写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.595] 2013年7月10日 今年4月に大腸がんで急逝された写真家・管 洋志さんのお別れの会が68歳の誕生日にウェスティンホテル東京で盛大におこなわれた・・・・・。 合掌

7月9日、都内のホテルでこの4月10日に大腸がんのため、亡くなった親しかった写真家・管洋志さんを偲ぶ会が写真業界関係者、友人ら多数が集って開催された。この日は管さんの68歳の誕生日だった。正面の祭壇には、遺影の他、彼が使用していたカメラ機材や愛用の品々、大好きなだった奄美大島の黒糖酒などが置かれていた。会場左には彼が残した仕事の数々が展示されていて、あらためて管さんが幅広く仕事をしていたか確認できた。アジアを中心に取材していたことでは、僕の仕事と重なる面があり、一層親しさを感じた。

生前にこうした仕事のことじっくりと話したことがなかったし、2人だけで酒を飲み交わしたこともなかった。ただあまりしゃべらなかったが、何故か心は通じていたと思う。お互いに目を見ただけで気持ちがわかるのだ。こうした友人はあまり居なかった。管さんが一番最初の海外取材先にネパールを選んだのも共通性があったのかも知れない。今思えば何度かスタジオに飲みに来ないかと誘われていたが、一度も行けなかったことが悔やまれる。1度目の手術の後、随分と痩せた管さんと会って、ただ固い握手かわしたことがあった。その時に彼は僕に小さな声で「まさか自分がこんな病気になろうとは思わなかったが・・・・・・、必ず直してまたアジアへいくよ。その時には小松さん、今度は飲もうね・・・・・」と言った。

僕は祭壇の管さんへ次のようなメッセージをしたためた。  「 一村の終焉の地の穀雨かな  風写   洋志さんがこよなく愛した奄美の自然、人びと、島唄、そして島酒を僕も愛します 」 安らかにお眠りください。  合掌

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祭壇にそれぞれの思いをしたためたメッセージを置く人たち・・・・・・・。
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管さんが生前ひどく好きで飲んでいた奄美大島の黒糖酒・龍宮酒造の社長さんと彼が通っていた鹿児島のワインバーのソムリエのSさん。また管さんの散骨をするという奄美群島の加計呂麻島からも見えていて声をかけられ、しばし管さんの話をした・・・・・・・・・。
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秋田の男鹿半島に一緒に取材へ行った以来の再会だったフリー編集者でライターの井本千佳さん(中央)と「写真ライフ」水谷勝編集長(右)と公益社団法人日本写真家協会常務理事・山口勝広さん。
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最後に喪主としてあいさつをする奥様の感真理子さんと長男の洋介君。洋介君も父の意志を継ぐという決意を述べた・・・・・・・・。
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家の近くまで戻り、独りで管さんのことを偲びながら献杯をした・・・・・・・。そういえば管さんが亡くなった歳は親父が死んだ歳と同じだ。僕も還暦を過ぎ次なる目標は、親父が生きた歳と先日宣言したばかりだった・・・・・・。

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