写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.2293] 2022年10月16日 半月ぶりに都内に出かけた野町和嘉写真展「シベリア収容所 1992」(OM SYSTEM GALLERY/10月24日まで)を観るためだ。余力があれば、丸の内で開催中の関口照生写真展、大西みつぐ写真展など巡ろうと思っていたが、新宿西口の通称「しょんべん横丁」であえなく沈没でした・・・。

 

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昨年に続き、今年もわが家の金木犀は二度咲である。窓を開けるとベランダから甘い香りが部屋中を満たす。以前に畑の向こうの通りから部屋の中を隠すために植えた金木犀6本と山茶花5本、それに金柑の木。年が経つに連れて前の畑がつぶされて、家が6棟建った。突然、光を遮られた植物たちはいっせいに太陽の光を求めて上へ上へと伸び、いまや2階のベランダを遥かに超えて屋根に届く勢いとなった・・・。僕が寝ている2階のベランダからの光景。

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旧オリンパスギャラリーで10月13日から開かれている野町さんの写真展会場。10月15日はスペシャルゲストとして「風の旅人」編集長の佐伯剛さんを迎えての作品解説があった。また野町さんの誕生日だということもあってか会場はひっきりなしの人で賑わっていた。

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しばらく野町さんと話をしていると、JPS理事の熊切大輔君が来たのでJPS会長の野町さんを囲んで記念写真を撮った。

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ついで、奥さんである写真家・榎並悦子さん(正面)と写真家の若山美音子さんも入ってパチリ~!!

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ストラップなどを開発して販売している(株)Sakura sling projectno 社長・杉山さくらさんと野町さん。少し照れくさそうだった。

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刑務所に服役中の女因たちと野町さん。野町さんによればこの女性たちの3人に1人は殺人罪で服役中の人たちだと言う。極寒のシベリアの刑務所とは思えない大らかな笑いがある・・・。僕も1991年2月、ソビエト連邦崩壊前夜のシベリアの最奥地・マイナス60度の世界に約1か月間取材でいたことがあった。

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かれこれ40数年かよっている店を久しぶりに覗いてみた。数年ぶりだった。親父は80歳をゆうに超えて店には出なくなったが、元気だと言う。倅は近くの店を買って改修し二号店を出したという。この店は狭いが日本酒はもちろんの事、芋・麦焼酎、泡盛り、黒糖酒など、他では飲めないものを常備してあるのがうれしい。

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昔は焼酎コップで一杯180円だった。その時代と比べるとやや高くはなっているがまあ、許せる範囲の値段だった。奄美の黒糖酒の「長雲」と「龍宮」をロックでいただいた。龍宮はたまに置いてある呑み屋はあるが、長雲にはあまり巡りあえない。大島でもマイナーな酒である。泡盛にしても芋・麦焼酎、蕎麦焼酎にしても憎い銘柄を押さえている・・・。

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焼きとん。アブラとカシラを注文した。

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北海道産の白子もつついた。

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驚いたことにションベン横丁は道幅があるので、店の前に椅子やテーブルを並べて商売をしていたことだ。以前は右側の山手線側でみな用を足していたものだ。だからこの横丁の名前が付いたのだが、こういう状態になってしまってはもう用は足せませんよ・・・。

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「鳥園」は、この界隈では老舗の焼き鳥屋だ。僕は30代の頃、この店に入り浸っていた。2階の一角に専用の席が用意されていたぐらいだ。何故かというとこの店の親戚の兄妹が台湾から留学に日本に来ていた。兄の方は写真を勉強していて日大芸術学部をめざしていた。1年近く僕が個人的に指導していたのだ。運よく一発で合格した。妹は希望していた文化服装学院に入学できた。そんなことがあったので僕の写真展のオープニングパーティなどには必ず、焼き鳥を100本以上届けてくれたものだった。林君と言ったその青年は卒業して国に帰り、台湾では知られた編集者になったという。結婚式にも招待されたが当時の僕には出席出来なかった・・・。いまはどうしているだろうか~?!

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新しく「きくや」に改装オープンしたこの地下に入る店は、以前はしゃれたバーだった。きちんとアイロンがかかったワイシャツに蝶ネクタイをした老人2人がバーテンをしていた。僕は角かホワイトのボトルをキープしていて、3軒ばかりハシゴした仕上げにここで軽くあおって帰路につくというのが当時のパターンだった。  僕があしげく通っていた当時の界隈の店は、まだ何軒か残っているが、多くは様相が変わってしまっている。それでもまだ7軒は残っている。昔と違い、そう何軒もハシゴはできないが、近くに行けば今でも1~2軒は顔を出している。

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最寄り駅の前に最近、出店をはじめたキッチンカーtotoがある。よく行く居酒屋の前にあるホテルの一角なのでたまに寄る。手頃な値段のピザとボリュームたっぷりジェラートが売りだ。この日はお奨めのシラスとチーズピザを頼んだ。家に戻ってから肴にして寝酒に一杯呑んだのである・・・。

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