写真家 小松健一・オフィシャルサイト / Photographer Kenichi - Komatsu Official Website

[no.529] 2012年12月31日  今日は大晦日、今年もいろいろと目まぐるしい年でしたが、みなさんにはどんな1年でしたでしょうか。 一年の感謝の心を込めながら穏やかな新年をお迎えくださることをお祈りいたします・・・・・ 合掌

 

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(中央チベットの聖湖・ヤムド湖のほとりで、満天の星空を仰いでいると吸い込まれてしまいそうになった。   2012年5月7日撮影)

2012年も今日で終わり。1年が何と早く過ぎ去ってしまうのか、ここ数年前から1週間が2~3日、1日があっという間に過ぎていくのでいつも焦りみたいなものを感じていた。昨年は『宮沢賢治 雨ニモ負ケズという祈り』の出版のための取材をはじめ、5冊の写真集の編集と出版に追われた年だった。それでも5月にロシア・サハリン、7月に中国・江南地方、9月に東チベットと3度の海外取材をおこなった。写真展も第2回「風」展をはじめ、5つのグループ展への作品出品、展示構成も3つの写真展を担当した。

今年はどうであったろうか、「上州の探検家・矢島保冶郎ー中国・西蔵30000kmの旅」の展覧会と写真報告集の出版に追われた1年間だったような気がする。4月~5月にかけての長い過酷な取材、8月にも四川省南西地方の奥地を取材した。10月からは「ヒマラヤ古寺巡礼」のアンコール展、11月の小松健一作品展「上州の探検家・矢島保冶郎ー中国・西蔵30000kmの旅」、11月~12月は銀座で開催された第5回日本中国写真藝術協会展を開いた。12月になってからは1月5日から16日までの小松健一写真展「三国志巡礼」の準備一辺倒の毎日であった・・・・・・・・。

結局は今年は出版活動は『上州の探検家・矢島保冶郎』の一本のみだった。僕のライフワークの一つ「日本文学風土記」の取材は山陰の出雲地方と瀬戸内に取材に出ただけであった。気になっている東北への取材はついぞ一度も出来なかったのだ。あの大惨事がおきてまだ1年余足らずなのに・・・・・・・。福島原発放射能漏れ事故のため、先祖代々から受け継いできた故郷の我が家へ戻れず、いまだ避難生活を余儀なく強いられている人々は16万人以上いるという現実を取材しなければ・・・・・・・という思いは募るばかりではあるが・・・・・・・・。悔しいかな、僕の体は一つしかない。もっと時間が欲しい。自由になる資金が欲しいと思ってみたものの、現実は現実、どうしょうもないのだ・・・・・・・・。

後、10時間余で2013年という新しい年を迎える。しかし単純には喜べない。それは閉塞感漂う時代状況と原発をはじめとしたエネルギー問題や外交問題、経済問題など山済みされた諸問題に対する政治家と民意の乖離には暗澹たる思いを抱かざるを得ないからである。そうした危機感を持っているのは僕だけではないであろう・・・・・・・。しかし、正月はやはり一年に一度のめでたいとき、古今東西民衆たちは、この時を家族団欒で、村や町をあげて、祝い、唄い踊り、酒を飲み、ささやかではあるがご馳走を食べ、神々に祈りを捧げて過ごしてきたのである。僕も先人たちに習いこの正月を送ることにしょう。新年は1月5日からの写真展、2月の中国・日本写真家共同展、3月の「上州の探検家・矢島保冶郎」の巡回展、5月までに奄美諸島とヒマラヤとチベットへの取材を予定している・・・・・・。新しい年も「光陰矢のごとし」という日々になりそうである・・・・・・・・・。

みなさん~!☆ 1年間ありがとうございました。新しい年もよろしくお願いいたします。 穏やかな初春をお迎えくださいませ・・・・・・・・・・   合掌

 

☆2012年 春待月  埼玉・Tさん(芋焼酎2升、おせち料理) 今年最後の心からの御礼となります。ありがとうございます。   日本お布施党  党首

 

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