写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

沖縄の最近のブログ記事

 

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4月17日(木)、午後1時から写真研究塾「風」の新年度の例会が朝霞市産業文化センターでおこなわれた。岡山の高田同人と99歳の中村咲同人が欠席した他は全員が参加した。写真が好きで情熱がある人は、大歓迎~!!新入会員募集中~!☆!☆

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8月28日~9月3日に新宿のアイテムフォトギャラリーシリウスでの個展「舞踏家 屋久島で暮らす(案)」の開催が決まっている出口会員をはじめ、2冊目の写真集を「ヒマラヤ」でをまとめたいと言う水谷会員、撮りためて来た沖縄と横田をまとめたいと言う並木同人、10年以上撮り続けているテーマをいよいよ形にしたいと言う眞月同人、カンボジアへ6回取材に行っている被写体をまとめにかかりたいと言う橋都同人、最後に新たに東京・浅草を撮影し始めた塩崎事務局長。皆それぞれ力作を大量に持ってきたので見る方の僕は相当疲れた。朝一番にユンケルを飲んでいてよかった・・・。

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出口会員が理事を務めている協同組合日本写真家ユニオンで、ユーチューブで流す動画のシリーズがあり、その撮影をしていた。JPU組合員の出口君が個展の開催へ向けて準備をする様子をまとめるのだと言う。左端が出口会員。

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出口会員が「風」に入会してから3年。本格的に撮影した舞踏家の藤枝虫丸さんが暮らす屋久島へも3回取材に行っている。作品の幅が広がり、内容も深くなった。現在展示構成をはじめ、最後の仕上げにかかっている。

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体調崩していた水谷さん(前列左)が久しぶりに千葉の銚子から参加した。信濃の天竜川の奥地から朝4時起きで参加した橋都同人(後列左から2人目)もいるので久しぶりに記念撮影をした。

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塾終了後は、いつもの沖縄・名護出身のオーナーの店に。水谷さんと出口君の「同人推挙」のお祝いの乾杯をした。おめでとう~!♡☆

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名物・チキンの半身焼き。みんな好きだ。みんなの写真を撮り忘れてしまった・・・

 

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3月5日、夕べからの雪模様の悪天候の中、9時から搬入、展示がおこなわれた。99歳の中村咲さんを除いた全員が参加しての作業が行われ、順調に進んだ。午後1時のオープンにはすべてが完了し、みんなで記念写真を撮った。僕の左が山本惠子名誉会員、右が前会長の田中栄次さん。

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123点すべての作品展示が終わった会場で、受付をはじめ、当番の仕事の確認など行われた。

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1072年~約10年間、NHK近くの職場で同じ釜の飯を食ったAさんが来てくれた。僕は新聞編集局、彼は雑誌の編集部だった。ずーとご無沙汰していたが近年、比較的近くに住んでいることが判明して、SNSを通じて来てくれたのである。いま、「民族芸能を守る会」の事務局長をしている。寄席の開催や若手の落語家の育成をしているという。 お忙しい中、ありがとうございました。

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毎年来てくれているギター愛好家のグループの人たちと記念写真。グループの中心メンバーで、竹川会長と高校時代の同級生の人もいるという。

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特別出展として僕は『琉球 OKINAWA』より6作品を出品した。琉球で暮らす人々の日常の姿を捉えた作品(シルバーオリジナルプリント・大四つ切サイズ)。

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一段落ついて、遅い昼食に誘われてご馳走になった。写真展会場近くにある蕎麦屋のランチ。

 

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10月8日、午後1時から朝霞市産業文化センターにおいて写真研究塾「風」の2024年度10月例会が行われた。倉敷市在住の同人や仕事のため参加できなかった同人など3人が欠席した。しかし、沖縄県南城市をはじめ、南信州の下伊那、房総の銚子からなど遠方の会員たち5人が参加した。来年個展をめざしている沖縄在住のD会員の作品を題材にして、個展の構成・編集の仕方などみんなでシュミレーションをしながら学習をした。

