友人である荒牧さんのフレームマンギンザサロンでの写真展は、9月16日~22日まで行われていた。その最終日に出かけた。彼は日本写真家協会会員であり、元毎日新聞編集員であった。25歳のフリー写真家の時代、1967年の文化大革命の嵐が吹き荒れていた中国を取材したもの。
荒牧さんの許可を得て、何点か作品を紹介する。 50年前の1967年1月から約2週間、毎日新聞中国特派視察団(林健太郎東大教授ら5名)の一員として深州、広州、北京、上海を訪れ取材したものだ。
当時、世界が注目していた中国の文化大革命の実態を赤裸々に取材した荒牧さんの作品は、日本のマスメディアをはじめ、ライフ誌にも掲載され熱い視線が注がれた。こうした一連の発表活動に1967年度日本写真家協会賞新人賞が贈られた。僕は荒牧さんと20年ほど前に、インドネシアのボルネオ島などを半月あまり一緒に取材したことがある。この日は久しぶりの再会だった・・・・。
僕は、10代後半から20代後半の約10年間を代々木八幡駅を利用してNHK近くの職場に通っていた。つまり僕の青春が詰まった街だ。40数年ぶりにこの街周辺を歩いてみたいと出かけた。
先ずはこのあたりの鎮守様でもある代々木八幡宮を参拝しょうと行ったら秋の例大祭前の宵宮祭だった。それまで降っていた雨が止み、期しくもお神輿が本殿へ上がるところであった。
代々木八幡宮は鎌倉時代、建暦2(1212)年9月23日の創建である。804年の歴史ある神社だ。久しぶりの社は大樹に覆われていて驚いた・・・・。
本殿の右にあるこの鳥居の奥には、稲荷神社、天神社、榛名社が祀られており、さらに奥の階段をあがるといま開運スポットして人気がある出世稲荷社があり、出世稲荷大明神が祀られている。何も出世を望むわけではないが、僕も参拝をした・・・・。
1972年~1982年まで職場だったビルは、4つのマンションに建て代わっていた・・・・。僕が毎日のように買っていたパン屋、昼食を食べに行った食堂、洋食屋、銭湯、古本屋、ラーメン屋、寿司屋、喫茶店などなど皆なくなっていた。唯一、一軒だけ蕎麦屋だけが残っていた・・・・。40年の歳月というのは重いのだなと改めて実感することしきりであった。
渋谷駅までの裏道通りを歩く。作家の寺山修司が暮し、彼が好んで散歩した道でもある。その通りの一角に「ネコカフェ」とやら今流行り店の看板があった。2時間ばかり歩きづくめだったので、コーヒーでも飲み一休みのつもりで生まれて初めて入ってみた・・・・。
客は若いカップルや若い女性ばかり・・・・。おじさんは僕だけだった!! ちなみにこの店の料金は、10分で200円。フリードリンクは350円という設定だった。でもネコとじゃれているとあっという間に30分ぐらいは経ってしまう。なかなかうまい商売だと思った・・・。
写真家の眞月美雨さんは、大のネコ好き~!☆ ウキウキしながら、癒される~の連発だった・・・。
僕は(=^・^=)たちの表情やしぐさが面白かったので、パチ、パチと愛用のカメラ「シグマDP1」で撮影していた。しかし、(=^・^=)たちにとっては、いい迷惑なのだろうと思った・・・。
締めは有楽町の線路下の飲み屋街。ここもずいぶんと様変わりををしているが、いまだ昔ながらの飲み屋は何軒かはある・・・。
昨年この店が「ジャパンタイムズ」に紹介された・・・・。
久しぶりに覗いたが、親父さんは相変わらず気持ちよく迎えてくれた。 いつまでもお元気で~!☆