写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

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 弟2回目は、チベットの南東部にあたるニンティ地区を中心に報告する。本来はチャムド地区にも入りたかったが、どうしても許可がおりなかった。それだけでなく昨年9月に取材した、康定、理塘、巴塘、丹巴などの四川省に属するカンゼチベット族自治州も一切の外国人の立ち入りを禁止しているのだ。チャムド地区の境界線ぎりぎりまで行き、102年前に矢島が通ったであろう道へ思いを馳せてシャツxターを切った・・・・・・・。

この地区は、中国でも最も美しく、長い国道として知られる川蔵公路のハイライト。標高7782メートル、7000メートル峰では世界で一番高い山、ナムチャパルワ峰をはじめとした6000メートル級山々に囲まれた渓谷である。ヤルッアンポ川をはじめとした幾筋の激流が深い谷間を形成している。チベットの中でも標高は比較的低く平均は約3000メートルだ。ヒマラヤ山脈がとぎれるため、インド側からのモンスーンの影響を受け、降水量は多く、それによって地区の40パーセントが森林地帯である。僕らはこの地に5日間泊まって、小さな村々を訪ねたり、山へ登ったりしてのんびりと過した。 

僕はラサでの高度順化がうまくいって2日間ほどで、後は普通に酒も飲んでいたが、同行の山崎君は、高山病と下痢と嘔吐をくり返していて、この後ラサまでその症状は完治しなかった。しかし、昨秋の経験もあり、高山病対策は万全を期していたので、前回みたいに寝たままという状態ではなかった。とにかく無理をしないように、ゆったりと撮影するように心がけたのである・・・・・・・・・。

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山桜にた桃の花が、氷河がある山の前で咲いていた・・・・・・・・。

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ポミを過ぎた所から公安の署長がパトカーで先導してくれれることになった。何でも前回来たときに烏里君が友達になったのだという。このときばかりは検問はフリーパスであった。

 

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 今年生誕130年となる上州の探検家・矢島保治郎が102年前の1910年に世界で初めて中国・四川省から当時鎖国状態にあったチベットに入蔵したルートを辿る取材をはじめて6年、今年の8月をふくめると計8回、のべ走行距離は30000キロメートルを超える。4月27日から5月16日までの20日間の今回の取材はその核となるもので、チベット・青海省で6010キロメートルを走った。一部許可の下りなかった東チベット・カム地方のチャムドとインドとの国境線のヤートンをのぞいて矢島が歩いたコースを巡ることはできた。 

さらに矢島とチベット人の妻・ノブラーが暮らし、一子、意志信が生まれたノルブリンカやノブラーの実家があった場所、ラプランニンバータラを探し、その当時の建物を確認した。さらに奇跡的であったが、ノブラーの家族であるデンバ一族の人たち4人とも会い、お話を聞き、ノブラーの存在を確認できたことはこの旅最大の収穫であった。このことは、今後おいおいと書くことにする。写真も撮っているので紹介したいと思う・・・・・・・・。

4月27日、旅のはじめからハプニングではじまった。まず、早朝5時半にいつものタクシー会社に迎えにきてもらい羽田までのリムジンバスが出ている駅まで送ってもらう。そして予定の5時50分発のバスの時刻表を確認したら、何とその時刻のバスは無く、すでに20分前に出ているではないか。次は6時40分となっていた。「馬鹿な・・・・昨年3回も乗っているのだ」しかし無常にも今年になって改定されたらしい。仕方ないので羽田までタクシーで行くことにした。バスは1500円だが、家まで迎えに来てもらった分を足すと約18000円の出費となった。この後、次々とハプニングは襲うが・・・・・・・。ここでふれているとそれだけで長文となってしまうのでやめておく。結局僕は、今回同行してくれる写真家の山崎政幸君と烏里烏沙君の2人が到着するまで約2時間空港で独り待つはめとなったのである・・・・・・・・・。 