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これまでに5回、カンボジアを取材している下伊那のH同人。これからも取材を続けるのか、どうまとめていくのかなど、作品を見ながら話し合った。長い間、教師をしていた経験が生かせるのではないか、などの意見も出ていた。

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沖縄のD会員は、来年秋の個展開催を目指している(左端)。

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銚子のM会員は、遠いので帰ったが、残りの5人で懇親会をいつもの沖縄料理の店で行った。

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ここでの話は長く、熱い。この日も3時間余にわたり写真談議に花が咲いた。キンキンに冷えたオリオンビールのジョキ生を9杯をはじめ、宮古島の泡盛「菊の露」のボトルがほぼ空いてしまった。無論、グビグビと一人空けたのはロック呑みをしていたH女史であることは言うまでもない。次回12月例会は恒例の忘年会も兼ねてやりまする・・・。

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南信濃の下伊那のH同人が近くで拾ってきたという栗をお土産に持ってきた。さっそく茹で栗に。大量にあるので時間をかけて茹でて食べてみたら、信濃の秋の味覚がほんのりと感じられた・・・

 

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新年度2回目の例会だ。塾生は6人の参加だった。事務局長の塩崎亨くんは、午後1時~2時まで参加していたが、夕方から千葉の九十九里浜での撮影のために早退をした。沖縄の出口君、信州の橋都さんは遠路はるばる参加した。

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いま、今年に入って4回の写真展を開催している97歳の中村咲同人を除いて4人の同人、会員が来年の個展の開催を目指している。秋口が各会場の審査締め切りとなっているので最後の追い込みに入っている。3人は100点を超える作品を持って来ていた。

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入院以後、3週間ぶりの外出だったので、まだ完全に回復していないので体力が続かない。立っては座り、座っては立っての指導となった。

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塩崎君はいないが、みんなとの久しぶりの再会を喜んで記念写真を撮った・・・。足元がおぼつかないので、ヒマラヤなどでも活用した一脚を杖代わりに持ち運んだ。

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この日の移動はすべてタクシー。やはりまだしっかりと歩くことはできない。たかだか歩いて5分足らずの駅前の沖縄料理の居酒屋へ行くにもタクシーだった。アルコールは23日間一滴も飲まずに絶っていたが、この日、みんなが退院祝いの乾杯をしてくれたのでオリオンの生ビールの小を飲んだ。久しぶりの酒は五臓六腑にしみわたった。呑み助メンバーは、さっそく泡盛へ。一人で春雨、菊の露、久米仙、八重泉のロックを気持ちよさそうに空けた強者女性もいた。羨ましい~!!

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料理も一応は沖縄料理がそろっていた。刺身はイラブッチャー(中央)のみ沖縄の魚。モズクてんぷら、島らっきょ、ゴウヤチャ、フーチャンプル、豆腐用など注文していた。この店はまだ4回目だが、みんな暑い夏の訪れと共に沖縄の店が好きなようである。ほどよく酔いが回った頃にお開きとした。次回は8月下旬の再会である・・・。

 

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6月22日、雨上がりの清々しい朝。午後に退院が決まっているが、その日に相応しい朝を迎えた。病室の窓辺から。
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手術後に入った病室。ちょうど10日間滞在した部屋。なんとなく愛着が湧く・・・。帰宅後はしばらく療養とリハビリを兼ねながらのんびりと送るつもりでいる。とにかく多くの方々にご心配をかけたことを心からお詫びします。 僕は絶対的に元気ですからご安心ください~!♡☆

◆写真は、沖縄本島最北端・辺戸岬より本土方面を望む。晴れた日には与論島の島影が見える。
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「軍艦島」こと、長崎県端島が閉山になったのが1974年1月。その前年の秋にそのことを知った宅島さんは、当時東京写真専門学校2年、27歳だった。故郷長崎の炭鉱である「軍艦島」を卒業制作のテーマに据えるのには、何の躊躇もなかった。この島が無人島になる1カ月前から島に張り付いて撮影したドキュメンタリー。今回の展示は、学生当時自らが焼き付けたオリジナルビンテージプリントで構成している。同名の写真集も同時発売、好評だ。(中央が宅島さん)

