写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.688] 2014年3月29日 台湾での東日本大震災写真展(4月10日~17日/日台交流協会台北事務所地下ギャラリー、その後台南市、高雄市など巡回の予定)に出品する・・・・・・。

 

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台湾での東日本大震災写真展実行委員会(委員長:新藤健一)の主催で、来る4月10日から17日まで台北の日台交流協会事務所にあるギャラリーにおいて写真展が開催されることが決まった。同展はその後、台南市、高雄市などでも巡回展が予定されている。
この写真展は、地元、岩手日報、華北新報、福島民友をはじめ、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、共同通信、時事通信など日本新聞協会に加盟している13の新聞社、通信社とフリー写真家、フォトジャナーリスト30人が撮影した写真を ①津波被害 ②復興と原発災害 ③3.11以後を生きる のテーマに分けた約70点が展示される予定だ。
出品する写真家たちは、田沼武能、江成常夫、熊切圭介、野町和嘉、桑原史成、細江英公、石川文洋、桃井和馬、石川梵、森住卓、新藤健一、小松健一など30人だ。  同展のカタログも日本語、中国語で作成中。 協力として、日本新聞博物館、東京写真記者協会などが名を連ねている。

上記の写真は、僕の出品作品   「岩手県宮古市 浄土ヶ浜」  以下のような解説文を付記した。
三陸海岸を代表する景勝地で、国の名勝にも指定されている浄土ヶ浜には、岩手県が生んだ詩人・宮澤賢治も訪れている。賢治が生まれた1896年には、不幸にも死者・行方不明者21,959人という明治三陸沖大地震が起きている。
また、賢治が亡くなった1933年には、死者・行方不明者4,586人、負傷者12,053人という昭和の大地震が発生した・・・・・・・。  賢治の「イーハトーブ」の思想は、東北地方のこうした厳しい現実から生まれている。
「さながら極楽浄土のごとし」と言われているこの地を賢治は愛した。浄土ヶ浜で夜を明かしながら賢治は多くの歌を詠んでいる。
うるわしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ   宮澤賢治
この歌の歌碑が賢治の生誕100年を記念して1996年に浄土ヶ浜に建立された。2011年の東日本大震災の津波によって幾多のものが破壊されたが、奇跡的にこの歌碑は残っていた・・・・・・・。
(2011年9月8日撮影)

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奇跡的に残った宮澤賢治の歌碑。この奥にあったみやげ物屋、レストランなどの建物は使用不能なほどに破壊されていた。

 

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