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それでも羽田ー北京ー成都はほぼ定刻に飛行機は飛び、中国時間の午後7時前には四川省の省都・成都空港に着いた。空港には烏里君の友人の中国国際航空の役員をしている王さんとクルージングを中心とした旅行会社を経営している女性が迎えに来てくれた。さらに美味しい四川料理までご馳走になってしまった。旅の初日で朝からハプニングに見舞われたが、この一件で帳消しかと思われたが・・・・・・・・。

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翌日の早朝、成都を立ち空路・チベット自治区の都・ラサへ。途中窓からチベットの雪の山々を撮影していたため、空港に着いた時には軽い高山病にかかったらしくしばらく地べたに座り込んでいた・・・・・・・。とにもかく にも十数年ぶりのチベットの地への弟一歩!!

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僕らの宿の前にある大型スーパーでは、イベントをしていてたくさんの市民が集まっていた。街はずいぶんと活気にあふれ、建物は新しくなり、僕が取材に来た十数年前とは隔世の感があった・・・・・・・・。

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街の通りで売っていたスイカ。中国のどこもまだできていないのに、標高4000メートル近いこのラサで収穫していることに驚く。そのほかだいたいの野菜、果物なんでもビニール栽培で作れるようになったと言う。

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宿で少し休んでからジョカン寺(大昭寺)とその周辺の八角街へ行ってみた。山崎君は高山病を心配してカメラを持たないででかけたが、僕は今回はじめて使用する二コンD700とこのブログに使うために、シグマDP1Xを持ってでかけた。日本人観光客をはじめ、外国人はほとんどいなかった。あらゆる所に立ち、集団で俳諧しているのは武装警察だった・・・・・・・。

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ジョカン寺前で五体倒地をして祈る人々の姿は変わっていなかった・・・・・・・・。敷かれた石が磨きこまれたように光沢を放っていた・・・・・・・・。

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ひらすらに祈りを捧げる女性・・・・・・・・。ジョカン寺は7世紀中期に創設されたチベットの中でも一番の古刹。

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ジョカン寺に向かって祈りを捧げるチベットの人々・・・・・・・。

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異様な迷彩服で銃器を持って祈りの道を徘徊する武装警察・・・・・・・・・。カメラを向ければすぐに没収される。僕も危うくやられそうになった。細心の注意を払って撮影をした・・・・・・・。

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八角街の通りには小さな屋台の店が何百と並んでいた・・・・・・・。

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チベットの食堂では、日本で言えば「流し」の歌い手がどこにでもいる。ただし生でなく、電気でギターやマイク使って歌うため煩い。しかし、烏里君に言わせると中国人はみな煩いから拡声器を使わないと聞こえないのだと言う。日本の1970年代のフォークソングのようでもあった。

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僕は「足洗い」が好きで中国に来たときは必ずしてもらう。前日成都のホテルでやってもらったが、これがひどいもので、今までのなかでも最低。まったくそのためのトレーニングをしていない正にど素人。気分が悪かったので改めてラサで挑戦してみたのである。当りで非常に技術が高く、満足した。値段もサービスしてくれ、さらに小雨がぱらついていたこともあったのでか、僕の手を握って階段を降り、なんとホテルのロビーまで送ってきてくれたのである。 写真は足の爪を切って貰っている所で^~す。

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翌日からいよいよチベットでの本格的な取材の開始。まずは矢島と結婚したノブラーが特別なダライ・ラマ13世の計らいで住むことを許されたノブルリンカ宮殿へ。この宮殿はダライ・ラマ7世が1740年に造園をはじめたもので、広大な敷地に大木の樹木が多い繁り、たくさんの花々が咲き誇っていた。ここで2人は一子である長男・意志信を生んだのである。歴代ダライ・ラマの4月から9月までの夏の離宮であるこの宮殿のどの建物に矢島とノブラーが暮らしていたかは不明である。

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ダライ・ラマ14世も夏を過した「タクテン・ミギュ・ボタン」離宮。1956年に竣工されたこの建物はノルブリンカのなかでも一番の見所である。

