津軽の取材を終えて帰京してから3日目。何か魂が抜けてしまったような脱力感を覚える。身も心も力が入らないのだ。実は今回の取材は、厳寒の2月の5日間に続くもので、6日間だった。走行距離は700キロメートル。前回と合せると1300キロとなる。運転は全てK編集者だ。だからいつもの運転を兼ねているのと違い、そんなには疲れないだろうと思っていたが、それがどっこい無茶苦茶に疲れた。というより全身がボロボロになった。とくに突然襲ってくる右背中と左腰の激痛には閉口した。今までにヒマラヤであれ、アンデスであれ、シベリアであれ、ニューギニアであれ秘境といわれたどんな所でも、こんなことはなかった。まさに初めての体験である。
その激痛は、息ができない、声が出ないほどで、久しぶりにこの感覚を思い出した。かって南米チリの軍政下の大統領選の取材中とイギリスの湖水地方の取材中に下脇腹に痛みを感じ、やはり声が出ないほどの激痛に苦しんだことがあった。この時は尿管結石だとわかったが、今回は原因が不明である。「酒の飲み過ぎだろう」などと言われそうだが、僕は仕事での旅のときは、思われているほど飲まない。「太り過ぎだ」とも言われそうだが、もうこの体型になって久しい。これが原因だとすれば、毎日激痛と過ごさなければならなくなる。・・・・・「じゃ歳だよ」。それも事実ではあるが、本人はまだまだ青年のつもりでいるのだ。病院へも定期的に行き、検査結果も異常はなかった。不可解千万!!
取材中は、地元の整体士に部屋に来てもらい、3日間マサージなどをしてもらい凌いだのだ。一番しんどかったのは、太宰の小説『魚服記』に登場する滝のイメージに似ていると言われている「藤の滝」の滝壺に降りるときだった。前日までの雨のため水量は多くなっている所へ、崖の足場の岩や土が滑り、細いロープや宙ぶらりんになっている脚立は、きわめて不安定なのである。足を滑らしたら、真っ逆さまに約30メートル下の滝壺へ。十中八九は助からないだろう。まして首から肩から4台のカメラをぶら下げているから、なんともバランスが悪いときている。途中、カメラを2台上に置いてくるのだったと思ったが、後の祭り。何とか真ん中あたりにまで、さしかかった時だった。突然あの激痛が襲ったのである。一瞬、あっもうだめだと思った。が、さいわいに足元に一本の木があっのた。そこに滑った足がひっかかったのである。助かった。・・・・・・・何とか下まで降りて撮影を終えた。
(photo:K編集者)
藤の滝を取材中。太宰は「滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭く開いて、そこから谷川が岩を噛みつつ流れ出ていた。」(魚服記より)と書いている。(photo:K編集者)
登る時は、K編集者に1台カメラを担いでもらった。宿に戻ってからK氏がそっと自分のデジタルカメラを見せてくれた。それは僕が必死で絶壁と格闘している姿であった。「落ちてくる小松さんはとても支えきれない。せめて最後の肖像をと思って撮ったのですよ・・・・」と笑いながら語った。「それに本当に死ぬかと思いました」とも・・・・。ずいぶんと心配をかけてしまって、申しわけないと思った。内心、反省もした。僕はもう決して若くはないのだと。そして最後にK氏は「小松さん、賽の河原で何かにとりつかれたのではないですか?」と冗談まじりに言った。僕は、「とてもおいしい人間らしいので、なんでもついてきちゃんです」 とこれまた笑いながら答えたのだが、この夜の酒は、真にほろ苦かった。
真冬の陸奥湾を撮影する。(photo:K編集者)