写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.291] 2011年4月11日 宮沢賢治の東京暮らしの足跡を巡るー東大赤門前の文信社、本郷菊坂町の下宿跡、鶯谷の国柱会本部跡など・・・・。「東日本大震災支援・コスモス臨時写真展」の出品者打ち上げパーティに参加。

 

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今日であの「東日本大震災」が東北・関東地方を襲ってから1ヶ月となる。 あらためて犠牲者となられた方々の御霊に、こころからの合掌をしたい・・・・・・。
みなさんにお約束した今回の被災地である「三陸海岸の回想」を書かねばと思いつつも、いまだ書けていないことを気にしている。書きたいことはいっぱいあるのだが・・・・・。いましばらくお待ちくだされ!。
この日、取材に向かったのは、宮沢賢治が大正10(1921)年1月~8月まで東京で暮らした時の主なゆかりの地・本郷界隈と根岸界隈だ。大震災でボーッとしている間に、宮沢賢治の本の発行準備が遅れて尻に火が付いたのだ。賢治の東京暮らしの場所だけでも見ておきたいと思った。賢治の東京でのゆかりの場所は主だった所だけでも10箇所ばかりあるが、妹・トシ関連の地はさておき、賢治が下宿した旧本郷菊坂町の稲垣家、謄写版印刷や校正係として務めた東大・赤門前にあった文信社跡、それに鶯谷の桜木町1番地にあった国柱会会館(本部)はどうしても見ておきたかった。

まずは東大の赤門をめざして行った。入学がきまった学生とその家族たちが次々と門の前で記念写真を撮っていた。この門は旧加賀屋敷御守殿門で由緒あるもの。賢治が勤めた軽印刷の文信社は現在、眼鏡屋さんとなっていたが、赤門前にいまも確かにあった。その直ぐ近くには明治の文豪・樋口一葉が5年間暮らした地がある。作品『ゆく雲』にも登場するが、浄土宗法真寺の境内に隣接する家だった。一葉が晩年の病床で、書いた雑記の中にもその頃を回想して「桜木の宿」と命名している。次に向かったのは本郷菊坂町の賢治が下宿した稲垣家。途中で地元の肉屋さんで特製「菊坂コロッケ」を食べた。お茶まで出してくれて地元に生まれ育った親父さんは、この地に係わった一葉や賢治、石川啄木や徳田秋声のこと、谷崎潤一郎、佐藤春夫、芥川龍之介、竹下夢二をはじめ、多くの作家たちが逗留していた菊冨士ホテルのことなど自慢げに語ってくれた。賢治の下宿跡は数年前まで当時のままで現存していたそうだが今は新しく改築されていた。賢治はこの2階の6畳間で、多くは馬鈴薯と水だけの食事で、印刷屋の仕事に、国柱会の布教活動をして帰った後に、1日300枚のペースで童話の原稿を書いたという。代表作の「注文の多い料理店」、「どんぐりと山猫」などはこの当時に書かれた物だ。

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賢治が下宿していた稲垣家のすぐ近くには、樋口一葉が貧しい生活をやりくりするために、よく通ったという伊勢屋質店がある。万延元年(1865)創業で昭和57(1982)年に廃業という老舗だった。僕も以前に何度か来ているがその時にはまだ営業していた。一葉が亡くなったときには、伊勢屋の主人が香典を持って焼香に行ったというから一葉とは長い付き合いが続いていたのだろう。啄木一家が暮らしていた「喜の床」という床屋さんもこの界隈ではあるが、時間がないので今回は寄らなかった。春日町から大江戸線に乗って上野御徒町まで行き、JRに乗り換えて鶯谷へ行ってみた。賢治が本郷の下宿先から通ってきて街頭の布教活動などしていたのは、旧桜木町1番地にあった国柱会館。現在、国柱会本部は江戸川区の一之江へ移転している。調べてみると桜木町の現在の住所は根岸1丁目となっていた。戦後60数年、根岸一丁目で鞄店を営む女将さんに話を伺って、ようやく場所が特定できた。鶯谷駅南口から線路を越えてすぐの所だった。言問い通りと線路の間の右側の一角に国柱会本部があったという。賢治はここに来て近くの上野公園などでよく街頭の布教活動をしていたのだ。鶯谷駅周辺の光景は昔とあまり変わってはいない。僕が30数年前から寄る蕎麦屋が駅前にいまもある。「御手打天下御免ー貸席 公望荘」と看板を立てている小さな店だ。僕は蕎麦湯割りで、せいろを肴にいつもやっている。この日は、花見客で賑やかだった・・・・。

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最後に向かったのは、目黒にあるギャラリーコスモス。この日が「東日本大震災支援・臨時写真展」の最終日で、午後5時過ぎから出品者たちによる打ち上げパーティがあったからだ。呼びかけ人の一人である(株)コスモス・インターナショナル社長の新山さんは「わずか2週間足らずの短期間に125人という写真家が賛同して作品を出してくれました・・・・」と顔をほころばせた。集まった金額は義援金として被災者へ送られることになるそうだ。僕も中国・洛陽の龍門石窟の作品を出品したが、他にハービー・山口さん、梶原高男さん、立木寛彦さんたちをはじめ、特に若い写真家たちが大勢出品していたのがうれしかった・・・・・・。
会場は早めに失礼して、駆けつけてくれた写真研究会「風」の鈴木事務局長と目黒駅傍にあるネパールとチベット料理の店「カトマンズ ガングリ」へ寄ってみた。鈴木さんも僕と2度ネパールへ行っているのでなつかしいらしく、モモやチグサカレーなどを肴にネパールの酒、ククリ・ラムをロックでやった。また来年あたりヒマラヤに行こうかなどと2人で話しながら・・・・・・。店員のラム君は、カトマンズ出身のネワール族。僕のよく知っているネパールの友人たちとも顔馴染みのことがわかり話は一層盛り上がった・・・・・・。


 

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