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ジョカン寺を取り巻くように広がる八角街に面した場所にあるノブラーの生家。いまは人に貸しているが、以前は家族が住んでいた。ジョカン寺の正面に向かって右側の繁華街の一等地にあった。

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ノブラーの生家の中庭。ノブラーが生まれた家は、ダライ・ラマが法王を務めるチベット仏教・ゲルク派の創始者ツォンガバの末裔である貴族だったことがわかった。この家も祖先がゾンガバから褒章として譲り受けたものだという。ツォンガバもしばらくここに住んでいたという。 

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建物の柱などには、かっての美しい装飾がまだ残っていた・・・・・・・・。

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ジョカン寺から広場とポタラ宮を望む。右側の岡に聳えるのがポタラ宮殿。

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僕の助手をかってでてくれたチベット人のローサン君(37歳)と写真家の山崎君。ジョカン寺で。実はこのガイドとして協力してくれたローサンの母親がテンバファミリィーの血を継ぐ人だった。そこから今回のノブラーの家族の消息がつかめたのである。

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ジョカン寺の内部。幾重にも回廊のようになっている。巡礼者と中国人観光客が引きを切らない。

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ジョカン寺広場で。ラサ滞在中に1416年に創建されたデプン寺にも行ってみた。ここから西北へ12キロほど行った山の中腹にある。矢島の文章にも記述が残る寺だ。 

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一日日程を早めてラサを発った。102年前に矢島がラサをめざしてきた道を逆に辿る道程である。昨年秋に四川省の成都を出発して康定、理塘、巴塘と来て、長江の上流である金沙江で引き返したが、今度は逆に金沙江のある東チベットをめざして走る旅である。途中、ラサから50キロほどのワンポル山に建つガンデン寺に寄る。ゲルク派の創始者・ツォンガバが1409年に創設した古寺である。 

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矢島が歩いた道・・・・・・・・。現在は川蔵公路となっている。

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最初の峠は、標高5130メートルのメラサン峠。雪と風で帽子も手袋もしないで20分ほど撮影していたら指先が痛くなってしまい、後でマッサージして戻すのに苦労した。

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辺りの山々もみな一面雪景色・・・・・・・・。ヒャ~寒いよ~。

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一端3800メートルまで下って一休み。今回の旅のメンバー紹介。右からイ族出身の写真家・探検家の烏理烏沙君、ドライバーのチベット人、僕の倅と同じ呼び名のジュンペイ(31歳)、ガイドのローサン、長崎在住の写真家・山崎政幸君で~す。この5人と僕とで今回の旅は通した。この道も矢島が通った道・・・・・・・。

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翌日の5月1日も昨日山は雪だったらしく樹木みな雪化粧で美しかった。標高4500メートルのセチラサン峠は雪で真っ白だった。

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ニンティに入ると山は緑が深く、川は清流、渓谷が続く。チベット自治区のなかでも信じられないような森林地帯だ。モンスーンの影響も受け降水量も多い。南側をヤルッアンポ川が流れ、高低差が5000メートルの大渓谷を作っている・・・・・・・・。

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道の傍らに無数のタルチョーが張り巡らされた場所があった・・・・・・・。

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無地のタルチョーは死者を弔う場所に立てるという。この近くにはチベットで唯一おこなわれている樹葬が見られるという。幼くして亡くなった子どもたちを大きな木にくくりつけて埋葬するやり方だ・・・・・・・・。この道も矢島が102年前に通ったかと思うと胸が熱くなる・・・・・・・・。ラサを発って3日目、940キロメートル走った。

 4月25日以来、23日ぶりのブログの更新、大変ご無沙汰しました。実は西蔵ことチベットへ取材に行っていました。今年生誕130年となる上州の探検家・矢島保治郎の記念事業の一環として今年11月に開催される展覧会をはじめとした事業を成功させるために敢行した旅であった。中国政府のビザはもちろんチベット自治区政府の軍区、公安局、外事局、旅遊局の4部門の許可書を取ってようやく入れた取材だった。これは奇跡に近いことで、日本をはじめ、欧米の観光客のツアーのほとんどは許可がおりていないのが現実であった。