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宅島さんとは2年ぶり。一昨年の銀座で開いた僕の個展「琉球 OKINAWA」に来てくれた以来。

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彼との付き合いは、1980年代半ばから。日本写真家協会の会員同士として彼は著作権委員会で活動していた、僕は広報委員会で任を果たしていた。その後は、経済産業省認可法人であり、文化庁承認著作権等管理事業団体である協同組合日本写真家ユニオンの結成のために共に働いた仲間だ。今年、結成20年になるが、創立当時から、宅島さんは理事、僕は専務理事としてがんばった同志である。

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東京写真専門学校時代の同級生が奥様と来てくれた。よく呑み、遊び、写真論議をした友だという。

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宅島さんは、酒が好きだ。僕が石神井公園に事務所があった頃は、住んでいる場所が近かったこともあって、よく呑み歩いた・・・。長崎県人らしく豪快な呑みぷりだった。

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26日、夏用の上下服を買いに池袋へ。その足でヘアカットをしに行った。カットをしてくれた眞月美雨さんへのお礼を兼ねて、久しぶりに池袋・みやらびへ行った。真後ろの写真は、琉球舞踊家・川田功子さんを僕が撮ったもの。それ以外はすべて石川文洋さんの作品だ。ちなみに功子さんは、ここ「みやらび」の3代目女将。文洋さんの亡くなった前妻は2代目である。本年で創業70周年になる老舗だ。

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写真家・眞月美雨さんも沖縄をテーマにして取材していることもあり、みやらびが好きで来ている。

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正面には、昭和を代表するの小説家、画家、俳優、詩人、政治家などそうそうたる面々のサインが飾られていて圧巻である。

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琉球舞踊家・崎山陽子さんと美雨さん。陽子ネェネェ~はみやらびで働いている。友人の画家・美崎太洋さんの奥さんでもある。

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功子女将の孫にあたる仲濱美海ちゃん(右)。4代目女将を目指し、現在修業中だ。三線や琉球民謡も上手い。3年前までは沖縄芸術大学で学んでいた。いまはしっかりとお店を切り盛りしているようだ・・・。

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沖縄出身の生粋のうちなんちゅ陽子ネェネェ~。もう20数年以上の付き合いだ。彼女の舞台も僕が撮影し、作品が店に展示してある。

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10年前、写真研究塾「風」作品展への出品のために上京してきた眞月美雨さんたちと、初めて行った池袋の居酒屋。懐かしく、久しぶりに行って見た・・・。

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この日は、みやらびで薄めの琉球泡盛と、この呑み屋では薩摩芋焼酎をちびりちびりとした・・・。以前ほどの大吞はもうとてもできない。

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翌、27日は軽く一人呑みをしょうかと思い、目黒で探し、池袋でと思ったが適当な店がなかったので地元へ帰ってきた。そうしたら駅前でバッタリと美雨さんに会う。昨日呑んだばかりだからと思ったが、一応声をかけたら付き合うという。それではと久しぶりに友人の韓国料理店へ行った。

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焼肉はあんまり食べないが、この日は食べた。ワタリガニのケジャン、レバ刺し、白菜キムチ、ナムルの盛り合わせなど肉の他に頼んだ。焼肉はタン塩、カルビに盛りだくさんのホルモンの盛り合わせなど。盛がとても多いので食べるのに相当苦労したが、何とか平らげることができた。
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もう、しばらくは焼肉はいい・・・。
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酒は、奄美・喜界島の黒糖酒をいつも飲んでいたが、最近は入荷していなく薩摩芋焼酎をじっくりと呑むことにした・・・。店主である李ルセ君の体調が余り良くないとのこと。まだ50歳そこそこと若いのに。店は今年に入り週3日休んでいる。あれほど好きだった酒も今は断っていると言う。少し、相談に乗ったが心配である。お互いの健康を祈って別れた・・・。

