7月9日、都内のホテルでこの4月10日に大腸がんのため、亡くなった親しかった写真家・管洋志さんを偲ぶ会が写真業界関係者、友人ら多数が集って開催された。この日は管さんの68歳の誕生日だった。正面の祭壇には、遺影の他、彼が使用していたカメラ機材や愛用の品々、大好きなだった奄美大島の黒糖酒などが置かれていた。会場左には彼が残した仕事の数々が展示されていて、あらためて管さんが幅広く仕事をしていたか確認できた。アジアを中心に取材していたことでは、僕の仕事と重なる面があり、一層親しさを感じた。
生前にこうした仕事のことじっくりと話したことがなかったし、2人だけで酒を飲み交わしたこともなかった。ただあまりしゃべらなかったが、何故か心は通じていたと思う。お互いに目を見ただけで気持ちがわかるのだ。こうした友人はあまり居なかった。管さんが一番最初の海外取材先にネパールを選んだのも共通性があったのかも知れない。今思えば何度かスタジオに飲みに来ないかと誘われていたが、一度も行けなかったことが悔やまれる。1度目の手術の後、随分と痩せた管さんと会って、ただ固い握手かわしたことがあった。その時に彼は僕に小さな声で「まさか自分がこんな病気になろうとは思わなかったが・・・・・・、必ず直してまたアジアへいくよ。その時には小松さん、今度は飲もうね・・・・・」と言った。
僕は祭壇の管さんへ次のようなメッセージをしたためた。 「 一村の終焉の地の穀雨かな 風写 洋志さんがこよなく愛した奄美の自然、人びと、島唄、そして島酒を僕も愛します 」 安らかにお眠りください。 合掌
家の近くまで戻り、独りで管さんのことを偲びながら献杯をした・・・・・・・。そういえば管さんが亡くなった歳は親父が死んだ歳と同じだ。僕も還暦を過ぎ次なる目標は、親父が生きた歳と先日宣言したばかりだった・・・・・・。