写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.382] 2011年11月15日 橋本紘二写真展「農燦燦」を見てから大酉祭(二の酉)をしている新宿・花園神社へお参りした・・・・・。

昨日の14日は先月の30日以来、久しぶりに都内へ出かけてみた。この間にもいろいろと用事はあったのだが、不義理をしたのだ。あんまり人に会いたくなく、話もしたくなかったのである。まず、新宿・コニカミノルタプラザギャラリーで18日までやっている先輩写真家の橋本さんの写真展「農燦燦」に行ってみた。久しぶりに本人に会えるのかなと楽しみにして行ったが残念ながら会うことができなかった。彼とはかれこれ40年ほど前からの付き合いになる。20代~30代にかけての頃一番付き合っていただろう。橋本さんたちは、当時、今は亡き根室の写真家・平野禎邦さんと今は車椅子生活を送っている竹内敏信さんと現在、沖縄にいる小橋川共男さんと4人で、有名な「ビボ」の向こうを張って、「バブ」というグループを作り、その事務所兼暗室が中野坂上にあった。そこが僕ら後輩の写真家たちもふくめたたまり場的存在になっていて、よく飲んで語り泊まったものだった。若き希望を抱いた写真家たちの”梁山泊”のような存在であった。いま橋本さんは新潟の豪雪地帯として知られる十日町市松之山に暮らしている。あの先輩メンバーたちもそれぞれにユニークだったとつくづくと思う・・・・・・・・。

SDIM7035.JPG
その足で大酉祭の二の酉がおこなわれている新宿の花園神社へ行ってみた。まだ夕暮れの明るさが残っている頃だったので、人出はあんまり多くなかった。
SDIM7038.JPG
一昨年に求めた熊手を返納してからお参りした。いつもは動けないほどごった返しているのだが、昨日はご覧の通り空いていた。まだ時間が早かったからだろう。
SDIM7037.JPG
僕はこの江戸の暮の風物詩が好きで、この花園神社か浅草の大鳥神社へよく出かける。昨年はこれなかったので今年は三の酉まであるが、この日に来たのだ。羽子板市や鬼灯市なども好きで時間があれば出かける。いわゆる庶民の祭りが好きなのである。僕の父は神田の生まれ育ちで、祖母も愛宕山の下の魚屋の娘だった・・・・・・。僕は父の仕事先の備中の山の中で生まれた。岡山県蒜山高原の湯原温泉だ。1歳までこの地にいた。
SDIM7049.JPG
花園神社の大酉祭には、日本で最後になってしまったという見世物小屋が建つ。毎年入り口で、小人の人たちがやっていた口上などは聞いていたが、昨日は初めて入場してみた。この日最初の見世物だったが、満員のお客、人気がある。「蛇おんな」だとか「火を吹く女」だとか「二つの頭をもつ牛」などを見せながらマジックショーあり、犬の曲芸ありで1回約35分間で、大人800円なり。ジリジリ~とベルを鳴らして入場者を煽って誘い、代金は出口で払う仕組みだ。何かたわいもないような気もするが、みなそれなりに満足するらしく歓声や拍手もおきた。斜めの板の上に立ち、ぎゅうぎゅう詰め状態だったので僕は足が疲れた。周りにこどもたちがいたのでよけい気を使って変な体勢でいたのが良くなかったのだろう。いまも太ももなどが痛む。
SDIM7044.JPG
以前はこうした見世物小屋は、いたるところで見かけたが今はもうない。跡継ぎがいないのだそうだ。 僕が見た見世物小屋は「おみね太夫」という80歳近い老婆に若い20歳代の娘が2人、30~40歳の女性が中心になって舞台は進められた。インドの大ニシキヘビや日本のシマヘビ、青大将など蛇たちがやたらと舞台に登場して観客に触らせたりサービスをくりかえした。僕もニシキヘビの脱皮した皮をもらって財布の中にしまった。お金が溜まると昔から言われているからだ(しかしこの日、けっこう財布の中身は飲み代で消えてしまったし、気に入っていたルビーの指輪も無くなってしまったが・・・・・・)。
話は見世物小屋に戻るが、この日の最大のハイライトは、若いきれいな娘さんが生きている蛇を頭からバリバリむしって食べ、生き血も旨そうに搾り出して飲んでしまうことだ。眼の前でのことだからリアルだった。歯で蛇をバリバリと食いちぎる音がよく聞こえた。その瞬間、みなかたずを飲んで静まり返っていたのだ・・・・・・。場内は撮影禁止だったので見せられないのが残念~☆!!
SDIM7054.JPG
さまざまな熊手。僕はいつも神社の特制の熊手の御守りを求めている。
SDIM7055.JPG
浅草の大鳥神社は、樋口一葉の名作『たけくらべ』の舞台にもなっているが、あちらは吉原の近くで本家本元なので、賑わいが違う。 この酉の市は関東だけの行事で西は静岡浜松あたりまでに限られているらしい。由来は諸説あるが、日本武尊の命日の11月の酉の日、江戸時代に武士や町民が詣でたのが始まりで、東国武士の武神信仰からその後、庶民、わけても商人の守り神に転化していったらしい。お鳥さまの鳥は、取に通ずるとして熊手で開運を手っとり早くかき集めるということらしい。庶民には難しい理屈でなく、わかりやすいということが受けて広がっていったのだという・・・・・・。
SDIM7056.JPG
お参りをして熊手を買い求めてから、お神酒を飲むのが庶民の喜び。これは時代を経ても変わらない光景のようだ。僕はこの的屋さんがやっている出店がみな高いのが面白くないので、一杯だけひっかけて近くのゴールデン街へ行った。
SDIM7057.JPG

まだ午後7時前だったせいか何処もネオンの明かりが点いてない。シャツターを開けていた一軒の店の前では猫が暇そうに留守番をしていた。しかたないのでかれこれ30年ほど通っている歌舞伎町の店へ顔をだした。いまは2代目の僕と同じ年の大将と女将で切り盛りしているが、ここ数年めっきり客足が減ったという。「団塊の世代の人たちが退職したからですよ・・・・」という。以前は作家たちが通ったこういう昭和の雰囲気のある店が消えていくのは残念でならない。なんとか残したいものである。 池袋で友人とばったり会って2軒ハシゴをして帰宅したのは午前様でありんした・・・・・・・。 すみませんね~。今晩はのみませんぞ~。夕べ買ってきた切山椒でも食べて寝てしまおう。  合掌

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。