写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.913] 2016年4月18日 14日から断続的に今も続いている熊本地震の犠牲者ならびに被災者の方々に心からの哀悼とお見舞いを申し上げます・・・合掌。 僕は13日の夜から鹿児島入りし、14日、15日、16日と緊急地震速報を知らせる信号音が鳴り響く中で取材を続けた・・・・。

13日の午後3時過ぎに日向市から特急日輪で宮崎市についた。親しい写真家の芥川仁さんが駅まで迎えに出てくれていた。市内にある彼の事務所に行って美味しい珈琲をご馳走になりながら、とりとめのない話を3時間あまりして別れた。一昨日まで助手を務めてくれた塚原和弘君と雨の中、車で鹿児島へ向かった。市内のホテルへ着いたのは夜10時を回っていた・・・・。

DSC_3763.jpg

雨上がりの翌日14日は、朝から雲一つない青空が広がっていた。鹿児島県写真協会有志による写真講座は午後3時からだったので、それまで桜島を撮影することにした。まずは定番の標高107mの城山へ上って、鹿児島市街地と錦江湾と桜島を一望した・・・・。中国からの団体ツアーの観光客が引っ切り無しに来ていた・・・・。

DSC_3805.jpg

島津光久が別邸として造らせた名勝・仙巌園にほど近い磯海水浴場からの桜島を撮ろうと行ってみた。外国人の恋人たちが誰もいない浜で泳いでいた。楽しそうな2人をパチパチと撮らせてもらった・・・・。

DSC_3823.jpg

★全ての縦位置の写真がどうしても横位置になってしまい、見づらくて申し訳ありません。以前使用していたパソコンのソフトのほとんどが消去されてしまったのです。(写真は13日の夜、宮崎から鹿児島までと、14日の午後2時まで運転と撮影の助手をしてくれた塚原和弘君。感謝~!☆ 熊本の人たちに連帯する気持ちをと思いくまモンの袋を購入した)

DSC_3890.jpg
平田屋の前の海岸。
DSC_3909.jpg

鹿児島漁港からの桜島。太公望がちょうど釣り上げている光景・・・・。

SDIM3334.jpg

名物じゃんぼ餅。一人前10本ある。軟らかい餅にみたらし団子のようなあんかけがかかっている。

SDIM3342.jpg

老舗の四代目平田屋で頂いた。一人前500円だった・・・・。

SDIM3349.jpg

鹿児島へ行くと必ず食べに行っていた「こむらさき」だったが、1年ぶりのこの店の味は、正直落ちていた。調理人が変わると味が変わるというが、老舗のこの店も代替わりか・・・・。それにしても先代の味をしっかりと引き継いでほしいと思った。しばらくは足は向けないだろう・・・・。

SDIM3358.jpg

 

SDIM3360.jpg

 

SDIM3367.jpg

今年、創立40年を迎える鹿児島県写真協会の熱心なメンバー有志が集まって写真講座を開いた。現在の会長は村上光明君(前列右端)。公益社団団法人日本写真家協会会員、協同組合日本写真家ユニオン会員でもある。僕は彼がまだアマチュアだった頃から知っている親しい間柄だ・・・。(村上光明写真スタジオで)

SDIM3372.jpg

夜は参加者の有志の人たちが懇親会を開いてくれた。この後、村上君と今給黎さん(右列一番奥)の3人で二次会へ。昨日も行った奄美の郷土料理の店「群倉」(ぼれくら)で飲んでいた時に、第1回目の震度7を超える地震が発生したのだ。午後9時26分だった。1階の店だったが震度3強あったからけっこう揺れがつづいた・・・・。

DSC_3954.jpg

深夜にも何度も携帯電話の地震緊急速報を知らせる信号音が鳴った・・・・。写真は15日。桜島へフェリーで渡って撮影したもの。北岳(標高1117m)の中腹373m、桜島の4合目に位置する湯平展望台から。砂防ダムの真ん中に生コンを輸送している工事用のヘリコプターが写っている。

