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[no.385] 2011年11月23日 渡部雄吉作品展「海への道」(JCII PHOTO SALON / 11月27日まで)を見てから「渡部雄吉さんの思い出を語る会」に出席した。帰路に地元の韓国料理屋で久しぶりに独りマッコリを呑む・・・・・。
千代田区一番町のJCII PHOTO SALONで今月の27日まで開催されている渡部雄吉作品展「海への道」の会場。渡部さんの著書と愛用していたカメラなどが展示されていた。
jciiビルで開かれた「渡部雄吉さんの思い出を語る会」の司会・進行役を務めていた斉藤康一さんと渡部さんの遺影。
日本写真界と業界、それに出版界のそうそうたるメンバーが集い、渡部さんの在りし日の思い出を次々と語った。渡部雄吉さんは、1924年山形県酒田市の生まれで、1993年に69歳で亡くなられた戦後日本を代表する写真家の一人。僕との係わりはそんなに古くはないが、1980年から亡くなるまでの付き合いだった。渡部さんは戦後すぐに写真家・田村茂の助手を務めているので、僕からすると大先輩の兄弟子となる。2番弟子だった川島浩さんも亡くなって久しい。第1回土門拳賞を受賞している三留理男さんも一時期田村門下に入っていたと本人から聞いたことがある。
僕は直接的に田村先生に弟子入りや助手はしたことがなかったが、写真家としてどう生きるかという部分では随分と学ばされた。僕が日本写真家協会に加入する時の推薦人にもなっていただいている。公私共に本当にお世話になった。先生が亡くなった後も、奥様や娘さんともお付き合いをさせてもらっていた。そうしたこともあって一昨年出版した『太宰治と旅する津軽』(新潮社)の末巻に僕の田村茂論を書き下ろしたのである。
そんな兄弟子にあたる渡部さんとの想い出は何と言っても日本写真家協会でのことだろう。当時、渡部さんは副会長、僕はまるっきりの新参者だったが故会って理事を務めていた。3期約9年間である。その時期の思い出が尽きない。それに渡部さんの事務所が原宿にあった。その隣にやはり副会長をしたことのある藤川清さんがいた。それでよく若い写真家たちが泊まりや酒を飲みに行ったものだ。そうした時にも渡部さんと顔を合わせたのだ。今回の写真展も迫力のあるドキュメント作品群だが、とにかく精力的な仕事ぶりだった。あらためて渡部さんの仕事が見直されてもいいと強く思った・・・・・・・。 合掌
約1ヶ月ぶりぐらいに最寄り駅前にある韓国人が経営している店に寄ってみた。ここの焼肉はもちろんだが、マッコリが旨い。満席だったが一人で飲んでいたやはり韓国の女性が相席をすすめてくれたのでそこに座った。春子ママ(左)と英淑さん。記念にパチリ・・・・・・。
英淑さんは韓国のプサン出身、大学で福祉学を学んでから日本に来てもう長い。日本語も流暢で日本人かと思うほどである。初対面の僕にもやさしく、肉をみごとに焼いてくれるのだ。この店の常連客でもあるが、ステーキ店でバイトをしていた事もあり、肉を焼くのがとても上手だ。プサンにいる両親に送りたいと言うので写真を撮ったのが上の写真。一人で、激辛キムチを肴にグビグビト韓国焼酎を1本空けている姿はちょつぴりカッコよかったな~☆!!
春子ママと常連客のご夫婦で記念写真を撮った・・・・・・。
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