当初は許可が下りていた地域も現地に入ってから許可が取り消された地域もあり、大変な取材となった。検問に継ぐ検問、パスポートの提示はもちろん何度も呼ばれて本人確認をさせられた。その数は数十回、22年間中国を旅し、5万6000キロメートルにおよぶ取材をしてきたが、こんな経験ははじめてのことであった。

今回の取材には、都内在住の中国の写真家であり探検家でもある烏里烏沙君と長崎在住の写真家・山崎政幸君の2人が同行してくれた。高山病や下痢、胃腸炎など苦しんだが何とか3人とも無事に帰国することができた。さまざまなエピソードがあったが、明日から数回に分けて写真を中心に報告していきたい。どうぞご期待ください・・・・・・・・・・。   合掌 (オーマニ・ペイメイホン)

 

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 チベットを象徴するポタラ宮殿を背景にして(ラサ市内)

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 まだチベットが統一されていなかった時代の初代西蔵王の宮殿で。標高3750mの岩山の上に聳えていた。旅の安全を祈願してタルチョー(祈祷旗)を奉納した。

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 メラサン峠(5130m)をはじめ、5000m級の峠はいくつも越えた。標高4500m以上は氷雪だった。雪が降りしきる峠も多かった。2度越えた4500mのセチラサン峠で。

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 1419年創建の色拉寺の入り口のマニ車を旅の安全を祈願して廻す。

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夕暮れのカンパラ山口(4770m)で。チベットは午後9時過ぎまで残照があり、明るかった・・・・・・・。

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 毎月新橋で開かれている「一滴会」俳句会に、今年になってはじめて参加した。仕事と重なっていたり、体調が悪かったりして昨年暮の忘年句会以来だった。俳人の中原道夫さんは超人気俳人で忙しいところを僕が無理をして選者として来てもらっているという経緯があるので、できるだけ参加してきたのだが、今回は4ヶ月ぶりの参加だったのでみんなに心配をかけてしまった。 僕の句は相変わらずの駄句で恥ずかしい限りだがこれも記録なので記しておく。

被災地の明日葉日毎伸びにけり  稚鮎汲み苔の香渓に広がれり  羞じるよう身をさらしたる蛍烏賊    風写

以上の3句である。「被災地の・・・・・・」が入選で5点句。次が3点句、最後の句が4点句であった。(上の写真は、右から俳人の中原道夫さん、岡井輝生一滴会代表、フォトエデターで同人の板見浩史さん) 

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句会終了後、有志でいつものように飲み屋に繰り出した。震災後は東北の店に行くようにしている。「津軽」という青森出身の夫婦でやっている店だ。僕も旅の準備があるため、顔だけだすことにした。久しぶりの参加だから乾杯の音頭をとらされた。ご無沙汰を仲間にわび、心配をかけたことも詫びた。30分ほどで失礼したがやはり仲間はいいな~とつくづくと思った次第である・・・・・・・。

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弟37回「木村伊兵衛写真賞」を授賞した田附勝君。受賞作は写真集『東北』。近年の木村伊兵衛賞作品にはなかった骨太の作品だった。授賞作品展がコニカミノルタギャラリーで5月3日まで開催されている。

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左から石川梵さん、高井潔さん、僕の左は松本徳彦(社)日本写真家協会専務理事。

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朝日新聞出版雑誌統括兼書籍統括責任者の鈴木健さん、写真家の市原基さん、東京芸大大学院生のMさん。

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 二コンイメージングジャパンへ寄ったり、いろいろな買い物を済ませたりしてから木村伊兵衛賞の授賞式ならびにレセプションがおこなわれている東京會舘へ行った。新橋の端から丸の内まで1時間ほど歩いていったのである。会場では写真家の田沼武能さん、熊切圭介さん、松本徳彦さん、木村恵一さん、野町和嘉さん、石川梵さん、水越武さん、市原基さん、高井潔さんをはじめ大勢の写真関係者の人たちが出席していた。水越さんの娘さん芸大大学院生のMさんが行ってみたいと言うので会館のロビーで待ち合わせて来たら、父親もすぐにきて合流。これなら何も僕が一緒に来なくてもよかったのに・・・・・・・。(上の写真は、写真家の神立尚紀さん、酒井孝彦さんと東京工芸大学の学生たち) 