 

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冷たい粉糠雨の降る中、用事があって池袋へ出かけた。僕の腕時計が5つとも電池が切れて久しい。この半年余り腕時計を使用しない生活を送っていたが、やはり不便である。先ずは時計屋さんへ。次に買い物とルミネカードの申請手続きのためにルミネへ。三番目は東武デパート最上階で、鹿児島大物産展をしているので覗きに行った。

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東武デパートの11Fは、鹿児島県の物産店で一杯だった。奄美地方や屋久島の特産品が懐かしい。僕は初めて見た種子島の伝統工芸品「本種子鋏」、「本種子包丁」に興味を持った。四代目主人と写真家の眞月美雨さんと県のキャラクター「ぐりぶー」と。お土産に甑島で獲れたきびなごの醤油の一夜干しを3パック求めた。昔、甑島のきびなご漁船に乗船して取材したことがあった。その折に食したきびなごの美味だったことが忘れられずに、買ってしまったのである。

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友人の作家・ジャーナリストの上野敏彦さんからメールが入った。「今日、午後6時頃に『さなぶり』へ行くのでいかがですか?」とのこと。ちょうど池袋にいたので「お会いしましょう」と言うことになった。この店の店主は、遥か若かりし頃、沖縄でよく呑み明かした友である田崎聡さん(写真)。懐かしさもあった・・・。きびなごの一夜干しは2人に土産として渡した。

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手前から上野さん、僕、田崎さん。実は上野さんとは初対面である。Facebookを通じての友人ではあるが・・・。元共同通信社の記者・編集委員だったことから僕と重なる交友が多く、昔からの友達だったような親近感を互いに感じていたのだ。会って直ぐにそれは実感できた。田崎さんにしても30年以上のブランクはまったく感じなかった。3人とも酒をこよなく愛する所以かもしれない。

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料理のメニューにもこだわりがあった。写真は沖縄おでん。大きなテビチィ(豚足)をじっくりと黒糖や泡盛を使って煮込んだものに大根、昆布、野菜、玉子などが入っている。とろけるようなうまさだ。他にも沖縄の蒸籠など味わいのあるつまみが用意されている。店主は「自分が酒のつまみにしたい物しか出さない」と豪語していた。

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「さなぶり」とは田植えが終わり、田の神々を祝う饗宴のこと。「早苗饗」と書く。この店の売りは、上質の粕取(カストリ)焼酎と泡盛古酒(クース)が呑めること。田崎さんが全国の酒蔵を歩いて製造したものを並べている。米粕や蕎麦粕などから蒸留酒にしているという。江戸時代から造られてきた環境型の焼酎だ。店のスローガンは「絶滅危惧酒を救え!」だ。 沖縄に40年通い泡盛は呑みつくしてきたが、カストリ焼酎は初めてだった。香りたって切れのある味、僕は勧められるままに四杯呑んだ。久しぶりに心地よい酒と出逢えたのである。店は新宿百人町。山の手線・新大久保駅から徒歩3分。

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「こまつ平民食堂」の豆乳とうふ鍋。我が家の冬場の夕餉は、ほぼ毎日が鍋料理である。

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2月24日、家の近くの新河岸川の岸辺には、まだ浅いが春の訪れが感じられた・・・。

 

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先週から今週にかけた幾日か、自宅前の同じ場所からすっかり秋麗となった秋の暮れを撮ってみた。

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アッと言う間に陽が沈む。つるべ落とし・・・。

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5~6年前までは一面畑が広がっていたのだが、あっという間に住宅が立ち並んだ・・・。

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うっすらと西の空に三日月が・・・。

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この日は、雲一つない夕暮れだった・・・。

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辺りは暗くなり、家々に灯が燈りはじめた。1年間、365日定点観測をしても面白いかも・・・。

