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2009年10月14日 宮沢賢治の心友、保阪嘉内の故郷・韮崎を訪ねる

10月12日、爽やかな秋晴れの下、新潮社「とんぼの本」シリーズで、宮沢賢治の本の出版の取材のために、山梨県韮崎市へ向かった。今回の新潮社の担当編集者は、あのK編集者ではなく、岡倉天心の5代目当主にあたる僕もよく知っている新進気鋭の写真家O君の奥さんのTさん。実は彼女がまだ、大学を卒業して出版の世界に入ったばかりの頃からの知り合いで、ある雑誌で僕が森鴎外を連載していた時の担当者であった。津和野や小倉など取材に行ったこともあった。現在は2人のお子さんを育てながら、大手出版社のやり手の編集者となり、再びこうして一緒に仕事ができることを僕はとてもうれしく思ふ。


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何故、賢治で韮崎かと思うでしょうが、この町は武田の里や中田を生んだサッカーの町だけではないのだ。宮沢賢治に大きな影響を与えた保阪嘉内の生まれ育った町である。この10日~12日、韮崎市制施行55周年記念事業として、企画展「銀河の誓いは永遠にー保阪嘉内の足跡とアザリアの仲間たち」と記念の集いがおこなわれていたのだ。展示は、賢治が嘉内に宛てた手紙を中心に、資料や写真の本物が多く展示されていて見ごたえがあった。嘉内の長男にあたる保阪善三(右・83歳)さんと次男の保阪庸夫(中央・82歳)さんが待ち受けていてくれて会場を丁寧に案内してくれた。


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実は庸夫さんとお会いするのは2度目で、10数年前にご自宅を訪ね賢治の手紙類をすべて見せてもらったことがある。僕の著『三国志の風景』(岩波新書)の愛読者だといわれ、当時、韮崎相合病院の院長だったので仕事を終えてから居酒屋で楽しく一杯やった記憶がある。そんなこともあって今回の申し出も快諾してくれたのである。市内の嘉内のゆかりの地も2人で案内してくれるというので、恐宿だが甘えてお願いした。車の運転は庸夫さんの娘さんのご主人が買って出てくれた。展示会場の韮崎文化ホールは、嘉内が通った藤井尋常小学校があった場所、ここに銀河鉄道をイメージした「保阪嘉内 宮沢賢治 花園農村の碑」が建っている。


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嘉内の眠る墓には、賢治と嘉内の短歌が門柱に彫られていた。ここからは「藤井平5000石」といわれた穀倉地帯だった嘉内の生家がある藤井の集落が一望でき、墓標の裏手は、南アルプスの峰峰が連なっている、正面には嘉内が愛した茅ヶ岳、北には八ヶ岳、南には霊峰・富士山が峻と聳えていた。僕はこれほどまでに気高く感じる富士を見たことがなかったので、驚いた。その後もいろんな場所をご案内いただき、最後は嘉内の生家で、現在は善三さんのご自宅である藤井の家でお茶をいただいた。南アルプスの稜線が夕日に染まり始めた頃、中央本線の列車に甲州ワインなどを買い込んで飛び乗った。僕が「賢治は独身を貫いたが、保阪嘉内が賢治の家内(サポーター)みたいだね・・・・」とTさんに言うと彼女は、若かった頃と変わらないコロコロとした笑い声をいつまでも車内に響かせていた。

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