写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.173] 2010年6月11日 ニューバージョン「写真家 小松健一のオフィシャルサイト」近日完成!40年ぶりに江口渙の歌集に遭遇した・・・・。

昨日は、「写真家 小松健一オフシャルサイト」のリニューアル版の事で、最終打ち合わせのために都内に出かけた。打ち合わせの前に「コダックフォトサロン」館長の森裕彦さんと銀座で会った。写真のオリジナルプリント販売のことで話が聞きたいと言うことであった。今週の後の4日間は、基本的に家に篭っていた。本を読んだり、資料をあたったりして原稿を2本仕上げた。一度だけバイクで近くの古本屋巡りをした。中国や沖縄関連の本を7冊購入した。みな1冊100円だから安い。通っている歯科医院でちょうどバザールをしていたのでのぞいたら目に飛び込んできた本があった。値段を聞いたらどれも50円というので、申し訳ないと思いつつ買ってきた。若い職員が広島の原爆禁止世界大会へ参加するための資金集めだというので少ないが500円をカンパした。

 

 

中国大陸を貫く大雪山脈。最高峰はミニヤゴンガ(7556m)。2010年5月16日撮影

 

その本は、1970年刊の江口渙の歌集『わけしいのちの歌』(多喜二・百合子賞)である。装丁は画家のまつやま・ふみお、口絵の著者近影は田村茂だ。A4変形で布張りの上製本。タイトルは銀の型押しになっている。化粧箱もりっぱだ。今から40年前で定価が2300円だから豪華本であったことがわかるだろう。実は僕はこの歌集を当時、貧しい生活の中から相当無理をして購入したのだ。確か1ヶ月間の給料が1万円を切っていた時代である。その後に出た文庫本も持っている。その頃の僕は石川啄木や与謝野晶子に憧れて短歌を詠んでいた”文学青年”であった。江口(1887~1975)の父は軍医で東大医学部出身、森鴎外と同期だった。江口の第五高時代は俳句に熱を上げていて、河東碧梧桐に認められていた。東京帝大に入ってからは小説を書き始め、佐藤春夫、広津和郎、宇野浩二らとの交友を深めた。夏目漱石の漱石山房によく出入りするようになり、芥川龍之介とも親交を結んでいる。漱石の葬儀の際は、受付を芥川と2人で務めるくらいに知遇を受けていた。また、作家・小林多喜二の死に際しては、葬儀委員長を務め、その理由だけで検挙されている。大正・昭和時代の日本文壇の生き証人みたいな方だった。僕も晩年に何度かお会いしたが、残念ながら江口さんの写真を撮った記憶はない・・・・・。

あわれわがわけしいのちの消えゆくをすべなく見入る児が枕 べに

白玉のこぶしの花よこの花に埋むべかり妻が柩 は

山陰のひとつみ墓に母と子は相よるものか土と なるとも

(『わけしいのちの歌』より)

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