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今年の6月、梅雨のシーズンど真ん中に取材した中から、8ページのグラビアを組んだ。南城市の馬天港で驟雨の一瞬の晴れ間にハーリーの練習をする地元の青年や子どもたちに出会った。

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太平洋に浮かぶ小さな奥武島で。408年の歴史をもつ観音堂の森。島の至る所に御嶽や拝所があった。現在は本島と橋で結ばれている(南城市)。
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沖縄に行くと必ず行く名護市辺野古。かっては基地の米兵たちで毎晩賑わっていた辺野古もいまやその面影もない。米軍の新基地建設のために強硬に埋め立てが進む辺野古崎の美ら海。工事現場を望める辺野古崎の雨の浜で。

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写真家・比嘉康雄さんがライフワークとして通っていた久高島。巨木なガジュマルの老樹と東海岸にあるイシキ浜。ニライカナイへとつながる聖地であり、五穀豊穣の地とされている。大きなハマユウが咲いていた。

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土砂降りの雨が突然止んだ。琉球の創世神アマミキヨが降臨した場所、久高島の最北端・カベ―ル岬へと続くサンゴの道が現われた・・・。 本文は2000年5月に享年61歳で亡くなった沖縄の写真家・比嘉康雄さんの回想を記した。 彼はこの島をこよなく愛し、民俗学的資料として多くのものを残している。

 

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9月7日、上福岡西公民館で「写真集団・上福岡」の9月例会が開かれた。2024年3月6日から開催予定の第41回写真集団展の準備に入るため、持ちよった作品も一回では並べきれずに2巡並べるほどであった・・・。病気などで欠席した会員は3人でした。

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この日、見学者が一人あった。左から2人目の鈴木さん。子ども連れの人は前回入会した後藤さん。

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会が終わった後、「お疲れさま・暑気払い会」を会場近くの居酒屋で。そうしたら見学に来た鈴木さん(僕の右隣)が入会することに。すぐさま、みんなで歓迎の乾杯をしたのだ。おめでとう~!♡☆

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後藤会員と息子さん。彼女はいま、3人の子育てをしながら写真活動をしている。5歳の行成くんもモデルとなってママに協力しているのだ~!!

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2人の新入会員は、どちらも竹川会長が声をかけている。「竹川さんに憧れて会に入りました・・・」という発言に、会長(右端)は思わず顔を赤らめていた・・・。

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最寄り駅が一緒の一瀬事務局長。僕が駅前の蕎麦屋で一杯やっていると、買い物終えた帰りに一瀬さんが顔をだしてくれた。

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帰宅後、つまみに冷蔵庫にあったゴーヤでチャンプルーを。最近、ゴーヤが安くなったのと簡単に作れるので、ゴーヤチャンプルーをよく作る。家のあり合わせのものを混ぜればよい。この日は鶏の胸肉、油揚げ、木綿豆腐、そして玉子だ。そして出汁にはガラスープ、昆布だし。最後に荒引き胡椒少々。ゴーヤのシャキシャキ感が冷えた酎ハイによく合うのである。

 

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立秋などは等の昔に過ぎたのに、毎日が酷暑、極暑の日々・・・。家の前の畑のスイカは暑さと降水量の少なさにほぼ全滅。みな割れてしまったのだ。(8月下旬の午後4時過ぎ)

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僕と同じ歳の隣人は、サラリーマンを辞めてから農家に前の土地を借りて農業はじめた。最近は本格的な農民になりつつある。暑さが少しは収まった夕暮れ時に畑に出て作業をしていた。(8月下旬)

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8月17日、東京芸術劇場で開かれている第38回日本海洋画展へ行った。今後、8月28日~9月3日まで、兵庫県民会館アートギャラリー。9月14日~19日まで、福岡アジア美術館において巡回展が行われる。 現代日本画壇の海洋画を一堂に集めた見ごたえある絵画展です。ぜひご覧ください(無料)

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スタッフと記念写真~!♡☆ 毎年発行している全作品が納められた画集(目録)撮影を僕が担当している。

