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[no.192] 2010年8月12日 ”宮沢賢治ワールドを求めて、夏のみちのくひとり旅” 盛岡、石川啄木記念館、小岩井農場、網張元湯、焼き走り溶岩流そして満天の星の岩手山・・・・・。

8月3日は、まず市内に新しくできたという「もりおか啄木・賢治青春館」のぞいてみた。その足で渋民にある石川啄木記念館へ行った。この記念館との付き合いは長く、僕がはじめてこの地を訪れたのは、20代前半だからもう35年ほどになる。もちろん今の記念館でなくてその前の館。いまは物置になっているという。学芸員を20数年務める山本玲子さんとは、彼女が記念館に勤め始からであるから旧知の友でもある。啄木生誕110年のときに、作家の高橋克彦さんと関川夏夫さんと亡くなった漫画家で江戸文化研究家でもあった杉浦日向子さんと僕の4人で出来立ての姫神ホールで講演をしたことがある。それ以来かもしれない。館長や山本さんたちと八幡平の温泉で泊まり込みの忘年会もした。みななつかしい思い出である。今年は『一握の砂』刊行100年であり、来年は啄木の没後100年である。館では企画展として、「啄木と龍馬の視線」をしていて山本さんが丁寧に解説してくれた。3時間あまり2人だけで話しまくった。とにかく10数年ぶりだったので話が山ほどあるのである。彼女の労作『啄木うた散歩』をもらった。1月から12月までの季節ごとに啄木の短歌にエッセイを綴ったものである。僕は昨秋発行した『太宰治と旅する津軽』をプレゼントした。閉館時間を過ぎていたので、なごりほしかったが彼女と別れて北上川に建つ啄木歌碑の前に行った。厳寒の季節にひとりでこの歌碑の前にたたずんでいた20代の僕に思いをよせてみた。岩手山は深い霧のなかで姿は見えなかった。

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昨夜行ったホテルのすぐ近くの「モーリオの田舎料理 どん兵衛」という店が気に入って今夜も出かけた。宮古などから直送の魚介類はもちろん旨いが、ここの大将と女将さんと意気が会ったのである。賢治や啄木が好きで、地元では知られた山岳家で岩手山にほれ込んで180回以上登山しているという。女将さんも一緒に登るという。「岩手山だけは、おら賢治さんよか、登っているさ~」と言うだけあって詳しい。僕が岩手山を撮影にきたというとさまざまな撮影ポイントを教えてくれた。レンズの調子が悪くなったので、シグマの桑山さんと足立さんに連絡するとすぐに送ってくれた。ホテルを決めてなかったので、朝日新聞の盛岡総局へ送ってもらったのだが、届いたレンズを持ってT記者が店に来てくれたので一杯。南部は蕎麦処、旨い蕎麦を食べにもう一軒梯子した

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翌日は、まず小岩井農場へ撮影にでかけた。ここも10回以上は来ているのでほとんどは勝手を知っているようなもの。滝沢村の姥屋敷の集落を中心に走ってみた。夕べ教えてもらった春子谷地湿原に行ってみるとすぐ目の前にくらかけ山、その背後に高く聳える岩手山が雄大にある。この岩手山はいいな~と思った。さらに東側の山麓に広がる焼き走り溶岩流へ車を走らせた。噴火から260年前以上たっているのに一面の溶岩原にはコケ類しか繁殖していない不思議な光景である。人っ子一人いない溶岩流のなかを明るい内に3度歩いてみた。夜になって迷わないためである。しかし、漆黒の闇のなか、わずか50センチ四方の明かりの懐中電灯では、どこを照らしてみても同じような溶岩ばかり、1時間ほど彷徨って怖い思いをした。なんとか溶岩流から抜け出せたのは9時をまわっていた。夕日はよかったのだが、星空はきれにでなかった。温泉で汗を流して盛岡の街をめざして真っ暗な山道をひたすら走りぬけたのである。

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盛岡での夜は最後の日となる5日は、もう一度冬に来なければだめかも・・・と半ばあきらめかけていたが、この日はじめて朝から晴れ渡った。この日にかけるしかなかった。昨日に引き続き小岩井農場方面にまずは向かう。しかし、この日は姥屋敷でなく、網張方面に登ってみた。くらかけ山、岩手山山頂も間近くみえる。山容は裏山となるのでずいぶんと崩れる。途中に啄木の歌碑があつた。岩手山を詠んだ歌が刻んであり、バックの岩手山に対峙しているようでいい歌碑であった。網張温泉は、故郷の万座温泉の湯を思い出させる乳白色で硫黄の香りがした。岩手にきていくつかの温泉に浸かってみたが、この湯が僕は一番好きだ。ただ、山は虻が多い。早池峰山でさんざ虻の攻撃に合い、そこらを刺されていたので、落ち着いて湯に浸かれないので閉口した。みなハエ叩きを手にぶんぶん振り回しながら湯に浸かっているのである。大沢温泉もしかりで、僕は髪を洗っているうちに5~6箇所は刺された。跡がまたかゆくてたまらない。網張では、古老が僕の体をピシャリ、ピシャリと叩くのでびっくりしたら虻がたかっていたのだ。「みな虻たちは、旨そうなあんたに吸い付くからわしらは助かるよ~」と笑うのである。「山の湯の古老はぴしゃり虻を打ち」と僕は駄句を一句詠んだ。夕刻から春子谷地に陣取って、満天の星になることを祈りつつ待った。結果は写真をみてのお楽しみ・・・・・・・。盛岡最後の夜のビールはとりわけ旨かったのは言うまでもない。どん兵衛の主人も喜んでくれて、酒を何杯もついでくれて乾杯をしたのだった。

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