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[no.164] 2010年5月25日 「ふたたびの修学旅行-江ノ島・鎌倉」40数年間、それそれの人生を刻んだ友が集った中学校同窓会に参加した。


5月22日、23日に江ノ島・鎌倉において中学校の同窓会がおこなわれた。何故、江ノ島・鎌倉なのかというとそれは45年前に修学旅行に来た思い出の地だからである。僕は数日前に中国四川省西南部、チベット国境の旅から戻ったばかりで疲れてはいたが参加した。2年前の同窓会は、ちょうどヒマラヤ取材と重なっていて参加できなかったので、今回4年ぶりに幼稚園、小学校、中学校と同じのみんなと会えることになるからである。僕らの同窓生は卒業生は99人いたが亡くなったり、行方不明で連絡がつかなかったりで、現在91人しか連絡がつかない。そのうち今回参加したのが38人、約42%の出席率だからたいしたものだ。幹事のみんなが魅力的な企画を立案してくれたからであろう。まずはご苦労さまでした。



初日の22日は、13時に集合して有志で江ノ島めぐりをした。上州からの参加者組はバスを仕立ててそれこそ修学旅行気分で、”海蛍”などを見学して少し遅れて到着した。初夏の日差しで湘南の海にふさわしい日和であった。江ノ島は江戸時代から観光の地として栄えていたというがこの日も参道は人でごったがえしていた。僕は若い頃、小田急沿線に10年間程住んでいたので、まだ小さかった子どもたちを連れてよく遊びにきていた。一昨年は、雑誌「PHP」の連載「路面電車の走る街」の取材で2度。昨年は、生誕100年を記念した太宰治の本を新潮社から出版するために、太宰が二度の自殺未遂を計ったこの江ノ島と鎌倉に2度取材に来ている。と言う訳でわりとよく訪れているのである。



でもここへ来ると必ず口ずさみ、思い出す歌とそのエピソードがある。それは「真白き富士の峰、みどりの江ノ島・・・・」の歌である。修学旅行でバスガイドさんが語ってくれた哀しい物語を40数年たった今も忘れずに思い起こすのである。胸が熱くなるのだ・・・・・・。夜はお決まりの大宴会。数十年ぶりの同窓生もいて懐かしい話と美味しい酒は尽きなかった。野球部員だった男5人と女性2人で夜明けまで街のカラオケで盛り上がって5時に戻ったという猛者の同窓生もいた。とにかくみんなうれしいのである。頭髪はすっかり薄くなり、白髪も多くなった友、僕のようにお腹が出て太り、歳相応に皺を刻んだ友。夫と死別し、妻と別れ、再婚した友、そして外国で暮らしている友・・・・・。この45年の間の人生は一人ひとりそれぞれだ。僕は友たちの老いた顔を見つめながら美しいと思った。愛おしいとも思ったのである。そんな友と飲む酒はまた格別に旨かった。



翌日は雨・・・・。緑雨である。鎌倉の古刹・長谷寺から巡ることにした。この寺は奈良時代の天平8年(736)開創だから鎌倉でも有数の古寺である。相合傘で境内を周る友をほほえましく思った。お守りをひとつ買い求めてから近くの鎌倉大仏へ行った。ここは修学旅行で全員で記念写真を撮った思い出の場所である。大仏様を背景にしてみな緊張した顔でおさまっている写真が一葉、僕の手元にもまだある。同じクラスだった友が僕の傍に来て与謝野晶子の短歌、「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」(『恋衣』)を口ずさんで、「この歌碑が大仏様の裏手の目立たない所にあるのですよね」というのだ・・・・。こういう会話はこの地にふさわしい。その時は言わなかったが、歌中の「釈迦牟尼」は誤りでこの大仏は、「阿弥陀如来」の坐像である。



降り続く雨のなかを御霊神社を経て極楽寺まで歩いた。途中、今朝しらすが獲れたというので地元の「三郎丸」という小さな魚屋で「釜揚げしらす」を買った。上州から来た友たちも土産に買っていた。「鳩サブレー」も大量に買っていたが・・・。江の電で腰越まで行き、しらす料理で知られる「かきや」で昼飯とした。しらす丼、生しらす、しらすのかき揚げなどしらす三昧であった。けっこう歩いたので渇いた喉にビールが沁みた。ここでまた、3年後の再会を誓って名残欲しくも解散したのである。いのちあらばまた3年後に語り飲み明かそうではないか。わが友たちよ!ありがとう。達者でね・・・・・・・。  合掌




この日、下の弟夫婦が上京していたので、行きつけの銀座ライオンで会った。嫁のガラス工芸の先生が松屋で展示会をしているので見にきたのと弟は仕事の打ち合わせだという。弟は家に泊まった。兄弟でゆっくりと飲んだ。

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