写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.240] 2010年11月27日 「人は人によって、生かされているんだ・・・・」と言うことをしみじみと感じ入ったこの数日間だった・・・・・。

 

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この数日間、めずらしく多くの人と会った。基本的には仕事の打ち合わせや出版企画の営業などであるが、まったくもって関係ない場合もあった。写真展などもいくつか見てまわった。先ず3年ぶりに会ったのは、愛知の芸術大学を卒業して、この6月から都内の某有名スタジオに務めているHさん。前日に突然「明日、休みが取れたのですがお会いできますか・・・」と電話が入った。お昼頃に、ちょうど池袋で用事が終わるのでご飯でも食べましょう。と言うことで会うことになったのだ。彼女は大学在中の3年前、まだ20歳であったが、僕が審査員を務める「マリナーズ・アイ展」で3000点を超える応募作品のなかから大賞を受賞したのである。写真科を専攻している彼女の作品は、いままでになかった若い女性らしいしなやかな感性で海を捉えた魅力的な作品だった。写真展会場だった東京芸術劇場にモデルとなった友人と上京してきたときに、会って以来だった。話を聞くと写真家になりたくて東京へ出てきたが、毎日の仕事が午前2時、3時で、給料も7~8万の生活。自分の作品作りがしたいがとてもそんな余裕はないと言うことだった・・・・・・・。

僕はただそんな彼女の大変な話を聞き、「今日はともかく好きな物を腹いっぱい食べなさいね~」と35歳の歳の差のある友に言うだけだった。彼女が「写真撮ってもいいですか?」と言って僕のポートレートを撮ってくれたのが安酒場でホッピーをもっていかにもうれしそうにしている上の写真だ。数日後、彼女から「写真が撮りたくなりました。ありがとうございました・・・・」とメールが届いていた。「志を忘れずにがんばれ!」と願わずにはいられない。十数年ぶりに若き日の写真仲間とも会った。いま新宿のコニカ・ミノルタプラザで「山の民の祈りーパキスタン・カシミール被災地に生きる」(12月2日まで)を開催している写真家・森住卓だ。彼とは20代の頃、ある新聞社の写真部で同僚だった。歳は彼の方が少し上だが、写真部では僕が1年先輩だった。
土門拳、田村茂、田中雅夫、伊藤逸平、伊藤知巳先生等々そうそうたるメンバーが教える「現代写真研究所」ができると聞いたので森住君と会社に交渉してその第1期生として夜間部へ入所させてもらった。上司は「行かせるがどんなに仕事が忙しくとも絶対に休まないことが条件だ」と言ってくれたことは忘れられない。最初の1年目はクラスにカウンセラーという助手役がいて、僕が若き日の樋口健二さんで彼の方が愛知の岡崎から夜行で通ってきていた竹内敏信さんだった。お互いにフリーになってからも南新宿の古いアパートに共同暗室を作って苦労した記憶も懐かしい青春の1ページである・・・・・・・。

 

その他に新潮社の宮沢賢治本の担当のO編集者、筑摩書房編集局 部長兼編集長のNさんにも忙しいところを無理して来ていただき、久しぶりにゆっくりと飲みながら出版企画の話など聞いてもらった。さらに石川啄木没後100周年企画の写真スケッチ集の見積もりなどの打ち合わせのために古い友人のK印刷の幹部、Kさんとも会った。また、沖縄の友人、日本写真家協会の新人、「写真集団・上福岡」の仲間たちとも写真談議に花を咲かせたのだ。この間に病院へも行って軍医あがりの88歳の担当医から「長生きしたけりゃ酒をやめ~い」と長い説教をされたりもした。 こうして書いてみるとここ数日間でもさまざまな人と会い、その人たちからの何らかの影響によって生きながらえているのだとつくづくと感じ入った日々であった・・・・・・。

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写真は中国・四川省で。(2009年12月撮影)

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