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2009年11月11日 20年前の「ベルリンの壁」崩壊前夜の東西ドイツの光景が走馬灯のように廻る・・・・・。

2009年11月9日。テレビのニュース番組に流れ続けていたのは、東西冷戦の象徴であったドイツのベルリンの壁の崩壊20周年のセレモニーの画面であった。まるでお祭り騒ぎのような様相と各国要人の笑顔には何か違和感を感じながらも、あれから20年の歳月が流れてしまったのかと、当時の東西ドイツの光景が走馬灯のように僕の脳裏に蘇るのであった。1989年9月、医療関係者向けの季刊誌「シェスタ」という雑誌に売り込んだ企画が通って、友人の作家・寺岡襄さんとまだ東西ドイツに分断されていた両国にまたがる取材へと旅立つたのである。それは、東西ベルリン、ライプツィヒ、ドレスデン、ミュンヒェンと取材した後、パリ、ロンドン、スコットランドと巡った長い旅であった。(この連載は1997年に『鴎外 東西紀行ー津和野発ベルリン経由千駄木行』(京都書院)として文庫本で刊行された)


取材の第一目的は、森鴎外の青春時代の航跡を辿ることであった。フランスやイギリスについては、夏目漱石、高村光太郎をはじめ、僕の感心があった彫刻家・ロダンや写真家・アッジェなどの足跡を歩いた。1961年に全長155キロメートル、高さ3.6メートル、302の監視塔を備えた東西ベルリンを分断するために建設された「ベルリンの壁」を越えて旧東ベルリンへ入り、取材を開始したのは街路地の枯れ葉舞う秋も深まった日であった。東ベルリンでは、ブランデンブルグ門に続くウンター・デン・リンデン通りの地下酒場で市民が狂喜する踊りの渦に巻き込まれ、ドレスデンでは鴎外の下宿跡が1945年の連合国の無差別爆撃で灰燼に帰していたものを、100年かけても街を修復させようと黙々と普請を続ける人々の姿に感動した。(当時、ロシア前大統領・現首相のプーチンが旧ソ連国家保安委員会(KGB)の中佐としてドレスデンに就任していたことは最近知った)


「森鴎外の航跡をたどる旅」が連載された雑誌と刊行された『鴎外 東西紀行』

「森鴎外の航跡をたどる旅」が連載された雑誌と刊行された『鴎外 東西紀行』


そしてライプツィヒでは文豪ゲーテが『ファウスト』の創作のヒントを得た場所であり、その130年後に若き鴎外が『ファウスト』の翻訳を決意した場所であったアウエルバッハ・ケラーのあなぐらの様な地下酒場で、寺岡さんと酒杯を上げようとしたときであった。忘れもしない1989年9月18日の午後3時過ぎだった。入ってきた市民の一人がいま外で市民のデモ隊と警察が対峙していると告げた。僕はカメラを持ってすぐに飛び出した。そのライプツィヒの市民による初めてのデモが2ヶ月後におきる「壁」崩壊の序章であったとはそのときは知る由もなかったが・・・・・・。


カメラを持っている報道関係者はもちろん、外国人は僕だけだったのですぐにみんなが最前列へと出してくれて、この状況を撮れと言うのだ。対峙している若い警察官たちは、婦人たちの呼びかけに笑顔で応えたりして険悪な雰囲気はなかったので安心したが、よく見ると広場を遠巻きに軍隊の車両が黒々と列をなしていた。時々、ビルの窓から警察官たちへ向けて水の入った袋が投げつけられた。僕らは東ドイツに入国するにあたり、取材許可を取ったのだが、そこには今回の取材目的以外の行動は一切しないという誓約書も取られていた。撮影禁止場所も駅だとか空港など細かく指定されていたのだ。そのことがチラッと過ぎったがこれは撮るしかないと腹をくくって撮り始めた。そうするとすぐに5~6人の警察官に取り囲まれて連行されそうになった。


寺岡さんは酒場で待っていてもらったがもし、僕が捕まれば今回の取材はパーになるし、編集部には申し開きがたたないと思いが巡った。その時、10数人の婦人たちが警察官を逆に取り囲んで、「何故、この人を連れて行くのか!」と敢然と抗議して僕をみんなで囲んで警察から救ってくれたのである。「あんた、いい写真を撮って世界中に知らせてね」と次々に僕の手を握りしめて励ましてくれたのだ。言葉はわからなかったが態度からそう理解できた。僕は撮影したフィルムとカメラをバックに隠して、寺岡さんの待つ酒場へと急いだのである。ようやく着いたその地下室の酒場はまるでさっきまでの外の光景が嘘のように静かで、みなワインを傾けながら楽しそうに語っているのであった。僕がこの日のデモが旧東ドイツにおける民主化要求の先駆けとなった記念すべき民衆のデモであったと知ったのは、帰国した一ヶ月後であり、そしてまもなく歴史的な日となった1989年11月9日を迎えたのであった。

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