
「すぐれたジャーナリズム活動を顕彰します。」をテーマとして1957年から顕彰してきた日本ジャーナリスト会議の第59回目のJCJ賞が選定された。8月13日、日本プレスセンターにおいて贈賞式が200人を超える市民とジャーナリストが参加しておこなわれた。
◎JCJ賞に選ばれたのは、★神奈川新聞のシリーズ「時代の正体」(後列左から2人目、報道部次長・取材班デスクの石橋学さん) ★「反核・写真運動」『決定版 広島原爆写真集』・『決定版 長崎原爆写真集』編者:小松健一、新藤健一(後列左端・フォトジャーナリストの新藤健一さんと僕) ★松本創『誰が「橋下徹」をつくったかー大阪都構想とメディアの迷走』(後列中央・フリージャナリスト) ★毎日放送「映像2015 なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち」(左から5人目・斉加尚代ディレクター) ★テレビ朝日報道ステーション「憲法の行方・・・『緊急事態条項』ドイツワイマール憲法が生んだ独裁の教訓」(後列右の2人・秦聖浩チーフプロデューサーと企画・制作した現テレビ朝日経済部長の松原文枝さん)
◎JCJ大賞は、毎日新聞東京社会部「憲法骨抜きを許した内閣法制局の対応をスクープ」(前列右左・日下部聡記者、青島顕記者) ◎JCJ特別賞 嬉野京子さん「50年間にわたる沖縄の取材活動に対して」(前列中央・女性写真家、ジャナーリスト)

1982年に設立された「反核・写真運動」は、当時ジャンルを超えた写真家、写真評論家、写真団体の代表、写真業界の代表など552人が呼びかけ人となってできたもの。すでに34年の歳月が流れた。僕も新藤さんも設立当初から運動に係わってきた。僕は長い間、事務局次長を務め、10年ほど前から事務局長を引き継いだ。いままでこの運動に係ってきた多くの先輩たちの努力と、原爆を撮影した先達の写真家たちの苦労が今回の受賞で多少は報われたと思うとうれしい限りである・・・。
JCJ賞の受賞の理由は、「『反核・写真運動』が監修者であること。百数十数点の初公開写真を含む828点の原爆写真。時系列での写真掲載、キャプションに英語も入れたこと。撮影者、撮影時刻、場所の確定を図ったこと。対談、解説の充実。原爆を撮った総勢27人のいわば原爆写真作品集となっていること。まさに決定版というにふさわしい写真集が原爆投下70年という節目に上梓された。広島・長崎を未来に伝えていく決意と努力の大きな成果だ。」となっていた・・・・。

13日の12:15分に受賞者をはじめ主催者や担当者が集まり、プログラムの進行の打ち合わせをした・・・。

12:30分から受付を開始したが、すぐに会場は満席状態となった・・・・。今回受賞した原爆写真集の発行元である(株)勉誠出版も会場で写真集の販売をした。

「JCJ8月集会」の基調講演は憲法学者・首都大学東京教授の木村草太さん。テレビ朝日「報道ステーション」でコメンテーター務めていた。題目は「改憲問題とメディア」。

感情論に流されることなく、客観的な資料と具体的事例をあげてメディアの在り方を問うた講演で、非常に興味深かく、また考えさせられた・・・・。

JCJ大賞には、表彰状と副賞としてバカラのクリスタル盃。JCJ賞には、表彰状と副賞として有田焼色鍋島 重要無形文化財(人間国宝)今泉今右衛門窯の一品物か、九谷焼絵付けの角皿が贈られた。

「反核・写真運動」ならびに新藤健一さんと僕に贈られた表彰状と副賞。

各賞のプレゼンターと授賞者たち。

選考結果と講評をするJCJ賞選考委員の諌山修さん。

熱心に聞き入る参加者たち。若い人の参加が目立った・・・・。

JCJ賞選考委員の酒井憲太郎さん。JCJ賞の「反核・写真運動」と特別賞を受賞した嬉野京子さんのプレゼンターを務めた・・・・。

表彰を受ける新藤さんと僕・・・。

受賞スピーチをする新藤さん。

続いて僕も編者として苦労した話や、編集作業のなかで新たに発見したこと、様々なエピソードなどを語った・・・・。

会場は参加者の熱気でムンムン・・・・。

毎日放送プロデューサーの斉加尚代さん(左)とJCJ賞選考委員でプレゼンターの伊藤洋子さん。
”若き美女”たちに囲まれて終始ご機嫌だった新藤さんでした~!☆お疲れさまでした・・・。 合掌