2月3日、鹿児島・奄美から戻って以来、どうしても行かなければならないという用事以外は、みなキャンセルをして家に篭った。それは4月新潮社から刊行予定にしている『三国志逍遥』(仮題)の執筆のためだった。予定原稿は、40本で字数は200字詰め原稿用紙350枚程度だ。本当は正月から取り組めばよかったのだが、元来の怠け者の僕のことだから、あれやこれやと理由をつけては後回しにしてきた。その付けがまわって来て、いよいよ尻に火がついたのである・・・・・・。
第14回さがみはら写真賞受賞作品展のオープニングパーティ、勉誠出版との原爆写真集の刊行の打ち合わせ、「カメラ&写真イメージングショー2015in横浜」、写真研究会「風」の熱海合宿、スプレーアートアーティスト・川名慶彦君の取材撮影、写真集団・上福岡の新年会&2月例会、「フォトコン」坂本副編集長との打ち合わせ、写真家・八木清君の展覧会など以外は、申し訳なかったがお断りして集中して書きまくった。そして、ようやく昨日、最後の5本分が仕上がり、編集部へ送ることができたのだ。とりあえず「やった~!!」という心境である。
これで溜まっていたブログが書ける・・・・・・。と思っているのだが、そうは問屋がおろさない。約束を伸ばし、伸ばししていた雑誌「月球儀」の原稿が20数ページ分あるし、並木すみ江写真集の編集作業、「季論21」のグラビア入稿、「フォトコン」5月号の連載「小松健一のシャツターはこころで切れ」の原稿執筆、そして何よりも4月8日からリコーイメージングスクエア新宿ではじまる小松健一写真展「見果てぬ夢よ、風よ、雲よー探検家 矢島保治郎」と、5月9日からはじまる前橋・ノイエス朝日での個展「三国志巡禮ー67,000kmの旅」の準備を開始しなければならないのだ。写真展案内の発送もしなければならないし・・・・・・。当分、まだまだ忙しい日々が続きそうである。