写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.695] 2014年4月21日 独特の文化・風習が今も息づく「空白地帯」天府の国から雲南秘境ーイ族の世界・大涼山を訪ねる旅・・・・・・・・(第8日~12日目/最終回へ続く)

この旅もいよいよ終わりに近づいた。今回の他に最終回として一緒に旅をした仲間のこと、食事のこと、現地でであった人たちのことなどを紹介したいと思っている・・・・・・・。

日本を発って8日目は、南シルクロードの中継点の町として古くから栄えた町・大女兆を朝、出発。当初の予定では、楚雄までいくことになっていたが、大理へ行く事に変更した。それは、大理から楚雄までの道が工事などもあって大渋滞が予想されるとわかったからだ。12日に大理から昆明まで走ると飛行機のフライト時間に間に合わなくなる恐れがある。それでコースを変えて12日の日は、できるだけ昆明空港に近い所から出発したいと考えた。この日は、昆明に出てから四川省の省都・成都へ行かなければならないのだ。

大女兆は、胡桃の産地で胡桃を使ったお菓子などのお土産がたくさんあった。大理までの道程は320キロメートル余り。僕にとっては10数年ぶり、4度目の大理の街だった。大理は白族自治州の中心都市。標高は約2000メートル。東にジ海という大きな湖があり、西に4000メートル級の山並みが連なる蒼山がすぐそこに迫っている。大理古城は、四方12キロメートルの城壁に囲まれていて、東西南北にはそれぞれ城門があり、場内には白族の歴史ある建物も数多く残っている民族的な風情のある町だ・・・・・・。

この美しい高原の街は、西洋人からは「東洋のスイス」と呼ばれ、中国人からは「西南の敦煌」と呼ばれている。僕はかってこの町が気に入って、ジ海に浮かぶ金稜島に土地を買ってここを終の棲家にしたいと思ったほどであった。とにかく時間がゆったりと流れていたのである・・・・・・・・。それがどうであろうか、今回行ってみてそのあまりにもの変貌にはただ眼を見張るばかりであった。古城を囲む新しい町には、高層ビル群が立ち並び、場内は観光化されたみやげ物屋ばかりの町に変わっていた。10数年前のあのパリの下町の路地裏のような雰囲気が漂っていた町は完全に消えていた・・・・・・・。僕はシャツターを押す気にはまったくなれなかった・・・・・・・・。

IMGP1017-001.JPG
大女兆県光禄古鎮で。
IMGP1174-001.JPG
大理古城への途中、美しいイ族の村があったので止まって撮影をした。古いたたずまいの村であったが村の名前は「新村」と書いてあった。この旅のコーディネートをしたイ族出身の写真家・烏里烏沙君を入れて撮影。
IMGP1099-001.JPG
村の入口には大きな樹があった・・・・・・・・。
IMGP1119-001.JPG
こうした路地が幾重にも走っていて、村に入ると迷路のようになっていた・・・・・・・。
IMGP1190-001.JPG
村の入口にあった案内所の女性たち。家の壁に動物や踊っている女など様々な画を描くのはイ族の独特な風習である。
IMGP1130-001.JPG
昼餉の時間になったので、野良仕事を終えて主婦が帰ってきた・・・・・・・。
IMGP1214-001.JPG
昼餉の支度が始まったのだろう。家々からは煙が立ち上りはじめた・・・・・・・・。
IMGP1222-001.JPG
僕らが野外で昼飯を食べた村で・・・・・・・。
IMGP1274-001.JPG
大理古城で唯一撮った写真。ガイド役として旅の全日程をサポートしてくれた蒋志女亭さん(31歳)。彼女は本来、山岳ガイドだ。烏里君の友人として6年ほど前から何度か成都で会っているので、信頼できる女性とは思っていた。今回の旅でもやはり大活躍、参加したみんなも大いに感謝していた・・・・。ありがとうね~!☆
IMGP1361-001.JPG
9日目は、朝早くから大理古城を出て、麗江古城に程近くの蒼山麓にある沙渓古鎮へ。そこで出会った猫ちゃんでした・・・・・・・・。
IMGP1379-001.JPG
蒼山の峠を幾つも越えて一回りしたようなコースをとったので、走行距離は320キロメートルを超えた・・・・・。
IMGP1414-001.JPG

