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[no.168] 2010年6月2日 ”上州名物焼きまんじゅう”を自宅で食べながら、饅頭について考察してみた・・・・・。

「上州名物焼きまんじゅう」が群馬県前橋市在住の七宝焼きの作家・斉藤芳子さんから送られてきた。4月に会った時に、僕が焼きまんじゅうが大好きだと話していたからだろう。親切にも蒸かし蓋まで付いていた。僕ら上州の子どもにとっては、祭りやおめでたいことがあれば、何にがなくても焼きまんじゅうであった。あの香ばしい炭火で焼く匂い・・・・思い出しただけでもよだれがでてくる。子ども時代は、大きい素まんじゅうが五つ竹串に刺さって5円だった。先日、田舎の祭りの屋台で食べたら4個で200円だった。それでもその場で蒸かして焼いているので昔の懐かしい味がして旨かった。上州は古来からあまり稲作に適していなく、麦や蕎麦などの作物作りがさかんであったという。また上州南部地方を中心に二毛作が盛んで冬季は麦作が広くおこなわれていた。僕もよく冷たい空っ風の吹く中、麦踏みをやらされた記憶がある。



まんじゅうの語源は、三国志の英雄・諸葛孔明まで行き着くのだからおもしろい。孔明の「南蛮遠征」の帰途、長江の支流の濾水を渡れず困っていた時に、古来、49人の人頭を刎ねて河に献ずれば風浪は納まるという風習を聞き、羊豚の肉を麺に包み、人頭のごとく河に献じるとみごとに風浪は納まり無事河を渡れたという。それを名付けて「饅頭」と呼び慣わしたという。そのまんじゅうに甘い味噌ダレを付けて焼いた、上州焼きまんじゅうの起源は幕末(19世紀中期)頃といわれている。老舗の焼きまんじゅう屋の資料によれば、前橋の店が1857年、沼田の店が1825年に創めたとなっている。しかし歴史の文献などをみると戦国時代にもすでに上州の武士たちが、この焼きまんじゅうを食していたという記録もある。結婚式でも、お葬式でも、田植え、稲刈りを終えたあとなどにも必ず、煮ぼうとう、お切り込み、うどん、まんじゅうなど粉食品が出された。僕が運動会で一等になった時にも、県の写真コンテストで入賞した時にも本家のおばさんは、うどんを打って「けんちゃんがんばったね」と言って届けてくれたものである。いわば上州人にとっては、忘れることのできない”郷土食”なのであろう。

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