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授賞式・レセプション終了後、有楽町駅前の僕が行く漁師居酒屋へ水越さんと市原さんと3人で行った。3人で飲むのは新宿のション便横丁で深夜まで飲んで以来。もう十年ぐらいはたとうか、よく市原さんとは会うのだがなかなか飲みに行くという機会はなかった。彼は水越さんを僕と同じように写真家として尊敬しているとさかんにそのことを話していた。何故自分が認め、目標としているのかと・・・・・・・。男三人で愉快な酒であった。僕も久々の旨い酒を飲むことができた。2人の先輩写真家の話を聞いていることが何よりの酒の肴となるのであった・・・・・・・・・。 

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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 「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

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「中国大陸ー三国志巡歴」の旅より (2011年7月撮影)

今どきの季節を季語で言うと「木の芽時」とか「蛙の目借時」などちょつと面白い言い方がある。とくに後者は普段はあまり使わない。「春深く、雨の降る夜などに眠たくなること。蛙に目を借りられるからだとも、蛙の雌狩り時などとも言う」らしい。この季語を使っての俳句はむずかしい。僕もまだ一句も詠んでいない。苗代のできる頃、蛙の声を聞いているとうつらうつらと眠たくなるというようなこの頃の時候を表したものだが、この古風な俳諧味のある季題は現代ではあまりぴんとこないのが現実であろう・・・・・・・。

今年は森鴎外が生誕150年を迎え、石川啄木も没後100年、室生犀星が没後50年となる。僕がこの何年間取材している矢島保治郎は生誕130年だ。来年没後50年となる。それを記念して矢島の故郷・上州で今秋、記念事業をしょうと計画中である。鷗外も啄木も犀星もそれぞれの関係した地で記念の催しが開催されるであろう。

僕はそれぞれみな取材を続けてきているが、とりわけ鴎外は、ドイツのベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、ミュンヘンなど鷗外が留学していた関連の街々をふくめて取材している。無論左遷された小倉、故郷、津和野、東京などもくまなく辿っている。なかでも島根県津和野町は好きで何度か足を運んでいる。島根と山口の県境に程近い山間に旧亀井藩四万三千五石の城下町だった津和野がある。この城下町は「山陰の小京都」と呼ばれているが、文豪・森鴎外の故郷としても知られている。

1862(文久2)年、亀井藩・典医の森家の長男として生まれた森林太郎は、明治5年10歳のときに父と共に上京するまでこの地に育った。鷗外の半自伝的小説である『ヰタ・セクスリアス』の中に少年時代の津和野を回想している。「・・・・・内の堀の上から真赤な椿の花が見えて、お米蔵の側の臭橘に薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。・・・・・晴れた麗らかな日であった。お母様の機を織ってお出なさる音が、ぎいとん、ぎいとん聞こえる・・・・・」と。鷗外と大逆事件の係わりのことなど についての文章とモノクロ写真でグラビア8ページを月刊誌「前衛」5月号に掲載した。本屋さんなどでご覧下されば幸いです・・・・・・。

 

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今や現役の写真家としては、日本でも長老格となっている丹野章さんと今年に入ってはじめてお会いした。中国の写真家・烏里烏沙君と打ち合わせを池袋でするのでもし、時間がありましたきませんか、と声をかけたら「台湾の教え子の写真家と銀座で会った後行くよ」と電話があった。丹野さんとはかれこれ40年以上の付き合いだからいまさら話すこともないが、なにせ僕の親父と同じ年、どこかで気になる存在ではある。この日も写真のことはもとより、社会、政治のことから女性の話まで話題は豊富であり、加えて泡盛をよく飲み、琉球料理をよく食べた。(左から琉球舞踊家の美崎陽子さん、丹野さん、「みやらび」の女将で舞踊家の川田功子さん、烏里君)

