写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.222] 2010年10月18日 第1回児島湾岸写真コンクール審査、早島写真講座、ネパールで歌手をしているスンダリ美佳との再会、写真家中村昭夫さんのカレンダー作品の選定、そして僕の生まれた蒜山高原・湯原温泉へ・・・・。(3回目)

 

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10月8日の第64回高知県美術展覧会の初日には、岡山から写真研究会「風」同人の写真家高田昭雄夫妻とHさんの3人が朝から駆けつけてくれた。100人をこえる人々がこの日の写真部門の作品講評会に参加してくれた。その会をおえてからJRP高知支部の人たちが設けてくれた昼食会へ岡山から来た3人と出かけた。土佐最後の食事もやはり、カツオの刺身とカツオのタタキを大蒜たっぷりで食べた。瀬戸大橋を渡り一路、備中早島へ。岡山での宿泊はいつも高田宅にお世話になっているので今回も甘えさせていただいた。夜はさっそく来年1月に夫婦写真展が岡山市内で開催が決まっている高田夫妻のヒマラヤの写真のセレクトをした。すでに2人は10年前からヒマラヤへ8回ほど取材に行っているの作品としての内容は充分である。高田さんが35~6点、奥さんが26~7点に絞り込んだ。見ごたえのある展覧会となるであろう。高田さんの愛弟子の人も作品をもって来て、彼女の写真も見せてもらった。足の指を骨折したのでその記念にと写真を撮ってやったがおもしろい若い奥さんだなと思った。

翌日は朝から「第1回児島湾岸写真コンクール」の審査を早島町の教育委員会へ行っておこなった。初の試みではあったが思っていた以上の質の高い作品が集まり「金比羅往来をゆく」というテーマにふさわしい展覧会になりそうである。午後から岡山市の国際交流協議会へ。ここで講演をする高木美佳さんにネパール以来7年ぶりの再会を果たすためだ。僕が高田夫婦と会場に入るとマイクをもったまま、「えっ何故?小松さんがいるのですか・・・」と言うので会場から笑い声が起こり、少し照れくさかった。久しぶりにスンダリ美佳の歌声も聞いた。彼女が若かりし頃、15~6年前にカトマンズの町でであった頃を思い出した。夜は早島や玉野、倉敷などから30人ほど集まり、写真セミナーをした。今回で4度目になる。毎回みな熱心で驚く。指導している高田さんの教え方がいいのであろう。終わった後は高田宅でまた写真談議・・・・・。僕はこの旅ですでに5000点近くの写真を見ていることになりさすがに疲れがでていた。

 

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10日は倉敷を中心舞台として幅広く活躍し、昨年亡くなった写真家中村昭夫さんの奥様から依頼のあった2012年度の中村昭夫作品集・カレンダーの写真の選定をした。僕の思うようにしていいということであったので今までの様な風景でなくて、中村昭夫でしか撮れない作品、彼の作品を代表するものということで、「倉敷」に絞った。それでも1000点ぐらいは見せてもらったであろう。中村さんは僕の写真家としての先輩であり、高田さんの師匠である。撮影の多くは4X5の大型カメラと6X9版だ。驚くほどきちんとポジの整理をされていて、いかに自分の作品に愛着を持っていたかが偲ばれ頭が下がる思いがした。4時間程かけてようやく1月から12月までの倉敷の町の表情を選び終えた。夕飯は児島の昨夏にも行った瀬戸内の味が売りの料理屋へ。高田さんのお弟子さんの案内である。ちょうど季節の変わり目なのか、期待ほどの瀬戸の魚の味は楽しめなかった。しかし下津井の真ダコのコロッケは絶品だったので高田さんの奥さんにお土産に包んでもらった。

 

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翌11日は、僕の生まれた蒜山高原の湯原温泉へ行きたいと高田さんにリクエストしていた。連休の土曜日とあって高速道路は渋滞だった。7年前の冬、雪がまだ多くある中、ネパールから僕の家に写真を学ぶためにホームステ―イにきていた青年と訪ねて以来だ。一番最初に訪れたのは35~6年前、僕がまだ20代であった。父が当時日本一の湯原ダムの建設のために、結婚してまもない母とこの地に来てそこで僕が生まれたという。母によれば環境の厳しい所で、生まれたての僕は重い肺炎にかかり一時生死をさまよったという。1年余りで母と僕だけが先に母の故郷上州へ戻ったのだ。当然、1歳の僕はその当時の記憶はない。しかし産湯に浸かった地、体のどこかに郷愁みたいのが染み付いているのも事実である。父が亡くなるまえに病床で「もう一度湯原に行ってみたい・・・・」と言っていたのも忘れられない。母もすでに83歳、「行きたいけれども長旅は自信がない・・・・」と言うようになってしまった。でもこれるのなら連れてきたいという思いはいまもある。

7年ぶりの湯原はほとんど変わっておらず、ひなびた山の湯というたたずまいだ。1950年代まで日本一の巨大ダムといわれ、当時観光用のケーブルまであったというが、今は個人周りとした小さいダムに見える。そのダムサイトの直ぐ下に露天風呂が旭川の岸辺にある。僕はその湯に浸かるのが好きでこの日も1時間近くぼーっと入っていた。57年前に僕が産湯として浸かった湯なのである。何か不思議な安らぎを覚えるのであった・・・・・・・。最終日は早島町長を表敬訪問するというので、高田さんと写真クラブの事務局長のHさんとで出かけ30分程話て帰ってきた。岡山駅で瀬戸内の珍味やアナゴ弁当にビールなどを買い込んで新幹線に乗り込んだ。流れゆく車窓を眺めながら10日間の高知、岡山の旅で出会った人たちの顔を思い返していた・・・・・。(おまえの醜いヌードなど見たくはないぜよ。という方もおられると思いますが・・・・ごめんなさい。記念に高田さんが撮ってくれたものですので目をつぶってくださいませ・・・・・)

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