写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2296] 2024年6月19日 独立行政法人 国立病院機構 埼玉病院へ腎臓癌手術のため、5月7日~20日まで入院。6月10日から再入院し、12日、9時間を超える右腎臓全摘手術を終えて、まだ入院中ではありますが、無事に生還しましたこと、ご報告します~!♡☆ 合掌

5月7日、埼玉県和光市にある独立行政法人 国立病院機構 埼玉病院へ入院した。長男である小松淳平と弟子の眞月美雨さんが同伴してくれた。

最初の入院は5月20日までとなったが、当初の予定は、10日手術ということであった。しかし、この間、検査を繰り返し、糖尿病内科の医師たちが、血糖値の高さ、血圧の高さなどいままの状況では手術のリスクが高すぎるという提案を泌尿器科の医師にして再検討となったことでこの入院がなった。リスクを最大限に下げて手術に耐えうる環境に整えることが入院の目標である。

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最初の病室からは富士山が正面に見えた。「小松さん、起きて富士山がよく見るわよ~」と夜勤担当の看護師から声をかけられた。このように富士山が綺麗に臨める五月晴れは、2週間の入院の内、結局は2日間しかなかった。

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同病院内における撮影や録音などの行為は厳しく禁止されている。各所にその旨を記入したポスターが掲示されている。看護師たちスタッフからの注意も多い。他の患者さんもいることなどで当然のことではある。自ずと撮れるものは限られてくる。このような病窓から風景、朝、昼、夜の三食の食事メニュー、それに自写像などだ。面白くない映像が続くかもしれないが、ご容赦ください。

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再入院の6月10日。この日も前回同様、倅の小松淳平と眞月美雨さんが同行してくれた。病院の正面玄関口。(※突然、再入院の話に飛びましたが以下は、一回目の入院の話です)

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この間、埼玉病院での検査は繰り返された。この映像は1度目の造影剤を入れたCT検査の僕の腎臓の画像。上の画像の左部分の腎臓の下に丸く付いているのが癌の腫瘍。この時点で直径7センチ大だった。下の画像は輪切りにして見ているもの。やはり左部分の丸いものが腎臓がんである。僕が「腎臓よりも大きく見えますね」と言うとまだ40代と思われる執刀を担当する医師は「そうですね、でもまだ転移は見られませんので早く切りましょう」と言って笑った。この写真はその医師が撮影してくれたもの。僕が写真家であり記録として残したいという希望に沿ってくれたのである。

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夕日の刻は、ぼっ~と外を眺めていた・・・。 俳句は浮かばなかった・・・。

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晴れた日は、晴れた日でぼっ~と雲の流れを見つめていた。僕は貧乏人なので一番安い4人部屋に入っていたが、空いていれば窓側を希望することができる。但し、一日500円費用が嵩む。でもカーテンに仕切られ、一日陽が射さない場所に長期に及びいると思うと居たたまれない。ささやかな贅沢は、精神面でも良いと思い頼んだのだ。10㎝ほどだが開けて外の空気も入れられるのにはありがたいと思った・・・。

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一日3食のメニューはすべて撮った。1日、1800カロリー。値段は一食100円なり。それでこのボリュームはうれしい。米は発芽米に変えてもらった。家でのご飯と同じにしてもらった。

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毎日、小さな散歩をした。新館の6階から本館の1階に下り、外のバス停まで行き前にある小さな公園で軽いストレッチをした。その後、コンビニエンスストアへ寄って1本1リットルの水「霧島の天然水」2本、ルイボスティー、中国茶各1リットル。最後にコーヒーのAサイズをオリジナルチェイサーに詰めて戻ってくる。これを日課としていた。
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毎食、しっかりと噛み、味わって食べるよう試みた。
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バス停前の風景。ベンチに何気なく座っていると色んなものが見えてくるから面白い。僕の写真の恩師の一人に戦後、学生写真運動などで名をはせ、「カメラ」の最後の編集長代理を務めた目島恵一先生という人がいた。この先生は滅茶苦茶酒が好きだった。酔うと必ず「上から読むとめじまだが下か読むとまじめだ~!!」と大声で笑っていた。独りベンチに座っていると、ふとそんなことを想い出した・・・。 合掌
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再入院の部屋から見える埼玉病院の表て玄関。入院は6月10日~22日。

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今日もパンのような雲が流れていく。

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11日から献立は「重湯」になった。米粒ひとつ入っていない。何も味がせず、何を食べているかもわからない。

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時のたつことの何と遅いことか・・・。

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11日手術の前日、夕方から点滴が始まる。

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この日の夕食も重湯。体内の物を出来るだけきれいに出すために昨日から下剤や浣腸を使い、胃や腸から入っている物を絞り出しているのだ。

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2024年6月12日(大安吉日)午前8時。最後になるかもしれない撮影。 ここから手術を終えて集中治療室に戻るまでの全ての写真は、写真家の眞月美雨さんが、医師・看護スタッフの人たちの了解と協力を得て撮影した貴重なドキュメントである。ここにアップしているのは、その一部だ。   感謝~!♡☆