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出版社のYさんは用事があるので先に帰ったが、美崎さんのご主人である画家で音楽家の美崎太洋さんも来てくれ、しばしまた藝術談に花が咲いたのは言うまでもない。いつもながら25歳も年が違う丹野さんのエネルギシュには驚く。そして僕の方が元気を貰うのである・・・・・・・。

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4月17日、写真集団・上福岡の例会が開かれた。6月27日から7月1日まで川越駅前にあるデパート「アトレ川越」で開催する弟30回記念写真展の案内状や合評の日程など子細なことが決まった。30回記念展にふさわしい作品を出品しょうとみんなで確認をした。途中退席した人もいたが、最後に記念写真を撮った・・・・・・。

今秋の11月10日~18日まで前橋でおこなう「上州の探検家・矢島保治郎生誕130年記念事業」のための打ち合わせのために群馬県に行った。株式会社朝日印刷工業や上毛新聞社、矢島保治郎の遺族である矢島仲子さんたちと記念展示会や報告集などについて話し合いをもった。今回で5度目となる。なかなか具体的に進まないが一つ一つコツコツと進めて行くしかない。

僕が上州に行った日は、歌人石川啄木の没後100年の命日の4月13日だった。この日は各地で啄木をしのぶ様々な行事がおこなわれたようである。啄木の故郷、岩手県盛岡市では、啄木の父・一禎が住職をしていた渋民の宝徳寺では関係者が集い盛大な法要が開かれた。また東日本大震災の津波で流された陸前高田の松原に建っていた啄木の歌碑の再建の募金の呼びかけをはじめたという。ここの歌碑は先のチリ地震の津波でも流されていて「受難の碑」と言われていた。この碑は後に砂の中から発見されて違う場所に建立されたが、今回流された碑は、啄木の心友だった金田一京助の筆になる新しい歌碑であった。僕もこの二つの歌碑を撮影している。 さらに北海道のJR旭川駅の構内に、啄木の2,3メートルの像が建立され、その除幕式がおこなわれたという。

いまから100年前にわずか26歳で亡くなった啄木が今もこうして多くの人々に愛されているのに深い感動を覚える・・・・・・・。このとき矢島保治郎は、3年にわたる世界一周の無銭旅行から戻り、横浜について、その2日後にはまたチベットへ出発した。明治45(1912)年4月のことであった・・・・・。こうみてみると啄木より保治郎は4歳年長だったということに気づく。啄木は明治時代に亡くなっているので遥か昔の歌人という気がするのだが、実際は保治郎の方が年上なのであるから不思議なものである・・・・・・・・。  

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 前橋で打ち合わせを済ませた後、僕は84歳の母の待つ田舎に帰った。2月以来の帰省だ。お彼岸にこれなかったので父の墓参もしたかった。家のまわいはちょうど梅が満開だった。わずか20キロしか離れていない渋川などは桜が満開であったが、この山間の地方はまだ蕾は固かった。近くの鎮守様の宇佐八幡宮が春の祭りをしていた。犬の五右衛門2代目は、散歩に連れていってもらえるのがうれしくてたまらないのだ~。 

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 三男の弟、勝三夫婦が来てくれたので、母と近くの温泉に行き、夕食を食べた。弟のお客さんの店「大吉」は、驚くぐらいに旬で新鮮な魚がそろっていた。上州は海の無い県である。僕らが子どもの頃は、刺身などは食べたことが無く、魚と言えば塩辛い鮭か、干した秋刀魚ぐらいなものであった・・・・・・。母はご機嫌で生ビールをジョッキで3杯飲んだ。 

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戻る日の15日は、墓参りに出かけた。墓地の裏手の山は少しづつではあるが春の気配が感じられた。ちょうどすぐ近くの吾妻川の岸辺で「すいせん祭り」をしていたのでのぞいてみた。上越国境や日光連山の山々はまだ雪で真っ白だが、流れる吾妻川には、まだ浅いが春の足音が聞こえてくるようであった・・・・・・。 

