写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2242] 2023年8月6日 酷暑、お見舞い申し上げます 広島・長崎に原子爆弾が投下されてから78回目の夏が巡ってきた。 米国・テキサス大学出版局発行の『Flash of Light,Wall of Fire』の基となった『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』(勉誠出版)を刊行し、世に送り出した出版・編集人 岡田林太郎氏が逝った・・・ 合掌

 

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昨夜、夏バテ対策にと思い冷蔵庫にあった京野菜の万願寺とうがらしの味噌炒めを作った。ナス、ゴーヤ、地元の手作り味噌に沖縄の油味噌を少し、酒、みりんを入れてよく混ぜる。金山寺みそまでいかないまでも少々甘めの味噌で炒めた。ビールのつまみによろし・・・。

 

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2023年7月3日3:00頃、みずき書林社長、前勉誠出版社長の岡田林太郎さんが永眠した。享年45歳だった。お通夜は7月7日、告別式は同月8日に品川区の桐ケ谷斎場でしめやかにとりおこなわれた。あれから1カ月過ぎたが、この現実がなかなか受け止めれられずにみなさんに報告できなかった。広島・長崎で人類にはじめて原子爆弾が使用されたこの8月6日がふさわしい、僕との出会いも広島・長崎の原爆のことであったこともあり、思い切って書くことにした。 お知らせが遅くなったこと深くお詫びします・・・  合掌

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何度か来たことがあった桐ケ谷斎場だが、猛暑の中、一つ乗り過ごしてしまい戻った五反田駅からタクシーで駆けつけた。せみ時雨のなか、式は始まっており、喪主の岡田裕子さんのあいさつが静かに流れていた。

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お焼香と遺族へのあいさつがはじまる・・・。

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前方右から岡田林太郎さんの母、父、そして妻の裕子さん。ご遺体を囲むように進んで一人一人がご遺族と語れるようになっていた。遺影の前にはみずき書林を設立してから彼が手掛けた書籍、数十冊が並べられていた。

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故人が好きだった真っ白い花々で包まれていた・・・。

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参列者は若い人が多かった。早稲田大学出身の友人たちが目立った。出版関係は一人が僕にあいさつに来た。それにデザイナーがお清めの会場であいさつに来ただけだった。知り合いはこの2人だけだった・・・。

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3年程の重い癌との闘病生活、本人からは一度たりとも「辛い」という言葉は聞くことがなかった。穏やかな顔であった。岡田さん、ゆっくりと、安らかにお眠りください・・・ 合掌

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彼が勉誠出版の社長だった時、原爆投下70年に広島・長崎の原爆の悲惨さと平和の尊さを訴える写真集を刊行しょうと企画が持ち上がった。2015年春まだ浅い頃だった。1982年に日本のあらゆるジャンルの写真家・写真関係者500余名が発起人となり結成された「反核・写真運動」の運営委員・新藤健一さんと事務局長を務めていた僕の2人が編集・構成者となった。それから発行日の8月6日までの日々は、今考えてもよくできたとつくづくと思う。社長である岡田さん自身が一編集者となって先頭に立って出版に至るまで奮闘したのは言うまでもない。彼がいなければこの人類にとって貴重な本は陽を見ることはなかったろう。現にその後、この本をみたアメリカ・テキサス大学の米国歴史センターの教授たちが「反核・写真運動」と協力して写真集の出版や大規模な写真展など世界に繋がったのである・・・。

それだけではなかった。実は僕が27年間、地球2周をはるかに超える取材を続けてきた中国西北部・チベットなどに暮らす少数民族。『民族曼陀羅 中國大陸』が2018年4月刊行予定で勉誠出版において着々と進んでいたのだ。しかし、岡田さんの突然の社長辞任をはじめ、紆余曲折があり、僕は勉誠出版での刊行を断念した。まったくのフリーになった岡田さんが、これから自分一人で好きな本だけを自分のペースで出版する会社を設立しょうと思っていると打ち明けた。勉誠出版ではすでにりっぱなパンフレットが1万刷り上がっていたし、定価、部数、印税なども決まっていたので彼はこの本は勉誠出版で出した方がいいのではないか。と言ったが、僕はいままで2年間2人でやって来たので最後まで成し遂げたいと強く言った。岡田さんは、「小松さん、部数は6分に1に、定価はそのまま、印税はありません。現品払いでよければ、新しく創る『みずき書林』の創立第一号の記念出版物として出しましょう」ということになった。それが遺影のすぐわきに飾られている写真集である。昨年亡くなられた写真界で初の文化勲章を受賞した田沼武能さんが、この写真集に心のこもった推薦文を寄せてくれたのは、「みずき書林」と岡田さんの新しい旅立ちの祝いになったと思っている。

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ご遺族。左から奥様の岡田裕子さん、一人置いて岡田さんのお姉さん、お父さん、お母さん。

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お通夜が終わったあとのお清め会場は、若い熱気にあふれていて満席だった。僕は一番前の席に陣取り、岡田君(僕の娘や息子より若いのでいつもはこう呼んでいた)と酌み交わしながら語っていた。隣に座った人に聞くと早稲田大学の後輩で映画部で一緒に活動していたという。少し酔うまで飲んでいた・・・。

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昨年の5月15日の沖縄本土復帰50年に発行された僕の写真集『琉球 OKINAWA』(本の出版社)も、もしみずき書林がまだつぶれていなかったら、うちで出しましょうかと笑っていた。昨年8月の銀座での写真展に来て、そこで僕の解説を聞きながら見るのを楽しみにしていると言っていたが、緊急の入院で果たせなかったのだ。先日、裕子さんに頼んで彼のご霊前にこの写真集を供えてもらった。これでようやく岡田君との約束を果たせと安どしている・・・  合掌

(写真は、同写真集の中から沖縄本島・やんばる地方の名護湾の夕暮れ)

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