
上越線の車窓から赤城山を望む(吾妻線に分かれる渋川駅近郊で)。谷川岳・水上方面に向かって右側。

伊香保温泉・伊香保グランドホテルの部屋から夕陽に染まる赤城山(標高1828m)全景。

三男・勝三の還暦祝いと次男の修二が用意してくれた刺身の船盛。

修二のかっての弟子(右)がこのホテルをはじめ、伊香保にある3つの大きなホテルの総料理長になっていた。僕も彼が若い頃に何度があったが、わざわざあいさつに来た。船盛は彼からのお祝いにと届けてくれたのである・・・。 感謝~!♡☆

船盛を前に、右から修二、勝三の嫁の美香、ご機嫌の還暦を迎えた勝三、修二の嫁の宇基子。

総料理長で料理部長も兼ねているTさんも一緒に。高校生の時にアルバイトで入ったのが切っ掛けだったという。その頃からずーと板場の責任者だったのが次男の修二だったのだ。

部屋に戻ってからも呑みながら遅くまで兄弟水入らずで話し合った。気が付いたら午前1時だったので慌てて解散。 翌14日朝、部屋からの赤城山全景と伊香保の町。

部屋にはかけ流しの露天風呂(黄金の湯)と内風呂の檜風呂(白金の湯)の二つの伊香保温泉の源泉が付いていて、いつでも入れて便利。僕は3回しか浸からなかったが、弟たちは5回入浴したという。窓からは赤城山が一望できる。

ホテルで朝食を食べて一息いれてから父母や祖父母が眠る小松家の墓に参った。掃除は弟夫婦たちがしてくれているので綺麗だった。しばらくいてから近くの実家へ行った。母がいなくなってから足を踏み入れたのは何度目だろうか。仏壇の「小松家一切之精霊」の位牌を長男である僕に持って行けというので預かって来た。弟の嫁は母が趣味で集めていた急須を何個か持って行った。僕も中国から母への土産で買ってきた急須を記念に持って帰った。

渋川に戻り昼過ぎだったので、大連出身の家族がしている中華料理屋で一杯やった。15年物の甕だし紹興酒を呑んだ。深い味わいがして美味であった・・・。

二軒目のこの店でも、弟二人は日本酒の地酒を冷でぐびぐびと呑んでいた。昔は僕も2人に負けないくらいやったが、今では日本酒は全く呑めなくなり、とてもかなわない・・・。

渋川駅発4時過ぎの電車で帰宅することとした。車内に入ったらすぐ寝てしまい、気が付いたら大宮駅だったので飛び降りた。気持ちよく眠れたのであった。

ホームから見た赤城山。夕日に照らされ赤く染まっていた。

最寄り駅で眞月美雨さんと合流。彼女が好きな鳥刺しや鳥のタタキがある呑み屋で、軽く一杯やって帰宅した。家に戻ったらまた直ぐに眠ってしまった。疲れたのだろう・・・。

11月16日夜、47回目となる鈴木豊ギターリサイタルのある錦糸町へ、小学・中学校の同級生と出かけた。会場のすみだトリフォニーホールは駅から近く、下町のタワーが目の前に聳えていた。

鈴木豊さんとは1983年からの付き合いになるので、かれこれ40年になる。彼が新日本フィル交響楽団のオーケストラと共演をしたのを撮影したのが切っ掛けだった。その後、意気投合して2人で呑んだ。

リサイタルも最初に来た時からすでに40回目。途中何度か参加できなかったことがあったが、今回久しぶりに生ギターの音色を聴き、あらためて感動した。広い会場にマイク1本無く、ギターの音だけで観客を釘付けにする力量はさすがと思った。

久しぶりの再会に、お互い歳を重ねた容姿でカメラの前に立った・・・。健康を誓って固い握手を交わして別れた。同級生の友人は彼のCDを求めてサインをしてもらっていた。