のガジュマル。
カベ―ル岬へと真すぐと続くサンゴの白砂の道で。今回の「風」取材メンバー。右から僕、美雨、並木さん、沖縄在住の出口君。
久高御殿があった場所。かってはイザイホーなどがおこなわれた。現在も主要な年中祭祀をおこなう祭場。一番奥の建物はエラブ―(ウミヘビ)を蒸す作業小屋。
6月14日、屋我地島で。 昨日の13日は久高島から途中、読谷村のやちむんの里へ寄り、名護市内へ着いた。夜は地元のやんばるの自然写真家・東江さんを囲んで話を聞いた。14日は彼の案内でやんばるの森へ行く予定だったが、大雨洪水注意警報が出されていたので残念だが中止。
この写真は、6月14日にやんばるの森を案内してくれる予定になっていた写真家・東江辰昇さんが、その後7月29日に撮影したもの。「あの時は残念でしたが、久しぶりにヤンバルクイナが撮影出来ました。29日の深夜12時に国頭村のダム近くでの撮影です・・・」と写真とメールが来た。

本部港にある友人のお店・「本部口福家」の名物料理。雨の古宇利島を廻って来たのだ。
前日の名護市内のお店ではこの天気続きで、魚は一切入荷していないと言われ、ありつけなかったので船長でもある店主が特別に用意してくれていたがうれしかった。
左から2人目が店主の森満憲司くん。昨年5月、名護市内で出会い、難波で開いた大阪展に店長を連れて見に来てくれた。僕が道頓堀にある彼のお店が気に入って友達を誘っていったりもした。本部が第一号店だというので今回、顔をだしたのである。腕をふるってたくさんの美味な料理を出してくれた。ありがとう~!
午後からは40年来の付き合いの地元の写真家で運動家でもある宮里さんに辺野古を案内してもらった。雨が激しく、思うように撮影は出来なかった。
かっては米兵たちで賑わっていた辺野古の町。キャバレーだった建物。
夜は僕が名護に来たら必ずよる常連の店・「春海」へ。宮里さんを囲んで一杯やった。地元の泡盛と島らっきょ。
この店は鮮魚が売り、やんばる料理や名物くじら料理もあるさ~。
同志見たいな友・宮里昇さん。若かりし頃は真の写真家をめざして互いに切磋琢磨していた。彼は一昨年までは那覇市議会員も務めていた。
「風」会員で協同組合日本写真家ユニオン会員でもある写真家・出口信一君と奥さんの由香さん。スイカは「本部口福家」の森満くんがお土産で持たしてくれた。
交流会が終わったあと宮里さんと二人で、これまた30数年来の友である宮城リーミさんのお店に顔を出した。彼女は写真もやっている。いま、名護市商工会の理事、日本ハムファイターズの名護応援団長を務めているなど地域活動に貢献している。店のカウンターには、若かりしエンゼルスの大谷翔平選手とのツーショトの写真が飾ってある。
名護市のシンボル・ひんぷんガジュマル。樹齢は400年とも・・・。
巨木ガジュマルの下に、名護市が生んだ弁護士で社会活動家の徳田球一の顕彰・生誕碑がひっそりとあった・・・。
新しくオープンした名護市博物館。
僕が好きな名護の東食堂へ。昔と比べると店内を広げていた。聞くところによると那覇市内にも支店を出したという。
僕はソーキそばを頼んだ。近くに「新山そば」もあっが、ここのかき氷が絶品なので久しぶりに食べたくなったのだ。
東食堂のぜんざいの右に出るものはないと思う。それでいて350円と安いのだ。さっそくみんな頼んでほおばった。
恩納村の山中を耕し暮らしている友達がいる。以前はここにインデアンの居住する建物があり僕も何度か泊まった。この建物は中東のトルコなどにあるものだという。驚いたことにこの建物を作るボランティア活動に出口家もかかわっていたという。真ん中が「またまた農園」の又一夫妻。
摘んだ葉での茶や果物を出してくれた。昨年の僕の那覇、名護の個展に夫婦で来てくれたが、その前は20年ほど会う機会がなかった。うれしい再会ではある・・・。
今や司法書士の事務所をたたみ、のんびりとこの山の農園で暮らしているという。僕が以前、沖縄で「ヒマラヤの神々」の写真展を開催した時に、又一さんは事務局長としてその中心メンバーだった。那覇に戻る途中、僕の写真の先輩でもある沖縄在住の写真家・小橋川共男さんが指導しているグループの写真展を北谷町でしていたので寄って一年ぶりの再会を果たした。故・丹野章さんの弟子でもある小橋川さん、80歳を過ぎたという。いつまでもお元気で・・・。
初日に会えなかった与那嶺鮮魚店へ顔を出したが、またしても店は閉まっていた。午後7時過ぎには閉めてしまうのだ。少し遅れてしまったようだ。残念である・・・。
初日の11日に行った店にまた行き、お疲れさま会を開く。沖縄滞在中、本当にお世話ななった出口夫妻に深い感謝を込めて乾杯をした。親しくなった店の店員と記念写真。並木さん好みの青年だという・・・。
6日目の16日午後、那覇空港のレストランで東京に戻る3人で最後の乾杯~! オリオンビールを空けた後、僕は泡盛のロックをやりながら、何も変わってはいない本土復帰51年目の沖縄についてぼ~と考えていた・・・。
ANA996便は羽田に向かって低空飛行に入っていた。2時間ほど眠っていたらしく目に眩しい光が飛び込んできた。関東地方は梅雨の晴れ間が広がっていた・・・。 (沖縄小取材記は終わり)