写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.232] 2010年11月10日 ” 晩秋のイーハトーブ紀行 ” 第1回目。盛岡、小岩井農場、岩手山麓・綱張温泉、春子谷地湿原、花巻・賢治記念館、大迫、そして早池峰周辺を巡った・・・・・。

夕べ盛岡駅の地下街で新そばと三陸のほやと背黒いわしを焼いたのを肴に、最後の一杯を朝日新聞盛岡総局のT記者と酌み交わして19時41分発の「はやて」に乗り込んだ。自宅に着いたのは22時半をまわっていた・・・・・。11月6日から9日まで、来年7月新潮社から刊行予定の宮沢賢治の本の打ち合わせと取材を兼ねてイーハトーブこと岩手県に行っていたのだ。今度の本で文章を担当することになったエッセイストの澤口たまみさんと打ち合わせがひとつの目的であった。もうひとつは、新潮社の担当編集者のOさんを宮沢賢治ワールドに案内することであった。6日は岩手山周辺、7日は花巻、早池峰周辺、8日は奥州、種山が原周辺、9日は盛岡周辺と写真を中心に報告するので今日と明日の2回に分けてレポートすることにする。晩秋から冬へと移ろうみちのくの風土を写真と文から味わっていただければ幸いである。

SDIM0628.JPG

SDIM0637.JPG

SDIM0643.JPG

SDIM0648.JPG

SDIM0651.JPG

SDIM0659.JPG

6日、12時半に盛岡駅でOさんと待ち合わせをした。彼女は前日から盛岡に入っており、別の本の企画案でKさんと盛岡市内の居酒屋を梯子して「呑み過ぎて頭がまだ痛いで~す」と僕の顔を見るなり頭をかいた。13時に澤口さんと待ち合わせなのでその前にレンタカーの手配を済ませた。はじめてお目にかかる澤口さんはすぐに「たまちゃん」と呼べるような愛くるしい人柄で想像していたとおりの女性であった。あいさつ代わりに固い握手を交わしてすぐに岩手山へ向かって車を出発させた。先ず向かったのは雫石にある小岩井農場。晩秋のみちのくの日差しは盛りが過ぎた山の紅葉を照らし、澄んだ空気はすでに冬の気配を感じさせた。姥屋敷を過ぎ、鞍掛山の麓、岩手山の登山口周辺の森を歩いてみた。霜にあたって少し萎びてしまった赤い実を口に含んでみたらすっぱい味がした。賢治が中学時代に友人と岩手山登山をした下山途中に泊まった山小屋があった綱張温泉のレストハウスで珈琲を飲みながら、今回の企画の思いを3人で語りあった。日陰にはまだ数日前に降った雪が残っていて肌寒かった。目の前に広がる秋田駒ケ岳などの山なみに沈んでいく夕日が透きとほるように澄んでいた。2人に僕がこの夏、何回も通い詰めた春子谷地湿原から見た岩手山を見せたくて車を飛ばした。やはりこの地からの鞍掛山と岩手山は雄大であった。2人も群青色に染まっていく空に聳える霊峰をいつまでも眺めていた・・・・・・。

夜は澤口たまみさんの友人で盛岡出版コミュニティーの編集者で作家の松田十刻さん、僕の古い友人であり、澤口さんの岩手県立博物館時代の先輩でもあったという石川啄木記念館の学芸員の山本玲子さん、それにOさんの雑誌編集者時代の元同僚でもあった朝日新聞のT記者が集まった。場所は、僕がこの夏きたときにすっかり気に入った店「モーリオの田舎料理・どん兵衛」だ。ご夫婦とも岩手山が好きで賢治と啄木が大好きというこの日のメンバーにふさわしい店だ。呑めば呑むほどに文学論やらジャーナリズム論やらはたまた恋愛論まで飛出しおおいに盛り上がった愉快な宴であった。この席では午後1時半まで粘った。そして一度解散してからT君と2人でさらに2軒梯子して最後は南部そばで〆てお開きにした。ホテルに戻ったのは午前3時を回っていた・・・・・・・。

SDIM0664.JPG

SDIM0674.JPG

SDIM0677.JPG

SDIM0685.JPG

SDIM0686.JPG

 

SDIM0712.JPG

SDIM0704.JPG

 

翌朝は、昨夜の深酒をもろともせずに花巻方面に出発。まずは宮沢賢治記念館へ。Oさんと館長にあいさつをしてから一通り館内を見てまわった。学芸員の牛崎副館長は、賢治学会のシンポジュウムに出ていて不在であった。ちょうど賢治の『春と修羅』の初版本を大分の人が記念館へ寄贈している時で、館はごった返していた。80年前に父親が賢治に注文して直接大分まで送ってもらった本だという。80歳になる娘さんが故郷にあった方がと・・・・、記念館へ寄贈したのだ。その足で花巻農業高校内にある羅須地人協会の建物をみてから早池峰方面に向かった。途中、大迫で「早池峰賢治の会」会長の浅沼利一郎さんを稗貫郡役所を復元した建物に尋ねた。いまここはこの地方における賢治研究のセンターとなっている。2ヶ月ぶりの再会を互いに喜びながらしばし話は弾んだ。近くのそば屋で遠野地方で栽培をしている強い辛味が特徴の「暮坪かぶ」を摩り下ろしてそばにからめて食べる「暮坪そば」を食べた。新そばによくあった。

浅沼さんが力説する賢治の『風の又三郎』や「どんぐりと山猫」の舞台である場所をOさんに見てもらうために釣瓶落としとの競争で山道を巡った。火の又分教場跡地周辺や花岡岩の山の猫山などはとりわけ賢治の童話の世界のような美しさであった。日本にもまだこうした風景が残っていると思うとこれから先、50年、100年と子どもたちに遺していかなければとシャツターを切りながらつくづくと感じたのだった。山道は午後2時半を過ぎると急にあたりは暗くなる。3時を過ぎればまるで夕方。ライトをつけなければ前が暗くてよく見えない程である。僕らはさらに山の林道を抜けて早池峰山の登山口に近い所にでようとしていたが、たまたま出会った地元のおじさんに道を聞くと「とんでもねぇ、あの道はジープでも危ねぇよ。だいち熊がごろごろいるだ~悪いこといわねぇから早よけえれぇ~」と忠告された。そうでなくとも僕は熊に間違えられるので撃たれてはかなわないので早々に引き上げることにした。今夜の宿はここからは反対側の豊沢川上流にある鉛温泉だ。車で飛ばしても優に1時間以上はかかるだろうと思った。 ようやく湯煙の上がる宿に到着した頃は、すでにたっぷりと陽が暮れていた。宿の藤三旅館には煌々灯りが燈っていた・・・・・・・・。(明日へつづく)

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。