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[no.156] 2010年5月4日 7年に1度おこなわれる「信濃国一之宮総本社 諏訪大社」の御柱祭へ35年ぶりに行った。


立つっているのが主人のGさん、右が藤森編集長のお父さん




「フォトコン」藤森編集長のご家族


憲法記念日の5月3日の昨日は、「信濃国一之宮 総本社 諏訪大社」の上社本宮の御柱祭の里曳きを取材に行った。早朝に家を出て、新宿発「あずさ7号」で上諏訪へ向かった。写真研究会「風」の鈴木事務局長と樋口健二写真塾生だったIさんが同行した。上諏訪駅には「フォトコン」の藤森邦晃編集長のご両親が出迎えに来てくれていた。実は2年ほど前から7年に一度おこなわれる御柱祭に、ぜひ来てくださいと招待されていたのである。この日は、上社本宮と上社前宮のすぐ近くにあるGさんの家におよばれした。Gさんの奥さんのYさんは、編集長の父親である藤森さんの地元諏訪の写真教室の生徒さんであり、僕が「フォトコン」の審査員をしていた時の常連の応募者で、感性のいい写真家として存じてはいた。



G邸の16畳間には、すでにお客さんでいっぱいだった。Gさんは祭りの世話人で地元の顔役らしく、「6年間稼いできたものをこの祭りの3日間のためにみなつぎ込むのが奉納なんです。どんどん食べて飲んでください」と次々に訪れる客人にすすめるのである。僕らはこの地方で採れた茸や独活料理などおいしくいただいた。やがて編集長の家族も合流した。あんまり酔いが回らない内にと、藤森さんの案内で本宮へお参りに行った。途中、「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅の巨木を氏子のみなさんと一緒に曳いてみた。この地から25キロメートル離れた八ヶ岳中腹から周囲3メートル、長さ17メートル、重さ12~3トンもある大きな御用材を車もコロも一切使わず1000~2000人の氏子衆の力だけで、急坂や川を曳いてくるのである。上社本宮と前宮で計8本。下社春宮と下社秋宮も8本の御柱を立てるが、こちらは約10キロ離れた霧が峰から切り出して曳いてくるのだ。起源は平安時代初期、桓武天皇の時代に遡るというから歴史のある由緒ある儀式である。



Gさんの家の庭には次々と八剣太鼓やら長持やら木遣りなどの行列がやってきて、演目を披露してくれる。その度に、料理を追加し酒を注いだり、ご祝儀を渡したりで主のGさんと奥さんのYさんは大忙しであった。僕らはご馳走を食べ、そして酒を酌み交わして、ときどきシャッターを切るだけという極めて”極楽とんぼ”である。夕日が残雪の八ヶ岳を照らしはじめるのを眺めながら35年前、まだ僕が新聞記者の駆け出しだった頃、諏訪の精密機械工場に勤める油絵を描く青年を取材に来た。そのとき偶然に下社の御柱祭の里曳きに遭遇して写真を撮ったことを思い出した。その青年はその後上京し、いまはある新聞社の写真部に勤めているという。一昨日、諏訪で暮らす親しい写真家の石川文洋さんに電話をしてみたら、ベトナム解放35周年の行事に招待されていて4日に帰国するとのこと。そう言えば文洋さんは、下社の御柱祭の記録担当を頼まれていて半被もそろえて張り切っていると奥さんがメールに書いていたっけ。久しぶりにお元気な先輩に会えると思っていたんだけれども・・・・・。


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