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日本海洋画展とマリナーズ・アイ展の事務局を担当している飯田さん(左)と写真家の眞月美雨さん。

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8月18日、皆川靖写真展「房総逍遥 Ⅱ 安房・上総丘陵の四季風光」(ポートレートギャラリー/8月17日~23日)を見る。写真展DMと同時出版した同名の写真集(日本写真企画刊・3300円 税込)。皆川さんは千葉県を中心に写真活動をしている。現在、千葉県写真美術会副会長など。

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近所の居酒屋でブラリと呑む。大学院生のHさんと芝居や表現について語り合う・・・。

写真家・眞月美雨さんとは、9月28日から10月4日まで新宿御苑前のアイデムフォトギャラリー・シリウスで開かれる、「風」創立15周年記念展に出品する作品などの事など語り合った・・・。
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少々ご機嫌な僕でした・・・。近年は呑むと直ぐに眠たくなるので、あまり外では呑まない・・・。

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こんなことが実際にあるのか、というぐらい偶然の再会であった。この日、僕は創業70周年となる池袋の沖縄料理の店・みやらびへ久しぶりに顔を出した。友人の画家・美崎大洋さんを誘ったが生憎、体調が悪いらしく断られたので独りで店に入った。珍しく混んでいたのでカウンターへ腰かけてオリオンビールを呑み始めた。そこへ店の幸ちゃんが電話を持って、いま、重松さんから電話でこれから沖縄そばを食べにくるという。しかし、この日は汁が一切なく、麺類は出来ませんと伝えたという。重松さんは諦めて電話を切ろうとしたときに、いま写真家の小松さんが来ましたと告げると、えっ小松さん、懐かしいからちょと顔を出す。と言うのだ。(左から重松さん、琉球舞踊家の陽子さん、僕)

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あの忙しい売れっ子作家の重松清さんが、来ないでしょうと半信半疑でいると5分足らずで本当に顔を出したのである。銀座にこれから呑みに行くのでほんのちょとだけですと言ってまずは12年ぶりとなる再会に乾杯をした。東日本大震災直後の2011年7月25日、新潮社から刊行された『宮澤賢治 雨ニモマケズという祈り』のサハリン・ウラジオストック取材やそのあとの打ち上げ以来だったのである。重松さんと陽子ネェネェ~。

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2年前までは沖縄藝術大学で、島唄や三線などを学んでいた美海ちゃん。みやらびの女将となるべく、いま修業中。功子現3代目女将の孫にあたるのだ。重松さん、何卒ごひいきに・・・。

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左から功子女将、重松さん、陽子ネェネェ~、そして僕・・・。展示された写真は、この店の2代目女将の夫だった写真家・石川文洋さんの作品。右から2点目は僕の作品。功子さんの舞台をを撮影したものだ。もうかれこれ40数年通っている店だ。

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みやらびには、昭和の文壇作家をはじめ、画家、俳優など文化人が揮毫した色紙が100枚以上ある。飾ってあるのはその一部だ。佐藤春夫、檀一雄、新田次郎、山下清、山田五十鈴などなど。基本的には鬼籍入った方々を展示しているが、特例に重松さんの色紙は飾ってある。ファンが多いそうだ。
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サハリン取材は毎日が愉快だったと思い出話は弾んだ。毎夜、毎夜呑み歩いた。同行した編集者も呼んで会をやろうと盛り上がったのだ。12年も会っていなかったとは思えなかった。僕の母が亡くなったことをはじめ、近況など詳しく知っているのに驚いていると、僕のブログに目を通しているという。「えっ!!」と声をあげると「僕は小松さんのブログを世界で一番読んでいる読者だと思うよ・・・」と言うのだ。僕はとてもうれしかった。書いてきてよかったと思った。まもなく初めて2500回になるが、時々何のためにこんなことをしているのか、と疑問におもったこともあった。でも、重松さんの一言でこれからも続けていこうと決意をしたのである・・・。 合掌

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家の前の駐車場から夏雲を望む(2023年8月15日)。

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