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9時に手術が始まるので慌てて荷物を整理し、部屋の引っ越しだ。僕がこの手術で一番ショックだったのが髭を全て剃ってほしい!!と言うことだった。僕は当初から、がんとして反対を貫いていた。約半世紀、40数年間髭は僕の相棒として常にあった。ヒマラヤ、チベット、アンデス、北極・・・どこに行くにも必ず一緒だった。「僕の髭は武士の刀やちょんまげと同じだ」と抵抗していた。僕と親しい写真仲間も見たこともない。娘や倅も・・・。僕すら記憶がないくらいだ。

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そうしたら手術を担当する泌尿器科の医師3人、麻酔科の医師2人が僕の部屋に来た。みんなで説得作戦。「緊急事態が発生したときに、髭があると対応できない」というので「では緊急事態が発生した時には無条件で剃っていい」と僕が言った。最後に執刀する医師が「髭を剃らないならこの手術はできない」とぴしゃりと言った。

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こうまで言われると仕方ない。最後まで抵抗してみてもと、一瞬思ったが、やめた。髭はまたすぐに伸びてくるのだ。そんなことにこだわっているより、一日も早く健康になってやり残した仕事をやり切らねばならないと思い直したのである。残された日々が限られている。顎の髭は剃れた。

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残すは、鼻の下の髭。”髭剃り名人”と言われる看護師さんが医療用の鋏を使って何とか剃っていく。病院だからカミソリなど刃物類は置いていないのである。この鋏では正直難しい。

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最後は刃の付いてない電気カミソリ。でごしごし擦り付けるように剃っていった。もう何人もの髭を剃っているので感覚が分かっているのだそうだ。助かった手術室へこれで15分前に向える。

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髭が剃られ、弱弱しくなったような僕。これが恐らく僕が死ぬ前に最後に見せた髭のない顔となるだろう・・・。レアな写真かも知れない。

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家族など関係者も、見送りはこのエレベーター前まで。手術室へ向かう。地獄への通路のような気がした。6月12日、8時55分。

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ここからはまだ全身麻酔が効いているので、僕は一切覚えてない。鼻や背中、尿管、両手、両足から多数の管がつながっている。

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当初の手術予定は「4時間見ておきましょう。通常2時間か3時間ですが小松さんのは大きいですから」と前日の打ち合わせでは言っていた。しかし、何と9時間を超える大手術だった。美雨さんによると部屋に戻ったのは夜の6時を優に廻っていたと言う。泌尿器科の医師3人、麻酔科の医師2人、それを支える看護医療スタッフ5人が疲れ果てていたと聞いた。「僕が担当した手術中、一番時間がかかったし、おそらく泌尿器科の記録だろう・・・」と後に主治医から聞いた。

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左がわの丸いのが癌の病巣。

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左側の腎臓の下にぶら下がる丸いものが癌の腫瘍。

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上の写真が切り取った右腎臓と癌。左がわの上と下にどす黒くなっているのが癌の腫瘍と思われる。「大きさは30㎝を超え、重さは3キログラムはあったと思う」と主治医は説明した。「あんなに大きく、重い腎臓は初めてでしたよ」と苦笑していた。撮影した美雨さんはこの日以来、口にするのは勿論、肉類に近付けなくなってしまって閉口しているという。 ごめんなさい~!♡☆

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麻酔が覚めて来るたびにそこら中に激痛が走る。この痛みは半端でない。美雨さんが居たことも帰ったことも全く記憶にないのだ・・・。

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13日の夕方。集中治療室から個室の部屋へと変わる。

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14日、少し起きれるようになったが、まだ全身が痛い。尿管と腎臓に入る管を除いて夕方取れる。鼻、背中の痛み止めの管、両手の点滴用注射器など外れただけでも気分がいい。夕方、眞月美雨さんが寄ってくれた。生きている証に「一緒に写真を!」をと言うのでパチリ~!☆!♡

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18日、一日中雨が降り続いていた。僕は窓を開けて、雨音と湿気を含んだ甘い大気に親しんだ。子どもの頃から雨の日は好きだった・・・。

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洗面所の鏡で自撮り。5月7日入院した時の体重は、119、4キログラム。6月18日朝の体重は101,9キログラムだった。目標の90キロ台突入は厳しいかもしれないが、諦めないでがんばってみよう。しかし、明日朝から通常の糖尿病患者用のインシュリン投用が始まるので、食事もきちんと窃取しないと低血糖になる。体重を単純に減らすために食料を減らすというわけにはいかなくなるのだ。ここら辺については毎日、栄養士が来て相談している。

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6月19日朝、病窓からの爽やかな風景。 この調子で回復していくと退院も見通せると主治医は言った。今週中か、来週頭か、僕とすれば出来るだけ早く退院したい。今回の件については、家族とごく近い少数の人以外には一切知らせていない。いろいろとご心配をかけている多くのみなさま方に、一刻も早く元気な姿を見せたい。

・残された人生、悔いのないように精進する。

・やり残した仕事を一つでもやり遂げるよう努力する。

・病気としっかり向き合い、決して侮らぬ共生の精神で生きぬく。

今回の闘病生活を体験して学び、心に刻んだことは、上の3点である。余りにも平明簡素であるが、決してそう長くはない残りの日々を静かに生きて行きたいと切に思っている・・・  合掌

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