大理に戻ってきた時には、蒼山に日が暮れるところであった・・・・・・・・。

IMGP1442-001.JPG
ジ海の湖畔にいた恋人たち・・・・・・・。
IMGP1438-001.JPG
僕は湖畔沿いの漁港や漁師の家を訪ねたかったのだが・・・・・・・。残念ながら時間が足りなかった。この湖で帆船で獲る海老が美味なのでみんなにも食べさせたたかった。夕食を湖畔沿いの店で食べた時に、その海老のから揚げがあったので注文した。みんな美味しいといってあっという間に一皿平らげてしまった・・・・・・。
IMGP1501-001.JPG
いよいよ旅も10日目。この日は大理からイ族自治州の中心の町・楚雄市へ。その途中で、雲南省におけるイ族が一番早く住み着いたと言われている巍山県へ行く。この県はイ族回族自治県である。町の中心にある北門城楼は1390年に創建された由緒ある門である。
IMGP1482-001.JPG
城門を中心に東西南北に古い町並が広がっていた・・・・・・・・。
IMGP1491-001.JPG
城門の前で佇む人・・・・・・・・。
IMGP1512-001.JPG
艶やかな献血車が古城の町に不釣合いだった・・・・・・・。
IMGP1543-001.JPG
県の旅遊局を訪ねたら、青年が自分で撮影した写真を見せてくれた。そのイ族の村は遠いのかと聞くと、ここから20キロメートルほど山間部に入った所だと教えてくれた・・・・・・・。
IMGP1574-001.JPG
巍山県大蒼鎮の啄木郎村というのが僕らが目指した村の名前だった。日本式にいえば「啄木村」だ。こんな中国・雲南省の山奥で、石川啄木の名前に出会えるとは、何か不思議な気がした・・・・・・・・。
IMGP1666-001.JPG
この村の女性たちはみな普段着として艶やかなイ族の民族衣装を着て仕事をしていた・・・・・・・。
IMGP1572-001.JPG
村の道で少女と出遭う・・・・・・・・。
IMGP1640-001.JPG
啄木郎村の全景。山奥にしては大きな村だった・・・・・・・。
IMGP1628-001.JPG
どの家も四方を建物が囲み、真ん中に農作業などをする広場がある。村は新築ラッシュのようで多くの家々が工事をしていた・・・・・・・。
IMGP1703-001.JPG
町までの道はきれいに整備されて舗装されていた。こうした三輪車が日常生活品などを運んでやってくる。村の女性たちに、カメラを向けるとちょつぴり恥ずかしそうだった・・・・・・・。
IMGP1676-001.JPG
この前まで啄木郎村の長を務めていたという小父さんとその家。彼が親切に村を案内してくれた。この日夕方からお葬式があるので見ていくかとすすめてくれたが、今日中に楚雄に着けなくなるので残念ではあったが諦めた・・・・・・・・・。
IMGP1581-001.JPG
村の老人に「何故、啄木村なのか、日本の有名な詩人に啄木という人いるのだが・・・・・・」と訪ねたが、昔からの地名、詳しい事はわからないということであった・・・・・・・。この村には数日泊りがけでまた来たいと思った。
IMGP1712-001.JPG

昨日は案の定、道が工事や事故で大渋滞をしていて楚雄に着く予定を大幅にうわまわって午後11時40分にホテルに到着した。夕飯も食べていなかったので午前0時を廻ってから近くの屋台で食べた・・・・・・・。翌11日目は、朝早くから楚雄市郊外の山間部にある盆河村を訪ねた。この村への道は途中からは舗装もされてなく、道幅も車一台がやっという狭さだった。ひとつハンドルをまちがえれば数十メートルはある崖下へ転落するようなスリル満天のコースであった・・・・・・・。

IMGP1733-001.JPG
この日は往復で150キロメートルの道程だった。しかし、そんな山深い村でも山間部の斜面を耕して大麦や芋、野菜などを植えていた。収穫を前にした大麦が谷間をわたる風に揺れていた・・・・・・・。
IMGP1743-001.JPG
バナナ畑のなかに甘い匂いを放つ黄色い花が咲いていた・・・・・・・・。
IMGP1758-001.JPG
母親と兄弟夫婦で暮らしているという家族。遠い日本から来た僕らを家の中に迎え入れてくれた・・・・・・・・。
IMGP1771-001.JPG
この村で両親と暮らすイケメン青年。父親に似ていると思った。僕がカメラを向けると少しはにかんだ・・・・。
IMGP1838-001.JPG

午後には、楚雄市内へ戻って、楚雄イ族自治州博物館へ行く。写真は発見された古代のイ文字。現在使われているイ文字に非常に近い。この地は、ラマ人化石と元謀人の化石が発掘されていて長い歴史・文化を持った所で人類発祥の地のひとつと言われている。地形は周りに三の高い山が聳え立つ雄大な地勢を構成していることから「千里イ山」と称されている・・・・・・・。

IMGP1822-001.JPG
美しい文様が描かれているイ族の衣装。 楚雄市は現在、人口245万人余。イ族、漢族、リス族、ミャオ族、タイ族、回族、白族、ハニ族、チワン族などの民族が居住している。そのうちイ族が約67万人、総人口の26パーセント余りを占めている。
IMGP1881-001.JPG
雲南省最後の夜となる4月11日の夕食は、ドライバーの胡波君とガイドの蒋さんのご苦労さん会を兼ねてということで、市内にある族古鎮へ行って、イ族料理に舌鼓ながらイ族舞踊を見た・・・・・・・。
IMGP1890-001.JPG
イ族舞踊を舞う娘たちの姿が池に映っていた・・・・・・・・。
IMGP1926-001.JPG
ホテルまでの道の両側は、食べ物や日常雑貨、土産などの夜店がづらりと並んでいて祭りのよう。みな、そぞろ歩きに来ていた・・・・・・・・。
IMGP1954-001.JPG

 

12日、雲南省・昆明の夕日。この日の午後に昆明市内に入り、茶市場などを回ったあと、四川省の成都へ向かうために昆明空港へ。空港へ到着したときに、大きな太陽がまさに山へ沈むときであった・・・・・。合掌

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。