 4月になって初めて、11日ぶりに都内に出かけた。フジフイルムや二コンイメージングジャパンなどへ用事があったついでではないが、都内の写真展を幾つか巡った・・・・・・・。

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 この秋、計画している生誕130年記念「上州の探検家・矢島保治郎展」の協賛の以来のためにフジフイルムと二コンイメージングジャパンへ行き資料などを渡して説明した。そして同じ写真家仲間の山口君の写真展へ足を運んだ。この日は最終日だったので山口君もいて久しぶりに話をした。続いて行ったのは、写真弘社に併設されている銀座アートギャラリー。齋藤さんがいて昨年以来の再会を喜んだ。彼女は上州・桐生の生まれだ。作品も桐生が舞台となっている。この写真を見る度に、日本のよき時代で日本人も幸せな時代だったと思うのだ。前日ツイッターでこの写真展を知った山口の青年が飛行機でわざわざ身に来たというので、齋藤さんと一緒に記念写真を撮る・・・・・・。

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銀座二コンサロンの百々新君の写真展をのぞいてから僕も出品している東日本大震災支援企画展へ。プロ写真家たちのオリジナル作品をチャリティー販売してそれを支援金に当てようという主旨の写真展だ。少し展示の仕方が雑だったのが気になった・・・・・・・。

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銀座から品川に出て向かったのはキャノンギャラリーS。久しぶりに都内に出てその人の多さに疲れる。階段の上り下りにはエレベーターやエスカレーターを使わないと先月から意識しているが、疲れはそちらの方でなく人の余りの多さにある。山岸伸さんとは、秋山庄太郎さんや藤井秀樹さんがご存命の頃、年に1回グループ展をしていて何故か僕も出品していたのでパティーなどで会ってはいた。今回これだけの作品群を見るのは初めてであった。彼のモットーは「写真を撮り続ける事が、一番の力。 30年間カメラマン。 これからもカメラマン。 一生涯カメラマン。」多岐にわたって活躍している彼らしい写真の展示だった・・・・・・・・。

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そして最後は弟72回国際写真サロンの入賞・入選作品展を見てから表彰式・パティーに出席した。このコンテストは朝日新聞社・全日本写真連盟が主催し、1927年に弟1回が開催された歴史のある写真コンテストだ。僕が出席したのは、全日本写真連盟関東本部委員だからだ。20数年前に今は無き写真家の佐藤明さんと大石芳野さんと僕の3人で朝日新聞社から委嘱されたのである。写真展は東京展が5月8日まで。その後、全国の主要都市で開催される予定だ。   

今回は、海外からの応募はインドの1677点をはじめ、41カ国から6126点。国内から3285点、総計9410点だった。この応募作品の中から、入賞作品が国内50点、海外80点、合計130点が審査委員を務めた田沼武能、細江英公、熊切圭介さんらによって選ばれた。審査委員特別賞は国外、国内とも3点ずつで計6点だった。パティー会場はイラン、チェコ、シンガポールなどからも入賞者が出席しており、国際色豊かな感じがして楽しかった。僕も久しぶりの外出だったので、細江さんや熊切さん、アサヒカメラの勝又ひろし編集長などとゆっくりと話した。途中で退席して池袋の沖縄の店で独りで泡盛をやって帰ってきたのである・・・・・・・。

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 一昨日は花祭。お釈迦様の降誕を祝福する仏生会に花で飾った花御堂のお祭りである。我が家の周辺の桜も満開の時期を迎えている。夕暮れ時に三本の桜を見て廻った。カンチュウハイに枝豆とシグマDPIXを持って。このカメラは今日が初撮りである。今までのDPIよりもレンズが明るくなったのでシャッタースピードがアップしたのが一番の違いだろう。夕刻時にしみじみと桜をみているとまるで雪の降リ積もった朝のように見えた・・・・・・。いままで雪桜などと言葉では使っていたが実体験として感じたのははじめてであった。とくに桜の木の下から見上げると錯覚かと思うほどの雪景色である・・・・・・。 

