写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2332] 2021年10月15日  公文健太郎写真展「光の地形」(SLOPE GALLERY/10月17日まで)、桑原史成写真展「MINAMATA」(ギャラリーE&M/10月16日最終日)を観て歩いた。公文君も史成さん夫婦も会場にいてゆっくりと出来た秋澄む一日だった・・・。

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公文君の写真展を見るのは久しぶりだった。今回は昨年出版した同名の写真集からの作品を展示したもの。プリントを売るのが目的のギャラリーだという。キャビネ版カラーで8.8000円の価格が付いていた。僕が最初に見たネパールを撮影した頃とは、彼の写真表現が大分異なるように感じた。

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写真甲子園というコンテストで3年連続グランプリを受賞しているという女性と公文君。ギャラリーの前で。

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僕の息子よりも若い公文君だが、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いである。僕の写真集『雲上の神々ームスタン・ドルパ』(青冬社)を見て感動してネパールの旅をはじめたと言っていた若い頃が懐かしい・・・。

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来よう来ようと思っていたが、遠方でコロナ禍もあり、なかなか足が向かなかったが、いよいよ終盤に近くなったので思い切って出かけたのだ。会場が閉まる30分前だったが入場者はひっきりなしであった。ギャラリーE&Mで。

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質問する人に一つ一つ丁寧に応える桑原史成さん(右端)、右から奥さま、ギャラリーのオーナーであり写真家の竹内英介さん。 

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史成さんご夫婦の写真を撮った。いつも史成さんは照れ屋なので、カメラを向けると表情が緩んでしまう。それで僕は「史成さん真面目な顔して~!」と言いながらシャツターを切ったのだ。少しはましなポートレートが撮れたかな・・・。奥さまは相変わらず、いつもお美しい。

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史成さんと初めて会ったのは、僕が20代前半の頃。もう50年近くになる。1974年5月に創設した現代写真研究所の一期生ととして僕は本科2年生に入所した(同期には写真家の藤田庄一、森住卓などがいた)。2年間は若き日の樋口健二さんと竹内敏信さんに担当のカウンセラーとして面倒を見てもらっていた。その上のクラスの研究科の担当カウンセラーが英伸三さんだった。桑原さんは英さんとは、写真学校が同期で歳も同じと言うこともあり、仲が良くて何かと言うと来ていたのだ。その頃の2人は、ドキュメンタリーのバリバリの若手売れっ子写真家だった。僕らの憧れでもあった・・・。

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今回の写真展を観て、つくづくと史成さんが口にしている「写真の命は記録性だ」と言う言葉がいかに大切かを感じさせられた。実は僕も30代後半の頃、史成さんの水俣の写真に刺激されて水俣へ何度か通った。5~6回だろうか。時には患者さんも訪問して取材させてもらった。だが、美しい水俣の風景だけを集めて「よみがえれ故郷・不知火の海」をテーマとした写真スケッチ集『水俣ーこころの風景』を5、000部制作した。

そこには「水俣病」のことは一字も入れなかったが、僕のこころのなかでは、もちろんそのことは大きなテーマとしてあった。しかし、商店街のおばちゃんに「あんたらが水俣の海は汚い、水俣は病気の町だとみんなに知らせたんだ」と言われた時には返す言葉がなかった。また居酒屋でチッソで働く労働者たちが肩身の小さい思いで呑んでいることを知った。そして決定的だったのは「大阪に嫁に行った娘が、もう水俣からと書いたミカンもなにも送らんでくれ~」と言われたと農家のお母さんに涙声で言われたことだった・・・。

水俣の歴史は古く、太古の昔から人々はこの土地で暮らし、不知火の海は豊穣だった。温暖な気候で、ゆったりとして眠りたくなるような風光明媚な土地である。僕はそこだけを撮影し、15点の写真に絞った。友人の詩も入れた。誰もが胸を張って水俣は良いとこじゃろと言えるような「写真はがき」を作ろうと思ったのだ。どうせ売れないだろうと自腹で作ったものの印刷代の支払いなど不安だったが、いざ、刊行するとラジオ番組に出演したり、新聞や週刊誌も取材し、紹介してくれた。地元でも「水俣病」の運動に賛成する人も、反対する人も、中立の人ともみな、喜んで買ってくれた。熊本の弁護士会の先生たちも大量に購入してくれた・・・。そしで気が付けば5、000部はあっという間に売り切れてしまっていた。僕の手元には今はもう無い・・・。

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