50年来の写真仲間、森住卓君が訪ねて来た。「写真を見て欲しい。写真集を制作しているのだが、意見を聞きたい・・・」ということである。僕も人の写真を見るほどのゆとりはないのだが、そこは若き日からの同じ釜の飯を食った森住君の頼みだから無下に断ることも出来ず、4月12日の午後にに久しぶりに会った。40年間撮り続けて来た沖縄の写真450点超と、まだ未発表の水俣の写真120点ほどを抱えて来た。つい数日前まで沖縄にいたと言って伊江島のサトウキビから作ったラム酒を珍しく下げてきた。3時間以上、雑談を交えながらすべてを見てから僕なりの感想を言った。彼はできれば年内には形にしたいと言っていた。出来上がりが楽しみではある・・・。(この写真は遺影用にと一応撮影した)

案内状を頂いていたので、先輩・齋藤康一さんの写真展「中国にて」キャノンフォトコレクション(キャノンオープンギャラリー品川/4月25日まで)へ4月21日に行った。

写真展会場入口で。

たまたま居合わせた左から写真家・山口規子さん、齋藤さん、僕、写真家・鷲尾倫夫さん。齋藤さんの娘さんが撮影してくれた。山口さんは現在、JPSの常務理事をしている。

齋藤さんの世代は最近、お亡くなりになっていて寂しい限りだ。齋藤さんは今年米寿だという。日大時代の仲間たちとのグループ「六の会」も現在3人に。熊切圭介さん、高村規さん、野上透さんがすでに鬼籍に入られ、残っているのは齋藤さん、木村恵一さんと松本徳彦さんだ。みな90歳近くなっている。JPSの三木淳会長・藤本四八会長時代にみな広報理事をしていた。僕は一番若かったので先輩たちから多くの事を学んだ。深く感謝している・・・ 合掌

久しぶりに齋藤さんと1時間ほどしゃべった。作品はみな自分で焼いたという。写っている内容も深いし、美しいプリントだった。僕も27年間、中国各地を取材しているのでお互いに話題は豊富だった。上海を取材中にタクシーに乗ったら日本の写真家かというのでそうだと応えたら「齋藤康一先生という写真家を知っているか?私は先生が上海を取材するときには専属のドライバーだった」といった。この話を齋藤さんにしたら懐かしいそうに遠い眼をして頷いていた・・・。

土佐の南国市から友人の写真家・角田和夫さんが上京し、会いたいと言うので21日の夜に池袋で会った。明日から京都、大阪へ行くと言うので軽く一杯と言うことだったが、案の定、合ったらいつもの情熱的な角田節に4時間付き合った。彼の人間性は土佐のいごっそうとは違う面白さがある。昨年10月~今年の1月まで、高知県立美術館で「角田和夫 土佐深夜日記ーうつせみ」という大きな展覧会を開催したばかり。同名の写真集も出版。昨夏、大阪・難波での僕の写真展に突然やって来た以来だった。土佐に戻ってからがんばると固い握手をして池袋の雑踏に消えていった・・・。


最近、作品や文章を載せた雑誌、本などを紹介。雑誌「和華」(アジア太平洋刊行社刊)37号。

「角川 俳句」5月号(角川文化振興財団刊)に僕の俳句の師・高島茂の写真2点。師は俳人であるが、新宿西口で戦後すぐに開いた「ばん焼き ぼるが」の主でもある。僕の20代~40代までは毎日が「ぼるが暮らし」だった。フリーランスの写真家になりたての血気盛んな歳頃だったこともあって、いま思うと誠に愉快極まりない日々であった・・・。


林重男・井上祐子著『原爆写真を追う 東方カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(図書出版みぎわ刊・定価:2600円+税)インタビューを受けたり、資料提供など協力した。


鈴木一雄『聲をきく』(風景写真出版刊/定価:3500円+税)に、親しい写真仲間への熱きエールをこめて「風土を捉える写真家 鈴木一雄へ」を寄稿した。あれから間もなく1年の歳月が流れる・・・。 合掌