

正月6日から始まった榎並悦子作品展、榎並さんが関西から何の伝もない東京に出て来たのは26歳だったと言う。1980年代後半に谷中、根津、千駄木界隈の路地裏を徘徊しながら撮影したもの。昭和の面影がまだ残る町のたたずまいと、そこに暮らす人々の表情を若き感性で捉えている作品群。

同作品が納められた写真集にサインを入れて頂いた。彼女が上京してまだ間もない頃から知っているが、常に向上心をもって努力していた姿を遠くから見ていた。今日の姿はその日々の精進が報われたものだと思っている。ご自愛の上、さらに女性写真家の向上を切り拓いて行ってくれることを期待しています・・・ 合掌

その足で渋谷へ。橋本さんとは、20数年前に奄美大島の呑み屋で出会ってからの友だちだ。彼女は1974年からデザイナーの高田賢三氏のスタッフとしてパリに滞在していた。帰国した1980年からはプレス担当をした。文化出版局のスタイリストなどを経てオリジナルブランドを立ち上げる。2008年から奄美大島紬を生み出す環境に見せられて奄美に通いはじめ、その伝統を世界に発信するために東京・パリ・奄美展を開催している。10年程前から北海道のアイヌ文化に興味を持ち、通いアイヌの刺繍を習得した。現在、奄美文化とアイヌ文化の融合を作品の中に表現している。

彼女は黒糖焼酎が好きだが、とりわけ好きなのは「高倉」という黒糖酒。どこに行くにもこれは欠かせないらしく、僕が行くと新年だから一杯やりましょうかと奥から一升ビンを出してきた。

新作の大島の藍染スカーフにアイヌ刺繍を2カ所にしたもの。

20日に展示を終了してから片付けて、翌日から94歳の両親の暮らす富山県へ。とんぼ返りで戻って来て翌日には奄美大島だという。奄美大島の名産果実・タンカンの収穫が始まるからだと言う。今やその中心人物だと笑っていた。奄美大島で呑み、沖縄でも呑もうと約束をして別れた・・・