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桜が満開の頃を過ぎると僕の一番の好物である初鰹の季節がやってくる。 今年の鰹はやや小ぶりではあるが、脂がのっていて美味い。値段は油の高騰などでやや高いようだが、僕がよく行く飲み屋では、案外安く食わせてくれるからありがたい。「目に は青葉山ほととぎすはつ鰹」の句は、江戸中期の俳人・山口素堂だが、江戸っ子たちは初物にこだわり、うるさかったようだ。「初物を食うと75日長生きする」といわれ、初茄子から初瓜にいたるまで先を争って食べた。とりわけ中でも初鰹は、10倍の750日長生きできるとあっては、こちとら「女房を質に入れても食いてえ初鰹」などと落語のような話がまかり通った と言う。 

鰹は南の暖かい海に生まれ、1月ごろフィリピン沖から黒潮に乗って、2~3月に九州沖を北上し、4月になると駿河湾沖でイワシをたくさん食べて丸々と太る。そして初夏、江戸時代は鎌倉から来る物は特に有名で、相州の初鰹といって江戸っ子に珍重される風習があったそうである。現在は静岡や千葉の各漁港で水揚げされた鰹を初鰹と呼んでいるのだ。今年は昨年起きた福島原発の放射能漏れの影響で、黒潮の流れの外側での操業をしなければならず、漁師たちは大変な思いをしていると言う。初鰹を味わうのも良いが、漁師たちのこうした苦痛もしっかりと受け止めていただくべきではないだろうか・・・・・・・。

弟7回目となる”ぶどうぱん社の自然に感謝をこめてー花見の会”が7日、花冷えの中おこなわれた。前日と比べると10数度も気温が下がり、2月下旬の寒さだった。それでも写真集団・上福岡のメンバーを中心に、写真研究会「風」のメンバー、ネパール、中国の友人、写真家など15名が参加してくれた・・・・・・・。 

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この会は、料理やお酒などはそれぞれが各自もちよりが原則でこれは最初からのルールだ。みんな手作りで愛情がこもっていて美味しい。ネパールや中国の食べ物や飲み物もあった。とにかく食べきれないほどたくさんの料理だった・・・・・・・。

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午前中はまだ晴れてあたたかかったのだが、会が始まる午後1時過ぎになったら冷たい北風が吹き始めて本格的な冬の季節に逆戻りしたようになった。みな羽毛のジャケットなど着込んでの宴会となった。芋焼酎のお湯割りが売れていた。料理も温かいものが人気があったのは言いまでもないね・・・・・・。

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 ぶどうぱん社から桜堤の土手へ行く途中に毎年必ず薄紫の可愛い花を咲かせる名も知らぬ花・・・・・・・。

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桜の下での宴会はあまりの寒さのため2時間ほどで切り上げて、会場をぶどうぱん社へ移動した。ここでは僕が毎年魚を食べてもらっている。今年は土佐風の鰹の刺身と静岡産の天然ぶりの刺身。そのどちらも人気があってあっという間に大皿は空になってしまった。もうひとつのイベントは、写真集団・上福岡のメンバーの松村さんの名人芸・そばの打ちたてを食べることだ。こちらも12人前をぺろりと平らげた。気勢を上げる仲間たち・・・・・・・。

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6時からはさらに居酒屋・三福に場所を移して”二次会”をした。これも毎年の恒例で、昼の時間に参加できない人のために設けたもの。昨日は8人がさんかしてくれた。一次会から流れたメンバーも含めて。「風」のメンバーの千代田さんと塩崎君が仕事を終えて参加してくれた。ここで9時過ぎまで、まだ元気がある写真家の烏里君と菱山君と3人で、韓国のマッコリを飲みに・・・・・・。その後は独りで酒屋の立ち飲みバーへ。11時過ぎにテクテクと歩いて家まで無事戻って忙しかった一日は終わったのである・・・・・・・・。

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