DSC_3989.jpg

琉球と同じ「石敢富」があった石垣のある集落。桜島で。

DSC_4011.jpg

自然石で組んだ美しい石垣のある小さな漁港と桜島。

DSC_4052.jpg

ガジュマルの木の下に海の神様を祀る小さな祠があった・・・・。背景は桜島。

DSC_4029.jpg

堤防で撮影をする村上君と今給黎さん。

DSC_4073.jpg

金子兜太句碑が桜島が見える場所に建っていた。「黒い桜島 折れた銃床 海を走り  兜太」と自筆の文字で刻んであった・・・・。

DSC_4096.jpg

強制的な避難勧告が出されている有村地区。しかし、いまだ故郷を離れたくないと何世帯かの人々がこの村で暮らしている・・・・。

DSC_4128.jpg

二度にわたって桜島の噴火によって大きな土石流の災害を受けた有村地区。この河口から錦江湾へと土石流は流れ出した。かっては役場があり、郵便局があり、学校もあって賑やかな村だったという。

DSC_4168.jpg

黒神地区にある埋没鳥居。高さ3メートルあった鳥居が笠木のみ残して火山灰によって埋没している・・・・。

DSC_4199.jpg

西日になった桜島港フェリーターミナル。乗る前に桜島の温泉にゆっくりと浸かって旅の疲れを癒したのである・・・・。

SDIM3377.jpg

僕が鹿児島最後の夜だから魚が食べたというと村上夫妻と今給黎さんが市内の魚が旨い店に連れて行ってくれた。ありがとう~!☆ 僕が注文したのは刺身はきびなご、首折れサバ、ハマチ、焼き物のは、ぶりのカマ焼きときびなごの塩焼きだった・・・・。どれも美味であった。

SDIM3381.jpg

いつも仲の良い村上光明夫妻・・・・。ごちそうさま~!☆

SDIM3380.jpg

写真家・今給黎祐三さんと村上夫人とで・・・・。

SDIM3386.jpg

鹿児島最後の夜も僕は独りで、旨い黒糖酒と奄美の郷土料理が食べれる「群倉」へ行った。結局は鹿児島に滞在していた夜の3日間は毎日通ったことになる・・・・。女将の市枝さんと喜界島出身のアルバイトの青年。店は今春リュニーアルオープンをしたばかりだ。

SDIM3393.jpg

帰京する16日の未明にまたしても震度7.3の大きな地震が熊本地方を襲った。やはり緊急地震速報の警告音は鳴り響いて僕の泊まっていたホテルも揺れた。

午前中は、黎明館で開催

している日本風景写真協会鹿児島支部写真展を見てから、西南戦争で亡くなった西郷隆盛をはじめ6000数百人の戦士が眠る墓地を参拝した・・・。幾多の若く優秀な青年たちの無念さを感じながら墓碑銘を見て巡った・・・。   合掌

SDIM3400.jpg

 

鹿児島最後の食事の締めは、やはり「鹿児島ラーメン」で行きたかったので、村上君推薦の店に行った。以前に僕も行ったことがある有名なラーメン店で修業した若者たちが開いた店だという。う~ん75点ぐらいかな・・・・。前出のラーメンよりも旨かったのは間違いない~!!

村上君が空港行きのバスターミナルへ送ってくれていた時にまた、緊急地震速報が鳴った。慌ててみると地震の発生場所が日向灘となっていたので驚いた。つい3日前まで宮崎県の日向にいて実際に日向灘を撮影していたからだ・・・・。余震が続く中、熊本に取材に行きたいというジャーナリストの魂がうずくなか、後ろ髪が引かれる思いで鹿児島の地を後にしたのであった・・・・。

このウェブサイトの写真作品、文章などの著作権は小松健一に帰属します。無断使用は一切禁止します。