写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.617] 2013年9月8日 2020年に東京でオリンピックが56年ぶりに開催することが決定した!☆!☆!☆!☆!☆ 思い出の地、ブエノス・アイレスで・・・・・・。

 

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小松健一撮影:「kininaru  koukei」

昨日から日本のマスメディアは、2020年にオリンピックが東京で開催できるかどうかで、ヒステリックになるほど騒ぎ立てていた。お陰で僕も結局は東京に決定する朝方まで付き合うこととなった。9月7日は小説家・泉鏡花が昭和14年に亡くなった日でもある。鏡花が尾崎紅葉の玄関番を務め、暮らしていた神楽坂上の横寺町にあった旧尾崎邸を取材したことがあった・・・・・・・。
どのテレビチャンネルを廻しても、オリンピック関連の番組ばかり、3日後には、「3.11」が発生してからちょうど2年半となる。世界のマスコミや人びとが不安を感じている福島原発の放射能を大量に含んだ汚染水漏れについても、確実な対策が打たれたわけではないのに・・・・・・・。東京招致が決まったからといって、そう手放しで喜んでばかりいられないのは明白である。これから本気で復興と原発の廃炉に向けた作業を開始しなければならないと思うのだが・・・・・・・・。

それにしても56年ぶりの2020年に東京でオリンピックが開催されることになったのは、スポーツを愛する者の一人としては、正直うれしい。前回の東京オリンピックが行われたのは今から49年前、1964年だった。敗戦から19年目、日本が復興した姿を世界に知らせる夢を持った祭典だった。当時、僕はまだ小学5年生だったが、いろいろな思い出がある。二つのことを記しておこう。

一つは、近所のお兄ちゃんで子どもの頃、良く遊んでもらった角田勝治さんがバスケットの代表として出場したということだ。僕の実家のすぐ上の家だった。「勝ちゃん」と僕らは呼んでいたが、兄弟はみな大きかった。むろんおじさんもおばさんも。勝ちゃんの弟に正ちゃんという人がいたが彼もバレーボールのオリンピック候補者だった。当時、田舎ではまだテレビがあまり普及されてなかったので、勝ちゃんの本家にあたる家にテレビがあったので、村中の人たちが集まって応援をした。またその様子が地元新聞に掲載されたりしたものだ。勝ちゃんは2メートル近く身長があり、日本選手団の中でも一番大きかった。列車の座席に座ったまま荷物棚から物が取れたというエピソードも残っている・・・・・・・・。

もう一つは、東京オリンピックの開会式の時に、五輪の旗や国旗を先導した少年鼓笛隊があったことを覚えている人もいると思うが、その鼓笛隊を指導した人が我が田舎の学校にも来て、6年生と5年生の約200名で鼓笛隊がその人の指導の下に結成されたのだ。そして文字通りの猛練習。その全体を統括する主指揮者に僕が、任命されたのである。20名程の縦笛の小隊に分けられ、それぞれ副指揮がついた。その先頭には楽団があった。それら全体を指揮するという大役だった。太く重い指揮棒だったので何度も手にできた血豆がつぶれた記憶がある・・・・・・・。このことによる忘れられない思いではたくさん残っているがそれはまたいつの日かに・・・・・・・・・。


 

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